熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ビル・エモット著「なぜ国家は壊れるのか イタリアから見た日本の未来」

2017年11月28日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本のタイトルは、
   Good Italy, Bad Italy: Why Italy Must Conquer Its Demons to Face the Future
   日本版のタイトルのような書名に、どうしてなるのか、
   翻訳本では、このように、売らんかなの意図が強くて、著者の本意をスキューしているタイトルが多いのに驚いている。

   本書のタイトルは、「なぜ、国家は壊れるのか」ではなく、「グッド・イタリア、バッド・イタリア、イタリアは、将来に直面するために、なぜ、デーモンを克服しなければならないか、すなわち、イタリア国家を不幸に陥れているバッド・イタリアを克服して、本来イタリアが持てるグッド・イタリアを再興喚起して、イタリアを再び幸せな国家として再生すべきだと言うことで、ビル・エモットは、国家の崩壊と再生を論じながら、未来への処方箋を説こうと試みたのである。

   まず、この日本版のプロローグが、「驚くほど重なる日本とイタリア」と言うタイトルで、著者は、
   日本とイタリアには、違いはあるものの、・・・両国の不幸の原因には共通するところが少なくない。イタリアは、・・・先進国が、将来抱えうる問題を提起しており、特に日本とは驚くほど共通点が多い・・・不幸な国は、実際は同じ理由から不幸であることが多い(ので)、イタリアから改めて多くを学んでほしいと思う。と言ってはいる。
   しかし、本書を読んでの感触だが、著者の言う両国の深刻な共通点の存在や、その不幸を克服するための処方箋の共通性などについては、落ちぶれた国は、どこも同じだと言う視点は同意するにしても、特に、経済面では、それ程似ているようには感じられないのである。

   尤もかも知れないのだが、このプロローグで、真っ先に述べている類似点は、両国の政治の利己的行動。
   両国の政治家の大半は、自分自身の金儲けのためと、政治力を駆使して、自分たちの後援者と支援企業に対して、資金援助をするために職についていたのである。
   両国の政治家は、その職が家族の遺産であるかのように、親族へ引き継がれ選挙区も譲り受け、腐敗スキャンダルや政党の金融スキャンダルは、日常茶飯事である。
   派閥の方が政党よりも、お金がイデオロギーや政策よりも、さらに個人の利益の方が国益よりも一層大切なのである。このことから、過去10年間、日本とイタリアが自国を改革し、再興させるのに失敗したことがよく分かる。
   政治家は、改革についてお互いに同意できないし、同意することにも興味がない。選挙民が怒っていないように見えるのは、政治家に期待が持てず、彼らに何も求めていないからである。
   と、ビル・エモットは、極めて辛辣。
   イタリアレポートで、コテンパンに糾弾して追放の憂き目にあった悪徳政治家ベルルスコーニと、日本の安倍政治も全く同じであって、こんな状態を続けている限り、日本も再生不可能であるから、どうしようもないイタリアの現状をよく見て、わがふりを直せ、と言っているのである。

   ビル・エモットは、日本の既得権の力や腐敗度だけではなく、政治的負担と非競争的な保護産業が重視された結果、かって勝利を収めていたグッドの勢力を低下させたので、政策決定者の任務は、このバランスを元に戻すことであり、トップからボトムに国家を変えることではない、と言っており、けだし至言。
   日本の政治を、これほどまでに見下されると腹が立つのだが、子供でさえ分かるような安倍政権と森友・加計との恐ろしいほどお粗末な関係が、現に存在すると言う現状を考えれば、日本は、エモットの言うようにイタリア並の政治的後進国だと言うことであろう。
   
   それ程、遠くない過去において、イタリアは、人も羨むダイナミズムと急速な経済成長を謳歌して発展し続ける経済大国であったのだが、一気に、最も硬直的な経済に転落してしまって、今や、EUでは、ギリシャに次ぐ深刻な問題国家に成り下がってしまった。
   イタリアは、日本と同様に、ダイナミズムと進歩的で開かれた「グッド・イタリア」と、反面、利己的かつ閉鎖的で、保守的な力があり、腐敗と犯罪行為を行う「バッド・イタリア」が共存しているのだが、1990年以来、「バッド・イタリア」が、強力となり優勢となって、イタリアをスポイルしてしまったと言うのである。

   ビル・エモットは、第1章で、今回のイタリアの経済苦境を更に複雑化している要因として、3点を挙げている。
   一つ目は、政府の大半の指導者が汚職のために裁判にかけられ、主要政党が崩壊すると言う政治危機を経験し、新たな政治上のくらい道に、夢遊病の様に入り込んだベルルコーニによる膨大な富とメディの力の合体。
   二つ目は、1990年以降、持続不可能な膨大な政府債務の重荷を積み上げてきていたにも拘わらず、真実を語らずに対処しなかった広範な失敗と責任。
   三つめは、当初の経済危機は、イタリアだけの問題だったが、20年後に、単一の通貨を共有するユーロ圏全体に関連してしまったこと。

   あの鉄の女サッチャーでさえ、イギリスを改革するのに、多くの既存利益団体や抵抗勢力と戦うのに、10年もかかったのであるから、それよりはるかに混迷が深まり複雑に錯綜した腐敗度の高いイタリアを、どのようにして再興させるのか。
   ビル・エモットは、最終章で、グッド・イタリアの覚醒のために、国有企業の民営化、二大政党制への移行、若者の負担を減らす労働法の改正、事業拡大を促す司法制度の改革、男性支配社会からの脱却、反トラスト法よりも既得権の粉砕、大学改革等々、果敢に、再生への処方箋を提言している。

   この本がイタリアで読まれているのかどうか分からないが、イタリアは、世界を制覇したローマ帝国を築き上げ、壮大なルネサンスを開花させた世界一の文化文明国であった筈。
   メディチが、フィレンツェを文化文明の十字路にして超一級の学者や芸術家を糾合して、輝くばかりの学問芸術の中心地として、人類の歴史を高みに昇華させた偉大な足跡を残した故地である。
   眠っているとは言え、創造性豊かでイノベイティブなDNAが内在している筈であり、ビル・エモットの言うように、イタリア人としてのアイデンティティを確立することであろうと思う。
コメント
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