熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・黒川能「井筒」「土蜘蛛」「節分」

2017年11月12日 | 能・狂言
   黒川能が、国立能楽堂で行われ、私は、最後の第三部だけ鑑賞した。
   プログラムは、次の通り。

   第3部 11月11日(土)午後6時
   能(上座)井筒(いづつ)
   狂言(下座)節分(せつぶん)
   能(下座)土蜘蛛(つちぐも)

   「式三番」や「鐘巻」などにも大変興味があったのだが、都合がつかず行けなかったものの、よく知っている「井筒」と「土蜘蛛」、そして、狂言「節分」であったので、非常に興味深かった。
   五流の能とどのように違って演じられるのか、同じ伝統でも、式能として昇華された(?)能と、農と芸と信仰が一体となって育まれてきた庶民の能との違いに興味を持った。

   まず、「井筒」も「土蜘蛛」も、ストーリー展開としては、特に、違っているようには思えなかったし、詳しく調べてはいないが、詞章も同じであったような気がする。
   しかし、随所に、微妙な違いとか新しい発見があって、非常に楽しませて貰った。

   能楽師の謡だが、どこかで聞いた懐かしいサウンドだと思ったら、これまでに、何度か観て聴いた沖縄の組踊の役者たちの台詞回しと非常によく似ているのである。
   非常に、平板で抑揚に乏しく流れるように流麗に謡われる。
   しかし、時には、地謡に目立つのだが、上下に波打つように謡われて迫力を増す。

   また、謡に、東北訛りが加わっているようで、土の香りがして感激したのだが、私の様に能楽初歩のものにとっては、能楽堂常備のディスプレィが役に立った。
   また、小鼓と大鼓の掛け声にも、かなり、差があったようで興味深かった。

   何よりも興味深いのは、出だしから威儀正しく、能楽師たちの登場から違っていて、揚幕から、地謡方を先頭にして、囃子方が、しずしずと、
   小鼓、大鼓は、左手をすっくと伸ばして捧げ持ち、太鼓は、両手を伸ばして捧げ持ちながら登場し、地謡方は、やや、地謡座の切戸よりに、笛方は、地謡と小鼓大鼓の中間くらいに着座する。

   最も、感動的なのは、演能前に、神事能の神事能たる所以であろうか、囃子方と地謡方が、一斉に手をついて深々と長い間拝礼することで、終演後の退場前にも繰り返される。

   能楽師、シテもワキもアイも、舞台上では、揚幕から、両手を斜め前にやや下し気味に開いて登場し、左手に扇などを持つ時には前腹に当てて手を曲げて、右手に何かを持つ時には手を横に突き出したままの状態で持ち、何も持たない時には、人差し指だけを常時伸ばしていて、舞ったり何か振りを行なう時以外は、全く同じ姿勢で舞い続けているのが、非常に、神がかり的な印象を感じて不思議であった。

   ところで、先に観た九州の神楽の様に、この黒川能も、春日大社の氏子は、約240戸で、上座と下座に分かれているのだが、能役者は、囃子方を含めて子供から長老まで約140人だと言う途轍もなく小さな小集団の黒川の住民たちが、非常に質の高い高度な、能面230点、能装束400点、演目能540番、狂言50番を伝えて来たと言うのであるから、驚嘆すべき事実である。

   脇正面前方で観ていたのだが、能面や装束については、五流の能とも遜色のない素晴らしいものであった。
   女面や井筒の娘の霊の面は、非常に優雅で美しかったし、土蜘蛛の前シテの僧のコミカルタッチの異様さや後シテの土蜘蛛の精のヒンズー教の神のような奇怪な面も上手くデフォルメされていていた面白かった。
   能「節分」の、鬼がゾッコン惚れこんで口説きにかかる女の面の可愛らしさは秀逸であった。

   私は、伊勢物語を題材にした「井筒」に興味を持ってみていたのだが、前シテの剣持一行師は、非常にスマートで顔にぴったちと小面がフィットしていて実に美しく、
   そして、後シテの剣持博行師の優雅な舞に、感動を覚えた。

   「土蜘蛛」は、やはり、頼朝頼光(清和幸輔)を狙う前シテの僧や土蜘蛛の精(蛸井栄一)の活躍であろうが、今まで観た能と比べて、糸を投げつける回数や派手さが、少し弱かったような気がした。
   尤も、その分、土蜘蛛の精と独武者たちの戦いが優雅に流れていた。
   糸投げは、最初は、前場で、舞台中央から頼光に向かって、二度目は、頼光と入れ替わって一畳台の上から頼光に向かって、次は、切られて退場間際に橋掛かり端から、頼光に向かって、・・・この時は、すっぽ抜けで、塊だけが、囃子方に飛んだ。
   後場では、独武者と従者に一人ずつ、投げつけたが、これは、優雅に開いて二人を押さえつけて効果的であったが、後は、五流の派手な糸投げと比べて、大人しかったような気がした。
   他の流派と違って、歌舞伎の様に、舞台上の蜘蛛の糸の始末を多少気にして片付けていたのが、面白かった。

   狂言「節分」も、大蔵流や和泉流の狂言と、殆ど違わなかったのだが、最後は、女(清和祐樹)が鬼(小林貢)に撒く豆の代わりに、小袋に入った菓子を客席に投げた。
   それに気を取られているうちに、いつの間にか、鬼が消えていた。
   鬼の世間離れした惚けた台詞回しが客席を喜ばせていた。

   やはり、能役者が少ない所為もあったのか、演者が若くて、多少粗削りながら、はつらつとしていたのが印象的であった。
   いずれにしろ、多くの能楽師や識者たちも注目したと言う黒川能の一端を垣間見た思いだが、つくづく、日本人の民度の高さと芸術に対する大変な能力とその途轍もない素晴らしさに感動している。
コメント
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