「日本は特別な国」という思い込みを捨てろ!と言うサブタイトルのついたこの本、両著者の本は、まだ、読んだことはないのだが、結構面白かった。
色々、問題提起があって、傾聴に値するのだが、まず、一点、国際情勢が極めて流動的で、益々、混迷を深めつつある今日、一体、国家について、どのような政体なり、秩序維持体制が良いのかと言うことを問題にしたい。
まず、ISが何故勃興して世界中を震撼させたのか。
ISが生まれたのは、イラクでフセイン政権が、民主主義でないにしろ、それなりに社会を纏めて治めていたのを壊してしまったのが原因である。アフガニスタンもパキスタンも、ビン・ラディンを匿っていると言う理由でタリバン政権を壊した結果だと言う。
文化や伝統が異なれば、社会の安定の仕方も異なり、それを外の世界の人間がけしからんといって壊してしまえば、おかしくなるのは当然で、政治の安定があって初めて経済も発達し、仕事があれば若者も落ち着く。と言うのである。
ISは、曲がりなりにも安定していた国家をぶっ壊したために生まれた「非成立国家」であって、あれは、単なるテロではなく、余計なことをして秩序を破壊してきた国に対する戦争だと捉えた方が良い。
また、中東の非成立国家の誕生には、第一次世界大戦後に、西洋列強による恣意的かつ無茶な国境分割がある。夫々の国の成立の時点で、ボタンの掛け違いがあり、人為的に国境の線引きをして、さらに、ブッシュ政権がその地域を壊したのであり、中東の人々の間に、ISの主張にいくばくかの正当性があり、テロ集団がイスラム教を利用しただけだ。と言っている。
アメリカの中近東に対する政策は、終始一貫しており、国益の維持確保が最優先であろうが、欧米先進国が発展維持してきた民主主義の普及定着であって、欧米式の政治経済社会体制のみが、地域の発展に貢献すると言う神話に近い思い込みであろうと思う。
フセインやアサドの独裁政権に対する人権侵害に対して強硬に糾弾してきたが、全く、歴史的な背景や文化文明の異なるこれらの体制に対して、破壊的行動に出ることが、果たして、現地国民にとっても世界秩序の維持のためにも、最善の方法かと言う疑問を呈している。
欧米の民主主義を根幹とした政治経済社会体制そのものが、人類の発展のためには最適であり、かつ、正統であり正義であると言う信念、そして、どの国家も、この過程を経て進歩発展するのだと言う思い込み。
経済成長、経済発展も、フリードリッヒ・リストやカール・マルクスやウォルト・ロストウの経済発展段階説に典型的に表れているように、かっては、同じ段階を進んで行くと考えられていた時期もあったが、今日のグローバル経済を考えただけでも、中国やインドなど新興国、あるいは、アフリカなどの発展途上国の経済発展を考えても、様変わりと言えないまでも、多様化しており、線形ではなくなっている。
ロシアを考えてみれば、これまでに、民主主義的な政権が成立したことはなく、大統領に就任して17年のウラジミール・プーチンが、スターリン以降最強の独裁的な指導者として君臨している。
成長発展の観点からは疑問はあるかも知れないが、かってのペレストロイカ以降の経済的混乱を経た今日、最も政治経済は安定している。
欧米の民主主義体制から考えれば、考えられないくらいの人権無視の独裁的専制政治体制(?)かも知れないが、平和と安定と言った観点から見て、ロシア国民にとっては、これで良いのかどうかは、別問題のような気がする。
同じことを、習近平の中国にも言えるのではないかと思っている。
中国自身が認めているように、まだ、発展途上国の段階、と言うよりも、そのような経済状態を内包した経済状態であるとしても、数億の民を貧困ラインから解放し、この2~30年、驚異的な経済成長発展を遂げていることは事実で、何を言おうとも、共産党一党独裁下での政治経済社会の安定あってこそではないかと言う気がしている。
文革少し後の北京を見て知っているが、あの当時の悲惨な最貧国状態の中国と比べれば、米国を凌ぐ勢いの近代中国の成長発展ぶりは、正に、驚異としか言いようがなかろう。
政治経済の安定が確保されておれば、独裁政権でも専制国家体制でも何でも良いのだと言う気はさらさらないが、しかし、国家体制が、ある程度秩序を保って安定していない限り、何の発展も成長も実現不可能ではないかと言うことである。
グローバル時代となり、知識情報が一気に伝播拡散して行く今日において、孤立する国家の存在は不可能となろう。
この本の著者たちの説を敷衍すれば、どの国においても、歴史や発展段階、文化文明の依って立つ立ち位置が異なるのであるから、その国に似つかわしい政治経済社会の安定があってこそ、発展なり成長があると言うことであろう。
大分前に、西欧型資本主義とは違った形の、中国型の経済発展システムが生まれるのではないかと思うと書いたことがあるが、2049年に向かって驀進(?)する中国の政治経済体制も、新しい価値観を生みながら進んでいくような気がしている。
色々、問題提起があって、傾聴に値するのだが、まず、一点、国際情勢が極めて流動的で、益々、混迷を深めつつある今日、一体、国家について、どのような政体なり、秩序維持体制が良いのかと言うことを問題にしたい。
まず、ISが何故勃興して世界中を震撼させたのか。
ISが生まれたのは、イラクでフセイン政権が、民主主義でないにしろ、それなりに社会を纏めて治めていたのを壊してしまったのが原因である。アフガニスタンもパキスタンも、ビン・ラディンを匿っていると言う理由でタリバン政権を壊した結果だと言う。
文化や伝統が異なれば、社会の安定の仕方も異なり、それを外の世界の人間がけしからんといって壊してしまえば、おかしくなるのは当然で、政治の安定があって初めて経済も発達し、仕事があれば若者も落ち着く。と言うのである。
ISは、曲がりなりにも安定していた国家をぶっ壊したために生まれた「非成立国家」であって、あれは、単なるテロではなく、余計なことをして秩序を破壊してきた国に対する戦争だと捉えた方が良い。
また、中東の非成立国家の誕生には、第一次世界大戦後に、西洋列強による恣意的かつ無茶な国境分割がある。夫々の国の成立の時点で、ボタンの掛け違いがあり、人為的に国境の線引きをして、さらに、ブッシュ政権がその地域を壊したのであり、中東の人々の間に、ISの主張にいくばくかの正当性があり、テロ集団がイスラム教を利用しただけだ。と言っている。
アメリカの中近東に対する政策は、終始一貫しており、国益の維持確保が最優先であろうが、欧米先進国が発展維持してきた民主主義の普及定着であって、欧米式の政治経済社会体制のみが、地域の発展に貢献すると言う神話に近い思い込みであろうと思う。
フセインやアサドの独裁政権に対する人権侵害に対して強硬に糾弾してきたが、全く、歴史的な背景や文化文明の異なるこれらの体制に対して、破壊的行動に出ることが、果たして、現地国民にとっても世界秩序の維持のためにも、最善の方法かと言う疑問を呈している。
欧米の民主主義を根幹とした政治経済社会体制そのものが、人類の発展のためには最適であり、かつ、正統であり正義であると言う信念、そして、どの国家も、この過程を経て進歩発展するのだと言う思い込み。
経済成長、経済発展も、フリードリッヒ・リストやカール・マルクスやウォルト・ロストウの経済発展段階説に典型的に表れているように、かっては、同じ段階を進んで行くと考えられていた時期もあったが、今日のグローバル経済を考えただけでも、中国やインドなど新興国、あるいは、アフリカなどの発展途上国の経済発展を考えても、様変わりと言えないまでも、多様化しており、線形ではなくなっている。
ロシアを考えてみれば、これまでに、民主主義的な政権が成立したことはなく、大統領に就任して17年のウラジミール・プーチンが、スターリン以降最強の独裁的な指導者として君臨している。
成長発展の観点からは疑問はあるかも知れないが、かってのペレストロイカ以降の経済的混乱を経た今日、最も政治経済は安定している。
欧米の民主主義体制から考えれば、考えられないくらいの人権無視の独裁的専制政治体制(?)かも知れないが、平和と安定と言った観点から見て、ロシア国民にとっては、これで良いのかどうかは、別問題のような気がする。
同じことを、習近平の中国にも言えるのではないかと思っている。
中国自身が認めているように、まだ、発展途上国の段階、と言うよりも、そのような経済状態を内包した経済状態であるとしても、数億の民を貧困ラインから解放し、この2~30年、驚異的な経済成長発展を遂げていることは事実で、何を言おうとも、共産党一党独裁下での政治経済社会の安定あってこそではないかと言う気がしている。
文革少し後の北京を見て知っているが、あの当時の悲惨な最貧国状態の中国と比べれば、米国を凌ぐ勢いの近代中国の成長発展ぶりは、正に、驚異としか言いようがなかろう。
政治経済の安定が確保されておれば、独裁政権でも専制国家体制でも何でも良いのだと言う気はさらさらないが、しかし、国家体制が、ある程度秩序を保って安定していない限り、何の発展も成長も実現不可能ではないかと言うことである。
グローバル時代となり、知識情報が一気に伝播拡散して行く今日において、孤立する国家の存在は不可能となろう。
この本の著者たちの説を敷衍すれば、どの国においても、歴史や発展段階、文化文明の依って立つ立ち位置が異なるのであるから、その国に似つかわしい政治経済社会の安定があってこそ、発展なり成長があると言うことであろう。
大分前に、西欧型資本主義とは違った形の、中国型の経済発展システムが生まれるのではないかと思うと書いたことがあるが、2049年に向かって驀進(?)する中国の政治経済体制も、新しい価値観を生みながら進んでいくような気がしている。