昨夜、NHKで「未来への提言」が放映されていたが、未来学者アルビン・トフラーの考えに沿って田中直毅氏が対談しながら21世紀の人類の課題を考えて行くと言う面白い番組であった。
殆どの論点は、昨年ベストセラーであったトフラーの「富の未来」の再展開であったので、それ程新鮮味はなかったが、どれだけ、トフラーが自分自身の殻を破れるのかに興味を持って聴いていた。
トフラーに最初に衝撃を受けたのは1970年の「未来の衝撃」だが、その10年後に出た「第三の波」では、今日のIT時代を予言するほどの画期的な本であった。
アメリカに出張した同僚に原書の購入を頼んで貪るようにして読んだのを思い出すが、その前にダニエル・ベルの著書を読んで脱工業化社会(Post-industorial society)の概念が頭に叩き込まれていたので、私自身にとっては、もう、何十年も前から、工業社会から知識情報産業化社会への移行は既成概念であった。
実際にも、1970年前半に、アメリカのビジネス・スクールで既に毎夜12時頃までコンピューターセンターに詰めて勉強していたので、コンピューター主体の経済社会になることは分かっていたが、今日のIT革命によるパソコンやインターネットの隆盛など実際に起こっている現実の革命的なテクノロジーの変化にはビックリしている。
私自身の関心事は、確かに現実としての第三の波、即ち、知識情報化産業社会に対するトフラーの見解や理論は、「第三の波」の頃と比べれば格段に精緻を極め分析や理論的展開の進展が見られて感動的だが、もう、トフラーの言うような第三の波は曲がり角に差し掛かって方向転換しつつある、いや、しなければ人類が滅びるところまで来ているのではないかと言うことである。
知識情報、テクノロジー、科学と言う観点からの人類の未来志向を進めて行くと、どうしても、物質的成長拡大と言う成長路線に向かって進んで行き、地球能力の有限性、エコシステムへの挑戦となり、もう既に幾らかのポイントで限界を超えていて、「リービッヒの樽の法則」が作用するのなら危機的な状態になっていると言う気がするのである。
今回のTV番組で、最後にトフラーは、21世紀の課題として「人類の再定義 Mission of 21st Century to Re-Define Human」を掲げて次の様なことを語った。
「今後、生物学、遺伝子工学、ナノテクノロジーなどが目覚しい発展をとげ、人間の頭脳と力を劇的に向上させ新しい能力を手にする。次世代の人間に成るかも知れない。
脳科学や生物学の発展によって新たな問題が浮上し劇的な対立が起きるであろう。
私たちの倫理観が問われている。人間が互いに殺し合ってはいけない。良心を失わず、更なる知恵と互いに手を携えて行く力を獲得出来るよう願っている。 」
トフラーは、科学技術の将来には比較的楽観的だが、しかし、リバイヤサンを野放しに出来ないことは認めざるを得ないのであろう。
知識よりも知恵の領域を深化させて行くような社会を志向すること、ここに照準を当てて未来を見据えない限り人類の未来は暗い。
田中直毅氏は、「地球規模の統治革新 Global Governance Innovation」を提案していたが、何れにしろ、科学や知識情報の進歩だけでは駄目で、要するに強力な倫理観念なり確固たる価値基準の構築が必要だと言う事であろう。
同じ、未来思考でも、毛色が変っていて面白いと思ったのは、大前研一訳のダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」で、ここでトフラーの向こうを張って「第四の波」が語られている。
情報化社会もいまや最終段階に入って、早くも「第四の波」が押し寄せつつある。情報化社会からコンセプチュアル社会へである。
早い話が、情報化社会の花形ビジネスの弁護士や会計士などでも、インターネットに情報や知識が充満しておりコンピューターに簡単に取って代わられてしまう、況や、殆どのナレッジワーカーの仕事などコンピューターのみならず、グローバリゼーションによってインドや中国の優秀な同業によっても簡単に駆逐されてしまう。
友人であるトフラー夫妻と侃々諤々の議論をした結果、トフラー夫妻の「第四の波」刊行の可能性があるのを考慮して、このハイコンセプトの邦訳のタイトルを「第四の波」にしなかったと言う大前研一氏の訳者解説が面白い。
とにかく、この「ハイコンセプト」は、将来の経営者はMBAではなくMFA(美術学修士 Master of Fine Arts)だと言うあたりなど、正に的確で、『「新しいこと」を考え出し生み出す人の時代』だと言うポイントがユニークで衝撃的である。
私の未来思考は、もっと倫理的、道徳的、宗教的と言うか、人類にとってのゾレンの世界であるが、正月早々難しい話を抱え込んでしまった。
(追記)生産消費者については、本ブログ2006年6月15日 「生産消費者の経済・・・アルビン・トフラー」ご参照請う。なお、トフラーについては、本ブログで何度も記述している。
殆どの論点は、昨年ベストセラーであったトフラーの「富の未来」の再展開であったので、それ程新鮮味はなかったが、どれだけ、トフラーが自分自身の殻を破れるのかに興味を持って聴いていた。
トフラーに最初に衝撃を受けたのは1970年の「未来の衝撃」だが、その10年後に出た「第三の波」では、今日のIT時代を予言するほどの画期的な本であった。
アメリカに出張した同僚に原書の購入を頼んで貪るようにして読んだのを思い出すが、その前にダニエル・ベルの著書を読んで脱工業化社会(Post-industorial society)の概念が頭に叩き込まれていたので、私自身にとっては、もう、何十年も前から、工業社会から知識情報産業化社会への移行は既成概念であった。
実際にも、1970年前半に、アメリカのビジネス・スクールで既に毎夜12時頃までコンピューターセンターに詰めて勉強していたので、コンピューター主体の経済社会になることは分かっていたが、今日のIT革命によるパソコンやインターネットの隆盛など実際に起こっている現実の革命的なテクノロジーの変化にはビックリしている。
私自身の関心事は、確かに現実としての第三の波、即ち、知識情報化産業社会に対するトフラーの見解や理論は、「第三の波」の頃と比べれば格段に精緻を極め分析や理論的展開の進展が見られて感動的だが、もう、トフラーの言うような第三の波は曲がり角に差し掛かって方向転換しつつある、いや、しなければ人類が滅びるところまで来ているのではないかと言うことである。
知識情報、テクノロジー、科学と言う観点からの人類の未来志向を進めて行くと、どうしても、物質的成長拡大と言う成長路線に向かって進んで行き、地球能力の有限性、エコシステムへの挑戦となり、もう既に幾らかのポイントで限界を超えていて、「リービッヒの樽の法則」が作用するのなら危機的な状態になっていると言う気がするのである。
今回のTV番組で、最後にトフラーは、21世紀の課題として「人類の再定義 Mission of 21st Century to Re-Define Human」を掲げて次の様なことを語った。
「今後、生物学、遺伝子工学、ナノテクノロジーなどが目覚しい発展をとげ、人間の頭脳と力を劇的に向上させ新しい能力を手にする。次世代の人間に成るかも知れない。
脳科学や生物学の発展によって新たな問題が浮上し劇的な対立が起きるであろう。
私たちの倫理観が問われている。人間が互いに殺し合ってはいけない。良心を失わず、更なる知恵と互いに手を携えて行く力を獲得出来るよう願っている。 」
トフラーは、科学技術の将来には比較的楽観的だが、しかし、リバイヤサンを野放しに出来ないことは認めざるを得ないのであろう。
知識よりも知恵の領域を深化させて行くような社会を志向すること、ここに照準を当てて未来を見据えない限り人類の未来は暗い。
田中直毅氏は、「地球規模の統治革新 Global Governance Innovation」を提案していたが、何れにしろ、科学や知識情報の進歩だけでは駄目で、要するに強力な倫理観念なり確固たる価値基準の構築が必要だと言う事であろう。
同じ、未来思考でも、毛色が変っていて面白いと思ったのは、大前研一訳のダニエル・ピンクの「ハイ・コンセプト」で、ここでトフラーの向こうを張って「第四の波」が語られている。
情報化社会もいまや最終段階に入って、早くも「第四の波」が押し寄せつつある。情報化社会からコンセプチュアル社会へである。
早い話が、情報化社会の花形ビジネスの弁護士や会計士などでも、インターネットに情報や知識が充満しておりコンピューターに簡単に取って代わられてしまう、況や、殆どのナレッジワーカーの仕事などコンピューターのみならず、グローバリゼーションによってインドや中国の優秀な同業によっても簡単に駆逐されてしまう。
友人であるトフラー夫妻と侃々諤々の議論をした結果、トフラー夫妻の「第四の波」刊行の可能性があるのを考慮して、このハイコンセプトの邦訳のタイトルを「第四の波」にしなかったと言う大前研一氏の訳者解説が面白い。
とにかく、この「ハイコンセプト」は、将来の経営者はMBAではなくMFA(美術学修士 Master of Fine Arts)だと言うあたりなど、正に的確で、『「新しいこと」を考え出し生み出す人の時代』だと言うポイントがユニークで衝撃的である。
私の未来思考は、もっと倫理的、道徳的、宗教的と言うか、人類にとってのゾレンの世界であるが、正月早々難しい話を抱え込んでしまった。
(追記)生産消費者については、本ブログ2006年6月15日 「生産消費者の経済・・・アルビン・トフラー」ご参照請う。なお、トフラーについては、本ブログで何度も記述している。