熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

男はつらいよ・・・旅人生の楽しさ?

2007年01月27日 | 生活随想・趣味
   今夜、NHKBS2で「男はつらいよ」の最終回「寅次郎紅の花」が放映されて、珍しく最初から最後までTVの前に座って見ていた。
   映画の後、山田洋次監督が出演して思いで話などを語っていたが、25年間同じパターンで良くぞ、かくまで素晴らしい作品を作り続けたものだと感激して聞いていた。
   NHKのドキュメントで、もう死の直前で癌との病魔と闘いながら立っているのがやっとの状態でありながら、撮影を続ける渥美清の壮絶な姿を見ていたので、この最終回は、特に感慨深かった。

   最後の映画は、渥美清の死期を知っていた山田洋次監督の思い入れか、満男と泉の恋もみのり近く、寅とリリーの生活も何となく明るい予感を残して終わった。
   奄美大島には行ったことはないが自然が美しい。

   何故か、リリーの出る舞台は寒い北国の北海道か明るい陽光の南国が多い。
   山田洋次監督が、リリーとの相性が一番良かったと語っていたが、浅丘ルリ子には4回もマドンナとして登場させており、最初から最後まで売れない歌うたいのリリーであった。松坂慶子も、竹下景子も、栗原小巻も、再び登場してもそれぞれ役が代わっていたが、浅丘ルリ子だけは代わらなかったのである。

   最後の映画で印象深かったのは、阪神淡路大震災の舞台神戸が登場した。
   私は、震災直後に、会社のチャーターしていたヘリコプターで大阪港のヘリポートから神戸に飛んでまだ少し燻っている感じの震災現場を上空から見た。
   三宮に程近いグラウンドに降り立って、自転車で、三宮、元町、神戸港などを回って壮絶な震災現場を視察して回ったが、微かに記憶のある終戦直後の大阪の街を見ているような感じがして暗澹とした。
   しかし、大きなビルが傾き、道路は陥没して割れており、車など走っていなかったが、あっちこっちに生活の息吹が充満していて神戸の人びとの逞しさに感激した。
   この映画のラストシーンで、地震で焼けて空地となった広場での在日韓国人の若い人々の踊りを映しながら、カメラを引いてJRの長田駅近くの震災の跡を望遠していたが、象徴的なシーンで締め括っていたのが印象的であった。
   港近くの埋立地の崩壊振りは凄まじくて、全く平地などないような状態だったが、港からモーターボート様の小型船に乗って大阪港まで帰った。
   TVを見ながらあのときの事を思い出していた。

   私の人生で寅さんと似ている点は、旅が多かったことくらいであろうか。もっとも、寅さんのように恋の話は全くない殺風景な旅ばかりだったが、仕事と個人旅を合わせれば、随分、あっちこっちを歩いたことになる。
   仕事の方が多かったが、それでも一泊以上留まった国は40以上を数えるし、これも一泊以上した都道府県はほぼ全部に亘っている。
   毎日ねぐらを変えて旅を続けていると、時々、夜目を覚まして、今何処で寝ているのだろうかと思ったこともあった。色々難しい問題もあったけれど、不思議と不安は感じなかった。
   出張でも個人旅行でも、殆ど、旅の準備は自分自身で計画や手配をして、公式な仕事以外は、自分自身で歩き回ったので、団体旅行やツアーなどに参加してお仕着せの旅をすることはなかった。
   芭蕉ではないが、夢が枯野を駆け巡ると言うか、やはり旅が好きなのか、時々、フッと旅に出たくなることがある。
   寅さんのように、風任せの旅ではなかったが、風に旅心を誘われることはしょっちゅうである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする