2004年12月、グーグルは、6年間で1500万冊の書籍、すなわち、約45億ページの本をデジタル化するため、スタンフォード大とミシガン大が所有する膨大な蔵書を、スキャンニングし複製化し、インターネットを通じてそれを流通させると発表した。
フランス人であるこの本の著者ジャンヌネーは、技術の進歩による夢の実現に満足する一方で、この企画が独善的なアメリカの計画だと気付いて、どんな本が選択され、どんな基準でリスト化されるのか、その妥当性や潜在的な帝国主義性が気になって、グーグルの対応次第では、何世紀にも亘って人類が営々と築き上げてきた叡智を台無しにするかも知れないと不安になってきた。
現在の公共ドメインに流出している文化的遺産の作品ならば、その優先リストはアングロサクソン文化に即して順序付けされるであろうし、まして、現在の共通語が英語である以上、益々英語に押し流されてしまう。
ヨーロッパ市民の感性と心に思いを致すと、アメリカ文化・文明による独善的な知の支配を絶対に許せないフランス国立図書館長である著者は、ジャック・シラク・フランス大統領を巻き込んで、ヨーロッパ独自のグーグルに対抗するヨーロッパ・デジタル・ライブラリーやヨーロッパ検索エンジンの創出を画策し、始動し始めた。
官民糾合して普遍的なものの構築を目指して、ヨーロッパの文化的財産を組織化し目録化し、情報へのアクセスは、排他性を留保しているグーグルと違って、どんな検索エンジンでも広く利用できるようにし、無料アクセスを望むどのサイトに対しても接続を認める。
このグーグルとの闘いの推移を述べながら、何故、ヨーロッパの文化的・歴史的な知や美の遺産を、独自のデジタル・ベースを確立して死守しなければならないのか、激しい気迫で心情を吐露しており、特に、文化の本家を自認するフランスから見た米欧の文化・文明比較論が、実に興味深くて面白い。
グーグルの欠点は、検索エンジンに占める広告のウエイトで、収益性を重視する利潤動機に拠ってのみ運営されているので、どうしても、革新的で将来的に影響力のあるな中小企業を犠牲にして大企業に有利に、ヨーロッパ企業を踏み台にしてアメリカ企業を優遇し、そして、文化的な大衆主義が、幼稚で、単純、ありふれた作品や情報ばかりにアクセスするような回路を醸成していると言う。
クリントン大統領のモニカ・ルインスキー事件やブッシュ大統領の施政に失望をしたとして、アメリカの次のような点を非難している。
死刑制度の存在、200万人も服役する刑務所、宗教と民主主義の関係、選挙で幅を利かす金の動き、ガス排出と温室効果について京都議定書を拒否したこと、人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所の拒否、文化の多様性についてユネスコの活動に調印しなかったこと。
しかし、最近のブッシュ政権のヨーロッパ擦り寄り政策でも、ライスが演説した自由こそ総ての幸福や平和を保障する手段だといったことについても、この自由の賞賛は、経済的利益や社会的な力やその国に特有な文化的要因からかけ離れた抽象的なもので、昔から自由にも代償があるとするフランスの考え方とは違う。
リベラルと言う言葉についても概念の違いが濃厚で、アメリカ文化はそれなりに素晴らしく一目は置くが、あれやこれや考えると、このようなアメリカの資本主義とそれを受け入れるアメリカ社会を基礎にしたグーグルの計画は絶対にそのままでは認められない。
一極支配による副産物として、自分達の利益の為に世界の考え方を一方的にコントロールするなどは許せないと言うのである。
自分達の目的はヨーロッパだけだが、EUは多様であり、アメリカとは異なるメッセージを世界に伝えることに自負を持っている。
ヨーロッパ自身が生み出し育んできた叡智と文化によってゆるぎなき存在感を示せば、世界はもっと良くなる筈だと、フランス人は確信していると主張する。
技術的な問題として、グーグルのシステムが、膨大な量のサイトを収穫し利用者の検索に応じて独立したドキュメントを見つけ出すという能力を持ちながら、他方において、要求された情報を表示するメカニズムは全く素朴で手がかけられておらず時代遅れで、検索の限界、つまり検索されたページと全体との関連についての肝心の情報が欠けていると指摘する。
また、グーグル・ブック・サーチは、恐らく、論拠ある原則に従って編成されたいかなる分類も持っていないので、学校にとって使い勝手の良いモデルにはならないだろうとも言う。
デジタル化された大量の情報をどう処理するのかが問題である。ウエブがグローバルなレベルで平等化を進めるのは良いが、しかし、体系化されない情報は価値を損なう。
大量のデータの真ん中で、もう偶発的な選択に任せたくないので、データの誠実度、権利そして基準を見極めなくてはならない。
図書館で本を探す時、読者の懐疑や推論は、今まで他者が考え抜いて整えた原則による分類との実りある対話の中から生まれてくる。
バーチャルな図書館でもこの原則を確立しなければならない、と主張する。
日本でも、経済産業省が、日本の国策検索エンジン「情報大航海」プロジェクトを推進していて、色々な方面で研究が進んでいる。
フランスのみならず、日本も2000年以上に亘る膨大な文化遺産を持っており、そのデジタル化による文化的な貢献には計り知れないものがある。
フランスで火がついたプロジェクトが、ヨーロッパでは、「i2010デジタル・ライブラリー」計画として、欧州委員会で採択されて進行中だという。
グーグルが、世界の情報デジタル戦争を触発したことによって、人類の知的遺産は益々膨張して行くと言うことであろうか。
このあたりにも、ナショナリズムが色濃く出ていて興味深いが、益々グローバル化して画一化が進み過ぎて行く今日こそ、文化の多様性、特に、消え行く古き人類の遺産である貴重な文化の保存は必須である。
フランス人であるこの本の著者ジャンヌネーは、技術の進歩による夢の実現に満足する一方で、この企画が独善的なアメリカの計画だと気付いて、どんな本が選択され、どんな基準でリスト化されるのか、その妥当性や潜在的な帝国主義性が気になって、グーグルの対応次第では、何世紀にも亘って人類が営々と築き上げてきた叡智を台無しにするかも知れないと不安になってきた。
現在の公共ドメインに流出している文化的遺産の作品ならば、その優先リストはアングロサクソン文化に即して順序付けされるであろうし、まして、現在の共通語が英語である以上、益々英語に押し流されてしまう。
ヨーロッパ市民の感性と心に思いを致すと、アメリカ文化・文明による独善的な知の支配を絶対に許せないフランス国立図書館長である著者は、ジャック・シラク・フランス大統領を巻き込んで、ヨーロッパ独自のグーグルに対抗するヨーロッパ・デジタル・ライブラリーやヨーロッパ検索エンジンの創出を画策し、始動し始めた。
官民糾合して普遍的なものの構築を目指して、ヨーロッパの文化的財産を組織化し目録化し、情報へのアクセスは、排他性を留保しているグーグルと違って、どんな検索エンジンでも広く利用できるようにし、無料アクセスを望むどのサイトに対しても接続を認める。
このグーグルとの闘いの推移を述べながら、何故、ヨーロッパの文化的・歴史的な知や美の遺産を、独自のデジタル・ベースを確立して死守しなければならないのか、激しい気迫で心情を吐露しており、特に、文化の本家を自認するフランスから見た米欧の文化・文明比較論が、実に興味深くて面白い。
グーグルの欠点は、検索エンジンに占める広告のウエイトで、収益性を重視する利潤動機に拠ってのみ運営されているので、どうしても、革新的で将来的に影響力のあるな中小企業を犠牲にして大企業に有利に、ヨーロッパ企業を踏み台にしてアメリカ企業を優遇し、そして、文化的な大衆主義が、幼稚で、単純、ありふれた作品や情報ばかりにアクセスするような回路を醸成していると言う。
クリントン大統領のモニカ・ルインスキー事件やブッシュ大統領の施政に失望をしたとして、アメリカの次のような点を非難している。
死刑制度の存在、200万人も服役する刑務所、宗教と民主主義の関係、選挙で幅を利かす金の動き、ガス排出と温室効果について京都議定書を拒否したこと、人道に対する罪を裁く国際刑事裁判所の拒否、文化の多様性についてユネスコの活動に調印しなかったこと。
しかし、最近のブッシュ政権のヨーロッパ擦り寄り政策でも、ライスが演説した自由こそ総ての幸福や平和を保障する手段だといったことについても、この自由の賞賛は、経済的利益や社会的な力やその国に特有な文化的要因からかけ離れた抽象的なもので、昔から自由にも代償があるとするフランスの考え方とは違う。
リベラルと言う言葉についても概念の違いが濃厚で、アメリカ文化はそれなりに素晴らしく一目は置くが、あれやこれや考えると、このようなアメリカの資本主義とそれを受け入れるアメリカ社会を基礎にしたグーグルの計画は絶対にそのままでは認められない。
一極支配による副産物として、自分達の利益の為に世界の考え方を一方的にコントロールするなどは許せないと言うのである。
自分達の目的はヨーロッパだけだが、EUは多様であり、アメリカとは異なるメッセージを世界に伝えることに自負を持っている。
ヨーロッパ自身が生み出し育んできた叡智と文化によってゆるぎなき存在感を示せば、世界はもっと良くなる筈だと、フランス人は確信していると主張する。
技術的な問題として、グーグルのシステムが、膨大な量のサイトを収穫し利用者の検索に応じて独立したドキュメントを見つけ出すという能力を持ちながら、他方において、要求された情報を表示するメカニズムは全く素朴で手がかけられておらず時代遅れで、検索の限界、つまり検索されたページと全体との関連についての肝心の情報が欠けていると指摘する。
また、グーグル・ブック・サーチは、恐らく、論拠ある原則に従って編成されたいかなる分類も持っていないので、学校にとって使い勝手の良いモデルにはならないだろうとも言う。
デジタル化された大量の情報をどう処理するのかが問題である。ウエブがグローバルなレベルで平等化を進めるのは良いが、しかし、体系化されない情報は価値を損なう。
大量のデータの真ん中で、もう偶発的な選択に任せたくないので、データの誠実度、権利そして基準を見極めなくてはならない。
図書館で本を探す時、読者の懐疑や推論は、今まで他者が考え抜いて整えた原則による分類との実りある対話の中から生まれてくる。
バーチャルな図書館でもこの原則を確立しなければならない、と主張する。
日本でも、経済産業省が、日本の国策検索エンジン「情報大航海」プロジェクトを推進していて、色々な方面で研究が進んでいる。
フランスのみならず、日本も2000年以上に亘る膨大な文化遺産を持っており、そのデジタル化による文化的な貢献には計り知れないものがある。
フランスで火がついたプロジェクトが、ヨーロッパでは、「i2010デジタル・ライブラリー」計画として、欧州委員会で採択されて進行中だという。
グーグルが、世界の情報デジタル戦争を触発したことによって、人類の知的遺産は益々膨張して行くと言うことであろうか。
このあたりにも、ナショナリズムが色濃く出ていて興味深いが、益々グローバル化して画一化が進み過ぎて行く今日こそ、文化の多様性、特に、消え行く古き人類の遺産である貴重な文化の保存は必須である。