新宿文化センターで催された東京の万作の会と京都の茂山家のお豆腐狂言のジョイント狂言会に、昨年に引き続いて出かけた。
実際の狂言の公演は別々に演じられるのだが、冒頭の「トーク」では、両家から若手代表(今回は、萬斎と正邦)が登場して、演目の紹介や狂言四方山話を語り、二人で、揃って同時に同じタイトルの謡を謡いながら舞って見せて、その違いを紹介する。
冒頭の相撲ものは、文相撲を二回見ているのだけれど、今回の茂山家の「蚊相撲」は初めてであった。
万作の会の「柑子」は大蔵流を、「茸」は萬狂言で見ているので、馴染みだが、改めて見ると気が付かなかった発見などがあって面白い。
ステージ中央に板張りの能舞台が、そして右側に橋掛かりが設定されていているのだが、何しろ、大ホールであるから、能楽堂のような小劇場的な良さや臨場感がなく、印象が拡散してしまうのが惜しい。
シェイクスピア劇でも、私は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンで、木造りでクラシカルな小劇場であるスワン・シアターで観るのが楽しみであったが、商業演劇はともかく、能や狂言、それに、落語などは、能楽堂や演芸場、小劇場や小屋など小さな劇場で鑑賞するに限ると思っている。
最近、狂言を見る時には、狂言集を開いて、台本を見て筋書を追うことにしている。
幸いにも、少し前に、半世紀以上も前に出版された岩波書店の「日本古典文學大系」が、分冊で古書店に出回っており、買い求めたもので、この本には、120曲くらいも収録されているので、上演されている狂言のかなりは網羅されている。
話の筋を辿ると言うよりは、表現とか、台詞の面白さなどを感じたいためなのだが、読んでいるだけでも、結構、楽しめる。
今回の演目では、「蚊相撲」や「柑子」は、台本に殆ど同じである。
しかし、「茸」の方は、実際の舞台は、30分以上で長いのだが、台本の方は、非常にシンプルでかなり短いのは、登場人物が喋るよりも、次から次へと登場してくる多くの茸のお化けやそれに振り回される登場人物のアクションが多いためであろう。
茂山千五郎家が演じる「蚊相撲」は、大名がシテで烏帽子・素袍の装束で登場する大名狂言の一つで、大名(千五郎)が、太郎冠者(茂)に命じて召し抱え来た新参者と相撲を取るのだが、この男は江州森山の蚊の精(正邦)なので、刺されて負けるのだが、蚊と気づいて太郎冠者に団扇で扇がせて勝つと言う話である。
この蚊の精は、相撲取りに化けて人に近づいて血を吸おうと言う魂胆なのだが、太郎冠者の行司で、相撲が始まると、うそふきの面の口に白い紙を長細く巻いた紙を差し込んだ吸い口を袖で隠して突進して、一気に、大名に飛びかかって刺すのだが、様子が分からずにふら付いて太郎冠者に倒れ掛かる大名が滑稽である。
とにかく、奇天烈と言うか、人間大の蚊がいると言う発想も面白いが、大らかな民話の世界なのであろう。
大名が負ける「文相撲」と違って、この「蚊相撲」は、大名が、蚊の精を押し倒して、意気揚々と退場する。
戦国や安土桃山時代以前の地方の豪族に毛の生えた大名が主人公だが、冒頭の3000人ばかり相撲取りを雇いたいと大言壮語して結局一人だけと言う落差の激しい威張り振り誇示振りから、大名をカリカチュア化の世界に誘い込む。
千五郎の、テンポのズレた間延びした軽妙な真面目さが素晴らしい。
「柑子」は、アド/主(石田幸雄)が、預けておいた珍しい三つ生りの柑子(ミカン)を、シテ/太郎冠者(万作)が、食べてしまって、それを言い訳する物語である。
一つは、枝から落ちて門の外に転がったので「こうじ門をでず」と食べ、もう一つは、刀の鍔で押し潰されたので吸って食べ、残る一つは、正に、喜界が島に一人残された俊寛と同じで、哀れに思って、六波羅(自分の腹)に納めた、と言うのだが、万作の、その語り口の巧みさ面白さと、蜜柑を食べる様子の何とも言えないユーモラスな仕草と思い入れは、流石である。
万作は、ミカンへの語りかけのやさしさというのが反映できる曲だから素晴らしいと思って、この柑子を18選に入れたのだと言う。
先に、二回も観た野村萬の、栗を愛しむような「栗焼」の素晴らしい舞台を思い出した。
最後の「茸(くさびら)」は、アド/何某(高野和憲)が、家に人間大の茸が生えたので、シテ/山伏(萬斎)に法力で取り除いてくれと頼むので、山伏が祈祷をすればするほど、どんどん、茸が増えて来て、茸が悪戯を初めて、到頭、アド/鬼茸(幸雄)まで出て来て、鬼の姿を現して「取って噛まう」と、山伏を追い込んでしまう。と言う話である。
傘を被って面をつけた茸たちが、かがんだ姿で、機械人形のように足早に舞台を動き回る姿が、実にリズミカルで面白く、姫茸など色々な格好の茸が出て来て、カラフルで面白い。
これは、鬼山伏狂言の一つで、厳しい修業を積んで霊験あらたかな筈の山伏が、如何に未熟でチャランポランでイカサマかと言うことを笑い飛ばしているのであろうが、当時の人々は、かなり信仰心も篤く山岳信仰が盛んだった筈だと思うのだが、娯楽の世界は違っていたのであろうか。
「いろはにほへと ボロンボロ ちりぬるをわか ボロンボロ ボロンボロ・・・」と、数珠を擦りながらインチクくさい呪文を唱え続けるのだが、真面目な顔をしながらどこか白けてアイロニーの含みを帯びた萬斎の表情が、イカサマ祈祷師の表情にダブって、非常に面白かった。
ところで、「野村万作の世界」で、万作が、海外公演では、アメリカでは、ニューヨークタイムズに、ベトナム戦争に絡んで、アメリカで風刺的な意味で取られたとか、その後、殺虫剤をいくら巻いても増えるゴキブリ戦争ではないかとか、崩壊前のソ連では、チェルノブイリで汚染された茸との関連で、毒茸のイメージになったとか語っているのが面白い。
そういう風に、どんなところでいつの時代にやっても、何かに置き換えて想像できるというところが、シンプルな狂言の強さなんですよ、と言っているのだが、さて、どうであろうか。
(追記)市川團十郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。
20年ほどの間、随分、色々と團十郎の世界を楽しませて頂き、ありがとうございました。
最後の舞台は、昨年、七月大歌舞伎の猿之助たちの襲名披露口上と「黒塚」の祐慶、そして、芸術祭十月大歌舞伎で、幸四郎・弁慶と團十郎・富樫の「忠臣蔵」。
今日、改めて、「わが心の歌舞伎座」のブルーレイを見て、勧進帳の飛六方を終えて揚幕に入り込んだ後の呼吸の激しさを見て、病後の團十郎が、如何に命を懸けて、決死の覚悟で舞台を務め、歌舞伎を守って来たのかが、痛いほど身に染みて分かった。
江戸歌舞伎の象徴とも言うべき大黒柱を、新歌舞伎座の開業を目前にして、亡くすと言う運命の悪戯をどう考えたらよいのか、実に、悲しい。
実際の狂言の公演は別々に演じられるのだが、冒頭の「トーク」では、両家から若手代表(今回は、萬斎と正邦)が登場して、演目の紹介や狂言四方山話を語り、二人で、揃って同時に同じタイトルの謡を謡いながら舞って見せて、その違いを紹介する。
冒頭の相撲ものは、文相撲を二回見ているのだけれど、今回の茂山家の「蚊相撲」は初めてであった。
万作の会の「柑子」は大蔵流を、「茸」は萬狂言で見ているので、馴染みだが、改めて見ると気が付かなかった発見などがあって面白い。
ステージ中央に板張りの能舞台が、そして右側に橋掛かりが設定されていているのだが、何しろ、大ホールであるから、能楽堂のような小劇場的な良さや臨場感がなく、印象が拡散してしまうのが惜しい。
シェイクスピア劇でも、私は、ストラトフォード・アポン・エイヴォンで、木造りでクラシカルな小劇場であるスワン・シアターで観るのが楽しみであったが、商業演劇はともかく、能や狂言、それに、落語などは、能楽堂や演芸場、小劇場や小屋など小さな劇場で鑑賞するに限ると思っている。
最近、狂言を見る時には、狂言集を開いて、台本を見て筋書を追うことにしている。
幸いにも、少し前に、半世紀以上も前に出版された岩波書店の「日本古典文學大系」が、分冊で古書店に出回っており、買い求めたもので、この本には、120曲くらいも収録されているので、上演されている狂言のかなりは網羅されている。
話の筋を辿ると言うよりは、表現とか、台詞の面白さなどを感じたいためなのだが、読んでいるだけでも、結構、楽しめる。
今回の演目では、「蚊相撲」や「柑子」は、台本に殆ど同じである。
しかし、「茸」の方は、実際の舞台は、30分以上で長いのだが、台本の方は、非常にシンプルでかなり短いのは、登場人物が喋るよりも、次から次へと登場してくる多くの茸のお化けやそれに振り回される登場人物のアクションが多いためであろう。
茂山千五郎家が演じる「蚊相撲」は、大名がシテで烏帽子・素袍の装束で登場する大名狂言の一つで、大名(千五郎)が、太郎冠者(茂)に命じて召し抱え来た新参者と相撲を取るのだが、この男は江州森山の蚊の精(正邦)なので、刺されて負けるのだが、蚊と気づいて太郎冠者に団扇で扇がせて勝つと言う話である。
この蚊の精は、相撲取りに化けて人に近づいて血を吸おうと言う魂胆なのだが、太郎冠者の行司で、相撲が始まると、うそふきの面の口に白い紙を長細く巻いた紙を差し込んだ吸い口を袖で隠して突進して、一気に、大名に飛びかかって刺すのだが、様子が分からずにふら付いて太郎冠者に倒れ掛かる大名が滑稽である。
とにかく、奇天烈と言うか、人間大の蚊がいると言う発想も面白いが、大らかな民話の世界なのであろう。
大名が負ける「文相撲」と違って、この「蚊相撲」は、大名が、蚊の精を押し倒して、意気揚々と退場する。
戦国や安土桃山時代以前の地方の豪族に毛の生えた大名が主人公だが、冒頭の3000人ばかり相撲取りを雇いたいと大言壮語して結局一人だけと言う落差の激しい威張り振り誇示振りから、大名をカリカチュア化の世界に誘い込む。
千五郎の、テンポのズレた間延びした軽妙な真面目さが素晴らしい。
「柑子」は、アド/主(石田幸雄)が、預けておいた珍しい三つ生りの柑子(ミカン)を、シテ/太郎冠者(万作)が、食べてしまって、それを言い訳する物語である。
一つは、枝から落ちて門の外に転がったので「こうじ門をでず」と食べ、もう一つは、刀の鍔で押し潰されたので吸って食べ、残る一つは、正に、喜界が島に一人残された俊寛と同じで、哀れに思って、六波羅(自分の腹)に納めた、と言うのだが、万作の、その語り口の巧みさ面白さと、蜜柑を食べる様子の何とも言えないユーモラスな仕草と思い入れは、流石である。
万作は、ミカンへの語りかけのやさしさというのが反映できる曲だから素晴らしいと思って、この柑子を18選に入れたのだと言う。
先に、二回も観た野村萬の、栗を愛しむような「栗焼」の素晴らしい舞台を思い出した。
最後の「茸(くさびら)」は、アド/何某(高野和憲)が、家に人間大の茸が生えたので、シテ/山伏(萬斎)に法力で取り除いてくれと頼むので、山伏が祈祷をすればするほど、どんどん、茸が増えて来て、茸が悪戯を初めて、到頭、アド/鬼茸(幸雄)まで出て来て、鬼の姿を現して「取って噛まう」と、山伏を追い込んでしまう。と言う話である。
傘を被って面をつけた茸たちが、かがんだ姿で、機械人形のように足早に舞台を動き回る姿が、実にリズミカルで面白く、姫茸など色々な格好の茸が出て来て、カラフルで面白い。
これは、鬼山伏狂言の一つで、厳しい修業を積んで霊験あらたかな筈の山伏が、如何に未熟でチャランポランでイカサマかと言うことを笑い飛ばしているのであろうが、当時の人々は、かなり信仰心も篤く山岳信仰が盛んだった筈だと思うのだが、娯楽の世界は違っていたのであろうか。
「いろはにほへと ボロンボロ ちりぬるをわか ボロンボロ ボロンボロ・・・」と、数珠を擦りながらインチクくさい呪文を唱え続けるのだが、真面目な顔をしながらどこか白けてアイロニーの含みを帯びた萬斎の表情が、イカサマ祈祷師の表情にダブって、非常に面白かった。
ところで、「野村万作の世界」で、万作が、海外公演では、アメリカでは、ニューヨークタイムズに、ベトナム戦争に絡んで、アメリカで風刺的な意味で取られたとか、その後、殺虫剤をいくら巻いても増えるゴキブリ戦争ではないかとか、崩壊前のソ連では、チェルノブイリで汚染された茸との関連で、毒茸のイメージになったとか語っているのが面白い。
そういう風に、どんなところでいつの時代にやっても、何かに置き換えて想像できるというところが、シンプルな狂言の強さなんですよ、と言っているのだが、さて、どうであろうか。
(追記)市川團十郎さんのご冥福を心からお祈りいたします。
20年ほどの間、随分、色々と團十郎の世界を楽しませて頂き、ありがとうございました。
最後の舞台は、昨年、七月大歌舞伎の猿之助たちの襲名披露口上と「黒塚」の祐慶、そして、芸術祭十月大歌舞伎で、幸四郎・弁慶と團十郎・富樫の「忠臣蔵」。
今日、改めて、「わが心の歌舞伎座」のブルーレイを見て、勧進帳の飛六方を終えて揚幕に入り込んだ後の呼吸の激しさを見て、病後の團十郎が、如何に命を懸けて、決死の覚悟で舞台を務め、歌舞伎を守って来たのかが、痛いほど身に染みて分かった。
江戸歌舞伎の象徴とも言うべき大黒柱を、新歌舞伎座の開業を目前にして、亡くすと言う運命の悪戯をどう考えたらよいのか、実に、悲しい。