今日の午後、新装なった昭和音楽大学の新校舎に付設された素晴らしいテアトロ・ジーリオ・ショウワ劇場で、公開講座「オペラをめぐる祝祭、その今日的あり方Ⅱ~グラインドボーン音楽祭に学ぶ」が開催された。
グラインドボーンから、ガス・クリスティ理事長とデイヴィッド・ピッカート総監督が来日し、祝祭劇場の歴史他演出など詳しいプレゼンテーションの後、黒田恭一氏達とパネルディスカッションなどがあり、グラインドボーン・フェスティバルの魅力を会場一杯に振りまいた。
その後、「劇場を見る」でテアトロの建設を語り舞台セットなどを披露し、「劇場を聞く」で12人の新進オペラ歌手のオーディションを兼ねたコンサートが開かれて多くの聴衆にオペラの楽しさを紹介した。
この劇場は簡素だが、バイロイト型のオーケストラピットがあるなど本格的なオペラが上演出来る近代設備を備えた素晴らしいホールで、東京の大ホールと比べても遜色がない。
このグラインドボーンには、イギリスに居た時、4年ほど毎年出かけていたので、沢山の思い出がある。
私が、イギリスから帰国した年は、新劇場が建設中だったし、その後、毎年のようにイギリスを訪れているがグラインドボーンには行っていないので、新しい劇場は知らない。
古い劇場は、長方形の平土間主体の客席で、後方等はかまぼこ兵舎のように天上が低く座席も極めて窮屈なシンプルなもので、ホワイエは狭くて、インターミッションの時には、館の他の広間などに出なければならなかったが、そんな不便さが雰囲気を醸し出していて良かった。
昔、ミラノのスカラ座も、休憩の時に、隣接しているスカラ座美術館を解放して行け行けであったが、自由に散策できるのが良い。
前の古い劇場は、客席が800席くらいしかなく、メンバーでない限りチケットの取得は不可能であったので、総てイギリス人の友人の招待を受けて出かけていた。
観たのは、最初は、演目は忘れてしまったが、絵本の舞台装置の三部作オペラ。
その後、記憶にあるのは、モーツアルトの「ティトゥスの慈悲」と「イドメネオ」
ストラヴィンスキーの「放蕩者のなりゆき」
チャイコフスキーの「スペードの女王」
ブリテンの「アルバート・ヘリング」等である。
今でもそのようだが、申し込んでも、好きな演目や日にちを指定できないので劇場のお仕着せなのか、ポピュラーなオペラの切符は中々取れなかったようである。
夏の3ヶ月のグラインドボーンは、正にフェステイバルで、午後の3時頃からタキシードとイブニングドレスで正装した紳士淑女たちが広い敷地の領主の館風のフェステイバル会場に集まり始める。
花が咲き乱れるイングリッシュガーデンを散策したり、広い牧場風の芝庭に三々五々、カーペットやテーブルにピクニックスタイルのパーティ場を設えて飲食を交えながら会話を楽しむ。
ハーハーの向こうには羊が草を食んでいて、池には水鳥が群れ、林には小鳥達が囀っていて、長閑な田園風景が一面に広がっている。
服装は、ブラックタイが普通なので最初は一寸緊張したが、イギリスにいると、パーティやレセプション、晩餐会、ガラコンサートと言った調子でしょっちゅうタキシードなのですぐに慣れてこの方が気楽になった。
家内の場合は、女性なので相当服装に気を使っていたが、偶には雨の日も風の日もあり、それに、戸外の芝庭でのピクニック式のパーティの時もあるので、自由の利く正装を心掛けていた。
確かに豪華なイブニングドレスの夫人達も居たが、戸外を含めて午後から6時間以上にも及ぶ長丁場でもあり、ロンドンの夜会などと違って、案外質素だが実質的な衣装を上手く着こなしているイギリス夫人達の質実な生活の知恵を感じて興味深かった。
このグラインドボーンは、バイロイトやザルツブルグと共に3大フェステイバルの一つに数えられているが、70年ほど前に草深いロンドンの南の郊外に豪邸の一部を劇場にしてスタートしたれっきとした完全民営のプライベートなオペラ劇場である。
公演も極めて切り詰めたビジネスモデルで展開されているが、オペラ歌手にとっては正に桧舞台への登竜門で、パバロッティもルネ・フレミングも、そして、ホンの3年前に、今を時めく世紀のテノール・ローランド・ヴィラゾンもここから巣立って行った。
トマス・アレンやジャネット・ベイカーやフェリシティ・ロットも、ここのコーラス団から桧舞台にたったのだと言う。
ベルナルド・ハイティンクも、ロイヤル・オペラに移る前、コンセルトヘボウと掛け持ちながらグラインドボーンで振っていた。
古いグラインボーンの舞台記録や映像を見ていると、それから何年も経ってから世界の名だたる大劇場で喝采を博する夢のような饗宴が、いくらでも先行されて上演されている。
ギャラは極めて安いと言われているが、その値打ちを分かっている音楽家達、特に若手のオペラ歌手や指揮者にとっては、グラインドボーンの舞台に立つだけでも大変な快挙なのであろう。
音楽学校を巣立った新進の優秀な歌手達をオーデションでごっそりコーラス団に持って行くとも言われており、演出にしても若くて優秀な芸術家に委嘱するようで、兎に角、舞台設定が実にユニークで斬新なものが多いような気がする。
それに、オーケストラが、ロンドン・フィルとエイジ・オブ・エンライトンメントで実に素晴らしい。
美しい南イングランドの田園地帯に広がる領主の館風の佇まいに忽然と現われたオペラ劇場で、美しい夏のシーズンに遅い午後から深夜近くまで繰り広げられる正装の饗宴、それが、グラインドボーン・フェスティバルの醍醐味で、特別列車で、リムジンで、ヘリコプターで、自家用車で・・・時間や不便さをものともせずにオペラと社交をこよなく愛する人々が集い楽しんでいる。
賭け事も世界一好きだが、何でもお祭騒ぎにして楽しむイギリス人かたぎが、このグラインドボーンを生み出したのであろう。
ロンドンに居た時、大英博物館やナショナルギャラリーを開放した日本企業のレセプションや、王宮の建物等歴史記念の建造物を使ったパーティや晩餐会などに参加するのなどは普通であったし、音楽祭やフェステイバルになると、シティのギルドホールやロンドン塔などの国宝級の建物が解放されて舞台となる。
やはり、グラインボーンはシェイクスピアの国の文化が生み出した無形文化財である。
グラインドボーンから、ガス・クリスティ理事長とデイヴィッド・ピッカート総監督が来日し、祝祭劇場の歴史他演出など詳しいプレゼンテーションの後、黒田恭一氏達とパネルディスカッションなどがあり、グラインドボーン・フェスティバルの魅力を会場一杯に振りまいた。
その後、「劇場を見る」でテアトロの建設を語り舞台セットなどを披露し、「劇場を聞く」で12人の新進オペラ歌手のオーディションを兼ねたコンサートが開かれて多くの聴衆にオペラの楽しさを紹介した。
この劇場は簡素だが、バイロイト型のオーケストラピットがあるなど本格的なオペラが上演出来る近代設備を備えた素晴らしいホールで、東京の大ホールと比べても遜色がない。
このグラインドボーンには、イギリスに居た時、4年ほど毎年出かけていたので、沢山の思い出がある。
私が、イギリスから帰国した年は、新劇場が建設中だったし、その後、毎年のようにイギリスを訪れているがグラインドボーンには行っていないので、新しい劇場は知らない。
古い劇場は、長方形の平土間主体の客席で、後方等はかまぼこ兵舎のように天上が低く座席も極めて窮屈なシンプルなもので、ホワイエは狭くて、インターミッションの時には、館の他の広間などに出なければならなかったが、そんな不便さが雰囲気を醸し出していて良かった。
昔、ミラノのスカラ座も、休憩の時に、隣接しているスカラ座美術館を解放して行け行けであったが、自由に散策できるのが良い。
前の古い劇場は、客席が800席くらいしかなく、メンバーでない限りチケットの取得は不可能であったので、総てイギリス人の友人の招待を受けて出かけていた。
観たのは、最初は、演目は忘れてしまったが、絵本の舞台装置の三部作オペラ。
その後、記憶にあるのは、モーツアルトの「ティトゥスの慈悲」と「イドメネオ」
ストラヴィンスキーの「放蕩者のなりゆき」
チャイコフスキーの「スペードの女王」
ブリテンの「アルバート・ヘリング」等である。
今でもそのようだが、申し込んでも、好きな演目や日にちを指定できないので劇場のお仕着せなのか、ポピュラーなオペラの切符は中々取れなかったようである。
夏の3ヶ月のグラインドボーンは、正にフェステイバルで、午後の3時頃からタキシードとイブニングドレスで正装した紳士淑女たちが広い敷地の領主の館風のフェステイバル会場に集まり始める。
花が咲き乱れるイングリッシュガーデンを散策したり、広い牧場風の芝庭に三々五々、カーペットやテーブルにピクニックスタイルのパーティ場を設えて飲食を交えながら会話を楽しむ。
ハーハーの向こうには羊が草を食んでいて、池には水鳥が群れ、林には小鳥達が囀っていて、長閑な田園風景が一面に広がっている。
服装は、ブラックタイが普通なので最初は一寸緊張したが、イギリスにいると、パーティやレセプション、晩餐会、ガラコンサートと言った調子でしょっちゅうタキシードなのですぐに慣れてこの方が気楽になった。
家内の場合は、女性なので相当服装に気を使っていたが、偶には雨の日も風の日もあり、それに、戸外の芝庭でのピクニック式のパーティの時もあるので、自由の利く正装を心掛けていた。
確かに豪華なイブニングドレスの夫人達も居たが、戸外を含めて午後から6時間以上にも及ぶ長丁場でもあり、ロンドンの夜会などと違って、案外質素だが実質的な衣装を上手く着こなしているイギリス夫人達の質実な生活の知恵を感じて興味深かった。
このグラインドボーンは、バイロイトやザルツブルグと共に3大フェステイバルの一つに数えられているが、70年ほど前に草深いロンドンの南の郊外に豪邸の一部を劇場にしてスタートしたれっきとした完全民営のプライベートなオペラ劇場である。
公演も極めて切り詰めたビジネスモデルで展開されているが、オペラ歌手にとっては正に桧舞台への登竜門で、パバロッティもルネ・フレミングも、そして、ホンの3年前に、今を時めく世紀のテノール・ローランド・ヴィラゾンもここから巣立って行った。
トマス・アレンやジャネット・ベイカーやフェリシティ・ロットも、ここのコーラス団から桧舞台にたったのだと言う。
ベルナルド・ハイティンクも、ロイヤル・オペラに移る前、コンセルトヘボウと掛け持ちながらグラインドボーンで振っていた。
古いグラインボーンの舞台記録や映像を見ていると、それから何年も経ってから世界の名だたる大劇場で喝采を博する夢のような饗宴が、いくらでも先行されて上演されている。
ギャラは極めて安いと言われているが、その値打ちを分かっている音楽家達、特に若手のオペラ歌手や指揮者にとっては、グラインドボーンの舞台に立つだけでも大変な快挙なのであろう。
音楽学校を巣立った新進の優秀な歌手達をオーデションでごっそりコーラス団に持って行くとも言われており、演出にしても若くて優秀な芸術家に委嘱するようで、兎に角、舞台設定が実にユニークで斬新なものが多いような気がする。
それに、オーケストラが、ロンドン・フィルとエイジ・オブ・エンライトンメントで実に素晴らしい。
美しい南イングランドの田園地帯に広がる領主の館風の佇まいに忽然と現われたオペラ劇場で、美しい夏のシーズンに遅い午後から深夜近くまで繰り広げられる正装の饗宴、それが、グラインドボーン・フェスティバルの醍醐味で、特別列車で、リムジンで、ヘリコプターで、自家用車で・・・時間や不便さをものともせずにオペラと社交をこよなく愛する人々が集い楽しんでいる。
賭け事も世界一好きだが、何でもお祭騒ぎにして楽しむイギリス人かたぎが、このグラインドボーンを生み出したのであろう。
ロンドンに居た時、大英博物館やナショナルギャラリーを開放した日本企業のレセプションや、王宮の建物等歴史記念の建造物を使ったパーティや晩餐会などに参加するのなどは普通であったし、音楽祭やフェステイバルになると、シティのギルドホールやロンドン塔などの国宝級の建物が解放されて舞台となる。
やはり、グラインボーンはシェイクスピアの国の文化が生み出した無形文化財である。