熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「最強の読書術」などあるのであろうか

2008年06月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   週刊東洋経済が、「最強の読書術」と言うタイトルで、多方面の達人達のウラ技を開陳するなど面白い特集を組んでいる。
   読書を趣味としている私としては、多少興味があったので、書店で立ち読みをしたのだが、こんな場合には、極端な読書人のケースが論じられているので、一般には、殆ど参考にならない。

   人生黄昏に差し掛かった私には、今更、これが最強の読書術だと言われても、真似る訳には行かず困るのだが、どうも、読書家の関心は、速読術や利便性を考えた手っ取り早く便利な読書術にあるようである。
   速読ではなく、じっくりと読むべきだと言う人が一人居られたが、人生を重ねて行くと、どうしても若い時のように手当たり次第に本を漁ると言うよりは、気に入ったマトモナ本にじっくり挑戦しようと言う気持ちが強くなり、それと同時に何故か歳を取っての読書の方が理解力が増し楽しめるような気がしている。
   私の場合には、ヨーロッパへ赴任した40代に入ってから読書量が増えた感じだが、これは意識してそうしたからで、やはり、読書の楽しみは人生と同じで、経験と知識の蓄積に応じて深まってくると言うことではなかろうか。

   情報や実務的な知識を得る為には、速読などして出来るだけ沢山の本を早く読むことが必要かも知れないが、智恵や人生を噛み締めながら知的な楽しみを得る為には、如何に、良質な本に遭遇できるかと言うことが総てのような気がする。
   読書に関する限り、下手な鉄砲数打ちゃ当たる、と言うケースは殆どなく、やはり、人生における経験と感性が重要で、それなりの修練が必要だと思っている。
   それに、本を読むことが仕事ならいざ知らず、知と情報が爆発し溢れている今日、月間200冊読むと豪語する速読の大家でもタカが知れているのであって、むしろ、本を如何に選別して、良書に出会うか、その良書選別眼を養う腕を磨く方が、最強の読書術である筈である。
   
   これは、私の自論だが、読書を楽しむ為には、或いは、良書を咀嚼し理解して血肉とする為には、出来るだけ人生や経験を豊かにして裾野を広げるように心掛けることだと思っている。
   富士が高く聳えているのは、裾野が広いからであるが、この喩えである。

   このことに最初に気付いたのは、アメリカのビジネス・スクールに行った頃で、それまで、大学や実務で学んだつもりで居た経済学や経営学が、アメリカで生活を始めて、実際の現場に触れることによって一挙に理解が深まった感じがしたのである。
   事実、あの頃の経済学や経営学の多くは、アメリカの実際の世界を知っているかどうかによって理解力が全く違ってくるし、当時の翻訳本でも、翻訳者が欧米の経済社会制度を知らなくて誤訳していたケースが結構多かったのである。

   このことは、経済学や経営学だけに限ったことではなく、美術書や芸術、音楽、文学等々多くの分野の読書においても言えることで、私の場合には、欧米は勿論、世界のあっちこっちを歩くことが多かったので、実際に接する異国の自然や生活空間と読書や観劇などが直結呼応して、お互いに増幅しながら楽しめたと言うことで、いやが上にも理解が深まったと思っている。

   尤も、外国とは関係なく、例えば、私が文楽関係の本を読んで楽しめるのは、文楽劇場に良く通っているからと言うだけではなく、私自身がもともと関西人であり、義太夫の大半が大阪弁で語られていることと無縁である筈がないと思っている。
   良書と言うものは、歳を経る毎に、新しい発見があって楽しめると言うが、読み手のバックにある経験や知識の深さに応じて、隠れていた値打ちが滲み出して来て心の対話をしてくれるのである。

   暇があると、本屋を覗く生活を続けているが、素晴らしい知や美に接し、新しい発見があると無性に嬉しくなる。
   時間的な制約があって、読める筈がないと分っていても、いそいそと本を買い続けていて、床が抜けると家内に小言を言われ続けているが、止められない。
   
   
コメント
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