熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

石油高騰は生活水準のダウン・・・竹中平蔵教授

2008年06月29日 | 政治・経済・社会
   民間に戻った竹中教授は、以前のように、歯に衣を着せぬ爽やかな経済評論でTVに登場することが多くなったが、相変わらず、市場至上主義とは言わないまでも、自由競争による市場原理が働く経済を唱え続けている。
   最近の物価上昇について、規制緩和を推し進めて、グローバルベースで、安いものを調達する努力をすること、あらゆる政策を駆使して生産を増加させることなどによって切り抜けるべきだと発言していたが、
   石油価格高騰については、100円であったものが200円になると言うことで、国民の生活水準がそれだけ下がったことを意味しており、総てを消費者に転化するわけには行かないので、関係者総て、すなわち、消費者は勿論、生産者も、流通業者も、それを使用して業を営む人々等総てが、少しづつ痛みを吸収する以外に方法はないと言う。
   政治の問題だと言いながら、先の石油危機の時に、政府が特に軽減措置など取らなかった唯一の国が日本で、その為に、国民の努力により日本が世界一エネルギー効率の高い国になったのだと付け加えた。
   グローバル経済のインフレの嵐に翻弄されて、益々貧しくなって行くのか、血の滲むようなイノベーション努力で乗り切るのか、それが問題である。

   石油高騰によって、フランスなど漁民が激しく抗議活動を展開し、日本でも、イカ釣り漁船が赤字になって操業を中止して居るなどと報道されており、運輸業をはじめ、石油を原材料やエネルギーとして利用している産業に甚大な打撃を与えている。
   行き場を失った金融資本のマネーゲームによるとか、中国など新興国の需要拡大によるとか、石油高騰の原因については、色々、議論されてはいるが、国境を越えて収益を求めて動き回る金融資本の動きは勿論、グローバル経済そのものをコントロール出来ない現状では、政府といえども、手の打ちようがないと言うことであろうか。
   戦争のない平和な世界であっても、自然界の天変地異以外にも、人為的に構築された経済社会においては、これまでに経験したことのないような未知数の悲劇が、国民生活に打撃を与えると言う厳粛な現実が突きつけられている。

   先日から、このブログで、ライシュ教授の超資本主義による経済社会の弊害について書いて来たが、要するに、金融商品となってしまった石油や食料、原材料等の価格高騰については、現在の政治システムでは有効な解決手段はなく、多少の緩和策が機能しても、これによって被害を受ける国民は、すべからく自分自身の裁量によって自己防衛なり身の保全を図らなければならないと言うことである。
   超資本主義の論理がそのまま野放しになって進行して行くと、経済のグローバリゼーションによって、天然資源に恵まれず経済的に脆弱な国は益々貧困度が増し、また、知識と技術のない労働者は益々低賃金に追い詰められるなど、地域格差や経済格差などの溝がどんどん深まって行くのは必然である。
   それに、日本の場合には、原材料などの輸入品はどんどん高くなって行くのに、日本の得意とする電気製品など工業製品の輸出価格はどんどん下落傾向にあり、交易条件が更に悪化すると考えられるので、かってのように貿易収支の黒字維持には一段の努力が必要となり、報われない傾向が続く。産油国など資源国に、膨大な税金を支払っていると言われる由縁である。

   ところで、先の石油危機は、国民経済も上り調子にあったので克服できたが、今日では、庶民生活へのダメッジは極めて大きい。
   しかし、良く考えてみれば、輸出立国を標榜して外貨を稼ぎ出して、金を出せば何でも買えると言う安易な方針で生きて来た日本人にとって、石油以外に多くの天然資源や原材料、そして、食料を輸入に頼っているが、どの一つを取っても、輸入や供給が止まってしまうと、日本人の生活は瞬時に干上がってしまって危機に陥る。
   現に、食料や鉱物資源など自国の利権を守るために、輸出規制や制限を課して、国際市場への供給をストップする国が現れて来て、国際価格を高騰させている。インフレの足音が、もう、そこまで近付いているのである。
   日本人が、安全で安心して生活を送れる為には、何が、緊急の課題であるのか、救急バッグを備えるように、もう一度、防衛、食料、資源等々じっくり考えて対策を取るべき時期に来ているのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする