熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

久しぶりの上野公園、ロダンの彫刻

2013年02月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   国立能楽堂の公演が終わったのが3時頃だったので、久しぶりに上野に向かった。
   東京ドームで世界らん展が開かれている筈だが、人ごみが煩わしくなって、今年も出かけて行く気がせず、上野東照宮の冬牡丹を見に行くか、東京都美術館で開催されている「エル・グレコ展」を見に行くか、とにかく、着いてから考えようと、JRに乗った。

   いずれにしろ、花を見に行くのなら、写真を撮るので、手持ちのコンパクトデジカメでは、折角の花が思うように撮れないので、結局、エル・グレコ展を見に行くことにした。
   私は、美術館や博物館へ行く時には、閉館間際に入館して、入場者が少なくなった最後の1時間弱で、見ることにしているので、少し時間があったので、途中の西洋美術館の中庭に入って、ロダンの彫刻を見ることにした。

   ここには、ロダンの巨大な「地獄の門」があり、この素晴らしい彫刻には、いつ見ても圧倒される。
   扉の真上中央に、「考える人」があるなど、扉や柱の彫刻などは、ロダンが単体で彫刻作品を作ってきた多くのモチーフ・モデルが埋め込まれていて、それを追いかけるだけでも楽しくて興味が尽きない。
   私は、この地獄の門が好きで、当時、何かの本で、世界中に、三体しか残っていないと書かれていたので、是非見たいと思って、フィラデルフィアの大学院に行った時、それに、その休暇でパリに行った時に、夫々、ロダン美術館を訪れて、この門に再会して感激した。  
   あっちこっちの美術館を訪ねた時に、ロダンの彫刻を熱心に鑑賞していたのだが、ニューヨークのメトロポリタンで見た「接吻」などの男女の群像や沢山の作品に接して、ギリシャやローマの彫刻とは違った感慨を覚えた。
   「接吻」は、アングルが良くないので分かりにくいが、MET美術館で撮ったのを添付しておく。(METもルーブルも、世界の博物館や美術館の多くでは、写真撮影が自由に許されているので、整理すれば、膨大な記録写真がある。)
   
   
   

   この門の両脇に、アダムとイブの単体の彫刻が置かれていて、中庭の反対側には、「カレーの市民」の群像と、大きな「考える人」の像が置かれている。
   この像の間に、白梅が植わっていて、丁度、花が綺麗に咲いていた。
   
   
   

   もう一つ、玄関口に近いところに、ブールデルの「弓をひくヘラクルス」の、日本の仁王像に似た雰囲気の彫刻が置いてあるのだが、彼の作品も、結構外国の美術館で見る機会があった。
   

   確か、フィラデルフィアでもパリでも、美術館の庭にも彫刻が置かれていたような気がするのだが、やはり、戸外での展示を意図して作られた大きな作品は、戸外に置かれてこそ意味があろうと言うものである。
   どこかで、ペンギン・スタイルのバルザック像を見たことがあるが、中々様になっていて良かった。
   あのミケランジェロのダビデ像は、フィレンツエのアカデミア美術館にあるのだが、レプリカがシニョリーア広場に面した市庁舎(ヴェッキオ宮殿)の正面入口脇など、世界各地に置かれている。
   ところが、日本の某町の公園に置かれたダビデ像が、生まれたままの姿なので物議をかもしていると言うのだが、混浴を許す国柄でありながら、無粋な話である。
   このブールデルの「弓をひくヘラクレス」は、どうなのであろうか。綺麗な御嬢さんが、スマホで写真を撮っていた。
   念のため、ダビデ像を。
   
コメント
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