熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

法律は最低限度の道徳である・・・中島茂弁護士

2008年06月13日 | 政治・経済・社会
   日経ブッククラブの人材開発フォーラムで、企業法務と言うか経営法務の第一人者である中島茂弁護士が、秋山進氏に触発されて「コンプライアンスとビジネス倫理」について興味深い話を語った。
   世の中は、コンプライアンス、コンプライアンスと騒いでいるが、それほど立派なことではない。法令とは最低限度の道徳であると言うことを考えれば、(もっともっと大切なものに注意を払わずに、)この法令順守、すなわち人間が守るべきである最低にしか過ぎない道徳を守る為に、国中が狂奔すると言うのは寂しいことである、と言うのである。

   冒頭、企業の危機管理における、最近の変化について、
   雪印乳業などの食品偽装事件の頃は実際に多くの犠牲者が出たが、最近の赤福や吉兆のケースのように一人の犠牲者も出ていないのに騒がれるようになって来ている。
   賞味期限などは、本来、企業が自分で設定した基準であり、自主規制の問題でありながら、これに違反すると社会から糾弾され、政府は、検査が杜撰だとかとして法令や規則を設定したり罰則を科したりして、益々、規制やコントロールをきつくしている。
   大阪のジェットコースターの事故でも、吉兆の食べ残しの使い回しも、役所は法令違反ではないと言うが当然で、これは、企業倫理、会社としては当然行うべきこと、遵守すべきことを怠ったことで起こった社会に対する背信行為である。
   しかし、このような事故が発生する毎に、企業は内部統制の強化を強制され、政府は、益々、手を変え品を変えて法的規制を強化してペナルティを科しているのは、果たして喜ぶべきことか、と疑問を呈する。

   これに対して、秋山氏は、世の中には、全く利害や目的や価値観などを異にした多くの当事者が居るのだから、はっきりと法規制するなどルールを作る方が良い。企業は、法令など社会的な規制は、自分達をバインドするしつけのようなものであるから、これを所与の要件として徹底的に理解して、その上で自由に活動する方法を取れば良い、と言う。
   これは、先日、ブラジルの項で書いたように、異人種の坩堝であるアメリカが完全な法令重視の法化社会であるが、逆にブラジルは、法令よりも人間的な結び付きであるアミーゴ関係を重視する社会であることが参考になる。
   厳密では勿論ないが、何でも不明確な所は、法律や契約で雁字搦めにするか、もっと人間的な要素である倫理や道徳、人間としてあるべき規範に基づいて社会を律するか、丁度、十字路に立つ日本の社会のあり方を問うているのであると思っている。

   これと関連して、中島弁護士は、会社は株主のものであると原則論に立ちながら、この株主のためにと言う会社の行動は、大きく、人の為世の中の為にと言う重要な基準を踏み外してはならないと、アダム・スミスの「見えざる神の手の導き」説を展開しながら論じた。

   秋山氏は、日本の企業が長い年月を通じて営々と築き上げて来た貴重な遺産ともいうべき企業文化がある筈だが、これが廃れつつあり、これに対する認識が欠如していると指摘した。
   日本の優良企業には、創業者の家訓や社訓があり、これが長い歴史の中で磨き貫かれて企業文化と企業価値を支えて来ているというケースが多い。
   今、ジョン・P・コッターの「幸之助論」を読み直そうと思って、北康利氏の「同行二人 松下幸之助と歩む旅」を読んでいるが、幸之助の偉大さは、時代を超えて群を抜いている。
   中村会長の中村改革は、正に、幸之助の経営哲学の原点への回帰で成功したケースだが、財閥系の大企業も、多くの老舗大企業も、この企業文化の値打ちを忘れてしまって、迷走している日本企業が結構多い。
   ○○○○なら、こんな商品を絶対に売る訳にはいかない、××××社では、会社が潰れても、こんなことは絶対出来ない・・・そんな企業文化と経営哲学があったからこそ、日本の経済社会の発展があったような気がする。

   昔、中坊弁護士が、住管機構の取立てで、法令違反をしていないと逃げようとした住友銀行に法令は最低の倫理だと言って詰め寄ったケースを思い出すが、中島弁護士が指摘するように、最低限度の道徳を守るだけ(?)のコンプライアンスをやっていますと言って経営者が胸を張って大口を叩ける時代であるのかどうか、考えてみることも意義があろうと思う。

   もう一つ、何でもかんでも法規制に走ろうとする政府の対応だが、例えば、個人情報保護法によって、必要な情報までブロックされてしまって、世の中の人間関係がぎすぎすし、不自由極まりなくなってしまった。
   それに、企業の内部統制の強化だが、これは本来、経営者の質と能力の問題である筈が、そのレベルアップを一切無視して、法制度を雁字搦めにして、経営者の責任を回避するために、弁護士・会計士事務所やIT企業だけ儲けさせているようにしか思えないのは、僻みであろうか。
   世間と言う社会のチェッカーが廃れ、道徳や倫理がどんどん後退して行く法化社会の進展が幸せなことかどうか、私は、子供頃の日本がそうであったような、抜け穴だらけであったけれど、大らかであった社会の方が幸せであったような気がする。
コメント
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