熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭・・・秋の気配、枯れ葉の思い出里の秋

2017年11月06日 | わが庭の歳時記
   秋と言えば、私にとって懐かしいのは、やはり、子供の頃の宝塚の田舎での思い出である。
   宝塚と言っても、宝塚歌劇の大劇場のある山際の動物園などのあった観光地の方ではなく、もう少し南に下って、尼崎に近い方には、田園地帯が広がっていた。
   原田泰司の絵の世界で、やはり、里が美しいのは、赤や黄色の暖色に染まった収穫の秋で、落葉樹が散り始めると、気の遠くなるような冬が足音を忍ばせて迫ってくる、この静寂への予感。
   今では、高速道路が走っていて、びっしりと建物が建て込んだ繁華な住宅街になってしまって、季節の変化など昔の面影が全くなくなっている。
   この西鎌倉山の住宅地では、枯れ葉を寸暇を惜しんで掃き集めて、道路を綺麗にするのだが、落ち葉がうずたかく積もって、寒風に舞っていた里の秋が懐かしい。
   悪ガキどもが集まって、今の様に、美味しくて立派なものではなかったが、焚火に、サツマイモをほり込んで、食べるのが楽しみであった。
   刈り入れの終わった田圃でくんずほぐれつ、夕焼け空に染まる雁の鉤飛行を見上げながら、家路につく日々、宿題などしたことがなかった子供時代。
   何故か、真っ赤に燃える紅葉や、渋柿の渋かったことなど、強烈に覚えている。

   一面、田畑や林などが広がった農村地帯で、小さな集落が、とびとびにあって、夫々に、鎮守の森も小さなお寺もあって昔の典型的な里の風景が展開されていた。
   勿論、盆踊りもあれば、秋の村祭りもあり、時には、田舎周りの芝居小屋が立ち国定忠治が演じられ、村の大通りで、鞍馬天狗の映画が上映されることもあり、小さな密着したコミュニティが、営まられていたのである。
   近所の農家から出荷されてきたトマトの品評会があって、検査官が、トマトの箱に、秀、優、可などと言ったハンコを、パンパン押して回るのを見て、商売の一端を垣間見た思いで、面白かった。

   小学生の頃までしかいなかったので間違いないが、今と違って、子供たちが、拍子木を打って夜回りしていて、地蔵堂の後ろから飛び出して、お化けだと言って騒いでいたのなどを覚えている。
   夏には涼しくて良いが、冬の寒さは大変であったが、村の伝統で、子供の夜回りなど、今では、警察が許さないであろうが、平和な時代だったのである。

   さて、そんな田舎の秋を思い出させてくれ木々の変化、
   私の庭にも、残っていて、あの懐かしい雰囲気を醸し出している。

   アメリカハナミズキやクロガネモチなどの赤い実。
   柿やキウイ、ミカン。
   それに、柿やブルーベリーの紅葉。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
コメント
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