リーダーシップ論の権威ジョン・P・コッター教授の「幸之助論」を読んだが、ハーバード大総長に呼び出されて、冠講座のマツシタ・コウノスケ教授の拝命を受けた時に、
松下幸之助が何ものかを知らなかったので、痛く失望したのだが、資料を読み進めるうちにぐいぐい引き込まれて行き、不世出の偉大な大経営者であることを知って驚嘆して本書を著したと言う。まともな経営学の専門書だが非常に面白い。
まず、今回は、先日コメントした松下電器の「まねした電器」戦術について、コッターが、松下幸之助の経営哲学においてどのような位置づけをしているのか、興味を持った。
実際には、コッターは、一般に言われているような形でまねした電器説には直接言及していないが、技術開発によって新製品の開発を行うことは松下幸之助の念頭にはなかったことを明確に記述している。
このイノベーション戦略について、コッターは、ソニーと対比しながら面白いコメントをしている。
”東京のソニーは、都会的でインテリっぽく洗練された会社で、大阪の松下は、どこか野暮ったい。
ソニーは、全く新しいコンセプトの機器や新たな製品分野を開拓してきたハイテク企業だが、
松下は、既存の製品を改良して、大衆消費できるような低価格で売り出してきた。
松下に批判的なアメリカ人は、ソニーを「最先端」と呼び、松下電器を「猿まねコピー・キャット」と呼ぶ。
会社の成り立ちと中心人物の違いが、企業のビジョンと文化の違いとなって表れる。幸之助は、高等教育など受けることのできない貧困のなかで育ち、火鉢店の丁稚として仕事を始めた。一方、盛田と井深は、裕福な環境で育ち、大学で科学の教育を受け、第二次世界大戦中は技術開発に没頭した。”
しかし、三人とも正真正銘の傑出したリーダーだが、60代、70代、80代になっても成長し続け、新しい仕事に手を出し続けたのは幸之助だけだと、幸之助を持ち上げている。
私自身は、確かに、生い立ちから言っても、或いは、人間性やステイクホールダーに対する気配りや責任感においても、幸之助が新規で未知数なものに対して積極的に手を出せなかったことは分かるが、幸之助には、電気製品を湯水のように使って生活を楽にするために、安くて良いものを大量に世の中に提供したいと言う「水道哲学」が経営の根幹にあったことを忘れてはならないと思う。
コッターは、これも立派なイノベーションであると言っており、確かに、シュンペーターの説く新しい生産方法と言うジャンルのイノベーションであり、強烈な差別化戦略である。
この日本的なものづくりへのアプローチが、クリステンセンの持続的イノベーションであり、この一種であるローエンド・イノベーションを追求することによって、トヨタも日本の家電メーカーも欧米企業を凌駕して来たのである。
更に、コッターは、競争相手と一線を画した松下の事業戦略と営業手法としての
”強い顧客志向、生産性とコスト削減に対する執着、リスクに挑戦して他社が発明した製品を改良しようとする意思、画期的なマーケティング、迅速な製品開発、アフターサービス、絶えざる改革への意欲、従業員に対する信頼、専売の販売流通制度、事業対象の限定など、総ての要因が”
企業の規模の拡大と収益の面での成長を促進させたと説く。
この基本的な技術革新は他社に任せて、生産と販売の分野で大胆な戦略を展開することによって、いくつかの製品分野を支配できることに世界のどの企業が気付くよりも先に模範を示し、トム・ピーターやロバート・ウォータマンが「エクセレント・カンパニー」で書いた営業方法を、幸之助は優に60年以上も前に発見して使っていた、と絶賛するのである。
この発想は、「そんな事業なら、やめてしまえ!」のセルジオ・ジンマンの、「イノベートする前に、リノベートせよ」と言うリノベーション論、すなわち、新製品や新サービスの創造だけが能ではなく、既存のものを活用してより良いものにグレードアップして付加価値をつけろと言う戦略とも相通じるところがある。
コッターは、この戦略は、1929年以降の大不況の時には、特に有効であったと言っているが、松下の中村会長が言うようにデジタル時代以前には有効であった。
知識情報化産業社会、知価社会、そして、デジタルとインターネットの時代に入ってからは、創造的なイノベーション、特に、製品やサービスにおいては、全く革新的なイノベーションによってブルー・オーシャン市場を目指さない限り、競争に勝てなくなってしまった。
製品開発もイノベーションの手法も全く変わってしまった。恐らく、幸之助だったら、このようなビジネス戦略を打ったであろうと言うのが中村改革だが、さて、あの世の幸之助翁は、どう思っているであろうか。
(追記)写真は、松下記念館の資料よりコピー。
松下幸之助が何ものかを知らなかったので、痛く失望したのだが、資料を読み進めるうちにぐいぐい引き込まれて行き、不世出の偉大な大経営者であることを知って驚嘆して本書を著したと言う。まともな経営学の専門書だが非常に面白い。
まず、今回は、先日コメントした松下電器の「まねした電器」戦術について、コッターが、松下幸之助の経営哲学においてどのような位置づけをしているのか、興味を持った。
実際には、コッターは、一般に言われているような形でまねした電器説には直接言及していないが、技術開発によって新製品の開発を行うことは松下幸之助の念頭にはなかったことを明確に記述している。
このイノベーション戦略について、コッターは、ソニーと対比しながら面白いコメントをしている。
”東京のソニーは、都会的でインテリっぽく洗練された会社で、大阪の松下は、どこか野暮ったい。
ソニーは、全く新しいコンセプトの機器や新たな製品分野を開拓してきたハイテク企業だが、
松下は、既存の製品を改良して、大衆消費できるような低価格で売り出してきた。
松下に批判的なアメリカ人は、ソニーを「最先端」と呼び、松下電器を「猿まねコピー・キャット」と呼ぶ。
会社の成り立ちと中心人物の違いが、企業のビジョンと文化の違いとなって表れる。幸之助は、高等教育など受けることのできない貧困のなかで育ち、火鉢店の丁稚として仕事を始めた。一方、盛田と井深は、裕福な環境で育ち、大学で科学の教育を受け、第二次世界大戦中は技術開発に没頭した。”
しかし、三人とも正真正銘の傑出したリーダーだが、60代、70代、80代になっても成長し続け、新しい仕事に手を出し続けたのは幸之助だけだと、幸之助を持ち上げている。
私自身は、確かに、生い立ちから言っても、或いは、人間性やステイクホールダーに対する気配りや責任感においても、幸之助が新規で未知数なものに対して積極的に手を出せなかったことは分かるが、幸之助には、電気製品を湯水のように使って生活を楽にするために、安くて良いものを大量に世の中に提供したいと言う「水道哲学」が経営の根幹にあったことを忘れてはならないと思う。
コッターは、これも立派なイノベーションであると言っており、確かに、シュンペーターの説く新しい生産方法と言うジャンルのイノベーションであり、強烈な差別化戦略である。
この日本的なものづくりへのアプローチが、クリステンセンの持続的イノベーションであり、この一種であるローエンド・イノベーションを追求することによって、トヨタも日本の家電メーカーも欧米企業を凌駕して来たのである。
更に、コッターは、競争相手と一線を画した松下の事業戦略と営業手法としての
”強い顧客志向、生産性とコスト削減に対する執着、リスクに挑戦して他社が発明した製品を改良しようとする意思、画期的なマーケティング、迅速な製品開発、アフターサービス、絶えざる改革への意欲、従業員に対する信頼、専売の販売流通制度、事業対象の限定など、総ての要因が”
企業の規模の拡大と収益の面での成長を促進させたと説く。
この基本的な技術革新は他社に任せて、生産と販売の分野で大胆な戦略を展開することによって、いくつかの製品分野を支配できることに世界のどの企業が気付くよりも先に模範を示し、トム・ピーターやロバート・ウォータマンが「エクセレント・カンパニー」で書いた営業方法を、幸之助は優に60年以上も前に発見して使っていた、と絶賛するのである。
この発想は、「そんな事業なら、やめてしまえ!」のセルジオ・ジンマンの、「イノベートする前に、リノベートせよ」と言うリノベーション論、すなわち、新製品や新サービスの創造だけが能ではなく、既存のものを活用してより良いものにグレードアップして付加価値をつけろと言う戦略とも相通じるところがある。
コッターは、この戦略は、1929年以降の大不況の時には、特に有効であったと言っているが、松下の中村会長が言うようにデジタル時代以前には有効であった。
知識情報化産業社会、知価社会、そして、デジタルとインターネットの時代に入ってからは、創造的なイノベーション、特に、製品やサービスにおいては、全く革新的なイノベーションによってブルー・オーシャン市場を目指さない限り、競争に勝てなくなってしまった。
製品開発もイノベーションの手法も全く変わってしまった。恐らく、幸之助だったら、このようなビジネス戦略を打ったであろうと言うのが中村改革だが、さて、あの世の幸之助翁は、どう思っているであろうか。
(追記)写真は、松下記念館の資料よりコピー。