熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

佐倉城址の秋・・・くらしの植物苑の伝統の古典菊

2008年11月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   秋たけなわ、佐倉城址の紅葉は、もみじそのものが少ないのであまり派手ではないが、本丸近くの深く掘れ込んだ土塁あたりの紅葉は、今が一番美しい。
   多目的グラウンドの道路沿いの銀杏並木は、残った数本の木が最後の黄金色に輝いているが、もうすぐ冬支度で箒のようになる。

   ところが、公園内の「くらしの植物苑」は、今、特別展「伝統の古典菊」展示の最中で、色々な菊が咲き乱れており、来月から始まるさざんか展示の準備も兼ねて、苑内には、花の鉢植えのオンパレードで非常に華やかである。

   菊と言えば、私たちは、厚物と呼ばれる多弁でまり状に厚く咲く豪華な菊を真っ先にイメージするが、この植物苑は、古典菊展と言うことなので、嵯峨菊、伊勢菊、肥後菊、江戸菊に焦点を当てている。
   勿論、豪華な厚物や奥州、それに、ぽんぽんダリヤのような花に細くて薄い棒状の花弁が放射状についている綺麗な丁子と言った種類の鉢植えも沢山展示されている。

   この口絵の菊は、江戸時代に開発された江戸菊で、面白いのは、蕾から咲き始めて萎むまで、花が開くにつれて長い花弁がよれて巻き上がり、元に戻って真っ直ぐになり、また巻き上がると言う花芸を演じることで、1ヶ月も楽しめると言うのである。
   それに、花弁の表と裏の色が違うので変化を楽しめる、謂わば、菊のリーバーシブルである。
   この芸が完成したのは、文化・文政の頃だと言うから、江戸の園芸は正に大変な文化であったのである。
   この花芸を、「狂い」と言うようだが、日本の伝統芝居を、「かぶく」「歌舞伎」と言うような粋な表現である。

   花弁が、中心から細く刷毛のように直立して咲くのが嵯峨菊で、一番古く、嵯峨野の大覚寺で明治まで門外不出で育てられたようで、天皇が愛でた尊い花の様である。
   七五三作りと言う2メートル近くまで延ばして咲かせる独特な仕立て方で鑑賞するとのことで、この植物苑でも、庭の菊を高い廊下から見下ろすと言う大覚寺の作法に倣って、台の上に上って見下ろせるように気を使っている。

   ところで、伊勢菊の方は、この嵯峨菊の花弁が、柔らかく垂れた感じの垂れ咲きで、もじゃもじゃ頭のヒッピーのような感じだが、元々は嵯峨菊が基本となり作出されたようで、伊勢の国司や伊勢神宮の斎宮などが、都恋しさに関わったと言う。

   肥後菊は、江戸中期に、肥後の藩主が園芸奨励のために始めたと言うことだが、この藩は、肥後椿や肥後朝顔など独特な園芸植物を作出した非常に演芸に力を入れた文化度、民度の高い藩である。
   野菊のような黄色くて大きな丸い蘂から、細い花弁が放射状に線香花火のように出ているのだが、その花弁の数が少なくて空け空けなのが特徴で、花弁の形で、平弁と、先がしゃもじのようになっている管弁の二種がある。
   蘂がはっきりしているのは、この肥後菊だけなので、肥後菊の花だけに、ミツバチが群れている。
   いずれにしても、中国渡来の帰化植物である菊花が、日本固有の国花のような顔をして咲き誇っているのが面白い。

   新宿御苑の菊は、今盛りであろうか。
   忙しそうに花の手入れをしていた庭師の婦人が、新宿のことを話したら、あちらは菊専門の方がいて世話をされているようですが、こちらは、二人の庭師だけで全ての世話をしていますから・・・と笑っていた。
   しかし、それにしては、立派なものである。
   仕事の手を休めて、菊の鑑賞の仕方や季節の花について語ってくれた。

   この植物苑は、非常に規模の小さな植物園だが、このように季節が来ると、その季節の花を展示して特別展を催すのだけれど、
   本来くらしの植物苑だから、苑内には、食べる、織る・漉く、染める、治す、道具を作る、塗る・燃やすなどと言った生活文化を支えて来た多くの植物が、所狭しと栽培され植えられているのだから、刻々変化する植物の姿かたちの多様性を鑑賞するだけでも実に面白い。
   いつでも、何か花が咲き実が成っていて、小鳥たちが囀っている。
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする