エディタ・グルベローヴァが、両こぶしを握り締めて、「次の玉座は、ジェイムス!」と絶叫して、指揮者ハイダーのタクトが下りると、東京文化会館の聴衆は、熱狂的な拍手。
華麗なウィーン・フィルの素晴らしいサウンドに乗せて、グルベローヴァ達の素晴らしいベル・カントが、ドニゼッティのあまりも美しいオペラ「ロベルト・デヴェリュー」を頂点にまで昇華させた、そんなオペラの醍醐味を、コンサート形式で味わわせてくれたのが、昨夜の文化会館のウィーン国立歌劇場の舞台であった。
エリザベス一世の悲劇的な恋物語だが、ドニゼッティは、「アンア・ボレーナ」や「マリア・スチューダ」などチューダー王朝もので女性を主人公にした作品に執心していたようで面白いのだが、
この物語は、最も愛していたレスター伯ロバート・ダドリーが相手ではなく、彼の後妻の連れ子である義理の息子ロベルト・デヴェリューが熱狂的な愛を捧げる愛人として登場するのであるから、言うならば、エリザベス女王の晩年の老いらくの恋。
それだけに、愛人が、他の女性を愛しているらしいと言う強烈な猜疑心と憎しみが錯綜し、自分の命令で処刑してしまいながらも絶望し、狂乱状態になって幕となる終幕の劇的な緊迫感は圧倒的である。
しかし、極めて悲劇的なオペラながら、最初から最後まで、全編、美しくて甘美な華麗なサウンドで包まれていて、それを、ウィーン・フィルで聴けたのであるから最高である。
ところで、あの映画「エリザベス」では、ケイト・ブランシェットが、ジョセフ・ファインズのダドリー伯を相手に、色香と女性的な魅力を振り撒いて生身の素晴らしい女王を演じていたが、
このオペラのエリザベス女王は、丁度、グルベローヴァが年恰好から言っても貫禄から言っても、正に等身大で演じられる役柄で、その素晴らしさは、今だに絶好調の頃から殆ど衰えを感じさせない素晴らしい歌声と共に、特筆すべき舞台となっている。
グルベローヴァは、第一幕の、離れて行く恋の予感に苦悩しながら、反逆罪に問われた愛人を思って歌う「彼の愛が私を幸せにしてくれた」からベルカントの魅力全開で、あのオペラハウスを揺るがせるような圧倒的な歌声の迫力は人間業と思えない程であった。
私が、グルベローヴァを一番最初に聴いたは、もう20年以上も前、アムステルダムのコンセルトヘボーで、ハイティンク指揮のベートーヴェンの第九のソプラノであったが、初々しくて可愛いくて(?)美しかった。
その後、ヨーロッパでオペラを2度くらい、そして、数年前の東京でのリサイタルと非常に少ないのだが、夫々、素晴らしかった。
シュワルツコップ、ビルギット・ニルソン、マリア・カラスなどのコンサートの印象は、はるか彼方に飛んで行ってしまったが、グルベローヴァは、まだ、そこに居る。
さて、このオペラのタイトルは、「ロベルト・デヴェリュー」となっているが、当然、主役は、エリザベータであり、調べてみると、バイエルン歌劇場で今回も指揮者である夫君フリードリッヒ・ハイダー指揮でグルベローヴァが歌っているDVDがあり、ビバリー・シルスが歌っているDVDも出ているようだが、さもありなんと思う。
私は、フィラデルフィアから、治安が悪くて危ない夜のニューヨーク・シテ・オペラに出かけて、シルスの「アンナ・ボレーナ」を聴いたのだが、確かもう少し温かみのある歌声で、素晴らしいドニゼッティだったのを懐かしく思い出す。
同じドニゼッティでも、キャサリン・バトルが、パバロッティと歌った「愛の妙薬」とはえらい違いである。
共演したロベルトの張りのある実に美しいテノールのホセ・プロス、ロベルトの恋人でありエリザベータの侍女であるサラを歌った女の魅力全開のブルガリアのナディア・クラステヴァ、サラの夫でロベルトの親友である渋くて重厚なバスのロベルト・フロンターリ、それに、ウィーン歌劇場合唱団の素晴らしさは、言うまでもなく、質の高さは群を抜いている。
ハイダーは、舞台に上がったウィーン・フィル(ウィーン国立歌劇場管弦楽団だがコンサートに立つとウィーン・フィル)を存分に歌わせ、ウィーン・フィル・サウンドの素晴らしいコンサートとオペラの楽しさを存分に味わわせてくれた。
コンサート・マスターは、お馴染みのライナー・キュッヘルで、そのすぐ傍に立ってグルベローヴァが歌っている。
コンサート形式だから当然だが、全く舞台セットがなく、小道具と言えば、エリザベータの金の指輪とサラのショールだけで、最少にまで切り落とされた演技のお陰で、歌手と合唱団の歌声とウィーン・フィルのサウンドだけに集中してオペラを聴く楽しみを味わうのも素晴らしいものであると感じた。
昔、レコード鑑賞で、音だけに集中してクラシックを楽しんでいた、あの頃のわくわくした楽しさを思い出した。
(追記)写真は、主催者ホームページより借用。
華麗なウィーン・フィルの素晴らしいサウンドに乗せて、グルベローヴァ達の素晴らしいベル・カントが、ドニゼッティのあまりも美しいオペラ「ロベルト・デヴェリュー」を頂点にまで昇華させた、そんなオペラの醍醐味を、コンサート形式で味わわせてくれたのが、昨夜の文化会館のウィーン国立歌劇場の舞台であった。
エリザベス一世の悲劇的な恋物語だが、ドニゼッティは、「アンア・ボレーナ」や「マリア・スチューダ」などチューダー王朝もので女性を主人公にした作品に執心していたようで面白いのだが、
この物語は、最も愛していたレスター伯ロバート・ダドリーが相手ではなく、彼の後妻の連れ子である義理の息子ロベルト・デヴェリューが熱狂的な愛を捧げる愛人として登場するのであるから、言うならば、エリザベス女王の晩年の老いらくの恋。
それだけに、愛人が、他の女性を愛しているらしいと言う強烈な猜疑心と憎しみが錯綜し、自分の命令で処刑してしまいながらも絶望し、狂乱状態になって幕となる終幕の劇的な緊迫感は圧倒的である。
しかし、極めて悲劇的なオペラながら、最初から最後まで、全編、美しくて甘美な華麗なサウンドで包まれていて、それを、ウィーン・フィルで聴けたのであるから最高である。
ところで、あの映画「エリザベス」では、ケイト・ブランシェットが、ジョセフ・ファインズのダドリー伯を相手に、色香と女性的な魅力を振り撒いて生身の素晴らしい女王を演じていたが、
このオペラのエリザベス女王は、丁度、グルベローヴァが年恰好から言っても貫禄から言っても、正に等身大で演じられる役柄で、その素晴らしさは、今だに絶好調の頃から殆ど衰えを感じさせない素晴らしい歌声と共に、特筆すべき舞台となっている。
グルベローヴァは、第一幕の、離れて行く恋の予感に苦悩しながら、反逆罪に問われた愛人を思って歌う「彼の愛が私を幸せにしてくれた」からベルカントの魅力全開で、あのオペラハウスを揺るがせるような圧倒的な歌声の迫力は人間業と思えない程であった。
私が、グルベローヴァを一番最初に聴いたは、もう20年以上も前、アムステルダムのコンセルトヘボーで、ハイティンク指揮のベートーヴェンの第九のソプラノであったが、初々しくて可愛いくて(?)美しかった。
その後、ヨーロッパでオペラを2度くらい、そして、数年前の東京でのリサイタルと非常に少ないのだが、夫々、素晴らしかった。
シュワルツコップ、ビルギット・ニルソン、マリア・カラスなどのコンサートの印象は、はるか彼方に飛んで行ってしまったが、グルベローヴァは、まだ、そこに居る。
さて、このオペラのタイトルは、「ロベルト・デヴェリュー」となっているが、当然、主役は、エリザベータであり、調べてみると、バイエルン歌劇場で今回も指揮者である夫君フリードリッヒ・ハイダー指揮でグルベローヴァが歌っているDVDがあり、ビバリー・シルスが歌っているDVDも出ているようだが、さもありなんと思う。
私は、フィラデルフィアから、治安が悪くて危ない夜のニューヨーク・シテ・オペラに出かけて、シルスの「アンナ・ボレーナ」を聴いたのだが、確かもう少し温かみのある歌声で、素晴らしいドニゼッティだったのを懐かしく思い出す。
同じドニゼッティでも、キャサリン・バトルが、パバロッティと歌った「愛の妙薬」とはえらい違いである。
共演したロベルトの張りのある実に美しいテノールのホセ・プロス、ロベルトの恋人でありエリザベータの侍女であるサラを歌った女の魅力全開のブルガリアのナディア・クラステヴァ、サラの夫でロベルトの親友である渋くて重厚なバスのロベルト・フロンターリ、それに、ウィーン歌劇場合唱団の素晴らしさは、言うまでもなく、質の高さは群を抜いている。
ハイダーは、舞台に上がったウィーン・フィル(ウィーン国立歌劇場管弦楽団だがコンサートに立つとウィーン・フィル)を存分に歌わせ、ウィーン・フィル・サウンドの素晴らしいコンサートとオペラの楽しさを存分に味わわせてくれた。
コンサート・マスターは、お馴染みのライナー・キュッヘルで、そのすぐ傍に立ってグルベローヴァが歌っている。
コンサート形式だから当然だが、全く舞台セットがなく、小道具と言えば、エリザベータの金の指輪とサラのショールだけで、最少にまで切り落とされた演技のお陰で、歌手と合唱団の歌声とウィーン・フィルのサウンドだけに集中してオペラを聴く楽しみを味わうのも素晴らしいものであると感じた。
昔、レコード鑑賞で、音だけに集中してクラシックを楽しんでいた、あの頃のわくわくした楽しさを思い出した。
(追記)写真は、主催者ホームページより借用。