熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

iPS細胞の山中伸弥教授・・・イノベーションを生むのは豊かなメディチ・イフェクト

2008年06月08日 | イノベーションと経営
   久しぶりに、世界を沸かせた素晴らしい日本発の科学的な偉業は、京大山中伸弥教授の万能細胞と同じ機能を持つ人工多能性細胞iPS細胞の開発である。
   日経ホールで開かれた「NAISTの戦略」日経産業新聞フォーラムで、非常にユーモアに富んだ山中教授の講演「NAISTでの教育研究を振り返って」を聞いて、科学技術の重要な発見やイノベーションが、どのように生まれ出でるのかを学んだ。
   このNAISTとは、国立大学法人奈良先端科学技術大学院大学のことで、実は、今度の山中教授の偉業をインキュベートさせたのは、この奈良での5年間の研究であったことを、エピソードを交えながら語ったのである。

   まず、iPS細胞だが、アサヒコムの山中教授の講演記録を見て一寸勉強して見た。
   ”様々な種類の細胞になる機能を持つのが万能細胞である。30年ほど前に、マウスから、そして、10年前に、人間の受精卵を壊して作る一種の胚性幹細胞(ES細胞)が作り出されたのだが、移植時の拒絶反応や生命倫理の問題などで、いまだに、実用化されていない。
   ところが、山中教授たちは、人間の皮膚、実際は36歳の白人女性のほほの皮膚から、ES細胞と同じ機能を持つ人工多能性細胞(iPS細胞)を作り出した。実際の患者の皮膚から作り出すのであるから、拒絶反応や生命倫理の問題は完全にクリアできるようになったのである。

   本当の意味でのオーダーメード細胞の創出、オーダーメード再生医療への夢のような第一歩であり、実用化への道は着着と準備中で、時が解決してくれるであろう。必死で研究を続けていると言う。
   山中教授がiPS細胞を創出したのは2005年だが韓国の黄教授の問題があったので海外に論文で発表したのは2006年、遅れて金に糸目を付けないアメリカ勢が急速にキャッチアップして、同じ頃ウイスコンシン大学がヒトES細胞を開発した。
   しかし、iPS細胞は、完全に日本発の革新的な技術である。”

   アメリカのグラードストーン研究所でのポストドクトラル・フェローとして研究を終えて夢と希望に燃えて意気揚々と日本に帰って来たが、明けても暮れてもアメリカから持ち帰ったネズミの世話ばかりの毎日で、PAD(POST AMERICA DEPRESSION)と言う重病にかかってしまった。
   英語なし サポート・スタッフなし お金なし デイスカッションなし ネズミの世話地獄 と言う病気でうつ状態になってしまったのである。
   もう研究を止めようと決心して、これがだめならきっぱりと決心出来ると思って、NAISTの独立ポストの助教授職に応募した。

   幸か不幸か、採用され、動物実験管理の専門家がおらず、植物専攻の一阪朋子さんと言うアシスタントを指導してネズミの世話を教えながら、ES細胞による再生医学やヒトES細胞の研究を始めた。
   とにかく、サポートスタッフが居ないと話にならないので、4月から入ってくる新入学生を騙して研究室に入れるために、夢のあるテーマでないとダメだと思って、人工多能性細胞の開発をぶち上げた。騙されて3人が入ってきて、この時の高橋和利氏や一阪さんなどその後のNAISTでのスタッフが、今の京大スタッフの半数を占めている。
   他の日本の大学では、助教授と言えば教授の助手だが、NAISTでは、独立して自由に研究が出来て非常に幸せだったと言う。

   山中教授が、幸せなNAISTでの教育研究環境あったればこそ、iPS細胞の開発成功があったのだとして語ったのは、人財、NAISTの研究環境、CRESTよりの研究費、幸運 と言う4つであった。
   中でも、教授が強調していたのは、NAISTの豊かな先端科学技術分野間の交流や、同じフロアーにバイオサイエンスや生物学関連の教授や研究者など学究が一堂に会していて、四六時中、多方面からの意見・激論やデイスカッションなど情報交換の場があり、知の鬩ぎ合いがあって、啓発され、教えれれ、学んだことが多かったと言うことであった。
   ゲノムの専門知識については、ここで啓発されたのであろうか、朝日の講演で、皮膚細胞に入れて万能細胞に変える読み手である「転写因子」を探すのに理化学研の林崎さんの研究を活用して非常にショートカットになったとか、一つではなく四つの転写因子を皮膚細胞に入れるのに、東大の北村俊雄氏のレトロウイルス手法が役立ったとか語っているが、発明発見の為には、異文化・異科学・異技術等々異分野のぶつかり合いと遭遇が如何に大切かを物語っている。
   あの目を見張るような文化の再生と人類の叡智を爆発させたルネサンスの原動力であった文化・文明の十字路メディチ・イフェクトの現出である。
   経営学でも、クロス・ファンクショナル・チームの活用が如何に大切かは、常識となっている。

   ところで、山中教授が米国留学後帰国してPADと言うカルチュア・ショックに悩まされたと言うことだが、日本の科学技術と言うか学問研究体制が如何に、世界の趨勢から遅れているかを如実に示している。
   まず、何を差し置いても軍資金であるが、山中教授の快挙で日本政府のサポートが始動したと話題になっているが、アメリカの万能細胞開発の為の資金援助や研究開発体制は、桁外れで足元にも及ばないと言う。
   山中教授は、科学技術振興機構のCRESTからの資金援助が役立ったと言っているが、選考担当であった岸本忠三氏の度量の広さだと言われている。金がないと言うのなら、そんな、素晴らしい目利きを育成することであろう。
   それに、基礎科学における科学者や研究スタッフの充実は緊急の必須事項で、山中教授の場合には、成功したから良いようなものの、日本の現状は、正に、薄氷を踏む思いであろう。

(追記)写真は、アサヒコムから借用。
コメント (1)
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