熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

大倉源次郎の能楽普及論に思う

2017年11月18日 | 生活随想・趣味
   先の大倉源次郎師の本で、著者は、能楽普及について、如何にすべきか、熱烈に思いのタケを語っている。
   これについては、全く異存がなく、私もそのようにできればよいと思う。

   画家たちに、税制面で優遇措置を取ったことによってパリが絵画の一大ブームを引き起こして芸術文化の華が咲いたように、能楽の故郷である奈良に住めば、能楽に対する税の控除が得られるなど、奈良で能の主要な活動をして、世界への能楽発信基地にしたらどうか、と言う提言など面白い。

   著者も、「能は難しい」、勿論です。と言っている。
   しかし、そのことにこそ気づき、さらに深めようと志す人と心を育てるのが、教育の現場であり、先人からの本当の文化継承であるべきです。と言って、実際に、小鼓に触れて欲しいと仰る。
   あの能よりも比較的理解しやすい世界文化遺産の文楽でも、文化音痴の大阪府知事後に市長が、補助金を叩き切ってしまった現実を見ても、古典芸能に対する日本人の意識が分かろうと言うもので、現実には、凄い落差がある。

   問題は、能狂言ファン人口を積極的に増やす方策を考えることだと思う。
   国立能楽堂の客席数は、627席。
   国立能楽堂企画の公演で、たったの一回限りの一期一会の舞台であっても、そして、最後は殆ど満員御礼になるのだが、特別な場合を除いて、即刻チケットが完売と言うことにはなっていないし、満席になるのは、この国立能楽堂だけで、他の能楽堂の集客は苦しいと聞く。
   それ程、観能人口は少ない。
   何日も興行を打つ歌舞伎や文楽とは大違いである。

   能が、これだけ昇華されて高度な古典芸能に育った最も重要な要因は、徳川幕府が、能楽を式楽に制定したことである。
   同じような形態は取れる筈もないが、可能なのは、学校教育のカリキュラムの中に、何らかの形で繰り込むことだと思う。
   とにかく、能狂言ファンの裾野を広げることで、鉄は熱いうちに鍛えるに越したことはない。

   いずれにしろ、子供の時に、能狂言の世界を、何らかの形で、叩き込む機会を作るべきだと思っている。
   以前に、子供のテレビ番組で見たが、野村萬斎の「ややこしや ややこしや」を、子供たちが嬉々として演じていた。
   一度、国立能楽堂で、子供たち向けの能狂言の公演に接した機会があるのだが、子供たちは、小鼓や太鼓など、お道具に触れたり、見所で、能楽師に合わせて舞って見たり、とにかく、興味を持って楽しんでいた。
   なんでもそうだが、日本の古典芸能が、如何に大切であっても、感受性の強い子供の時代に、日常生活なり学習の場で、接する機会がなければ、意識の中から脱落するのは当然であるので、チャンスを与えるのは、早ければ早い方が良いと思う。
   子供の能・狂言鑑賞の機会を増やすために、この推進のために、積極的に補助金を出して援助すべきであろうと思う。

   何故、子供の時、あるいは、若い時に、能狂言の世界に接すべきかと言うことについて、私自身の反省がある。
   私が、パーフォーマンス・アーツ、それも、実演に接したのは、20代の中半からで、最初は、クラシック音楽とオペラであり、その後、欧米に出てからは、これに加えてシェイクスピア、そして、20数年前から歌舞伎・文楽と続いている。

   しかし、能・狂言は、まだ、6年弱で浅い所為もあって、随分難しい。
   一応、能楽堂に出かける前には、岩波講座の能・狂言の鑑賞案内と角川の「能を読む」などの解説や詞章を読んでおり、それに、これまでにも、結構、能楽師の著書を読んで周辺知識の涵養には努めている。
   国立能楽堂の企画舞台には、殆ど欠かさず通っているから、他の公演を含めれば、月平均4回は能楽堂に行っている計算であるから、200回以上にはなり、鑑賞した能・狂言は、かなりの数になる。
   それに、私の場合には、大学が京都で、古社寺巡りなど歴史散歩に明け暮れていたので、奈良で生まれて京都で大成した能・狂言の故地や舞台を訪れており、結構知っている。
   それでも、歳を取ってから鑑賞を始めたので、いまだに、狂言は楽しめても能は、非常に難しくて、すんなり、オペラやシェイクスピアのようには楽しめていない。

   謡を習っていたと言う友人知人などがいるので、囃子、または、謡に興味を持って能鑑賞を楽しむ方も多いようで、能狂言ファンの楽しみ方は色々なのであろうが、私の場合には、やはり、舞台なりストーリーを楽しもうと言う姿勢なので、印象が掴み難いのかも知れないと思っている。

   パーフォーマンス・アーツと言っても、鑑賞への姿勢なり仕方なり、随分違っていて、私のように絞らずに何でも劇場に行って観たり聴いたりすると言うものにとっては、それなりに器用さが必要なのであろうと思っている。
   いずれにしても、今現在、一番能楽堂に通っている回数が多いので、歳を取っても、何かの拍子に能・狂言ファンになる人間もいると言うことなのである。
コメント
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