熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

錦秋の鎌倉を歩く~源氏山から浄智寺、そして、東慶寺へ

2008年11月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   秋の冷気が気持ちの良い良く晴れた日の朝、源氏山を越えて北鎌倉に向かって歩こうと思い立った。
   ほんの2キロ程度山道を歩けば、浄智寺に辿り着き、東慶寺を通って北鎌倉駅を越えれば円覚寺に出る。
   その後、建長寺を経て鶴岡八幡宮に出れば良いと思って歩き始めたのである。
   私が泊まっている娘たちの住居がある佐助稲荷神社に近い佐助2丁目の住宅街は、朝夕は、全く車の音からも隔離されたような山懐に抱かれた静かな空間だが、日中は、銭洗弁財天に向かって歩く観光客で賑わうので、少し、様相が変わる。
   9時前に家を出たので、全く静寂そのもので、行き交う人も殆ど居ない。


   銭洗弁天の横を通り抜ける急坂は、ほんの数百メートルの源氏山への道だが、運動不足の熟年にはかなり堪える。
   一組の若い乙女たちのグループが賑やかに上って行くので立ち止まる訳にも行かず、調子を合わせて歩いたので、源氏山公園に着いた時には、恥ずかしながら息が荒れてしまっていた。
   この公園を歩いて、葛原岡神社に向かう途中に、鬱蒼と茂った木の切れ間があって、富士が見える。青空をバックに雪を頂いた霊峰富士の美しい姿がくっきりと浮かび上がっていて嬉しくなった。

   葛原岡神社を左にして、山の中を葛原ヶ岡ハイキングコースが始まる。
   踏み分け道のような遊歩道で、ここからは下り坂になって、北鎌倉まで続いている。
   森は雑木林なので、鬱蒼とした感じではなく、かなり、明るいので、歩くのには問題ないが、誰一人歩いて居ないので少し寂しく感じながら歩き始めた。
   木の根っこが剥き出していて、中々風情のある道だが、ずっと木々で覆われた林間なので、見晴らしが利く訳でもなく、花が咲いている訳でもなく、夏などには森林浴を楽しむメリットがあるかも知れないが、今の季節の一人歩きは、単調で退屈なハイキング・コースである。
   途中に、一団の観光客のグループと行き交い、地元の人であろうか、一人の若いチャーミングな女性がジョギングして後ろから追い抜いて行っただけで、他には誰とも出会わず、民家のある平地まで出た。
   このあたりの雰囲気は、どこか嵯峨野の田舎に似ている。

   一寸、開けた空間が見えたと思ったら、浄智寺の楼門が見えた。
   このお寺は、円覚寺派の禅寺で、13世紀末の創建だが、関東大震災で殆ど倒壊したとかで、この楼門も真新しくて美しく、二階に鐘を下げた優雅な建物で、朝の陽の光に輝くススキ(?)をバックに照り映える姿は、中々優雅で素晴らしい。(口絵写真)
   この浄智寺は、笠智衆がインタビューの時には必ず指定した場所だと、何かの観光案内で読んだ記憶があるが、寅さんの御前様ではなく、ここは、小津安二郎の世界である。
   鎌倉には、京都とは違った、どこかシックで独特な雰囲気を持った粋な香りがするのだが、それが、井伏鱒二や小津安二郎の醸し出す空間なのかも知れない。

   楼門の左手側に、釈迦を真ん中に阿弥陀・弥勒の木造三世仏坐像などを安置した仏殿などが並んでいるが、いかにもこじんまりとした静かな寺域である。
   その背後に、鎌倉第一と言われる巨大なコウヤマキの大木が聳えており、春には見事な花を咲かせると言うタチヒガンなど豊かな花木群が、谷戸と呼ばれる緑豊かな森を背後に背負っていて清清しい。

   裏山天柱峰に向かって質素な小屋がけの門があり、その左横に植えられた柿木がたわわに実をつけて門に覆い被さっている。
   真っ赤に染まった熟柿からまだ若い実まで入り組んでぶら下る柿の実を、下から見上げると中々の迫力で面白い。
   迫った山に向かって歩いて行くと小さな洞窟があり、その向こうの岩の祠に陽気な佇まいの石の布袋尊が立っている。
   お腹を擦ってくださいと書いた紙切れが張ってある所為か、大きなお腹のところが黒光りしている。
   ところで面白いのは、にこやかな顔の下で、前に突き出した布袋さまの右手の人差し指の先が飛び出していて、その姿かたちが男の象徴に良く似ていて、ここも立派に黒ずんでいた。
   
   裏山から寺域に入ったので気付かなかったのだが、表門は、下の街道からすぐにある石橋を渡った甘露の井の傍らにあり、そこから林道の中を真っ直ぐに伸びた石畳の参道が楼門まで続いている。
   下から見上げると、丁度、朝日に輝くススキをバックにした楼門が美しい。

   車の激しい街道に出て、少し左手に歩くと、駆け込み寺で有名な東慶寺に着く。
   8代将軍時宗の妻覚山尼が朝廷の許しを得て縁切り寺の法を定めて幕末まで続いたと言うが、今でもドメスティック・バイオレンスが深刻な問題だが、女性を守る駆け込み寺とは、中々、粋な計らいである。
   市場原理主義の横行で、自己責任論議が喧しいが、私自身は、世の中の弱者への心配り、駆け込み制度の充実は絶対に必要だと思っている。

   この寺は、明治35年まで尼寺であった所為か、中々、しっとりと落ち着いた全く派手さのない寺域で、秋草の咲き乱れている風情など、イングリッシュ・ガーデンの日本版と言った雰囲気である。
   街道からすぐの表門も小屋がけ風の質素な佇まいで、中に入ると、石畳の短い小道が真っ直ぐに露天のブロンズ製の仏坐像まで続いているのだが、左右に植えられた木々や花木なども、小ぶりの落葉樹が多くて明るく、地際の苔や万両や千両の赤い実が陽の光を受けて照り映えている。
   柏葉アジサイであろうか、大きな団扇手様の葉が、赤く色づいていて美しい。

   山に向かっての寺域は、全く、山間の田舎家の雰囲気で、田んぼに残された野菊が咲き乱れており、色々な植物が勝手気ままに生を謳歌している。
   十月桜が花をつけて静かに佇んでおり、珍しい小町と言う藤が綺麗な紫色の実をブドウの房状につけているなど、ホトトギス、シュウメイギクも加わって、日常の花木や草花などとは違った植物が独特なムードを作り出しており、イングリッシュ・ガーデンのような派手さと華麗さはないが、どこか、侘び寂の雰囲気を漂わせていて、私には、一寸精神性を帯びた日本独特の庭を感じて、しばらくじっと庭の静けさを楽しんでいた。

   
   
コメント
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