熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

伊藤元重著「日本経済を「見通す」力」

2017年11月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2年前の出版なので、この種類の本は、賞味期限は切れているのだが、安倍政権半ばの頃の経済状況にも多少興味があり、慶応MCCの講座本でもあるので、読んでみた。
   伊藤教授については、御用学者だとか安倍政権寄りだとか、結構、批判されているが、そんなことは、経済学講義にとっては子細なことで、何をどのように説いているか、経済学に対する教授の姿勢なり知見を理解できれば良いのである。
   私自身は、教授の講演を聞いたり書籍も結構読んでいるが、最新の経済学や経済の動向については、教えられることも多く、少なくとも、日本経済の分析に関しては、主張は兎も角として、これだけ、幅広く豊かに分かり易く解説できる経済学者は少ないと思っている。

   さて、伊藤教授のこの本での見解は、常識的で殆ど既知であり、私が知らなかったのは、リカードの比較優位論のところで説かれていた、国内の同じ産業内の資源の再配分が調整されて、その産業がより強くなる可能性があると言うメリッツ効果であった。
   ハーバードのマーク・メリッツ教授が提唱したと言う
   同じ産業の中で、競争力のある企業(生産者)と競争力のない企業が共存している。貿易自由化や規制緩和は、こうした産業内の調整(淘汰と再編)を促すことで大きな経済効果をもたらし得る。と言う理論である。
   リカードの比較優位説では、ワイン産業ならワイン産業、農業なら農業なのだが、メリッツ理論では、例えば、日本の農業も、自由化すれば農業全体がダメッジを受けると言うことではなく、イノベイティブで競争力のある農家に活路を与え、生産性の低い農家を脱落させれば、日本の農家は自由化によって競争力のある農業に生まれ変わる可能性が出るのである。
   NAFTAで、どうせ勝ち目のないカナダのワインメーカーが、甘い上質なアイスワインを生産して、カリフォルニアワインと互角に渡り合ったと言うのがこのメリッツ効果の例であるが、要するに、農業は農業、医療は医療と言う産業ベースで、日本人が、TPP交渉に当たったと言うこと自体が問題であったと言うことである。

   これに関連して、日本産業の再興論でも同じ理論が成り立つ。
   伊藤教授は、スマイルカーブを説いた後で、日本の中流部門を占めているメーカーの業績の悪化や苦境の解決法、生き残り戦略は、企業の数を集約する以外にないと言う。
   「百貨店の未来」で、百貨店の統合再編を予言したと言うが、10以上も自動車メーカーがあり、カラーテレビのメーカーも多いが、これ程必要はなく、マーケットが2割縮小しても、仮に企業の数が6割になると、残った企業は、平均で2割売り上げが増える。と言う。
   尤も、企業の数を減らすと言う単純なことではなく、この産業構造を革新して高度化すると言うことでなければならないのは当然である。

   日本企業は、Japan as No.1時代の大量生産・大量消費のマスマーケティングの呪縛から抜け出せず、すべての関連製品を漏れなく幅広く生産販売する総合的な企業戦略を取っており、その業態がいまだに解消されずに続いていて、専門化や特化戦略を追求できずに、かつ、グローバル化、技術革新、少子高齢化ないし成熟化と言った時代の潮流に乗れずに呻吟している。
   しかし、この苦境から脱出するためには、スマイルカーブの一番厳しい中流のところでは、壮絶な調整が必須であり、これを乗り切れなければ、明日はない。
   別な意味でのメリッツ効果、すなわち、競争力のある革新的な企業を生かして、ゾンビ企業など時代遅れの生産性の低い企業の淘汰を図ってその産業を活性化する以外に道はないのである。

   世間を騒がせた競争力の落ちた東芝や神戸製鋼の経営破綻の一端の原因は、このあたりの日本の製造業の経営の在り方に問題があったような気がしている。
   日産や東洋ゴムの不祥事なども、惰性に流れた経営の蛸壺化や制度疲労など隘路をクリア出来なかったのであろう。
   激動渦巻く経営環境の大変化にキャッチアップ出来ずに、益々窮地に堕ち込んで行く企業の喘ぎが、世界に冠たる工業立国日本の悲劇を象徴しているような気がする。
   尤も、今日、多くの日本の製造業が、体力が回復して増益基調に転換したのは、非常に明るい兆候で、成長戦略を展開して攻撃に転じる時期が間近いことを期待したいと思う。

   ユニクロの成功は、正に、ビジネスモデルの成功によるものであったが、日本の歴史と伝統のある多くの企業は、主に、レッドオーシャン市場に固守して、古い経営戦略と企業体質、同じような製造販売の編成やセグメンテーションから脱皮することが出来なかった。
   例えば、百貨店は、ICT革命によって新しいビジネスモデルで生まれた新興アマゾンや楽天に勝つすべもなく衰退の一途を辿り、GMの様にビジネスモデルの変換をなし得ない多くの日本のトップ製造業は、成長から見放されて苦境をかこっている。
   競争力をなくした企業を淘汰せずに、合併・統合・再編を繰り返して企業数を減らすだけでは、国際競争力に伍しては行けないのは必然であろう。

   伊藤教授の講座は、社会人を相手にしてのものだが、どうすれば、産業構造の変化や企業の再編が可能かと言った問題に、踏み込もうとしているのだが、日本の企業の戦略なり経営手法を問題にするのなら、これは、経営学の領域であり、どうしても議論に無理がある。
   随所に、イノベーションと言う言葉が出てくるのだが、シュンペーターならいざ知らず、マクロ的な経済論では、突っ込み不足で、宙に浮いてしまっている。
   しかし、アベノミクスの第三の矢成長戦略については、すべからく、シュンペーターの創造的破壊による成長戦略でなければならないと思っているので、経営学には多くのイノベーション論なり成長戦略論があるが、暴論ながら、基本的にはドラッカーの世界である。
   伊藤教授は、成長戦略はサプライサイドに働きかける政策だが、アベノミクスの第三の矢は、デマンドサイドを加味した成長戦略だと言っている。
   いずれにしろ、サプライサイド、デマンドサイド相まっての経済成長であるのだが、本格的なサプライサイドをフル回転させる成長戦略には、日本の経済構造そのものの大変革と経済政策の大転換が必要であろうと思う。
   少し、端緒につきかけた小泉竹中内閣の経済政策が国民の抵抗を惹起したように、日本社会では、中々難しい戦略であるような気がする。
   それに、もっと保守的な安倍政権が、更に革新的かつ創造的な成長戦略に踏み込めるかは疑問であり、伊藤教授の論述でさえ腰が引けているのも、当然かもしれない。
コメント
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