熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秋の気配、美しい秋の風景に思う

2017年11月04日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   関東に来てから、何故だか分からないのだが、秋の風情を十分に感じたことがないような気がする。
   まず、行くべきところへ行っていない所為もあろうが、関西で鑑賞していたような真っ赤に萌えたった、あるいは、極彩色に輝く紅葉の美しさを見たことがないのである。
   鎌倉に来てからも、4回目の秋を迎えるのだが、それなりに綺麗な紅葉の風景に接しても、どこか、雰囲気が違っている。

   尤も、全く春秋の風景が美しくないのかと言うと、佐倉に住んでいた時に、佐倉城址公園や近くの公園に行って、随分、季節の移り変わりの美しさを感じて、かなり、綺麗な雰囲気のある写真を撮って楽しんできた。
   それでも、昔、宝塚の田舎で見た本当の童謡の世界のような里の秋そのものの懐かしい秋や、学生時代に平家物語や源氏物語の世界を味わいたくて京都や奈良を歩き回った時に感じた、目くるめくような秋色に感動し没頭した思い出は蘇ってはこない。
   赤とんぼは、本当に真っ赤であったし、もみじに萌える山や森の極彩色の錦は、錦絵以上にビビッドで美しかった。

   この頃、こんな思いは、自分自身で作り上げた心象風景ではないかと思うこともある。
   しかし、この十年くらいの経験での印象でも、やはり、京都や宇治、奈良などの秋や春の美しさの方が勝っているように思う。
   実際に行ってみて、偶々、シーズンに遭遇したとは言え、平等院や宇治川河畔の紅葉の美しさや醍醐寺三宝院の桜の途轍もなく華やかな雰囲気などは、やはり、感動そのものであった。

   この頃、能を楽しみ始めて感じたのだが、関西の風物に印象付けられるのは、歌枕であったり、日本の古典文学の舞台になっている場合が多くて、物語と同化しながら、私自身の心象風景を増幅しているのではないかと思っている。
   私が住んでいた阪神間のあっちこっちが、能の詞章に随分出てくるし、それに、よく知っている京都や奈良となると、頻繁に出てくる。
   そして、感受性の強い若い頃の思い出であるし、何十年も前には、今の様に脇目をふるようなことも少なかったし、とにかく、自然の移り変わりや、その美しさに感動できたのであろう。

   一寸、日本とは違った欧米の秋の風景は、私には、黄色一色に染まった黄金色の森林の風景である。
   これは、アメリカでも、オランダでも、フランスでも、イギリスでも、感じたのだが、秋色深い森の中を走っていると、真っ黄色のトンネルを潜っているようで、美しかった。
   何故か、欧米では、日本の紅葉の様に赤く燃える赤系統の落葉樹が少なくて、ノスタルジアを感じたのだが、唯一、思い出に残っているのは、ジュネーブ湖畔を走っていた時にブドウ畑であったであろうかあずき色の勝った暖色の風景を見たのを思い出す。
   カナダのメープルは、朱色の世界を現出するようだが、まだ、その秋の風景を見たことがないのだが、フィラデルフィアでは気づかなかった。

   高峰秀子さんの「優しい可憐な野の花」と言うエッセイを読んでいて、
   日本の四季の中で、私が一番好きなのは秋。
   と書いてあったのを読んで、何となく、秋の風景を綴ってみた。
コメント
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