今月の「第413回 国立名人会」は、トリが上方落語の鶴光、東京ベースながら、上方落語と言うためかどうかは分からないが、いつもなら、早々にソールドアウトとなる「国立名人会」なのだが、直前まで、満員御礼ではなかった。
私など、上方落語であるから、文句なく真っ先に予約を入れ、あの映画「後妻業の女」のバッタ屋のおやじの何とも言えない惚けた雰囲気を味わいたくて、楽しみながら出かけたのである。
プログラムは、次の通り。
落語「子ほめ」 立川談洲
落語「紋三郎稲荷」 柳家小せん
落語「反対俥」 立川生志
落語「一人酒盛」 柳家小里ん
-仲入り-
落語「愛宕山」 三遊亭 笑遊
曲芸 ボンボンブラザース
上方落語「竹の水仙」 笑福亭鶴光
鶴光は、開口一番、客席を眺めて、「高齢化社会だんなあ」。
女は長生きするので、奥さんを大切にせなあかん、運転手や、ウンソウ、ハイソウ。
高齢化社会になると、脚光を浴びるのは、落語家で、定年がない。
門戸は解放されているが、大切なことは、師匠を選ばなあかん、と言って、入門時代の逸話を語り始めた。
入門の時、当時の四天王の一人松鶴に決めたのだが、直接訪問せずに、「入門を認めるなら○、認めないなら×」と書いて送ってくれと往復はがきを郵送した。勿論、返信など来るはずがないので、直接松鶴を訪れて弟子入りを直訴したのだが、師匠たる人物の名前の笑福亭の「笑」が「松」に誤っていたので、ドアホ!と怒られた。しかし、その時来ていたチラシも同じ間違いをしていて、プロでもこうだからと言うことで入門を許されたと言う。
ところが、師匠の松鶴は、秋田の👹のような厳つい顔。母に、顔の怖いのは心が優しいと言われたのだが、心も顔と同様に酷く、絶対服従で、一寸したことでも殴られ続けて苦難の連続。
面白いのは、青いマジックを買って来いと言われて、空色を買って帰ったら空色やないか、紺だと思って買って帰ったら空色が濃いだけやないかと言って拒絶したので、困って店主に言われて青系統のマジックを全部持って帰ったら、選んだのは、グリーン。これは、緑でんがな、と言ったら、信号は、あれが青やないかえ、と言ったと言う。
こんなマクラを語っていたので、本題の左甚五郎の人情噺「竹の水仙」が長いのかと思ったら、端折ってはいないが、ほぼ、時間通り30分で終わった。
3年前の年末名人会で、歌丸の「竹の水仙」を聴いているのだが、この時は、
歌丸は、甚五郎の修業時代から、竹の水仙を献上して宮中よりひだり官の称号をうけた話や、三井家から運慶の戎像の対として大黒像の彫刻を依頼されて、その手付金30両で、今回の旅の序奏となる江戸への旅に出立する話など、40分しみじみとした味わい深い話術で楽しませてくれた。
左甚五郎を主人公にした落語は、他に、「ねずみ」「三井の大国」がある。
「ねずみ」は、歌丸で一回聴いており、正蔵でも二回聴いており感激したのだが、「三井の大国」は、まだ、聴く機会がない。
信じられないような姿の立ち居振る舞いで現れる甚五郎が、素晴らしい彫刻を彫って感嘆させると言う心温まる人情噺であり、可笑しみ笑いと言うジャンルの落語ではないが、実に味があって、私は、この方が好きである。
鶴光の「竹の水仙」は、同じ話でも、歌丸とは随分ニュアンスも語り口も違ってはいるのだが、大阪弁の上方落語としての味があって、それなりに、楽しませて貰った。
柳家小里んの「一人酒盛」は、酒乱の酒好きが、客に上がりながら、主人にカンをさせて、一人で酒を飲みながら独り言を延々と語る話で、よくこれだけ、次から次へと酒飲みでしか分からないような御託を並べられるなあと思って、感心しながら聴いていた。
その老成した顔の表情や仕草が、親しかった同僚に生き写しで、懐かしさも加わって、しみじみとした感慨に耽っていたのだが、話術の冴えも勿論だが、噺家としての年輪と年季の深さを感じて感動して聴いていた。
この話、上方落語のようで、鶴光の師匠六代目松鶴の十八番だったと言うのだが、まだギラギラしている鶴光には、向かない話かも知れない。
三遊亭笑遊の「愛宕山」も上方落語だったようだが、
京都の旦那と幇間が、愛宕山参りをして、「かわらけ投げ」をした旦那が、かわらけの代わりに、懐から小判を30枚取り出したて投げたので、拾ったらやると言われた幇間の一八が、傘を広げて飛び降りて金を拾い、長襦袢を裂いて縄を綯い、その先に石を結わえ、谷の斜面の大きな竹の上部めがけて投げて縄を巻きつけて引っ張り、旦那たちが待つ崖の上に着地すると言う奇想天外の話。
オチは、「小判はどうした?」「あああ…忘れてきた」
落語「反対俥」を語った立川生志は、持ち時間が25分だが、話は10分で終わるのでと言って、マクラに、大宰府で多少縁があると言って、日馬富士のことどもについて語っていた。
「反対俥」は、上野駅に行きたい客が、無茶苦茶老いぼれた車夫と、無茶苦茶威勢が良くて速い車夫の俥に乗って駅に向かう話で、後者の俥では、障害物に出くわして何度も飛び上がるので元気な噺家でないと語れない噺だと言うのが面白い。
上野を通り過ぎて遠くまで行ってしまうので、終電に間に合わず、オチは、「大丈夫、始発には間に合いますから」ということのようだが、生志のオチは、青森の弘前まで行ってしまい引き返して上野について、「どこまで行くのか」「弘前まで」
とにかく、この噺も、奇天烈は噺であった。
柳家小せんの「紋三郎稲荷」 は、初めて聴く噺で、
駕籠屋に「紋三郎稲荷」の狐と間違えられた牧野家の家臣の山崎平馬が、松戸宿本陣でも騙し通して、夜明けを待たずにこっそりと江戸へ出立。祠の下から2匹の狐が出てきて平馬の後姿を見送り、「へぇ~。人間は化かすのがうめえや」
前座の立川談洲は、お馴染みの「子ほめ」。
パンチが聞いていて、若さが光っていた。
私は、まだ、繁華街の寄席には行ったことがないのだが、国立劇場の名人会は、よくプログラムされていて、いつも、楽しませて貰っている。

私など、上方落語であるから、文句なく真っ先に予約を入れ、あの映画「後妻業の女」のバッタ屋のおやじの何とも言えない惚けた雰囲気を味わいたくて、楽しみながら出かけたのである。
プログラムは、次の通り。
落語「子ほめ」 立川談洲
落語「紋三郎稲荷」 柳家小せん
落語「反対俥」 立川生志
落語「一人酒盛」 柳家小里ん
-仲入り-
落語「愛宕山」 三遊亭 笑遊
曲芸 ボンボンブラザース
上方落語「竹の水仙」 笑福亭鶴光
鶴光は、開口一番、客席を眺めて、「高齢化社会だんなあ」。
女は長生きするので、奥さんを大切にせなあかん、運転手や、ウンソウ、ハイソウ。
高齢化社会になると、脚光を浴びるのは、落語家で、定年がない。
門戸は解放されているが、大切なことは、師匠を選ばなあかん、と言って、入門時代の逸話を語り始めた。
入門の時、当時の四天王の一人松鶴に決めたのだが、直接訪問せずに、「入門を認めるなら○、認めないなら×」と書いて送ってくれと往復はがきを郵送した。勿論、返信など来るはずがないので、直接松鶴を訪れて弟子入りを直訴したのだが、師匠たる人物の名前の笑福亭の「笑」が「松」に誤っていたので、ドアホ!と怒られた。しかし、その時来ていたチラシも同じ間違いをしていて、プロでもこうだからと言うことで入門を許されたと言う。
ところが、師匠の松鶴は、秋田の👹のような厳つい顔。母に、顔の怖いのは心が優しいと言われたのだが、心も顔と同様に酷く、絶対服従で、一寸したことでも殴られ続けて苦難の連続。
面白いのは、青いマジックを買って来いと言われて、空色を買って帰ったら空色やないか、紺だと思って買って帰ったら空色が濃いだけやないかと言って拒絶したので、困って店主に言われて青系統のマジックを全部持って帰ったら、選んだのは、グリーン。これは、緑でんがな、と言ったら、信号は、あれが青やないかえ、と言ったと言う。
こんなマクラを語っていたので、本題の左甚五郎の人情噺「竹の水仙」が長いのかと思ったら、端折ってはいないが、ほぼ、時間通り30分で終わった。
3年前の年末名人会で、歌丸の「竹の水仙」を聴いているのだが、この時は、
歌丸は、甚五郎の修業時代から、竹の水仙を献上して宮中よりひだり官の称号をうけた話や、三井家から運慶の戎像の対として大黒像の彫刻を依頼されて、その手付金30両で、今回の旅の序奏となる江戸への旅に出立する話など、40分しみじみとした味わい深い話術で楽しませてくれた。
左甚五郎を主人公にした落語は、他に、「ねずみ」「三井の大国」がある。
「ねずみ」は、歌丸で一回聴いており、正蔵でも二回聴いており感激したのだが、「三井の大国」は、まだ、聴く機会がない。
信じられないような姿の立ち居振る舞いで現れる甚五郎が、素晴らしい彫刻を彫って感嘆させると言う心温まる人情噺であり、可笑しみ笑いと言うジャンルの落語ではないが、実に味があって、私は、この方が好きである。
鶴光の「竹の水仙」は、同じ話でも、歌丸とは随分ニュアンスも語り口も違ってはいるのだが、大阪弁の上方落語としての味があって、それなりに、楽しませて貰った。
柳家小里んの「一人酒盛」は、酒乱の酒好きが、客に上がりながら、主人にカンをさせて、一人で酒を飲みながら独り言を延々と語る話で、よくこれだけ、次から次へと酒飲みでしか分からないような御託を並べられるなあと思って、感心しながら聴いていた。
その老成した顔の表情や仕草が、親しかった同僚に生き写しで、懐かしさも加わって、しみじみとした感慨に耽っていたのだが、話術の冴えも勿論だが、噺家としての年輪と年季の深さを感じて感動して聴いていた。
この話、上方落語のようで、鶴光の師匠六代目松鶴の十八番だったと言うのだが、まだギラギラしている鶴光には、向かない話かも知れない。
三遊亭笑遊の「愛宕山」も上方落語だったようだが、
京都の旦那と幇間が、愛宕山参りをして、「かわらけ投げ」をした旦那が、かわらけの代わりに、懐から小判を30枚取り出したて投げたので、拾ったらやると言われた幇間の一八が、傘を広げて飛び降りて金を拾い、長襦袢を裂いて縄を綯い、その先に石を結わえ、谷の斜面の大きな竹の上部めがけて投げて縄を巻きつけて引っ張り、旦那たちが待つ崖の上に着地すると言う奇想天外の話。
オチは、「小判はどうした?」「あああ…忘れてきた」
落語「反対俥」を語った立川生志は、持ち時間が25分だが、話は10分で終わるのでと言って、マクラに、大宰府で多少縁があると言って、日馬富士のことどもについて語っていた。
「反対俥」は、上野駅に行きたい客が、無茶苦茶老いぼれた車夫と、無茶苦茶威勢が良くて速い車夫の俥に乗って駅に向かう話で、後者の俥では、障害物に出くわして何度も飛び上がるので元気な噺家でないと語れない噺だと言うのが面白い。
上野を通り過ぎて遠くまで行ってしまうので、終電に間に合わず、オチは、「大丈夫、始発には間に合いますから」ということのようだが、生志のオチは、青森の弘前まで行ってしまい引き返して上野について、「どこまで行くのか」「弘前まで」
とにかく、この噺も、奇天烈は噺であった。
柳家小せんの「紋三郎稲荷」 は、初めて聴く噺で、
駕籠屋に「紋三郎稲荷」の狐と間違えられた牧野家の家臣の山崎平馬が、松戸宿本陣でも騙し通して、夜明けを待たずにこっそりと江戸へ出立。祠の下から2匹の狐が出てきて平馬の後姿を見送り、「へぇ~。人間は化かすのがうめえや」
前座の立川談洲は、お馴染みの「子ほめ」。
パンチが聞いていて、若さが光っていた。
私は、まだ、繁華街の寄席には行ったことがないのだが、国立劇場の名人会は、よくプログラムされていて、いつも、楽しませて貰っている。

