時間に余裕があれば、土曜日NHK BS2で放映されている「男はつらいよ」の寅さんシリーズを楽しんでいる。
欧州在住時に面白さを知り、映画やビデオ、レーダーディスクで、全48作を見ているのだが、改めて見ると相当の部分は忘れてしまっていて、また、新たな発見があってこの映画の魅力を再認識している。
昨夜の放映は第46作「寅次郎の縁談」で、もう、後は2作品しか残っていない。
1993年12月の放映であるから、日本のバブル崩壊と長期不況の様相が色濃くなり始めた時期で、この映画でも、満男が何十回就職試験を受けても落ち続けて、居た堪れなくなって、とうとう家出して瀬戸内海の小島で老人達に囲まれて生活する設定になっている。
この少し前あたりから、新卒の学生達の就職難が始まって、少子高齢化の世の中の真直中でありながら、多くの若い就職浪人たちがフリーターやニートとなって、あたら人生を棒に振る悲しい社会現象が始まったのである。
安倍総理は、美しい国、美しい国と壊れた蓄音機のように繰り返しながら、再チャレンジ出来る社会を目指すとしているが、真っ先にやるべきは、国政の舵取りを誤った為に生み出されたこれらの若き人的資源の膨大な損出を回復すべく万全を期すことで、これを怠れば日本の明日は暗い。
ところで、この映画は、老人ばかりの島で働き手を失った瀬戸内の離島の生活を活写しながら、当時の地方の衰退と老人問題を浮かび上がらせている。
私は、その頃から、仕事を通じて全国を歩いていたので、北海道の稚内から沖縄まで、色々な地方で、時には寅さんの旅の雰囲気を味わいながら、徐々に落ちぶれ廃れていく地方の疲弊を真近に見聞きしていた。
寅さんシリーズが始まったのは、1969年8月、日本の経済成長が加速し始めて経済大国への道を走り始めた頃で、翌年に大阪万博があって日本人の世界への関心が一挙に花開いた。
この寅さん映画でも、寅が就職列車に乗って東京へ向かう少年を見送るシーンがあったが、まだ、日本人は貧しかったけれど、今日よりは明日、明日よりは明後日、と念じながら必死に頑張っておれば必ず良くなると言う希望を持っていたし、経済成長も時には二桁で、現在のように成長率0点何%で一喜一憂すると言う悲しい時代ではなかった。
この26年間を長いと見るか短いと見るか、とにかく、この間に、日本経済はテイクオフして急速に上り詰めて超大国となり、またあっと言う間に、バブルで急降下して今日の普通の国に戻ってしまっているが、変化が急速すぎるけれど、この寅さん映画は総てこの姿を記録している。
私の言いたいのは、この「男はつらいよ」の寅さんシリーズは、映画の卓越性は勿論だが、これらの48作は、1969年から1995年までの日本の経済社会とそこに生きた日本人の泣き笑いの人生を極めてビビッドに活写している記念碑的な映画であると言う側面を色濃く持っている。
この期間の内、私自身は、実際には14年間は海外で生活していたので、その前後を含めての日本の原像ではあるが、今でも、日本のあっちこっちに、寅さんがひょこっと現れて来そうな風景を見つけて懐かしさを噛み締めている。
もう一つ、私にとって素晴らしいのは、高羽哲夫氏のカメラワークで、日本の故郷の原点とも言うべき風景や風物を実に愛情を込めて美しく撮っていることで、野辺の花や風の囁きにも限りなき詩情を感じていつも感激しながら見ている。
私の田舎風景の原点は、子供の頃の宝塚の田舎風景と、学生時代から歴史散歩に明け暮れた京都と奈良等の風景と旅で見た他の地方の風景だが、少しづつ消えて行く懐かしい故郷の雰囲気が堪らなく胸を締め付ける。
こんな素晴らしい風景を、やはり、色々な国を回りながら経験しており、時には、異国での一人旅は限りなく寂しく辛いが、そんな時に見る自然の囁きや温かい人間の温もりがする風景に接すると堪らなくなることがある。
ところで、今回のマドンナは松坂慶子で、12年前の浪花の芸者ふみ役とは違った魅力を見せていて中々素晴らしい。
寅にお礼がしたいといって、何がいいかと聞く所で、
「ねえ、何かプレゼントさせて」「いらない」
「セーターは?」「着ない」
「ネクタイは?」「締めない」
「コート?」「羽織らない」
「じゃあ」
一寸うつむいて
「温泉にでも行く?」「オレェ、風呂へは入らない」
「もう、意地悪!」
と寅の手をひねる。
このシーンの、恥じらいながら意を決して「温泉にでも行く?」と言うときの松坂慶子の何とも言えない色気と女の魅力に素気無く答える寅のアホサ加減がこの映画の良さかも知れない。
それに、今回、松坂慶子の葉子の父親役の元外国航路の船長の島田正吾の粋なマドロス姿が実に味があって良い。
NHKの朝ドラでひらりのお祖父さん役でシェイクスピアが好きでイギリスへ遊学する街の文学者役を粋にこなしていたが、今回はもっとバタ臭くて、松坂とタンゴを踊る。
島田の舞台を観たのは、新国劇が一回と歌右衛門との「建礼門院」だけだが、滋味深い素晴らしい役者であった。
亡くなった永山会長が、舞台を終えて帰途に着く島田を歌舞伎座の前の車まで出て見送っていたのを思い出す。
ところで、この島田正吾は、台詞が入らなくなれば舞台を下りると断言して100歳寸前まで現役を務めた。
このプロ精神の凄さは特筆ものだが、悲しいかな、歌舞伎の世界では、プロンプターの大声がないと舞台に立てない人間国宝など重鎮役者が可なりいらっしゃるのはどうしたことであろうか。
欧州在住時に面白さを知り、映画やビデオ、レーダーディスクで、全48作を見ているのだが、改めて見ると相当の部分は忘れてしまっていて、また、新たな発見があってこの映画の魅力を再認識している。
昨夜の放映は第46作「寅次郎の縁談」で、もう、後は2作品しか残っていない。
1993年12月の放映であるから、日本のバブル崩壊と長期不況の様相が色濃くなり始めた時期で、この映画でも、満男が何十回就職試験を受けても落ち続けて、居た堪れなくなって、とうとう家出して瀬戸内海の小島で老人達に囲まれて生活する設定になっている。
この少し前あたりから、新卒の学生達の就職難が始まって、少子高齢化の世の中の真直中でありながら、多くの若い就職浪人たちがフリーターやニートとなって、あたら人生を棒に振る悲しい社会現象が始まったのである。
安倍総理は、美しい国、美しい国と壊れた蓄音機のように繰り返しながら、再チャレンジ出来る社会を目指すとしているが、真っ先にやるべきは、国政の舵取りを誤った為に生み出されたこれらの若き人的資源の膨大な損出を回復すべく万全を期すことで、これを怠れば日本の明日は暗い。
ところで、この映画は、老人ばかりの島で働き手を失った瀬戸内の離島の生活を活写しながら、当時の地方の衰退と老人問題を浮かび上がらせている。
私は、その頃から、仕事を通じて全国を歩いていたので、北海道の稚内から沖縄まで、色々な地方で、時には寅さんの旅の雰囲気を味わいながら、徐々に落ちぶれ廃れていく地方の疲弊を真近に見聞きしていた。
寅さんシリーズが始まったのは、1969年8月、日本の経済成長が加速し始めて経済大国への道を走り始めた頃で、翌年に大阪万博があって日本人の世界への関心が一挙に花開いた。
この寅さん映画でも、寅が就職列車に乗って東京へ向かう少年を見送るシーンがあったが、まだ、日本人は貧しかったけれど、今日よりは明日、明日よりは明後日、と念じながら必死に頑張っておれば必ず良くなると言う希望を持っていたし、経済成長も時には二桁で、現在のように成長率0点何%で一喜一憂すると言う悲しい時代ではなかった。
この26年間を長いと見るか短いと見るか、とにかく、この間に、日本経済はテイクオフして急速に上り詰めて超大国となり、またあっと言う間に、バブルで急降下して今日の普通の国に戻ってしまっているが、変化が急速すぎるけれど、この寅さん映画は総てこの姿を記録している。
私の言いたいのは、この「男はつらいよ」の寅さんシリーズは、映画の卓越性は勿論だが、これらの48作は、1969年から1995年までの日本の経済社会とそこに生きた日本人の泣き笑いの人生を極めてビビッドに活写している記念碑的な映画であると言う側面を色濃く持っている。
この期間の内、私自身は、実際には14年間は海外で生活していたので、その前後を含めての日本の原像ではあるが、今でも、日本のあっちこっちに、寅さんがひょこっと現れて来そうな風景を見つけて懐かしさを噛み締めている。
もう一つ、私にとって素晴らしいのは、高羽哲夫氏のカメラワークで、日本の故郷の原点とも言うべき風景や風物を実に愛情を込めて美しく撮っていることで、野辺の花や風の囁きにも限りなき詩情を感じていつも感激しながら見ている。
私の田舎風景の原点は、子供の頃の宝塚の田舎風景と、学生時代から歴史散歩に明け暮れた京都と奈良等の風景と旅で見た他の地方の風景だが、少しづつ消えて行く懐かしい故郷の雰囲気が堪らなく胸を締め付ける。
こんな素晴らしい風景を、やはり、色々な国を回りながら経験しており、時には、異国での一人旅は限りなく寂しく辛いが、そんな時に見る自然の囁きや温かい人間の温もりがする風景に接すると堪らなくなることがある。
ところで、今回のマドンナは松坂慶子で、12年前の浪花の芸者ふみ役とは違った魅力を見せていて中々素晴らしい。
寅にお礼がしたいといって、何がいいかと聞く所で、
「ねえ、何かプレゼントさせて」「いらない」
「セーターは?」「着ない」
「ネクタイは?」「締めない」
「コート?」「羽織らない」
「じゃあ」
一寸うつむいて
「温泉にでも行く?」「オレェ、風呂へは入らない」
「もう、意地悪!」
と寅の手をひねる。
このシーンの、恥じらいながら意を決して「温泉にでも行く?」と言うときの松坂慶子の何とも言えない色気と女の魅力に素気無く答える寅のアホサ加減がこの映画の良さかも知れない。
それに、今回、松坂慶子の葉子の父親役の元外国航路の船長の島田正吾の粋なマドロス姿が実に味があって良い。
NHKの朝ドラでひらりのお祖父さん役でシェイクスピアが好きでイギリスへ遊学する街の文学者役を粋にこなしていたが、今回はもっとバタ臭くて、松坂とタンゴを踊る。
島田の舞台を観たのは、新国劇が一回と歌右衛門との「建礼門院」だけだが、滋味深い素晴らしい役者であった。
亡くなった永山会長が、舞台を終えて帰途に着く島田を歌舞伎座の前の車まで出て見送っていたのを思い出す。
ところで、この島田正吾は、台詞が入らなくなれば舞台を下りると断言して100歳寸前まで現役を務めた。
このプロ精神の凄さは特筆ものだが、悲しいかな、歌舞伎の世界では、プロンプターの大声がないと舞台に立てない人間国宝など重鎮役者が可なりいらっしゃるのはどうしたことであろうか。