スペインの偉大な画家エル・グレコの作品が集められて、東京都美術館で、展示されている。
この口絵写真の、サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の主祭壇画として制作された「無原罪のお宿り」が圧巻で、347×174cmと言う大きな宗教画である。
聖母マリアが原罪を免れてアンナに宿って生まれたという教義を表した絵で、他にも、もう一点展示されていたが、「受胎告知」や「羊飼いの礼拝」など、同じテーマの作品が数点展示されていると、エル・グレコの意図などが推測されて興味深い。
この絵の下の方に、聖母マリアの象徴である薔薇と百合が、綺麗に描かれていて印象的であった。五月になると、私の庭にも、バラとユリが咲き乱れる。楽しみである。
初期のものには、写実的で丁寧に描かれた作品が多いのだが、晩年に近づいて描かれた宗教画の多くは、人物を極めて細長くひょろりと描いて、この口絵の作品に表現されているように、「引き伸ばされ地上の重力から解放された人体やその上昇するエネルギー、天上の光のもと輝く神秘的な色彩の乱舞」と言った、明らかにエル・グレコの絵画だと分かるような作品が多く描かれている。
当然、縦長のキャンバスに描かれることが多いのだが、祭壇画となれば、下から見上げて拝すると、自分自身が天上に吸い込まれるような錯覚を覚える。
とにかく、一挙にこれだけ沢山のエル・グレコの傑作の数々を鑑賞出来るのは驚異的で、1時間の鑑賞時間は瞬く間に過ぎてしまった。
私は、結構、欧米の美術館や博物館を回っているので、エル・グレコの作品を見ることも多いのだが、好きな画家や作品が沢山あるので、これまでは、特に、今回のように、エル・グレコの絵を、注意して丹念に見たことはない。
しかし、スペインに行き、特に、プラドを訪れると、エル・グレコが、一気に主役となる。
3回ほどトレドを訪ねているので、大概のエル・グレコの作品に触れている筈だが、強烈な印象に残っているのは、サント・トメー聖堂(トレド)の「オルガス伯爵の埋葬」で、先の作品よりは大きく、非常に狭い堂内に安置されていて、広角レンズでもなかったので、写真が撮り辛かった記憶がある。
この絵は、上下二段に分かれていて、上部は、イエスの天上世界で、下部は、埋葬風景を描いた娑婆世界で、その聖俗融合の宗教空間が素晴らしい。
口絵の「無原罪のお宿り」は、色彩は美しいが、近づいて見ると、結構筆のタッチが荒いのが分かるが、この埋葬の祭壇画は、かなり精緻に描かれていて、エル・グレコの絵に対する印象が大分変わった。

もう一つ印象に残っている絵は、ニューヨークのメトロポリタンで見た「トレド眺望」で、フェリペ二世に不興をかって失意の思いで故郷に帰った頃の絵なので、深緑と濃青主体の陰鬱だが、印象的でもあり、神秘的な感じの不思議な絵なので、忘れられない。
この絵は、今、パラドールのあるタホ川を挟んだ対岸の丘から描かれていると思うのだが、私が行った時には、薄い霧雨に霞んでいて、大聖堂などは墨絵の世界であった。
この絵を見ながら、フェルメールの「デルフト眺望」を思い出していたのだが、画家が、自分の故郷を描いた絵画には、それなりの意図と思い入れがあって、私は、色々考えながら鑑賞するのが好きなのである。

さて、エル・グレコは、クレタ島出身のギリシャ人で、クレタ島では、ギリシャ正教のイコンを描いていたと言う。
その後、ヴェネツィアに移って、私の好きなティツィアーノに絵画を学んだようで、最後は、トレドに移り住んで、スペイン人として一生を終えた。
カソリックとしては、殆ど狂信的とも言うべきスペインで、異教徒であったかどうかは知らないが、エル・グレコには、宗教画が多いけれど、私自身は、エル・グレコは、それ程、カソリックに入れ込んで、宗教画を描いたのではなく、絵画作品として、芸術として、絵を描き続けたのだと思っている。
ギリシャ人であることを主張したかったのであろう、ドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος)と言う本名を捨てて(?)、イタリア語のギリシャ人と言う意味のグレコと言う言葉にスペイン語の定冠詞エルを付け加えて自分の名前にしたほどだからである。
そう考えれば、エル・グレコの宗教画を、もう少し、広い視点から鑑賞できるのである。
この口絵写真の、サン・ビセンテ聖堂オバーリェ礼拝堂の主祭壇画として制作された「無原罪のお宿り」が圧巻で、347×174cmと言う大きな宗教画である。
聖母マリアが原罪を免れてアンナに宿って生まれたという教義を表した絵で、他にも、もう一点展示されていたが、「受胎告知」や「羊飼いの礼拝」など、同じテーマの作品が数点展示されていると、エル・グレコの意図などが推測されて興味深い。
この絵の下の方に、聖母マリアの象徴である薔薇と百合が、綺麗に描かれていて印象的であった。五月になると、私の庭にも、バラとユリが咲き乱れる。楽しみである。
初期のものには、写実的で丁寧に描かれた作品が多いのだが、晩年に近づいて描かれた宗教画の多くは、人物を極めて細長くひょろりと描いて、この口絵の作品に表現されているように、「引き伸ばされ地上の重力から解放された人体やその上昇するエネルギー、天上の光のもと輝く神秘的な色彩の乱舞」と言った、明らかにエル・グレコの絵画だと分かるような作品が多く描かれている。
当然、縦長のキャンバスに描かれることが多いのだが、祭壇画となれば、下から見上げて拝すると、自分自身が天上に吸い込まれるような錯覚を覚える。
とにかく、一挙にこれだけ沢山のエル・グレコの傑作の数々を鑑賞出来るのは驚異的で、1時間の鑑賞時間は瞬く間に過ぎてしまった。
私は、結構、欧米の美術館や博物館を回っているので、エル・グレコの作品を見ることも多いのだが、好きな画家や作品が沢山あるので、これまでは、特に、今回のように、エル・グレコの絵を、注意して丹念に見たことはない。
しかし、スペインに行き、特に、プラドを訪れると、エル・グレコが、一気に主役となる。
3回ほどトレドを訪ねているので、大概のエル・グレコの作品に触れている筈だが、強烈な印象に残っているのは、サント・トメー聖堂(トレド)の「オルガス伯爵の埋葬」で、先の作品よりは大きく、非常に狭い堂内に安置されていて、広角レンズでもなかったので、写真が撮り辛かった記憶がある。
この絵は、上下二段に分かれていて、上部は、イエスの天上世界で、下部は、埋葬風景を描いた娑婆世界で、その聖俗融合の宗教空間が素晴らしい。
口絵の「無原罪のお宿り」は、色彩は美しいが、近づいて見ると、結構筆のタッチが荒いのが分かるが、この埋葬の祭壇画は、かなり精緻に描かれていて、エル・グレコの絵に対する印象が大分変わった。

もう一つ印象に残っている絵は、ニューヨークのメトロポリタンで見た「トレド眺望」で、フェリペ二世に不興をかって失意の思いで故郷に帰った頃の絵なので、深緑と濃青主体の陰鬱だが、印象的でもあり、神秘的な感じの不思議な絵なので、忘れられない。
この絵は、今、パラドールのあるタホ川を挟んだ対岸の丘から描かれていると思うのだが、私が行った時には、薄い霧雨に霞んでいて、大聖堂などは墨絵の世界であった。
この絵を見ながら、フェルメールの「デルフト眺望」を思い出していたのだが、画家が、自分の故郷を描いた絵画には、それなりの意図と思い入れがあって、私は、色々考えながら鑑賞するのが好きなのである。

さて、エル・グレコは、クレタ島出身のギリシャ人で、クレタ島では、ギリシャ正教のイコンを描いていたと言う。
その後、ヴェネツィアに移って、私の好きなティツィアーノに絵画を学んだようで、最後は、トレドに移り住んで、スペイン人として一生を終えた。
カソリックとしては、殆ど狂信的とも言うべきスペインで、異教徒であったかどうかは知らないが、エル・グレコには、宗教画が多いけれど、私自身は、エル・グレコは、それ程、カソリックに入れ込んで、宗教画を描いたのではなく、絵画作品として、芸術として、絵を描き続けたのだと思っている。
ギリシャ人であることを主張したかったのであろう、ドメニコス・テオトコプーロス(Δομήνικος Θεοτοκόπουλος)と言う本名を捨てて(?)、イタリア語のギリシャ人と言う意味のグレコと言う言葉にスペイン語の定冠詞エルを付け加えて自分の名前にしたほどだからである。
そう考えれば、エル・グレコの宗教画を、もう少し、広い視点から鑑賞できるのである。