熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

六月大歌舞伎・・・高麗屋と福助の「生きている小平次」

2008年06月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   鬱蒼と茂った林間、人里離れた奥州郡山の安積沼に浮かぶ一艘の船の上で、二人の男が釣り糸を垂れている。
   一人は一座の太鼓打ちの那古の太九郎(幸四郎)、もう一人は、役者の木幡小平次(染五郎)。
   実に陰鬱な雰囲気で、小平次が、太九郎に、沈痛な面持ちで頼み込んだのが、自分と不義を働いている太九郎の女房おちか(福助)を譲って欲しいと言う頼みごと。
   諍いの後、怒った太九郎が、小平次を、船板で打ちつけ、船から突き落とし、血まみれになって這い上がってくるのを打ち据え続ける。
   普通の歌舞伎の舞台と違って、実に、写実的でリアルな、裏磐梯あたりの湖を模したような薄暗い雰囲気での舞台であるから、不気味さが増す。

   10日後、死んだ筈の小平次が、怪我を負ったままの姿で、太九郎より早く太九郎の家に現れて、太九郎を殺したので、おちかに一緒に江戸へ逃げてくれと頼む。
   ところが、そこへ、太九郎が帰って来て、三人で諍う内に、夫婦で、小平次を刺し殺す。ところが、いつの間にか、死骸は消えてしまう。
   その後、恐ろしくなった夫婦は江戸を指して逃げるが、何時までも、小平次らしき人物が、後を追い続けて来る。

   喩えは悪いが、あのディズニーの「ファンタジア」の魔法使いの弟子が、水汲みの箒を叩き潰せば潰すほどどんどん増え続けるのと同じで、振り払っても振り払っても、小平次の亡霊が追いかけて来る、そんな恐ろしい話が、この舞台のテーマである。
   ところが、この話は、虚実皮膜と言うべきか、どこまでが本当で、どこからが幻想なのか分らないくらい真に迫っていて、剛直な感じだった筈の太九郎が、小平次の出没に精神の平成を失って、底知れない恐怖にどんどん追い込まれて行く心理状態の綾を、流石に幸四郎で、実に巧に演じていて、恐怖感がひしひしと伝わってくる。

   優男風の染五郎が、ねっとりとおちかを譲ってくれと頼み込むシーンから、幽霊になってまで何度も何度も付き纏う小平次の執念深さとその陰湿さを、幸四郎には演じ切れないような粘着質な芸を見せていて、これも、実に素晴らしい。

   一方、女房のおちかの方だが、不倫の恋の間柄としては小平次には淡白で、一旦、太九郎が死んだと思って小平次と江戸へ逃げようとするが、夫と一緒になって小平次を刺し殺す。
   太九郎が、茶店で小平次らしき姿を見て生きていると思うと言うと、おちかは、小平次が生きておれば罪が軽くなるし、怖いのであれば何度でも殺してやればよいと言う。
   したたかな女と言うか、よく分らないキャラクターだが、このあたりの福助の芸域は随分広くて、先月の「お岩」も上手かったが、「ふるあめりかに袖をぬらさじ」のメアリや、「伊勢音頭恋寝刃」の万野などの舞台で見せた特異な性格俳優的な芸と同じ様に、緩急自在に演じ分ける器用さは抜群である。

   たった登場人物三人の、極めて心理描写に特化した歌舞伎の舞台であり、恐怖に慄きながら逃げて行く夫婦の後をジッと見送る小平次の姿で幕が下りるのだが、舞台セットの雰囲気が実に物語とマッチして良く、複雑な余韻を残した面白い歌舞伎だった。
   
   ところで、この歌舞伎の物語の幽霊など特にそうだが、日本の幽霊は、どこか陰湿でどこまでも付き纏う感じで、人々に不気味な恐怖感を与えるが、
   あんなに陰湿で暗いシェイクスピアの悲劇を生む国でありながら、イギリスの幽霊は、人に愛されているのが不思議である。
   イギリスでは、古い家が好まれて、古くなればなるほど高くなるのであるが、幽霊が出ると言う噂などがある家だと、人気が出て、特別にプレミアム価格が付加されて、更に高くなる。
   現に、不動産物件にその旨明記されていて、優良物件扱いとなっている。

   ニッサンの英国工場のあるニューキャッスルを旅した時に、古くて由緒のあるホテルに泊まったのだが、薄暗い廊下の片隅に、このホテルで時々出ると言う美しい女の幽霊の絵を描いた額が飾ってあったが、国が変われば品も変わるものだと思った記憶がある。

   

   
   
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする