熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カテゴリー・イノベーションへの勧め

2007年01月23日 | イノベーションと経営
   これまで、ソニーのイノベーション戦略について何度か書いてきたが、最近のソニーの苦境は、コモデティ生産から脱却できない点にあり、コア・ビジネスをコモディティ市場で戦っている限り大きな業績の向上は期待できない。
   何故なら、競争が激しくて急速に価格が下落し、コスト・リーダーたるトップ企業しか利益を確保出来ない「ウイナー・テイクス・オール」の市場だからである。
   このコモデティ競争から脱却する為に、差別化を指向して、いくら、持続的維持型のイノベーションを追及しても、同じジャンルの製品やサービスを生産して販売しておれば、顧客は求める以上の対価を払う気にはなれないので大きな利益の向上は望み得ない。

   しからば、全く新しい新市場破壊型のイノベーションではどうであろうか。
   これまでにはなかった新しい製品やサービスによる市場で、競争自体がない未開拓な市場「ブルー・オーシャン」の世界である。
   しかし、この面でも、そのイノベーションが、見える次元でのイノベーションであれば、すぐに追随者が現れて競争が始まりコモデティ化してしまって脱コモディティ戦略は長期的には成功しないことになる。

   ここで、一橋の竹内弘高教授と楠木建助教授は、価値の再定義と可視性の低下を狙った他の物差しで、比較されずに済む「カテゴリー・イノベーション」を説く。
   (この「カテゴリー論」は、イノベーションをより細かく分類したもので、クリステンセンの市場破壊型やブルー・オーシャンのバリュー型のイノベーション等にも当然含まれている概念。)
   購買動機のカギとなる属性と使用文脈でイノベーションを捉えている。
   感性を高めて物差しを見えなくした感性イノベーションと、全く違った新しい用途を作り出した用途イノベーションの総合を「カテゴリー・イノベーション」としており、スターバックス・コーヒーがその典型だと言う。

   アメリカで、ドーナツやベーグルを食べる時や、時間がない時にスナックと一緒に、或いは水代わりにオフイスでがぶ飲みすると言った用途でしかなかったコーヒーを、一寸リラックスする空間を提供することによって「リラックスした時に飲む」と言う新しいカテゴリーを、価値の再定義と可視化の低下によって実現したとしている。
   イギリスでも、本来コーヒーは会食やパーティー等以外は自宅で飲むものであったが、スターバックスが美味しくてバリエーションに富んだ安いコーヒーを手軽く街頭で提供し始めてから、パブリックの場で好んで飲まれるようになった。
   日本では、実質的には「ドトール」が先行していたが、止まり木スタイルの狭い店で従来どおりのコーヒーを安く提供していただけなので、スターバックスにお株を奪われてしまったが、質と雰囲気でカテゴリーイノベーションの実を上げ得なかったと言うことであろうか。

   しかし、お茶を好み、喫茶店を商談や会合や憩いの場として重宝し続けてきた日本と違って、アメリカにもイギリスにも、コーヒーや紅茶を気楽に楽しめる日本の喫茶店のような場所はなかった。スターバックスが、彼等にしてみれば強くて一寸高いが途轍もなく美味しいラテやエスプレッソと言った素晴らしいコーヒーを提供したことによって、喫茶文化を変えてしまったのである。
   (本ブログ2005.11.21「スターバックス英国紅茶を駆逐・・・アフタヌーン・ティの危機」参照請う。)

   日本には、各地に素晴らしく雰囲気の良い喫茶店がまだ残っているが、如何せん、煙草や食べ物の悪臭を排除出来ず、それに、安物のパック紅茶を熱湯に浸して色を付けただけの紅茶を何百円も取るような商売を続けているようだと先は暗い。
   私は、日本の喫茶文化及び喫茶店の存在は、ある意味では世界に冠たる独特の食文化だと思っているので、これまでの喫茶店やスタバ、ドトール等から一寸毛色の変わった革新的な生活を豊かにするような場が創造出来れば新ビジネスの立ち上げは十分可能な様な気がしている。
   ところで、アメリカで、ニューヨーク、フィラデルフィア、ボストンで何箇所かスターバックスの店に入ってコーヒーを飲んだが、マクドナルド等の店と殆ど同じ様な雰囲気の店が多くなっていて、「リラックスした時に飲む」と言うコンセプトが妖しくなっており、このままだと、スタバ革命も量の拡大のみに終始しそうである。
   
   さて、竹内教授たちは、このカテゴリー・イノベーションは、見える次元の競争ではなく、顧客が使いながら価値が積み上がって行く積分的思考で、脱コモデティ化を図れて他者の追随を排除出来ると言う。
   しかし、スタバにも類似した競争者が沢山現れて競争は激烈になっており、また、カテゴリー・イノベーションの典型だと言うウォークマンにしても追随した競争者が市場に参入し、更に、iPodに先を越されてしまった。
   イノベーションとは、創業者に創業者利潤をもたらすが、それは時間的スパンの差だけであって、必ず追随者が現れて凌駕されイノベーターとしての利得はフェーズアウトしてしまう。

   ところで、カテゴリー・イノベーションの場合、ウォークマンにしても録音機として最高の技術を活用したものではなく、また、ポケモンもスペックダウンしたゲームであり、殆どの場合、感性と用途でのイノベーションを追求すれば、良ければ良いほどベターかもしれないが最高の技術は必ずしも必要がないところが面白い。
   
   日本は、モノ造り大国であるから、企業は最高の部品や製品を創造するために最大限の努力を傾注し最高のものを生み出して行く。
   しかし、その部品や商品、或いは、生み出された新しい技術を活用して新しい感性や用途を生み出し新しいカテゴリー・イノベーションを追求しようとする傾向が非常に弱い。
   最高のパソコンや携帯電話を作りだすが、ソフト面では完全に後れを取り後塵を拝している。
   私がソニーについて言いたいのは、新技術の開発力では最高水準のものを生み出す力を持っている世界に冠たるイノベイティブな会社だと思うが、トランジスターを活用してトランジスターラジオを生み出し、小型録音機を用途変更してウォークマンを生み出したように、原点に戻って、自分達が生み出した技術を活用して「カテゴリー・イノベーション」なり「市場破壊型イノベーション」を追求して欲しいということである。
  
   

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする