明日まで、松坂屋銀座店で、「石山寺と紫式部展」が開かれている。
石山寺には、紫式部の間と言うのがあって、彼女が源氏物語の構想を練ったと伝承されている部屋があり、確か、紫式部と覚えし人形が小さな経机を前にして座っている筈である。
そのために紫式部や源氏物語にまつわる絵画や調度品などが集められていて宝物館にあり、これらのうち70点が今回展示されている。
私が石山寺を訪れたのは、もう、20年ほど前のことなので定かではないが、この紫式部の部屋のあるのは本堂の正面入り口近くで、回廊を左に回りこむと、小規模だが清水寺のような舞台があって河の方に向かって切り立っている。
絵心を誘うのであろうか、今回も沢山の「石山寺紫式部観月図」が描かれて展示されていたが、紫式部の部屋からは、一寸まわりの立ち木が邪魔にはなるが、瀬田川越しに煌々と輝く月が仰げる格好にはなっている。
近江八景の一つ「石山の秋月」の和歌、
石山や鳰の海てる月かげは
明石や須磨もほかならぬ哉
石山の秋月は格別なのであろう。
私は、京都の月ならあっちこっちで見ているが石山の月は知らない。
しかし、琵琶湖のほとりというなら2回月を見た記憶がある。
最初は、学生時代に友人と比良山の麓の湖畔に自衛隊から借りてきたテントを張ってキャンプをしたことがあったが、どんな月だったか忘れてしまったが、湖面にきらきら揺れる月影を何故か鮮明に覚えている。
もう一度は、その少し後だが、友人と比叡山に登り延暦寺を拝観した後、山道を坂本まで歩いて下山しようとして道に迷って麓に着いたのは日がとっぷりと暮れてからであった。ほっとして空を見上げた時の月の美しさは格別であった。
この琵琶湖から流れ出る瀬田川は、一山越えると天ヶ瀬のダムに到るが宇治川に名前を変えて平地に流れをとって、淀で木津川と桂川と合流して淀川となって大阪湾に入る。
私自身、学生時代に宇治で1年間下宿したので、宇治川にかかる月は数多く見ている。やはり、このあたりの観月は季節の如何に拘わらず紫式部でなくても詩情を誘う情緒がある。
この宇治は、源氏物語の後半の宇治十帖の舞台でもあり、現在、宇治上神社の側に立派な源氏物語ミュージアムが出来ていて紫式部との縁も深くなっているが、私の居た当時は、源氏物語の雰囲気は少なかったような気がする。
ところで、紫式部の十二単の絵姿であるが、以前に石山寺に行った時に始めて展示されたという最古の黒ずんで殆ど彩色が見えなかった絵が来ていて懐かしかった。
色々な絵があり、今様だと言って遊女姿の江戸浮世絵のような絵もあったが、私には、上村松園の紫式部の絵が印象に残っている。もっとも、松園は、初期に御簾を掲げる「清少納言」の有名な絵を描いている。
源氏物語を画材にした華麗な土佐派の大和絵の屏風や扇面画、絵画が展示されていたが、扇面などに描かれた絵などを一つ一つ丹念に物語の場面を想像しながら見て歩いた。
私の書架には、清水好子著「源氏物語五十四帖」と言う20年ほど前の本があり絵と解説が詳しいが、絵によっては解釈や雰囲気が大分違っていて色々な画家の発想が面白い。
他に、源氏物語のシーンをあしらった蒔絵の豪華な硯箱や文台などの調度品や紫式部が使ったという硯石などが展示されていたが、源氏物語や紫式部ファンの人には興味深い展示会だと思われる。
石山寺には、紫式部の間と言うのがあって、彼女が源氏物語の構想を練ったと伝承されている部屋があり、確か、紫式部と覚えし人形が小さな経机を前にして座っている筈である。
そのために紫式部や源氏物語にまつわる絵画や調度品などが集められていて宝物館にあり、これらのうち70点が今回展示されている。
私が石山寺を訪れたのは、もう、20年ほど前のことなので定かではないが、この紫式部の部屋のあるのは本堂の正面入り口近くで、回廊を左に回りこむと、小規模だが清水寺のような舞台があって河の方に向かって切り立っている。
絵心を誘うのであろうか、今回も沢山の「石山寺紫式部観月図」が描かれて展示されていたが、紫式部の部屋からは、一寸まわりの立ち木が邪魔にはなるが、瀬田川越しに煌々と輝く月が仰げる格好にはなっている。
近江八景の一つ「石山の秋月」の和歌、
石山や鳰の海てる月かげは
明石や須磨もほかならぬ哉
石山の秋月は格別なのであろう。
私は、京都の月ならあっちこっちで見ているが石山の月は知らない。
しかし、琵琶湖のほとりというなら2回月を見た記憶がある。
最初は、学生時代に友人と比良山の麓の湖畔に自衛隊から借りてきたテントを張ってキャンプをしたことがあったが、どんな月だったか忘れてしまったが、湖面にきらきら揺れる月影を何故か鮮明に覚えている。
もう一度は、その少し後だが、友人と比叡山に登り延暦寺を拝観した後、山道を坂本まで歩いて下山しようとして道に迷って麓に着いたのは日がとっぷりと暮れてからであった。ほっとして空を見上げた時の月の美しさは格別であった。
この琵琶湖から流れ出る瀬田川は、一山越えると天ヶ瀬のダムに到るが宇治川に名前を変えて平地に流れをとって、淀で木津川と桂川と合流して淀川となって大阪湾に入る。
私自身、学生時代に宇治で1年間下宿したので、宇治川にかかる月は数多く見ている。やはり、このあたりの観月は季節の如何に拘わらず紫式部でなくても詩情を誘う情緒がある。
この宇治は、源氏物語の後半の宇治十帖の舞台でもあり、現在、宇治上神社の側に立派な源氏物語ミュージアムが出来ていて紫式部との縁も深くなっているが、私の居た当時は、源氏物語の雰囲気は少なかったような気がする。
ところで、紫式部の十二単の絵姿であるが、以前に石山寺に行った時に始めて展示されたという最古の黒ずんで殆ど彩色が見えなかった絵が来ていて懐かしかった。
色々な絵があり、今様だと言って遊女姿の江戸浮世絵のような絵もあったが、私には、上村松園の紫式部の絵が印象に残っている。もっとも、松園は、初期に御簾を掲げる「清少納言」の有名な絵を描いている。
源氏物語を画材にした華麗な土佐派の大和絵の屏風や扇面画、絵画が展示されていたが、扇面などに描かれた絵などを一つ一つ丹念に物語の場面を想像しながら見て歩いた。
私の書架には、清水好子著「源氏物語五十四帖」と言う20年ほど前の本があり絵と解説が詳しいが、絵によっては解釈や雰囲気が大分違っていて色々な画家の発想が面白い。
他に、源氏物語のシーンをあしらった蒔絵の豪華な硯箱や文台などの調度品や紫式部が使ったという硯石などが展示されていたが、源氏物語や紫式部ファンの人には興味深い展示会だと思われる。