中小企業の経営を考える時、大企業の創業者がどのようにして起業し、事業を軌道に乗せて行ったかを研究すると非常に参考になる。
バックホルツの「伝説の経営者たち」に取り上げられているウォルマートの創業者サム・ウォルトンの伝記は格好の教材を提供しており、どのようにして、「エブリディ・ロー・プライス」の世界最大の巨大スーパーを築き上げたのか、その片鱗が理解できる。
まず、特筆すべきは、アメリカの典型的な富豪が、所謂、泥棒男爵であったと言うビジネスモデルを覆したことで、顧客のポケットからカネをむしり取るのではなく、顧客のポケットにカネを詰め込む、顧客に節約させることによって金持ちになったことである。
したがって、ウォルトン自身も、倹約と謙虚さと田舎(アーカンソー)の素朴な価値観を終生保ち続けたようで、安モーテルでは同僚と相部屋だし、P&GのCEOの会談さえも、ホテル代が100ドルだったので断ったと言う程である。
このウォルトンに匹敵する徹底的なけちの億万長者は、このブログでも取り上げたが、イケヤの創業者イングヴァル・カンプラードくらいであろうが、出すものは舌を出すのも嫌だと言った船場の繊維商と甲乙付け難い徹底振りである。
余談だが、この創業者の意思を継いだのかどうかは分からないが、徹底的に福利厚生費を切るつめるなど従業員の待遇は極めて低く、ウォルマートが出店すると、物価は安くなるが、その地域の労働環境が一挙に下がってしまうと言うことで、社会問題を起こしているなどと言ったことを、オバマのブレインの一人であるロバート・ライシュ・ハーバード大教授が、「暴走する資本主義」で克明に書いている。
尤も、ライシュ教授も、弱肉強食の市場原理主義に毒された現在の超資本主義のルールが変わらない限り、ウォルマートが甘い顔をして人件費を緩めれば、ライバル企業に仕事をとられるだけで、結局、競争的優位性は単に、「まだ社会的責任を果たしていない」企業へ移るだけだと、変な擁護論(?)を披露しているのが面白い。
最初の仕事は、バラエティ・チェーンのフランチャイズ店で、商品の80%を本部から仕入れると言う本部依存の雁字搦めの契約で利益が見込めなかったので、残りの20%の商品調達のために、おんぼろトレーラーを引いてニューヨークやテネシーまで出かけて、安いものなら手当たり次第に何でも買い込んで来て店頭に並べて売った。
ウォルトンにとっては安さが総てであり、安さのためには万難を排して商品の調達に駆けずり回った。「安く仕入れて、高く積んで、安く売る」と言うビジネス・モデルの誕生であり、すなわち、正にサプライチェーン革命の到来である。
もう一つのウォルトンの特質は、徹底的な調査で、競争相手から学ぶためには、ヒヤリングに止まらず、店舗に潜り込んで、陳列棚の引き戸を開いてシャツの枚数を調べたり、ゴミ箱を漁って値札をチェックしたり、或いは、客や商品運送の運転手に聞き込んだり、とにかく、必要かつ有益な情報を集めるためには徹底的なリサーチをして、戦略を考えたのである。
ところが、こんなに苦心惨憺して、ど田舎のおんぼろフランチャイズ店を大繁盛の店にしたにも拘わらず、賃貸契約の不備で、地主の息子に店を取られてしまって、一敗地に塗れた。次には99年契約にしたと言う。
次に行ったのは、レジを一箇所に集めてセルフサービス店舗に切り替えたこと。これは、既に、1号店と2号店が他にあって、マネをしたらしい。
フラフープ・ブームの時に、商品を仕入れるカネがなかったので、本物と同じ直径のプラスチック・ホースを1トンも買ってきて、屋根裏部屋で繋ぎ合わせて偽フラフープを作って売ったり、広告も、新聞広告やチラシを切り貼りして代用で済ませるなど、コスト削減に努める一方、店をよくするためにどうすれば良いのか、それを学ぶためには、どこへでも飛んで行ったと言う。
次の挑戦は、本格的な「ディスカウントストア」への道である。
ウォルトンの重要な戦略は三つ。
第一は、小さな町こそ旨みのある場所と言う戦略で、競合企業が大都市の郊外に大挙して出店していたが、「フライオーバー・カントリー」即ち、空から眺めるだけで飛び越している小さな田舎町こそ商機があると言う出店戦略である。
昔、ジャスコは、狐と狸が出るところしか出店しないと言われていたが、これを真似ていたのかも知れない。
第二は、ハサミ経済で、中間業者を排除して、メーカー、サプライヤー直結の商品調達戦略である。
第三は、サプライチェーン管理の徹底で、自社の専用トラックを持って自前の配送システムを構築した。競合他社は、店舗近くに配送センターを置いたが、逆に、郊外に巨大な配送センターを置いて、その周りに店舗を配置したのである。
もう一つ、特筆すべきは、ウォルトンのリーダーシップによってウォルマートが、テクノ小売業への道を先導したことで、今では、衛星通信システムの活用やRFIDタグの導入など最先端のICT技術を駆使する最先端企業となっている。
創業者サム・ウォルトンが亡くなったのは、1992年。
アーカンソーの片田舎からはじめて、物流と情報を徹底的に革新して世界最大の小売業を創り上げたが、一つ一つ、悩みに悩み、工夫に工夫を重ねて築き上げた敢闘精神の結晶が、ウォルトンの最大の業績であろうか。
バックホルツの「伝説の経営者たち」に取り上げられているウォルマートの創業者サム・ウォルトンの伝記は格好の教材を提供しており、どのようにして、「エブリディ・ロー・プライス」の世界最大の巨大スーパーを築き上げたのか、その片鱗が理解できる。
まず、特筆すべきは、アメリカの典型的な富豪が、所謂、泥棒男爵であったと言うビジネスモデルを覆したことで、顧客のポケットからカネをむしり取るのではなく、顧客のポケットにカネを詰め込む、顧客に節約させることによって金持ちになったことである。
したがって、ウォルトン自身も、倹約と謙虚さと田舎(アーカンソー)の素朴な価値観を終生保ち続けたようで、安モーテルでは同僚と相部屋だし、P&GのCEOの会談さえも、ホテル代が100ドルだったので断ったと言う程である。
このウォルトンに匹敵する徹底的なけちの億万長者は、このブログでも取り上げたが、イケヤの創業者イングヴァル・カンプラードくらいであろうが、出すものは舌を出すのも嫌だと言った船場の繊維商と甲乙付け難い徹底振りである。
余談だが、この創業者の意思を継いだのかどうかは分からないが、徹底的に福利厚生費を切るつめるなど従業員の待遇は極めて低く、ウォルマートが出店すると、物価は安くなるが、その地域の労働環境が一挙に下がってしまうと言うことで、社会問題を起こしているなどと言ったことを、オバマのブレインの一人であるロバート・ライシュ・ハーバード大教授が、「暴走する資本主義」で克明に書いている。
尤も、ライシュ教授も、弱肉強食の市場原理主義に毒された現在の超資本主義のルールが変わらない限り、ウォルマートが甘い顔をして人件費を緩めれば、ライバル企業に仕事をとられるだけで、結局、競争的優位性は単に、「まだ社会的責任を果たしていない」企業へ移るだけだと、変な擁護論(?)を披露しているのが面白い。
最初の仕事は、バラエティ・チェーンのフランチャイズ店で、商品の80%を本部から仕入れると言う本部依存の雁字搦めの契約で利益が見込めなかったので、残りの20%の商品調達のために、おんぼろトレーラーを引いてニューヨークやテネシーまで出かけて、安いものなら手当たり次第に何でも買い込んで来て店頭に並べて売った。
ウォルトンにとっては安さが総てであり、安さのためには万難を排して商品の調達に駆けずり回った。「安く仕入れて、高く積んで、安く売る」と言うビジネス・モデルの誕生であり、すなわち、正にサプライチェーン革命の到来である。
もう一つのウォルトンの特質は、徹底的な調査で、競争相手から学ぶためには、ヒヤリングに止まらず、店舗に潜り込んで、陳列棚の引き戸を開いてシャツの枚数を調べたり、ゴミ箱を漁って値札をチェックしたり、或いは、客や商品運送の運転手に聞き込んだり、とにかく、必要かつ有益な情報を集めるためには徹底的なリサーチをして、戦略を考えたのである。
ところが、こんなに苦心惨憺して、ど田舎のおんぼろフランチャイズ店を大繁盛の店にしたにも拘わらず、賃貸契約の不備で、地主の息子に店を取られてしまって、一敗地に塗れた。次には99年契約にしたと言う。
次に行ったのは、レジを一箇所に集めてセルフサービス店舗に切り替えたこと。これは、既に、1号店と2号店が他にあって、マネをしたらしい。
フラフープ・ブームの時に、商品を仕入れるカネがなかったので、本物と同じ直径のプラスチック・ホースを1トンも買ってきて、屋根裏部屋で繋ぎ合わせて偽フラフープを作って売ったり、広告も、新聞広告やチラシを切り貼りして代用で済ませるなど、コスト削減に努める一方、店をよくするためにどうすれば良いのか、それを学ぶためには、どこへでも飛んで行ったと言う。
次の挑戦は、本格的な「ディスカウントストア」への道である。
ウォルトンの重要な戦略は三つ。
第一は、小さな町こそ旨みのある場所と言う戦略で、競合企業が大都市の郊外に大挙して出店していたが、「フライオーバー・カントリー」即ち、空から眺めるだけで飛び越している小さな田舎町こそ商機があると言う出店戦略である。
昔、ジャスコは、狐と狸が出るところしか出店しないと言われていたが、これを真似ていたのかも知れない。
第二は、ハサミ経済で、中間業者を排除して、メーカー、サプライヤー直結の商品調達戦略である。
第三は、サプライチェーン管理の徹底で、自社の専用トラックを持って自前の配送システムを構築した。競合他社は、店舗近くに配送センターを置いたが、逆に、郊外に巨大な配送センターを置いて、その周りに店舗を配置したのである。
もう一つ、特筆すべきは、ウォルトンのリーダーシップによってウォルマートが、テクノ小売業への道を先導したことで、今では、衛星通信システムの活用やRFIDタグの導入など最先端のICT技術を駆使する最先端企業となっている。
創業者サム・ウォルトンが亡くなったのは、1992年。
アーカンソーの片田舎からはじめて、物流と情報を徹底的に革新して世界最大の小売業を創り上げたが、一つ一つ、悩みに悩み、工夫に工夫を重ねて築き上げた敢闘精神の結晶が、ウォルトンの最大の業績であろうか。