日経の「私の履歴書」に掲載された、藤十郎・千景夫婦の記事を一冊の本にして出版されたのが、今回、レビューしようと思っている本である。
全く違った人生を歩んできた二人が出会って結婚し、夫々の履歴書を書いているのだが、やはり、興味深いのは、二人の馴れ初めから始まる遭遇劇後の展開で、同じ出来事でも、違った視点から書いているので、ステレオ写真を見ているようで面白い。
尤も、千景の場合には、やはり、政治家としての経歴については封印せざるを得ないことが多くて書けない所為もあったのか、やはり、家族との私生活に比重を置かざるを得なかったのであろうか、藤十郎、と言うよりも、扇雀との話にも多くのページを割いている。
ドンファンの扇雀の艶聞も書いているし、勿論、結ばれた夜のことも書いている。
先年、写真週刊誌にスクープされて話題になった舞妓との密会をフォーカスされた開チン・ガウン治郎の話にも触れて、ゴシップは広告みたいなものだとのたまっている。
当時、ご当人は、確か、国交省の大臣で、鴈治郎は、人間国宝であるから艶聞でもスケールが違う。
長男翫雀を慶応幼稚舎に入れるために、縁起を担いで受験番号1番を取るために前夜から並んだと言う話など、愛情豊かな母親としての面目躍如であるが、実に、家庭的にも優しい日本女性だったのである。
私も、若い頃、宝塚から転じて銀幕で活躍していた綺麗な扇千景の映画を楽しんでいたが、とにかく、人気絶頂のスターが、梨園の妻となり、主婦として母親として努めながら芸能界やTVで活躍し、更に、政界に入って、野党の党首となり、大臣となり、最後には、参議院議長を勤めたと言うのであるから、普通の人の何倍も人生を生きたスーパーレイディと言うことであろう。
今では、大歌舞伎役者坂田藤十郎の妻として、歌舞伎座のロビーでよく見かけるが、今でも(?)、美しく往年の艶やかさを失わない魅力的なレイディである。
さて、藤十郎の履歴書だが、自身の歌舞伎役者としての遍歴や芸論などを克明に語っており、非常に興味深く読んだ。
坂田藤十郎、近松門左衛門、そして、上方歌舞伎に対する飽くなき情熱を語っていて素晴らしいが、実際には、若い段階から東京に移り住んで東京ベースで活躍しているのが面白い。
文楽だけは、まだ、本拠地は大阪にあるが、その文楽でも、満員御礼の札がかかるのは東京の方が多いと言うのだから、結局、日本の伝統芸術も総て東京へ収束するのであろうか。
藤十郎の人生で重要な位置を占めるのは、武智歌舞伎との遭遇であろう。
上方歌舞伎の将来についての危機感を感じて、武智鉄二が、松竹に働きかけて若手役者を糾合したようだが、武智は、扇雀を、日本一の文楽の大夫豊竹山城少掾の所へ連れて行って台詞の稽古をさせたと言う。
また、金春流の能楽師桜間道雄から、能を学ぶなど、武智のお陰で、トップクラスの芸術家から台詞の発声、イキの詰め方と言う基礎を訓練されたが、更に、京舞の井上八千代に稽古をつけて貰う。
山城少掾に代わって竹本綱大夫に玉手御前の稽古の時、何時も付き添っている武智が、大夫が良いと言うところまで徹底的に教えさせたと言う。
武智は、「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」と言って、「関西で一番の財界人の皆さんが行っている散髪屋に行きなさい」「クラブも、女性も一流のところで遊びなさい」と言って総て、貧しい扇雀が払える訳がないので、当然、一切の費用は武智が持ったと言う。
刀の目利きを育てるためには、本物の名刀しか見せないと言われているが、あの訓練方法である。
盛田昭夫も、ニューヨークで、トランジスター・ラジオを悪戦苦闘しながら売っていた頃、貧しかったので安宿に泊まっていたが、本当の仕事をする積もりなら一流のホテルに移れとアドヴァイスを受けて、その後、急速にトップクラスのアメリカ人知己を得たと言う、正に、このことである。
一寸、ニュアンスが違うが、私の場合には、クラシック音楽や絵画などの芸術鑑賞で、この教訓を実感している。
私が最初に観たオペラの一つは、大阪フェスティバルホールでのバイロイト祝祭劇場の「トリスタンとイゾルデ」で、来日したイタリア・オペラ、それに、万博の時のボリショイやドイツオペラなどにも積極的に出かけたし、その後、外国に出たので、MET,ロイヤル、スカラ、ウィーンなどトップクラスのオペラを鑑賞して来た。
オーケストラも、フィラデルフィア、コンセルトへボー、ロンドン響などはシーズン・メンバーであったし、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど結構聞く機会があった。
私自身、全く、音楽に関する知識はないし、よく分かっている訳では全くないが、クラシック音楽を聴く喜び・楽しみだけは人並みに身に着けることが出来たので、これも、本物の音楽鑑賞遍歴があったからこそだと思っている。
イギリスでのシェイクスピア劇の鑑賞しかり、世界の目ぼしい美術館・博物館の多くを回って本物の絵画や芸術品に接して、その素晴らしさを感じれるようになったことしかり。
私は、藤十郎の履歴書を読んでいて、超一流に接して得た貴重な体験と、それによって啓発されてスパークした藤十郎の芸術魂が、その後の藤十郎の芸の奥行きと幅を限りなく広げているように感じている。
藤十郎は、ローレンス・オリヴィエに会って近松座の結成を決心したと言っているが、さもありなん。
NHK BSで放映していた藤十郎の「わが心の旅」のイギリス旅行を思い出したが、もう一つ、藤十郎にとって、本当に重要なものは、長い歴史と伝統に培われてきた上方の文化遺産。これこそが本物であり、藤十郎の芸術を支える大黒柱になっているのだと思う。
全く違った人生を歩んできた二人が出会って結婚し、夫々の履歴書を書いているのだが、やはり、興味深いのは、二人の馴れ初めから始まる遭遇劇後の展開で、同じ出来事でも、違った視点から書いているので、ステレオ写真を見ているようで面白い。
尤も、千景の場合には、やはり、政治家としての経歴については封印せざるを得ないことが多くて書けない所為もあったのか、やはり、家族との私生活に比重を置かざるを得なかったのであろうか、藤十郎、と言うよりも、扇雀との話にも多くのページを割いている。
ドンファンの扇雀の艶聞も書いているし、勿論、結ばれた夜のことも書いている。
先年、写真週刊誌にスクープされて話題になった舞妓との密会をフォーカスされた開チン・ガウン治郎の話にも触れて、ゴシップは広告みたいなものだとのたまっている。
当時、ご当人は、確か、国交省の大臣で、鴈治郎は、人間国宝であるから艶聞でもスケールが違う。
長男翫雀を慶応幼稚舎に入れるために、縁起を担いで受験番号1番を取るために前夜から並んだと言う話など、愛情豊かな母親としての面目躍如であるが、実に、家庭的にも優しい日本女性だったのである。
私も、若い頃、宝塚から転じて銀幕で活躍していた綺麗な扇千景の映画を楽しんでいたが、とにかく、人気絶頂のスターが、梨園の妻となり、主婦として母親として努めながら芸能界やTVで活躍し、更に、政界に入って、野党の党首となり、大臣となり、最後には、参議院議長を勤めたと言うのであるから、普通の人の何倍も人生を生きたスーパーレイディと言うことであろう。
今では、大歌舞伎役者坂田藤十郎の妻として、歌舞伎座のロビーでよく見かけるが、今でも(?)、美しく往年の艶やかさを失わない魅力的なレイディである。
さて、藤十郎の履歴書だが、自身の歌舞伎役者としての遍歴や芸論などを克明に語っており、非常に興味深く読んだ。
坂田藤十郎、近松門左衛門、そして、上方歌舞伎に対する飽くなき情熱を語っていて素晴らしいが、実際には、若い段階から東京に移り住んで東京ベースで活躍しているのが面白い。
文楽だけは、まだ、本拠地は大阪にあるが、その文楽でも、満員御礼の札がかかるのは東京の方が多いと言うのだから、結局、日本の伝統芸術も総て東京へ収束するのであろうか。
藤十郎の人生で重要な位置を占めるのは、武智歌舞伎との遭遇であろう。
上方歌舞伎の将来についての危機感を感じて、武智鉄二が、松竹に働きかけて若手役者を糾合したようだが、武智は、扇雀を、日本一の文楽の大夫豊竹山城少掾の所へ連れて行って台詞の稽古をさせたと言う。
また、金春流の能楽師桜間道雄から、能を学ぶなど、武智のお陰で、トップクラスの芸術家から台詞の発声、イキの詰め方と言う基礎を訓練されたが、更に、京舞の井上八千代に稽古をつけて貰う。
山城少掾に代わって竹本綱大夫に玉手御前の稽古の時、何時も付き添っている武智が、大夫が良いと言うところまで徹底的に教えさせたと言う。
武智は、「一番いいものを見て、一番いいものの中に育っていないと芸が貧しくなる」と言って、「関西で一番の財界人の皆さんが行っている散髪屋に行きなさい」「クラブも、女性も一流のところで遊びなさい」と言って総て、貧しい扇雀が払える訳がないので、当然、一切の費用は武智が持ったと言う。
刀の目利きを育てるためには、本物の名刀しか見せないと言われているが、あの訓練方法である。
盛田昭夫も、ニューヨークで、トランジスター・ラジオを悪戦苦闘しながら売っていた頃、貧しかったので安宿に泊まっていたが、本当の仕事をする積もりなら一流のホテルに移れとアドヴァイスを受けて、その後、急速にトップクラスのアメリカ人知己を得たと言う、正に、このことである。
一寸、ニュアンスが違うが、私の場合には、クラシック音楽や絵画などの芸術鑑賞で、この教訓を実感している。
私が最初に観たオペラの一つは、大阪フェスティバルホールでのバイロイト祝祭劇場の「トリスタンとイゾルデ」で、来日したイタリア・オペラ、それに、万博の時のボリショイやドイツオペラなどにも積極的に出かけたし、その後、外国に出たので、MET,ロイヤル、スカラ、ウィーンなどトップクラスのオペラを鑑賞して来た。
オーケストラも、フィラデルフィア、コンセルトへボー、ロンドン響などはシーズン・メンバーであったし、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど結構聞く機会があった。
私自身、全く、音楽に関する知識はないし、よく分かっている訳では全くないが、クラシック音楽を聴く喜び・楽しみだけは人並みに身に着けることが出来たので、これも、本物の音楽鑑賞遍歴があったからこそだと思っている。
イギリスでのシェイクスピア劇の鑑賞しかり、世界の目ぼしい美術館・博物館の多くを回って本物の絵画や芸術品に接して、その素晴らしさを感じれるようになったことしかり。
私は、藤十郎の履歴書を読んでいて、超一流に接して得た貴重な体験と、それによって啓発されてスパークした藤十郎の芸術魂が、その後の藤十郎の芸の奥行きと幅を限りなく広げているように感じている。
藤十郎は、ローレンス・オリヴィエに会って近松座の結成を決心したと言っているが、さもありなん。
NHK BSで放映していた藤十郎の「わが心の旅」のイギリス旅行を思い出したが、もう一つ、藤十郎にとって、本当に重要なものは、長い歴史と伝統に培われてきた上方の文化遺産。これこそが本物であり、藤十郎の芸術を支える大黒柱になっているのだと思う。