六本木ヒルズ49階のオーディトリアムで、東大大学院法学政治学研究科が、「ボーダーレス化時代における法システムの融解と再構築―現場との対話」と言う公開シンポジュームを開いた。
東大大学院の教授を中心に多くの学者達が、「国家と社会関係」「国際関係」「科学技術発展」の三分野に分けて法システムの再編成について、研究の成果を報告し、質疑応答が行われた。
非常に密度の高いシンポジュームであったが、残念ながら、何れの分野も100人足らずの聴衆しか出席しておらず、その多くは、学者や学生で一般の参加は限られていた。
国家の補助事業の一環でもあり、大変貴重な学術研究であるにも拘らず、土日の開催なのに、このような状態では非常に勿体ない。
殆どあてにならない経済予測を滔々と説く人気経済学者や、毒にも薬にもならない経営戦略論を語る名のある似非経営学者や、或いはアジに近い暴論を吐くメディア好みの時事評論家などの講演会には、大ホールに立ち見が出るほど聴衆が押し寄せるのに、価値観の問題ではあろうとは思うが、その落差に一寸不思議な気がしている。
第一部の「国家と社会関係をめぐる法システムの再編成」の冒頭は、商法の江頭憲治郎教授の「法形成・実施における団体の役割」。
日本の団体は、自分でルールを作るのは得意ではないし熱心ではないが、政府と民間の役割が流動化し、経済団体・専門家団体の役割の重要性が増したとして、自分達で自らルールを作る団体である公認会計士・監査法人と証券取引所について、その利益相反問題を語った。
これは世界共通の問題ではあるが、それぞれ根深い各国の事情がある。例えば、公認会計士や監査法人の職務である適正監査証明を発行して投資者の信頼を得るなどと言うシステムは日本人の発想にはなく、問題が起これば政府はけしからん、政府は何をしていたのだするのが日本だとする話など、非常に含蓄があって面白い。
極めて日本的な西武鉄道事件からカネボウ・ライブドア等の粉飾決算と米国のエンロンやSOX法を対比させその差の大きさを述べながら、それまで株主の無限責任であったイギリスでシティ・オブ・グラスゴウ銀行の倒産(1878)から公認会計士監査が自発的に導入された経緯など興味深い講義で問題点を浮き彫りにする。
アメリカでは、大企業は、会計監査の為に年額60億円くらい監査法人に支払っているが、日本では余程の大企業でも5000万円程度だと江頭教授は指摘している。
投資家の為に会計監査証明を発行する対価が、この程度では、どんな監査が出来るのか。このこと自体を見ても、会社も会計監査法人も、監査証明制度の本質とその重大性を理解しておらず、如何に軽視し蔑にしているかを物語っているような気がして仕方がない。
こんな程度の対価で、監査証明を発行してもらえると思う会社も会社だが、こんなに安くては責任を持てないとも言わずにそれを受け入れて監査証明を発行する監査法人も監査法人である。
今年から、内部統制制度が本格的に実施となるが、上村達男教授の説では、内部統制システムが不備であればこのようなシステムでは監査証明は発行出来ないと監査法人が拒否出来る・拒否すべきであると言うことであるが、これがせめてもの対抗措置であろうか。
いずれにしても、投資家に対して、当該会社が投資に値すると証明する信頼に足る根拠が公認会計士・監査法人の監査証明であると言う根本的な認識を日本人が肝に銘じない限り、法制度は空回りを続けそうである。
証券取引所の自主規制業務(売買状況の審査、取引参加者に対する考査、上場審査・管理)の抱える問題についても論述し、更に、自主規制業務の独立性を確保する為の方策として、「市場運営会社」と「自主規制法人」を設ける問題や委員会設置会社の自主規制委員会を設ける方法、社外取締役の活用等について、その問題点や利害得失等についても論じた。
利益相反については、内部組織の在り方を工夫するだけでは問題の解決には至らないなど問題提起をしていた。
20分程度の講義では、到底理解できる問題ではなかったが、久しぶりに学生に帰ったような気持ちで聞いていた。
ところで、江頭教授のこのような難しくて程度の高い話が、ぎっしり詰まったのが今回の東大の学術創成プロジェクトの公開シンポジュームで、知的好奇心をかき立ててくれるのには十分過ぎるほど十分であった。
その集大成がこの3月中旬に「法の再構築 全3巻」として東京大学出版会から発行されるようなので、もう一度勉強し直そうと思っている。
東大大学院の教授を中心に多くの学者達が、「国家と社会関係」「国際関係」「科学技術発展」の三分野に分けて法システムの再編成について、研究の成果を報告し、質疑応答が行われた。
非常に密度の高いシンポジュームであったが、残念ながら、何れの分野も100人足らずの聴衆しか出席しておらず、その多くは、学者や学生で一般の参加は限られていた。
国家の補助事業の一環でもあり、大変貴重な学術研究であるにも拘らず、土日の開催なのに、このような状態では非常に勿体ない。
殆どあてにならない経済予測を滔々と説く人気経済学者や、毒にも薬にもならない経営戦略論を語る名のある似非経営学者や、或いはアジに近い暴論を吐くメディア好みの時事評論家などの講演会には、大ホールに立ち見が出るほど聴衆が押し寄せるのに、価値観の問題ではあろうとは思うが、その落差に一寸不思議な気がしている。
第一部の「国家と社会関係をめぐる法システムの再編成」の冒頭は、商法の江頭憲治郎教授の「法形成・実施における団体の役割」。
日本の団体は、自分でルールを作るのは得意ではないし熱心ではないが、政府と民間の役割が流動化し、経済団体・専門家団体の役割の重要性が増したとして、自分達で自らルールを作る団体である公認会計士・監査法人と証券取引所について、その利益相反問題を語った。
これは世界共通の問題ではあるが、それぞれ根深い各国の事情がある。例えば、公認会計士や監査法人の職務である適正監査証明を発行して投資者の信頼を得るなどと言うシステムは日本人の発想にはなく、問題が起これば政府はけしからん、政府は何をしていたのだするのが日本だとする話など、非常に含蓄があって面白い。
極めて日本的な西武鉄道事件からカネボウ・ライブドア等の粉飾決算と米国のエンロンやSOX法を対比させその差の大きさを述べながら、それまで株主の無限責任であったイギリスでシティ・オブ・グラスゴウ銀行の倒産(1878)から公認会計士監査が自発的に導入された経緯など興味深い講義で問題点を浮き彫りにする。
アメリカでは、大企業は、会計監査の為に年額60億円くらい監査法人に支払っているが、日本では余程の大企業でも5000万円程度だと江頭教授は指摘している。
投資家の為に会計監査証明を発行する対価が、この程度では、どんな監査が出来るのか。このこと自体を見ても、会社も会計監査法人も、監査証明制度の本質とその重大性を理解しておらず、如何に軽視し蔑にしているかを物語っているような気がして仕方がない。
こんな程度の対価で、監査証明を発行してもらえると思う会社も会社だが、こんなに安くては責任を持てないとも言わずにそれを受け入れて監査証明を発行する監査法人も監査法人である。
今年から、内部統制制度が本格的に実施となるが、上村達男教授の説では、内部統制システムが不備であればこのようなシステムでは監査証明は発行出来ないと監査法人が拒否出来る・拒否すべきであると言うことであるが、これがせめてもの対抗措置であろうか。
いずれにしても、投資家に対して、当該会社が投資に値すると証明する信頼に足る根拠が公認会計士・監査法人の監査証明であると言う根本的な認識を日本人が肝に銘じない限り、法制度は空回りを続けそうである。
証券取引所の自主規制業務(売買状況の審査、取引参加者に対する考査、上場審査・管理)の抱える問題についても論述し、更に、自主規制業務の独立性を確保する為の方策として、「市場運営会社」と「自主規制法人」を設ける問題や委員会設置会社の自主規制委員会を設ける方法、社外取締役の活用等について、その問題点や利害得失等についても論じた。
利益相反については、内部組織の在り方を工夫するだけでは問題の解決には至らないなど問題提起をしていた。
20分程度の講義では、到底理解できる問題ではなかったが、久しぶりに学生に帰ったような気持ちで聞いていた。
ところで、江頭教授のこのような難しくて程度の高い話が、ぎっしり詰まったのが今回の東大の学術創成プロジェクトの公開シンポジュームで、知的好奇心をかき立ててくれるのには十分過ぎるほど十分であった。
その集大成がこの3月中旬に「法の再構築 全3巻」として東京大学出版会から発行されるようなので、もう一度勉強し直そうと思っている。