熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

自動運転はグーグルの世界なのであろうか

2017年11月14日 | 経営・ビジネス
   ジョン・マルコスの「人工知能は敵か味方か」を読んでいて、当然のことだと思うのだが、自動車は、最早、自動車メーカーが主導権を握れる産業ではなくなったのではないかと気づいたのである。
   電気自動車が脚光を浴び始めると、イーロン・マスク率いるテスラモーターズが、一気に、躍り出たを見ているので、驚くことはないのだが、基幹産業である自動車産業さえも経営コンセプトが大きく変わる時代となったと言うことである。
   グーグルが開発を進めている自動運転によって、カメラがパソコンの周辺機器に成り下がってしまったように、自動車メーカーも下請けになってしまう可能性があると言うことである。

   異なる事業構造をもつ企業が、全く異なるルールで、同じ顧客や市場を奪い合う競争、いわゆる、異業種間競争が当たり前になってしまった今日、予想もしない分野から突然新しい競合企業が現れて、成長産業を、一瞬に葬り去る下剋上の出現も珍しくはない。

   さて、自動車産業では、今、自動運転が最大の話題となっており、製造販売が、間近と噂されている。
   しかし、興味深いのは、既存の自動車会社が、自動運転に注目し始めたのが、それ程早くなくて、むしろ、研究機関やICT企業が、人工知能の開発と言う切り口で先行していたと言うことである。
   
   自動運転は、元々、DARPA(国防高等研究計画局)が先行していて、DARPAチャレンジ競技でのグーグル・プリウスの快進撃に、アメリカ自動車産業の揺り籠であるデトロイトにさざ波を立てたと言う。
   自動車産業は、車は人間がドライブするもので、自動走行すべきではないと言う従来のポジションを守っていて、自動車産業はほぼすべてコンピューターテクノロジーに抵抗していて、「コンピューターにはバグがある」と言う哲学に固守していた。
   2010年春、実験的なグーグルカーのうわさがシリコンバレーで聞かれるようになったが、グーグルは、AIや世界を変える未来的な技術による奇抜なプロジェクトを推し進めている、名目上は、インターネット検索を提供する会社が何を、当初はばかげた話に聞こえた。と言うのである。

   しかし、グーグルは、2008年に、全米のあらゆる通りに建つ建物やビルのデジタル画像をシステマチックに撮影するストリートビューカーを作り、翌年には、公道やハイウェイを走る走行車を作り、自動走行システムを踏査し下小さなトヨタ・プリウスを走らせていた。
  360度回転するライダーが1台、屋根から30センチの高さに着けられた奇妙な外観のこのトヨタ車は、よく走っているグーグル・ストリートビユーカーと勘違いされたので気付かれなかったと言う。

   自動車業界は、車にコンピュータ・テクノロジーやセンサーを搭載させてはいたが、その取り組みは極めて緩慢で、グーグルの大躍進に震撼したデトロイトは、かって、マイクロソフトがウインドウズが業界スタンダードとなって、業界の利益は殆どマイクロソフトに流れて、ハードウェア・メーカーの製品は低マージンのコモディティに成り下がったのと同じ脅威に晒されていることを悟った。

   特筆すべきは、グーグルのグローバル・マップのデータ・ベースが、グーグルのアプローチに随分役立っていると言うことである。
   グーグルは、自走車プログラムの開始から、自動車業界では不可能だと思われる領域でも、大変な距離を自動走行してきたが、インターネットでバーチャルなインフラを作ってこれを行なった。
   「スマート」ハイウェイには膨大なコストがかかるが、その代わりにグーグルは、グーグル・ストリートビューの精密な世界マップを使ったのである。

   2013年末までに、6社以上の自動車メーカーが自動走行車の開発を発表し、今日では、はるかに、自動走行事業は進展しており、自動運転車の実現も間近だが、このAIを駆使した自動運転は、所詮、ICT技術の世界であり、自動車メーカーが、果たして、グーグルに勝てるのかどうか、破壊的イノベーションの擡頭とその帰趨を浮き彫りにしているようで、非常に興味深い。
コメント
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