歌舞伎座にとっては、新シーズンの幕開けの日が、11月1日。
新築計画が発表された歌舞伎座だが、「本日初日」の看板が客を向かえ、桃山時代の雰囲気を残している建物正面にやぐらが立ち上げられて、ロビーでは、正装した歌舞伎役者の奥方たちが、一堂に集って交々に贔屓筋の人たちと「おめでとうございます」「ありがとうございます」と挨拶を交わし、浮き立つような華やかなムードが漂っている。
正面に歌舞伎役者の名前を書いた独特の「まねき」看板を掲げた京都南座の12月の顔見世興行は、最も歴史が古いようだが、
江戸の顔見世の方は11月で、普通の人間にとっては、全く意表をついた新年の幕開けだが、この11月は、芝居の国中国・周の正月であるので、それに因んだと言うことのようである。
江戸時代には、歌舞伎役者の契約は、一年毎の更改なので、この一年は、本座では、これこれの役者が相勤めますと言うお披露目の顔見世興行を、夫々三座が競ったと言う。
当然、登場する役者たちも豪華版で、人間国宝も、菊五郎、藤十郎、富十郎に加えて、芝翫、田之助が華を添え、それに、三代目中村時蔵五十回忌追善興行も兼ねているのだから、役者のみならず、出し物にも熱が入っている。
この日、観劇したのは、夜の部だけだったが、仁左衛門と藤十郎、梅玉と魁春が火花を散らす「寺子屋」、それに、能の「船弁慶」を基にした松羽目物の代表作である歌舞伎十八番の「船弁慶」を、六代目菊五郎が名演を残したと言う前シテの静御前と後シテの平知盛を菊五郎が演じ、しんがりの追善公演「八重桐廓噺」の「嫗山姥」で、時蔵が八重桐を演じて萬屋一門がサポートする素晴らしい舞台であった。
この「八重桐廓噺」は、この歌舞伎座でも、確か、福助や菊之助の八重桐の舞台を観た記憶があるが、近松門左衛門にしては、一寸、筋が馴染み難く、所謂、源頼光四天王物なので、その物語なり、この舞台の前後の話が分かっていないと唐突で理解し辛い。
平安中期を舞台にした武士のあだ討ちがこの舞台の伏流にあり、父の仇を求めて煙草屋源七に身を窶した坂田蔵人時行(梅玉)が、大納言兼冬の息女沢瀉姫(梅枝)の館で自作の歌を歌っていると、通りがかった、元傾城で時行の妻であったがあだ討ちすると言うので離婚した八重桐が、これを聞きつけて、傾城の祐筆だと名乗って許されて館に入ってくる。
元夫にあてつけるように、八重桐は、時行をめぐって同僚と痴話げんかしたことを語り続けるので、「しゃべり山姥」と言う通称があるのだが、坂田藤十郎の語りを女に置き換えたとも言われているので、さもありなん、女は控え目で喋らない方が良いとされていた時代だから、面白い。
尤も、八重桐は喋り疲れてああしんどと言うことになるのだが、元々、文楽であるから、この歌舞伎の舞台でも、大夫の浄瑠璃が殆ど語るので、時蔵は、それに合わせて仕草を演じれば良いのだが、それだけに身振り手振りがものを言う。
八重桐から、仇は妹の白菊(秀太郎)が討ったと聞かされて自分の不甲斐なさに面目ないと腹を切って、自分の魂を八重桐の体内に宿して神通力を与える、深山に籠もって生まれた子供を勇者に育てよと言って、肺腑を掴み出して八重桐に移す。
このあたりが、全く唐突で奇想天外なのだが、
そこへ、親分のために沢瀉姫をさらいに来た太田十郎(錦之助)を、神通力を得て相の変わった八重桐が蹴散らして幕となる。
坂田の金時、すなわち、金太郎の親たちの話であるから、奇想天外でも不思議ではないのであろうが、八重桐は、故郷に帰って金時を生んだので、足柄山の物語が生まれたのであろう。
紙子を着て大納言館に入って時行と痴話げんかを始めるあたりまでの八重桐は、日ごろ見る時蔵だが、神通力を得てから凄まじい形相をして太田十郎や家来たちと対峙する大立ち回りの迫力は、中々のもので、女形を超越した、しかし、女であることを強烈に匂わせた素晴らしい舞台であった。
初々しい深窓の姫君や、上品な高級武家のお内儀や、しっとり色香を匂わせた花魁などと言った私が見慣れて知っている時蔵の芸のジャンルとは違った舞台であった所為もあり面白かった。
梅玉の時行は、この舞台だけ観ていると非常に中途半端な役柄なのだが、大納言館での煙草屋の演技や腰元お歌(歌昇)とのコミカルでパンチの効いたやり取りが中々しゃれっ気とアイロニーが感じられて興味深かった。
秀逸だったのは、腰元お歌の歌昇で、凛々しい侍などやらせると天下一品だが、女形になると一寸ぽっちゃり型で目がくりっとして個性的ながら美形ではなくなるのだが、とにかく、器用に、愛らしくて機転の利いた女を、加藤茶の雰囲気で漫画チックに実に上手く演じるのに感心した。
この頃、一寸した性格俳優的な舞台を観ているが、このあたりの喜劇性は、兄の歌六の渋い演技と好一対かも知れない。
髪を左右にぴんと張ったあかっつらの厳つい出立ちで、悪役太田十郎を演じている金之助だが、写楽の絵から抜け出たような典型的な絵になる姿で、芝居を観ていると言う気にさせてくれて面白い。
梅枝の気品ある姫君は定評のあるところで、殆ど動きがなくて気の毒なくらいだが、重要な親子共演で、舞台のバックを支えながら、華やかさと奥行きを醸し出している。
秀太郎の折り目正しい舞台姿は何時も清清しくて気持ちが良いが、今回、この坂田兄妹の梅玉と秀太郎以外の重要な役は、時蔵を中心に萬屋が占めて素晴らしい舞台を展開しており、三代目中村時蔵五十回忌追善狂言の役割を立派に果たしている。
新築計画が発表された歌舞伎座だが、「本日初日」の看板が客を向かえ、桃山時代の雰囲気を残している建物正面にやぐらが立ち上げられて、ロビーでは、正装した歌舞伎役者の奥方たちが、一堂に集って交々に贔屓筋の人たちと「おめでとうございます」「ありがとうございます」と挨拶を交わし、浮き立つような華やかなムードが漂っている。
正面に歌舞伎役者の名前を書いた独特の「まねき」看板を掲げた京都南座の12月の顔見世興行は、最も歴史が古いようだが、
江戸の顔見世の方は11月で、普通の人間にとっては、全く意表をついた新年の幕開けだが、この11月は、芝居の国中国・周の正月であるので、それに因んだと言うことのようである。
江戸時代には、歌舞伎役者の契約は、一年毎の更改なので、この一年は、本座では、これこれの役者が相勤めますと言うお披露目の顔見世興行を、夫々三座が競ったと言う。
当然、登場する役者たちも豪華版で、人間国宝も、菊五郎、藤十郎、富十郎に加えて、芝翫、田之助が華を添え、それに、三代目中村時蔵五十回忌追善興行も兼ねているのだから、役者のみならず、出し物にも熱が入っている。
この日、観劇したのは、夜の部だけだったが、仁左衛門と藤十郎、梅玉と魁春が火花を散らす「寺子屋」、それに、能の「船弁慶」を基にした松羽目物の代表作である歌舞伎十八番の「船弁慶」を、六代目菊五郎が名演を残したと言う前シテの静御前と後シテの平知盛を菊五郎が演じ、しんがりの追善公演「八重桐廓噺」の「嫗山姥」で、時蔵が八重桐を演じて萬屋一門がサポートする素晴らしい舞台であった。
この「八重桐廓噺」は、この歌舞伎座でも、確か、福助や菊之助の八重桐の舞台を観た記憶があるが、近松門左衛門にしては、一寸、筋が馴染み難く、所謂、源頼光四天王物なので、その物語なり、この舞台の前後の話が分かっていないと唐突で理解し辛い。
平安中期を舞台にした武士のあだ討ちがこの舞台の伏流にあり、父の仇を求めて煙草屋源七に身を窶した坂田蔵人時行(梅玉)が、大納言兼冬の息女沢瀉姫(梅枝)の館で自作の歌を歌っていると、通りがかった、元傾城で時行の妻であったがあだ討ちすると言うので離婚した八重桐が、これを聞きつけて、傾城の祐筆だと名乗って許されて館に入ってくる。
元夫にあてつけるように、八重桐は、時行をめぐって同僚と痴話げんかしたことを語り続けるので、「しゃべり山姥」と言う通称があるのだが、坂田藤十郎の語りを女に置き換えたとも言われているので、さもありなん、女は控え目で喋らない方が良いとされていた時代だから、面白い。
尤も、八重桐は喋り疲れてああしんどと言うことになるのだが、元々、文楽であるから、この歌舞伎の舞台でも、大夫の浄瑠璃が殆ど語るので、時蔵は、それに合わせて仕草を演じれば良いのだが、それだけに身振り手振りがものを言う。
八重桐から、仇は妹の白菊(秀太郎)が討ったと聞かされて自分の不甲斐なさに面目ないと腹を切って、自分の魂を八重桐の体内に宿して神通力を与える、深山に籠もって生まれた子供を勇者に育てよと言って、肺腑を掴み出して八重桐に移す。
このあたりが、全く唐突で奇想天外なのだが、
そこへ、親分のために沢瀉姫をさらいに来た太田十郎(錦之助)を、神通力を得て相の変わった八重桐が蹴散らして幕となる。
坂田の金時、すなわち、金太郎の親たちの話であるから、奇想天外でも不思議ではないのであろうが、八重桐は、故郷に帰って金時を生んだので、足柄山の物語が生まれたのであろう。
紙子を着て大納言館に入って時行と痴話げんかを始めるあたりまでの八重桐は、日ごろ見る時蔵だが、神通力を得てから凄まじい形相をして太田十郎や家来たちと対峙する大立ち回りの迫力は、中々のもので、女形を超越した、しかし、女であることを強烈に匂わせた素晴らしい舞台であった。
初々しい深窓の姫君や、上品な高級武家のお内儀や、しっとり色香を匂わせた花魁などと言った私が見慣れて知っている時蔵の芸のジャンルとは違った舞台であった所為もあり面白かった。
梅玉の時行は、この舞台だけ観ていると非常に中途半端な役柄なのだが、大納言館での煙草屋の演技や腰元お歌(歌昇)とのコミカルでパンチの効いたやり取りが中々しゃれっ気とアイロニーが感じられて興味深かった。
秀逸だったのは、腰元お歌の歌昇で、凛々しい侍などやらせると天下一品だが、女形になると一寸ぽっちゃり型で目がくりっとして個性的ながら美形ではなくなるのだが、とにかく、器用に、愛らしくて機転の利いた女を、加藤茶の雰囲気で漫画チックに実に上手く演じるのに感心した。
この頃、一寸した性格俳優的な舞台を観ているが、このあたりの喜劇性は、兄の歌六の渋い演技と好一対かも知れない。
髪を左右にぴんと張ったあかっつらの厳つい出立ちで、悪役太田十郎を演じている金之助だが、写楽の絵から抜け出たような典型的な絵になる姿で、芝居を観ていると言う気にさせてくれて面白い。
梅枝の気品ある姫君は定評のあるところで、殆ど動きがなくて気の毒なくらいだが、重要な親子共演で、舞台のバックを支えながら、華やかさと奥行きを醸し出している。
秀太郎の折り目正しい舞台姿は何時も清清しくて気持ちが良いが、今回、この坂田兄妹の梅玉と秀太郎以外の重要な役は、時蔵を中心に萬屋が占めて素晴らしい舞台を展開しており、三代目中村時蔵五十回忌追善狂言の役割を立派に果たしている。