この物語は、文楽でも歌舞伎でも同じだが、主役は、大化改新の幕開け時代に権勢を誇った蘇我入鹿(玉輝)と言うべきか、入鹿の横暴によって泣く男女の悲恋の物語と言った方が良いかも知れない。
主に舞台で上演される人気の高いのは、一つは「吉野川」の段での、久我之助と雛鳥の悲劇で、恋を貫き通した二人の、首が寄り添って吉野川を流れ下る話で、もう一つは、「御殿」の段で、鎌足の息子淡海(求馬 和生)に恋をした酒屋の娘お三輪(紋壽)の悲恋の物語で、入鹿殺害のための犠牲として殺されると言う話である。
この入鹿は、父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませたので超人的な力を持ち、入鹿を滅ぼすには爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要だと言うことなのだが、御殿に駆け込んで来た田舎娘のお三輪が、恋しい恋しい淡海が入鹿の妹橘姫と祝言を上げると知って官女たちに面会を頼むも散々に苛め抜かれて逆上したので、それを見た鎌足の忠臣金輪五郎(漁師鱶七 玉女)が、横腹に刃を突き刺す。
今回は、「道行恋苧環」から始まる、この御殿の場で、死を前にしたお三輪に、鱶七が、事情を説明して、お三輪の生血が淡海の役に立つのだ北の方と説くのだが、嬉しく思いながらも一目淡海に逢いたいと苧環を抱きしめながら息絶えるお三輪が哀れである。
冒頭の道行は、御殿へ帰ろうとする橘姫と淡海との逢瀬にお三輪が割って入る三角関係と言った雰囲気なのだが、旅立つ橘姫の袂に淡海が赤い糸を、淡海の袂にお三輪が白い糸を結びつけて苧環を持って、夫々後を追うのだが、お三輪の糸が途中で切れてしまい、結末を暗示している。
この物語は、古事記に出て来る話で、活玉依毘売が身籠ったので、毎夜訪ねてくる男の衣に麻糸をつけて辿って行ったら三輪山の神の子であったと言う話を脚色しているのだが、それにしても、三輪から、入鹿の館のあった飛鳥の甘樫丘までは、随分距離があって、勿論、苧環の糸で辿れる訳がないのだが、大らかな話で面白い。
明日香の飛鳥寺のそばの畑の中に入鹿の首塚があるのだが、私は、学生の頃、あのあたりから甘樫丘、石舞台などを巡り歩いたり、山道を登って談山神社に出たり、大和路を随分歩いていたが、大らかで茫洋とした感じの奈良の田舎の風景が懐かしく、この文楽を見ながら、久しぶりに、あの頃に思いを馳せていた。
物語に文句をつけるつもりはないのだが、大体、この話は、女性が一途に思いを遂げるべく生きようとするのだが、男が勝手と言うか、筋が通っているようで通っていない生き方をしているのが気に入らない。
淡海の方は、お三輪とも実質夫婦関係にあるし、入鹿討伐を目論んで橘姫に近づいたのであろうが、御殿から通いつめているのであるから懇ろであろうし、更に、敵味方であることを知り抜いて死を覚悟で恋い慕っている橘姫に、恋を全うしたければ、入鹿所有の三種の神器の一つ十握の剣を奪えと交換条件を出す勝手さ。
鱶七も、鎌足に忠たるためには、入鹿殺害のためにはお三輪は格好の獲物で、何の躊躇もなく刺し殺す。
尤も、当時は、大義のためには、女性の犠牲などはどうでも良いと言う価値観なり世相だったのだろうが、このあたりの理解なり感情がしっくり行かないと、玉女の鱶七の偉丈夫な立ち居振る舞いが、如何に豪快であり、颯爽としていても、どうしてか、感激を通り越して白けてしまう。
最近、歌舞伎や文楽を見ていて、そんな思いが強くなって来ていて、理屈では分かっていても、ストーリーの流れにすんなりとついてい行けなくなって困っている。
さて、私は、女形としての紋壽の人形は群を抜いていると思っているので、今回も、健気で必死の田舎娘お三輪の舞台を楽しませて貰った。
「金殿の段」での孤軍奮闘とも言うべき悲劇の場は、お三輪あっての舞台だが、これでもかこれでもかと言った調子で痛めつけられながらも健気に耐え抜き、最後には、怒りと、求馬への激しい思いと橘姫への嫉妬が渦巻いて半狂乱になって御殿の廊下を駆け抜き鱶七に刺されるのだが、起承転結の激しいお三輪を、紋壽は、巧みに泳がせていて、悲劇を炙り出して凄まじい。
和生の、一寸抑え気味だが風格のある淡海が、中々、優雅な雰囲気を醸し出していて好ましいと思った。
玉女は、今や、文楽界の立役のトップ人形遣いであるから、文句のつけようがないのだが、前述したように、豪快であればあるほど、偉丈夫であればあるほど、ストーリーに隙間風が通るような感じがして見ていた。
私には、歌舞伎でも随分見ているのだが、この金殿の場の、お三輪犠牲のストーリーそのものが、居た堪れないほど、悲痛で悲しい話なので、合わないのかも知れないと思っている。
尤も、豆腐の御用(勘壽)の登場は、一幅の清涼剤として面白いと思っている。
大夫の語りと三味線に関しては、最近、十分に馴染み始めて来ており、文句なしに楽しませて貰った。
主に舞台で上演される人気の高いのは、一つは「吉野川」の段での、久我之助と雛鳥の悲劇で、恋を貫き通した二人の、首が寄り添って吉野川を流れ下る話で、もう一つは、「御殿」の段で、鎌足の息子淡海(求馬 和生)に恋をした酒屋の娘お三輪(紋壽)の悲恋の物語で、入鹿殺害のための犠牲として殺されると言う話である。
この入鹿は、父蝦夷が白い牡鹿の血を妻に飲ませて産ませたので超人的な力を持ち、入鹿を滅ぼすには爪黒の鹿の血と嫉妬深い女の血が必要だと言うことなのだが、御殿に駆け込んで来た田舎娘のお三輪が、恋しい恋しい淡海が入鹿の妹橘姫と祝言を上げると知って官女たちに面会を頼むも散々に苛め抜かれて逆上したので、それを見た鎌足の忠臣金輪五郎(漁師鱶七 玉女)が、横腹に刃を突き刺す。
今回は、「道行恋苧環」から始まる、この御殿の場で、死を前にしたお三輪に、鱶七が、事情を説明して、お三輪の生血が淡海の役に立つのだ北の方と説くのだが、嬉しく思いながらも一目淡海に逢いたいと苧環を抱きしめながら息絶えるお三輪が哀れである。
冒頭の道行は、御殿へ帰ろうとする橘姫と淡海との逢瀬にお三輪が割って入る三角関係と言った雰囲気なのだが、旅立つ橘姫の袂に淡海が赤い糸を、淡海の袂にお三輪が白い糸を結びつけて苧環を持って、夫々後を追うのだが、お三輪の糸が途中で切れてしまい、結末を暗示している。
この物語は、古事記に出て来る話で、活玉依毘売が身籠ったので、毎夜訪ねてくる男の衣に麻糸をつけて辿って行ったら三輪山の神の子であったと言う話を脚色しているのだが、それにしても、三輪から、入鹿の館のあった飛鳥の甘樫丘までは、随分距離があって、勿論、苧環の糸で辿れる訳がないのだが、大らかな話で面白い。
明日香の飛鳥寺のそばの畑の中に入鹿の首塚があるのだが、私は、学生の頃、あのあたりから甘樫丘、石舞台などを巡り歩いたり、山道を登って談山神社に出たり、大和路を随分歩いていたが、大らかで茫洋とした感じの奈良の田舎の風景が懐かしく、この文楽を見ながら、久しぶりに、あの頃に思いを馳せていた。
物語に文句をつけるつもりはないのだが、大体、この話は、女性が一途に思いを遂げるべく生きようとするのだが、男が勝手と言うか、筋が通っているようで通っていない生き方をしているのが気に入らない。
淡海の方は、お三輪とも実質夫婦関係にあるし、入鹿討伐を目論んで橘姫に近づいたのであろうが、御殿から通いつめているのであるから懇ろであろうし、更に、敵味方であることを知り抜いて死を覚悟で恋い慕っている橘姫に、恋を全うしたければ、入鹿所有の三種の神器の一つ十握の剣を奪えと交換条件を出す勝手さ。
鱶七も、鎌足に忠たるためには、入鹿殺害のためにはお三輪は格好の獲物で、何の躊躇もなく刺し殺す。
尤も、当時は、大義のためには、女性の犠牲などはどうでも良いと言う価値観なり世相だったのだろうが、このあたりの理解なり感情がしっくり行かないと、玉女の鱶七の偉丈夫な立ち居振る舞いが、如何に豪快であり、颯爽としていても、どうしてか、感激を通り越して白けてしまう。
最近、歌舞伎や文楽を見ていて、そんな思いが強くなって来ていて、理屈では分かっていても、ストーリーの流れにすんなりとついてい行けなくなって困っている。
さて、私は、女形としての紋壽の人形は群を抜いていると思っているので、今回も、健気で必死の田舎娘お三輪の舞台を楽しませて貰った。
「金殿の段」での孤軍奮闘とも言うべき悲劇の場は、お三輪あっての舞台だが、これでもかこれでもかと言った調子で痛めつけられながらも健気に耐え抜き、最後には、怒りと、求馬への激しい思いと橘姫への嫉妬が渦巻いて半狂乱になって御殿の廊下を駆け抜き鱶七に刺されるのだが、起承転結の激しいお三輪を、紋壽は、巧みに泳がせていて、悲劇を炙り出して凄まじい。
和生の、一寸抑え気味だが風格のある淡海が、中々、優雅な雰囲気を醸し出していて好ましいと思った。
玉女は、今や、文楽界の立役のトップ人形遣いであるから、文句のつけようがないのだが、前述したように、豪快であればあるほど、偉丈夫であればあるほど、ストーリーに隙間風が通るような感じがして見ていた。
私には、歌舞伎でも随分見ているのだが、この金殿の場の、お三輪犠牲のストーリーそのものが、居た堪れないほど、悲痛で悲しい話なので、合わないのかも知れないと思っている。
尤も、豆腐の御用(勘壽)の登場は、一幅の清涼剤として面白いと思っている。
大夫の語りと三味線に関しては、最近、十分に馴染み始めて来ており、文句なしに楽しませて貰った。