今朝の日経朝刊に、「イチロー迷わず」と言うタイトルのインタビュー記事が掲載されている。
イチローの話には、いぶし銀のような非常に含蓄のある言葉と意味が含まれていて、一芸に秀でると言うことは、こう言うことかと、何時も、感心しながら聞いたり読んでいるので、今回も、楽しませて貰った。
私は、阪神の成績には気になる方だが、それ程、野球放送をテレビで見る方でもないし、野球の熱心なファンでもないのだが、海外生活が長かった所為もあってか、アメリカへ行って頑張っている日本人プレーヤーの活躍や動向などについては、結構関心があって注視して見ている。
イチローについては、2006年3月のWBC優勝の時に、彼の言動や行動について感激して、「イチローの愛国心」と言うタイトルで、このブログで書いたことがあり、今でもグーグル検索のトップにあるのだが、随分、多くの人に読んで貰ったことがあって、その前後も、何度か、イチローのことを書かせて貰っている。
今回の日経のインタビューで、特に、心に残ったのは、
「世界に出て再認識したこと。そのひとつが日本語を大切にすることだ。」と言うことである。
「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。」と語りながら、英語以上に日本語で苦労している、と言っている。
私も、ブラジル、欧米、と、14年も海外生活を続けて来たので、イチローのこの日本語に対する思い入れは、痛いほどよく分かる。
私の場合には、日本語と言うよりも、もう少し広い意味での日本の文化なり風土なり歴史なりと言ったトータルの日本と言った方が良いかも知れないのだが、出張などで日本に帰って来ると、必ず、日本の古典や歴史書を抱えて、京都や奈良など、日本の故郷を歩いた。
イチローの日本語と言うのは、象徴であって、恐らく、異国にあればこそ、本当の日本人として誇りを持って、日本人として生きたいと言う希いであろうと思う。
私は、在住した国も4か国で、夫々違っていて、それに、一泊以上した国は40か国を越えるほど、異文化異文明に遭遇して、結構、頭を打って、大げさに言えば、艱難辛苦に喘いでおり、逆に、素晴らしい経験をして、見るべきものは見つと言った知盛の心境になるなど、今考えれば大変な経験をして来たのだが、それだけに、日本人としてのアイデンティティ意識の強さは人後に落ちなかったと思っている。
望郷の念醒めやらずの連続であったが、それは、故郷に帰りたいとか故郷が懐かしいと言ったようなものではなく、日本人であることの喜びと、あの素晴らしい日本の歴史文化伝統総てを背負った一人の日本人として生きていると言う自意識の現れである。
日本の良さを痛いほど感じるのは、異文化異文明の洗礼に晒されて、全く異次元の世界を見た時であって、その衝撃が強烈であればあるほど、本当の日本が、明確に見えてくるような気がしている。
それに、どんなに足掻いても、徹頭徹尾、自分が日本人であって、日本人以外の何者でもないと感じさせてくれるのも、異文化異文明遭遇の世界である。
今、日本人は、内向き志向で、海外留学生も激減して、海外に雄飛したいと言う若者が減っていると言うことだが、絶対にダメで、
可愛い子には旅をさせろ、で、あの大英帝国が七つの海を支配し得たのは、貴族の子弟たちを、イタリアなどの先進国に送り込んだ「グランド・ツアー」のなせる業であったことを忘れてはならない。
話はがらりと変わるが、
私は、海外にいた時には、オペラやシェイクスピア、ミュージカルなど欧米芸術鑑賞に通い詰めていたのだが、日本へ帰ってからは、機会の問題もあるのだが、歌舞伎と文楽に切り替えて、最近では、能や狂言、落語鑑賞にも入れ込んでいて、好きだったクラシック音楽鑑賞にも、殆ど行かなくなってしまった。
日本の古典文化に、もっともっと、どっぷりと入り込んで、その深さ豊かさを、少しでも味わいたいと言う気持ちと、そうしていると、実に心が豊かになって、何か自分が少しずつだけれど前進しているように思えるのである。
私の日本語も、結構、あやしいのだが、この日本の古典芸術や古典芸能を少しでも鑑賞しながら、日本語の奥深さを勉強しようと言う姿勢も、イチローの言う日本語を大切にすると言う思いに近いのかも知れないと思っている。
イチローの話には、いぶし銀のような非常に含蓄のある言葉と意味が含まれていて、一芸に秀でると言うことは、こう言うことかと、何時も、感心しながら聞いたり読んでいるので、今回も、楽しませて貰った。
私は、阪神の成績には気になる方だが、それ程、野球放送をテレビで見る方でもないし、野球の熱心なファンでもないのだが、海外生活が長かった所為もあってか、アメリカへ行って頑張っている日本人プレーヤーの活躍や動向などについては、結構関心があって注視して見ている。
イチローについては、2006年3月のWBC優勝の時に、彼の言動や行動について感激して、「イチローの愛国心」と言うタイトルで、このブログで書いたことがあり、今でもグーグル検索のトップにあるのだが、随分、多くの人に読んで貰ったことがあって、その前後も、何度か、イチローのことを書かせて貰っている。
今回の日経のインタビューで、特に、心に残ったのは、
「世界に出て再認識したこと。そのひとつが日本語を大切にすることだ。」と言うことである。
「米国に行ってから、日本語の深さや美しさを自分なりに感じるようになり、日本語をきれいに話したいと思い始めた。」と語りながら、英語以上に日本語で苦労している、と言っている。
私も、ブラジル、欧米、と、14年も海外生活を続けて来たので、イチローのこの日本語に対する思い入れは、痛いほどよく分かる。
私の場合には、日本語と言うよりも、もう少し広い意味での日本の文化なり風土なり歴史なりと言ったトータルの日本と言った方が良いかも知れないのだが、出張などで日本に帰って来ると、必ず、日本の古典や歴史書を抱えて、京都や奈良など、日本の故郷を歩いた。
イチローの日本語と言うのは、象徴であって、恐らく、異国にあればこそ、本当の日本人として誇りを持って、日本人として生きたいと言う希いであろうと思う。
私は、在住した国も4か国で、夫々違っていて、それに、一泊以上した国は40か国を越えるほど、異文化異文明に遭遇して、結構、頭を打って、大げさに言えば、艱難辛苦に喘いでおり、逆に、素晴らしい経験をして、見るべきものは見つと言った知盛の心境になるなど、今考えれば大変な経験をして来たのだが、それだけに、日本人としてのアイデンティティ意識の強さは人後に落ちなかったと思っている。
望郷の念醒めやらずの連続であったが、それは、故郷に帰りたいとか故郷が懐かしいと言ったようなものではなく、日本人であることの喜びと、あの素晴らしい日本の歴史文化伝統総てを背負った一人の日本人として生きていると言う自意識の現れである。
日本の良さを痛いほど感じるのは、異文化異文明の洗礼に晒されて、全く異次元の世界を見た時であって、その衝撃が強烈であればあるほど、本当の日本が、明確に見えてくるような気がしている。
それに、どんなに足掻いても、徹頭徹尾、自分が日本人であって、日本人以外の何者でもないと感じさせてくれるのも、異文化異文明遭遇の世界である。
今、日本人は、内向き志向で、海外留学生も激減して、海外に雄飛したいと言う若者が減っていると言うことだが、絶対にダメで、
可愛い子には旅をさせろ、で、あの大英帝国が七つの海を支配し得たのは、貴族の子弟たちを、イタリアなどの先進国に送り込んだ「グランド・ツアー」のなせる業であったことを忘れてはならない。
話はがらりと変わるが、
私は、海外にいた時には、オペラやシェイクスピア、ミュージカルなど欧米芸術鑑賞に通い詰めていたのだが、日本へ帰ってからは、機会の問題もあるのだが、歌舞伎と文楽に切り替えて、最近では、能や狂言、落語鑑賞にも入れ込んでいて、好きだったクラシック音楽鑑賞にも、殆ど行かなくなってしまった。
日本の古典文化に、もっともっと、どっぷりと入り込んで、その深さ豊かさを、少しでも味わいたいと言う気持ちと、そうしていると、実に心が豊かになって、何か自分が少しずつだけれど前進しているように思えるのである。
私の日本語も、結構、あやしいのだが、この日本の古典芸術や古典芸能を少しでも鑑賞しながら、日本語の奥深さを勉強しようと言う姿勢も、イチローの言う日本語を大切にすると言う思いに近いのかも知れないと思っている。