ブラジル移民100周年記念行事が、ブラジルで行われているが、私がサンパウロに居た時には、70周年記念で、現在の両陛下が皇太子御夫妻の時に来伯されてガイゼル大統領と共に式典に参加された。
私は、大競技場で行われた記念式典と州宮殿での晩餐会に参加して、つぶさに、両陛下と感激する日系ブラジル人との感動的な出会いを感激しながら見ていた。
私のように日本企業の駐在員として参加する人間と、移民された日系ブラジル人との思いには、格段の思い入れと気持ちの格差があったと思ったが、あの時は、正直な所、一緒になって、心から日本人であることを実感して感動した。
話はブラジルとは違うが、先日、雑用をしながら見ていたので、何の番組か忘れてしまったが、NHKで、南米のインディオの一家の生活を追いながら、氷河を頂くアンデスの聖山でのお祭と聖なる宗教儀式を放映していた。
私が、南米の各地を仕事で歩いていたのは、丁度30年も前のことだが、多少現代化した程度で、殆ど、当時のインディオたちの生活の雰囲気が変わらずに残っていたので、急に懐かしくなって当時のことを思いだした。
この写真のように、雪を頂いたアンデスの山の中を、インディオが、アルパカやリャマ、ビクーニアを追っていた。
南米が担当であったので各地を歩いたが、原住民のインディオの人々の生活に直接身近に接したのは、やはり、ボリビアのラパスやチチカカ湖など田舎に出た時で、家畜の放牧や野良仕事、時には、村祭等を見ることが出来た。
ラパスなど富士の頂上と同じ高度で、ボリビアは高地なので結構寒く、インディオたちは伝統的な袴姿で厚着をしているのだが、太陽の光が強いので、みんな真っ黒に日焼けした顔をしている。
我々日本人と同じモンゴロイド人種で、アリューシャン列島を渡って南米まで渡って来た人々なので、顔かたちは良く似ているのだが、どちらかと言えば顔の道具が立派なので、中々美男美女で、良い顔をしている。
遠く雪を頂き氷河に覆われた急峻なアンデスの山並みを、或いは、芦の生えた静かなチチカカ湖をバックに佇む姿など立派な絵になる。
ボリビアは、富や権力を握る白人たちは豪華な住居に住み豊かな生活をしていたが、ラパスに住む貧しくて家のないインディオたちは、毛布一枚で、大聖堂の軒下の石畳の上で寝ていて、夜が明けると働きに出かけるようであった。
財産は、風呂敷包み一つなので、大事そうに背中に襷がけにして持って歩く。
現在、インディオ出身の大統領のようだが、人口の大半がインディオだから当然であろう。
夜には、インディオ楽団の音楽を聞きに出かけた。今、日本のあっちこっちの街角で演奏しているインディオたちの演奏姿と良く似ているが、
むんむん人いきれのするナイトクラブなどでの演奏は、実に哀調を帯びてもの悲しく、特に、あのケーナのすすり泣くような響きを、米搗きバッタのように激しく首を振りながら必死になって演奏するインディオ奏者の姿を見て聞いていると涙が零れて来た。
マチュピチュの遺跡で聞いたエル・コンドル・パッサのケーナの響きと共に、いまだに耳について離れない。
ブエノスアイレスのボカで聞いたタンゴのバンドネオンの哀調を漂わせた音色、アスンションのクラブで聞いたハープの何とも言えない郷愁を誘う音色など、何故か、南米で私が聞いた音楽の思い出は、寂しく悲しいものばかりのようである。
尤も、ブラジルでは、陽気なサンバやボサノバが多かった筈なのだが。
ところで、NHKで放映していた宗教儀式は、街の教会にあるキリスト像を氷河の頂上まで運び上げて、日の出に輝くキリスト像を祈って荘厳するということで、インディオたちは完全にキリスト教徒になっているのである。
南米各地には、立派なキリスト教会があり、インディオ信者が熱心に祈っている姿を良く見たが、どこの大聖堂だか忘れてしまったが、最後の晩餐の宗教画のキリストの前に置かれている皿の上の食べ物が、モルモットだったのを覚えているが、やはり、スペイン人宣教師達のインディオたちへのキリスト教への改宗努力と熱意は大変だったことが分り興味深かった。
ところで、ボリビアには、インディオ文化を残すティワナコ遺跡があり、綺麗な彫刻のある石柱が残っていたような気がするが、やはり、インカ文明の遺跡は、マチュピチュやクスコ、リマの博物館などペルーで見たと行った方が正解かもしれない。
クスコには、かみそりの刃一枚も隙間に入らないくらい精巧に積まれたインカの石垣の上に、立派なスペイン風の建物が建っていると言った文化の融合風景も見られるが、先ほどのインディオたちのキリスト教も、インカの伝統文化を同化しているのかも知れない。
学生の頃から、インカ文明のことは関心を持って勉強を続けており、今、網野徹哉先生の「インカとスペイン」を読み始めている。随分新しい発見などがあって興味深い。
私は、大競技場で行われた記念式典と州宮殿での晩餐会に参加して、つぶさに、両陛下と感激する日系ブラジル人との感動的な出会いを感激しながら見ていた。
私のように日本企業の駐在員として参加する人間と、移民された日系ブラジル人との思いには、格段の思い入れと気持ちの格差があったと思ったが、あの時は、正直な所、一緒になって、心から日本人であることを実感して感動した。
話はブラジルとは違うが、先日、雑用をしながら見ていたので、何の番組か忘れてしまったが、NHKで、南米のインディオの一家の生活を追いながら、氷河を頂くアンデスの聖山でのお祭と聖なる宗教儀式を放映していた。
私が、南米の各地を仕事で歩いていたのは、丁度30年も前のことだが、多少現代化した程度で、殆ど、当時のインディオたちの生活の雰囲気が変わらずに残っていたので、急に懐かしくなって当時のことを思いだした。
この写真のように、雪を頂いたアンデスの山の中を、インディオが、アルパカやリャマ、ビクーニアを追っていた。
南米が担当であったので各地を歩いたが、原住民のインディオの人々の生活に直接身近に接したのは、やはり、ボリビアのラパスやチチカカ湖など田舎に出た時で、家畜の放牧や野良仕事、時には、村祭等を見ることが出来た。
ラパスなど富士の頂上と同じ高度で、ボリビアは高地なので結構寒く、インディオたちは伝統的な袴姿で厚着をしているのだが、太陽の光が強いので、みんな真っ黒に日焼けした顔をしている。
我々日本人と同じモンゴロイド人種で、アリューシャン列島を渡って南米まで渡って来た人々なので、顔かたちは良く似ているのだが、どちらかと言えば顔の道具が立派なので、中々美男美女で、良い顔をしている。
遠く雪を頂き氷河に覆われた急峻なアンデスの山並みを、或いは、芦の生えた静かなチチカカ湖をバックに佇む姿など立派な絵になる。
ボリビアは、富や権力を握る白人たちは豪華な住居に住み豊かな生活をしていたが、ラパスに住む貧しくて家のないインディオたちは、毛布一枚で、大聖堂の軒下の石畳の上で寝ていて、夜が明けると働きに出かけるようであった。
財産は、風呂敷包み一つなので、大事そうに背中に襷がけにして持って歩く。
現在、インディオ出身の大統領のようだが、人口の大半がインディオだから当然であろう。
夜には、インディオ楽団の音楽を聞きに出かけた。今、日本のあっちこっちの街角で演奏しているインディオたちの演奏姿と良く似ているが、
むんむん人いきれのするナイトクラブなどでの演奏は、実に哀調を帯びてもの悲しく、特に、あのケーナのすすり泣くような響きを、米搗きバッタのように激しく首を振りながら必死になって演奏するインディオ奏者の姿を見て聞いていると涙が零れて来た。
マチュピチュの遺跡で聞いたエル・コンドル・パッサのケーナの響きと共に、いまだに耳について離れない。
ブエノスアイレスのボカで聞いたタンゴのバンドネオンの哀調を漂わせた音色、アスンションのクラブで聞いたハープの何とも言えない郷愁を誘う音色など、何故か、南米で私が聞いた音楽の思い出は、寂しく悲しいものばかりのようである。
尤も、ブラジルでは、陽気なサンバやボサノバが多かった筈なのだが。
ところで、NHKで放映していた宗教儀式は、街の教会にあるキリスト像を氷河の頂上まで運び上げて、日の出に輝くキリスト像を祈って荘厳するということで、インディオたちは完全にキリスト教徒になっているのである。
南米各地には、立派なキリスト教会があり、インディオ信者が熱心に祈っている姿を良く見たが、どこの大聖堂だか忘れてしまったが、最後の晩餐の宗教画のキリストの前に置かれている皿の上の食べ物が、モルモットだったのを覚えているが、やはり、スペイン人宣教師達のインディオたちへのキリスト教への改宗努力と熱意は大変だったことが分り興味深かった。
ところで、ボリビアには、インディオ文化を残すティワナコ遺跡があり、綺麗な彫刻のある石柱が残っていたような気がするが、やはり、インカ文明の遺跡は、マチュピチュやクスコ、リマの博物館などペルーで見たと行った方が正解かもしれない。
クスコには、かみそりの刃一枚も隙間に入らないくらい精巧に積まれたインカの石垣の上に、立派なスペイン風の建物が建っていると言った文化の融合風景も見られるが、先ほどのインディオたちのキリスト教も、インカの伝統文化を同化しているのかも知れない。
学生の頃から、インカ文明のことは関心を持って勉強を続けており、今、網野徹哉先生の「インカとスペイン」を読み始めている。随分新しい発見などがあって興味深い。