三越日本橋本店で、「川崎小虎と東山魁夷展」が開かれている。
画風が良く似ている訳ではないし何故共同展なのか、迂闊にも良く知らなかったのだが、川崎小虎の長女すみさんが東山魁夷夫人と言う関係であることを展覧会で知って納得がいった。
この口絵写真「春の訪れ」のような平安朝のロマンティックで幻想的な大和絵が小虎のスタートのようだが、ほのぼのとした明るい絵で実に美しい。
隣に展示されていた「囲碁」は、十二単の平安貴族の女性が向かい合って囲碁を打っている絵で、屏風や襖絵などに描かれている古い大和絵のような極彩色のメリハリの利きすぎた大和絵とは違って、淡いパステル画的なやわらかくて温かい感じのする絵で好感を持って見ていた。
もっとも、その後は、大分絵の雰囲気も変わって行くが、平凡な生活や動物達の絵を描いていても、小虎のキャラクターであろうか、誠実そうな丁寧な作品が並んでいた。
魁夷は、「私の履歴書」の中で、すみ夫人との馴れ初めについて、「結婚――相手の顔見ずに即決」と語っている。
「先方の両親に、倒産しかかっている私の家のすべてのことと、私自身の放浪癖ともいうべき生活の状態を話した。すると川崎先生はいっこう平気で「借金なんて絵描きにはどうでもいいことだよ。また今のその生活を、もう十年くらい続けなければものにならないね」と驚いた様子もない。私は、お茶を持って出て来た当の相手の顔を良く見ることも出来なくて、「では、神戸の両親に良く相談して来ますから」と辞去した。とさらりと書いている。
私は、東山魁夷の絵が好きなので、結構あっちこっちの展覧会や美術館で作品を見ている。
日本画家でありながら、魁夷は、西洋を見ておきたい、西洋で絵を見るだけではなく生活を体験したいと言う思いが強くて、ベルリンに留学してヨーロッパ一巡の旅に出ている。
一寸暗くて重厚なドイツで学びながら、ブレンナー峠を越えてイタリアに渡りダ・ビンチやミケランジェロなどルネサンス最盛期の巨匠の作品に触れて全く興奮し、打ちのめされて、絶望感に襲われてもいる。
しかし、北欧の風景に触発されたといっており実際に生活もドイツが長かった所為か、魁夷の作品は、岳父小虎の画風と違って、精神性は豊かで壮大な大自然と対峙していてもどこか暗くて、陽光の輝く「君知るや南の国」の南ヨーロッパの明るい陽気さは微塵もない。
今回の展覧会で、ゴチック建築の教会の塔が聳えるヨーロッパの都会を描いた絵「晩鐘」が展示されているが、薄日が射してはいるが、どんよりとした鈍色の世界であり、森や泉を描いても陽の光はなく、これは、正に、ドイツやオランダから北側の冬の北ヨーロッパの風景に近い。
ヨーロッパの歳時記は、冬が一日中暗くて寒く厳しい所為か、とにかく春の到来が待ち遠しくて、春まで後幾日かが基準となって出来ていると聞いているが、ブレンナー峠を越えて感激して素晴らしい作品を残したゲーテも居れば、何度もブレンナー峠を行き来して明るくて天国的な音楽を残したモーツアルトも居る。
魁夷のどんな作品を見ていても、何処となくヨーロッパの雰囲気が色濃く漂っている感じがするのは気の所為かも知れないが、そんなところに惹かれているのも事実である。
画風が良く似ている訳ではないし何故共同展なのか、迂闊にも良く知らなかったのだが、川崎小虎の長女すみさんが東山魁夷夫人と言う関係であることを展覧会で知って納得がいった。
この口絵写真「春の訪れ」のような平安朝のロマンティックで幻想的な大和絵が小虎のスタートのようだが、ほのぼのとした明るい絵で実に美しい。
隣に展示されていた「囲碁」は、十二単の平安貴族の女性が向かい合って囲碁を打っている絵で、屏風や襖絵などに描かれている古い大和絵のような極彩色のメリハリの利きすぎた大和絵とは違って、淡いパステル画的なやわらかくて温かい感じのする絵で好感を持って見ていた。
もっとも、その後は、大分絵の雰囲気も変わって行くが、平凡な生活や動物達の絵を描いていても、小虎のキャラクターであろうか、誠実そうな丁寧な作品が並んでいた。
魁夷は、「私の履歴書」の中で、すみ夫人との馴れ初めについて、「結婚――相手の顔見ずに即決」と語っている。
「先方の両親に、倒産しかかっている私の家のすべてのことと、私自身の放浪癖ともいうべき生活の状態を話した。すると川崎先生はいっこう平気で「借金なんて絵描きにはどうでもいいことだよ。また今のその生活を、もう十年くらい続けなければものにならないね」と驚いた様子もない。私は、お茶を持って出て来た当の相手の顔を良く見ることも出来なくて、「では、神戸の両親に良く相談して来ますから」と辞去した。とさらりと書いている。
私は、東山魁夷の絵が好きなので、結構あっちこっちの展覧会や美術館で作品を見ている。
日本画家でありながら、魁夷は、西洋を見ておきたい、西洋で絵を見るだけではなく生活を体験したいと言う思いが強くて、ベルリンに留学してヨーロッパ一巡の旅に出ている。
一寸暗くて重厚なドイツで学びながら、ブレンナー峠を越えてイタリアに渡りダ・ビンチやミケランジェロなどルネサンス最盛期の巨匠の作品に触れて全く興奮し、打ちのめされて、絶望感に襲われてもいる。
しかし、北欧の風景に触発されたといっており実際に生活もドイツが長かった所為か、魁夷の作品は、岳父小虎の画風と違って、精神性は豊かで壮大な大自然と対峙していてもどこか暗くて、陽光の輝く「君知るや南の国」の南ヨーロッパの明るい陽気さは微塵もない。
今回の展覧会で、ゴチック建築の教会の塔が聳えるヨーロッパの都会を描いた絵「晩鐘」が展示されているが、薄日が射してはいるが、どんよりとした鈍色の世界であり、森や泉を描いても陽の光はなく、これは、正に、ドイツやオランダから北側の冬の北ヨーロッパの風景に近い。
ヨーロッパの歳時記は、冬が一日中暗くて寒く厳しい所為か、とにかく春の到来が待ち遠しくて、春まで後幾日かが基準となって出来ていると聞いているが、ブレンナー峠を越えて感激して素晴らしい作品を残したゲーテも居れば、何度もブレンナー峠を行き来して明るくて天国的な音楽を残したモーツアルトも居る。
魁夷のどんな作品を見ていても、何処となくヨーロッパの雰囲気が色濃く漂っている感じがするのは気の所為かも知れないが、そんなところに惹かれているのも事実である。