建築家安藤忠雄氏が、座長就任に際して、推進会議発足の集いで「本を捨てるな」と言う演題で、講演を行った。
自身で設計した石川県の西田幾多郎記念館、姫路の和辻哲郎文学館、そして、司馬遼太郎記念館などのプロジェクトを、建築写真を示しながら語った。
司馬家を訪れた時、夥しい数の蔵書を見て、司馬文学に鏤められた力に満ちた言葉の背後にあるものを垣間見た思いで感銘を受け、壁面を全て書架で覆って三層吹き抜けの展示空間のイメージを編み出したのだと言う。
ところで、今、安藤事務所に30人のスタッフが居るが、全く新聞を読まないらしく、漢字離れが激しいと嘆く。
安藤氏は、高校の時に、大学に行きたかったが、経済的に無理だったので諦めたと言う。その後で、何時も、頭の方も無理だったのでと付け加える。
卒業後1年間は、何処へも行かず、建築の本を読んで独学することに決めて、京大や阪大の教科書など建築関係の本を一心に読んで勉強したと語る。
同時に、建築物を見て勉強することを心に決めて、20代に数回世界放浪の旅に出たが、その時には、必ず数冊の本を携えて出かけ、読んでは建築を見、見ては読みながら、精神の高揚感を感じながら建築への限りなき感性を磨いた。
「移動の時間はひたすら本を読み、新しい街に立つと、太陽が沈むまで、一心に建築を探して歩き回る。旅の過程、本を読みながら、同時に現実から学ぶことで、知的探究心はより深められた。現実の多様な価値に満ちた世界と本の誘う創造的世界、この二つの世界を行ったりきたり、旅して回る中で、私の建築家としての骨格が形作られていった。」と言うのである。
「先人の叡智が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産である。
それを自ら放棄することは、あまりにもおろかな所業である。」ときっぱり断言する。
私自身は、本が趣味と言うよりは、私自身の生活そのものであり、人生の一部であるから、安藤氏の語っている言葉は痛いほど良く分かるし、それに、私の場合には、これまで、幸い仕事の関係などで海外生活や海外を歩く機会が多く、趣味も兼ねて積極的に歩き回ったので、
本などで知識や情報を得ながら、実際の異文化や世界の文化・歴史遺産などに遭遇することで如何に多くの貴重な資産を与えて貰ったか、その恵みは限りないと思っており、私は、安藤氏の話を聞いていて感動さえ覚えた。
この日、安藤氏は、建築設計上奈良の神社仏閣を見学する必要があった時、大阪から歩いたと語った。30キロほどなので、10時間くらいで着き、その間、色々なことに遭遇し、ものを考えるので好都合だと言うのである。
事務所に来ている若者は京大の学生が多いのだが、夜、10時前になるとそわそわするので何故だと聞くと、終電が10時10分で遅れると帰れないと言うので、歩いて帰れば良いではないかと言った。広島大学の学生は、広島まで歩いて帰ったが、この時の経験が大学時代の最大の収穫だったと言っていると、こともなげに語る。
この何ものにも囚われない、パーフェクトでフリーな安藤氏の人生哲学が堪らなく感動的なのである。
この日、安藤氏は、今の子供には放課後がないと言った。
塾や習い事に追いまくられて、ものを考え豊かに発想する、感性を養い本当の人間的な感動や喜びに浸るフリーな時間が全くないと言うのである。
そう言われれば、私の子供の頃には塾などなかったし、学校から帰るとかばんをほっぽりだして、日が暮れるまで、野山を駆け回って遊びほうけて勉強などせず、毎日が放課後であった。
今度結成された「国民読書年推進会議」は、日本を代表する叡智が20人以上参加し、安藤忠雄氏が座長で動き始めた。
源氏物語千年紀の記念すべき年に発足した会議であり、日本の将来に何を残してくれるのか楽しみでもある。
自身で設計した石川県の西田幾多郎記念館、姫路の和辻哲郎文学館、そして、司馬遼太郎記念館などのプロジェクトを、建築写真を示しながら語った。
司馬家を訪れた時、夥しい数の蔵書を見て、司馬文学に鏤められた力に満ちた言葉の背後にあるものを垣間見た思いで感銘を受け、壁面を全て書架で覆って三層吹き抜けの展示空間のイメージを編み出したのだと言う。
ところで、今、安藤事務所に30人のスタッフが居るが、全く新聞を読まないらしく、漢字離れが激しいと嘆く。
安藤氏は、高校の時に、大学に行きたかったが、経済的に無理だったので諦めたと言う。その後で、何時も、頭の方も無理だったのでと付け加える。
卒業後1年間は、何処へも行かず、建築の本を読んで独学することに決めて、京大や阪大の教科書など建築関係の本を一心に読んで勉強したと語る。
同時に、建築物を見て勉強することを心に決めて、20代に数回世界放浪の旅に出たが、その時には、必ず数冊の本を携えて出かけ、読んでは建築を見、見ては読みながら、精神の高揚感を感じながら建築への限りなき感性を磨いた。
「移動の時間はひたすら本を読み、新しい街に立つと、太陽が沈むまで、一心に建築を探して歩き回る。旅の過程、本を読みながら、同時に現実から学ぶことで、知的探究心はより深められた。現実の多様な価値に満ちた世界と本の誘う創造的世界、この二つの世界を行ったりきたり、旅して回る中で、私の建築家としての骨格が形作られていった。」と言うのである。
「先人の叡智が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産である。
それを自ら放棄することは、あまりにもおろかな所業である。」ときっぱり断言する。
私自身は、本が趣味と言うよりは、私自身の生活そのものであり、人生の一部であるから、安藤氏の語っている言葉は痛いほど良く分かるし、それに、私の場合には、これまで、幸い仕事の関係などで海外生活や海外を歩く機会が多く、趣味も兼ねて積極的に歩き回ったので、
本などで知識や情報を得ながら、実際の異文化や世界の文化・歴史遺産などに遭遇することで如何に多くの貴重な資産を与えて貰ったか、その恵みは限りないと思っており、私は、安藤氏の話を聞いていて感動さえ覚えた。
この日、安藤氏は、建築設計上奈良の神社仏閣を見学する必要があった時、大阪から歩いたと語った。30キロほどなので、10時間くらいで着き、その間、色々なことに遭遇し、ものを考えるので好都合だと言うのである。
事務所に来ている若者は京大の学生が多いのだが、夜、10時前になるとそわそわするので何故だと聞くと、終電が10時10分で遅れると帰れないと言うので、歩いて帰れば良いではないかと言った。広島大学の学生は、広島まで歩いて帰ったが、この時の経験が大学時代の最大の収穫だったと言っていると、こともなげに語る。
この何ものにも囚われない、パーフェクトでフリーな安藤氏の人生哲学が堪らなく感動的なのである。
この日、安藤氏は、今の子供には放課後がないと言った。
塾や習い事に追いまくられて、ものを考え豊かに発想する、感性を養い本当の人間的な感動や喜びに浸るフリーな時間が全くないと言うのである。
そう言われれば、私の子供の頃には塾などなかったし、学校から帰るとかばんをほっぽりだして、日が暮れるまで、野山を駆け回って遊びほうけて勉強などせず、毎日が放課後であった。
今度結成された「国民読書年推進会議」は、日本を代表する叡智が20人以上参加し、安藤忠雄氏が座長で動き始めた。
源氏物語千年紀の記念すべき年に発足した会議であり、日本の将来に何を残してくれるのか楽しみでもある。