熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「相曽賢一朗&濱倫子デュオ・リサイタル 」を聴いて 

2017年11月25日 | クラシック音楽・オペラ
   恒例の相曽賢一朗の秋の日本公演は、「 相曽賢一朗&濱倫子デュオ・リサイタル」。
   会場は、「浜離宮朝日ホール」、室内楽には格好の劇場であった。  

   プログラムは、
   相曽賢一朗(ヴァイオリン) 濱倫子(ピアノ)
   曲目・演目:
     ベートーヴェン:ヴァイオリンソナタ第1番ニ長調作品12-1
     ブラームス:ヴァイオリンソナタ第2番イ長調作品100
          インターミッション
     イザイ:無伴奏ヴァイオリンソナタ第3番ニ短調「バラード」作品27-3
     シューベルト=リスト:水車職人と小川「美しき水車屋の娘」より 
        愛の便り「白鳥の歌」より(ピアノソロ)
     ブラームス:ヴィオラソナタ第2番変ホ長調作品120-2

   予告のプログラムを変更して、ブラームスのソナタを前後に入れ替えて、アンコールには、実に情感豊かな、天国からの音楽の様に美しい「アベマリア」を奏でて、観客を魅了した。
   ヴァイオリン・ソナタは、聴く機会があったような気がするが、ヴィオラ・ソナタ 第2番は、初めて聴いたが、二人の奏者の演奏が素晴らしく、福与かなサウンドが心地よい美しいソナタであった。
   スークとパネンカなどのCDがあるようだが、聴いてみようと思っている。

   私自身は、欧米中心に、かなり、長い間、集中してクラシック音楽やオペラの鑑賞のために劇場に通っていた。
   最初に、フィラデルフィア管弦楽団のシーズンメンバーチケットを買って、アカデミー・オブ・ミュージックに通い続けていた時に、巨神戦は、やはり、後楽園か甲子園で見てこそだと言う思いになったことがあり、アムステルダムに移ってから、コンセルトヘボウでのハイティンクの演奏はまさに格別であり、オペラは、その土地のオペラハウスで聴く至上の喜びを味わった。

   うまく表現できないが、これに近い感慨と言うべきか、相曽賢一朗のコンサートを聴いていると、彼の場合の音楽の教育と演奏の大半は、米国から英国、最近では、米国と殆ど活躍の場は、欧米であり、日本主体のクラシック演奏家と違って、その音楽を生み育んだ故郷の命の叫びや息吹などが濃厚に息づいていて、正統派の厳しさ奥深さが滲み出ているような気がして、実に感慨深いのである。
   しかし、その相曽賢一朗が、春の海の尺八パートを、あの不安定ながらかすれた尺八のサウンドそっくりにヴァイオリンを奏でて居たのを覚えており、それは、宮城道雄とシュメーの「春の海」同様に感動的であった。
   若い頃、相曽賢一朗と話していて、彼が、徹頭徹尾、日本男児の誇りと自負を胸に秘めて、ロンドンで、最高峰の学び舎で最高の成績を上げるべく、必死になって奮闘努力していたことを知っているので、正に、相曽賢一朗の紡ぎ出す音楽には、和魂洋才とはニュアンスが大分違うものの、日本人演奏家として、しかし、日本人離れした欧米の魂と文化、風土の香りを濃厚に体現したクラシックサウンドが息づいている。
   この絶妙なバランス感覚と豊かな感受性と感性が、相曽賢一朗の音楽を限りなく素晴らしいものにしているのである。

   日本での演奏機会が限られているので、これだけの凄い相曽賢一朗サウンドを、十分に鑑賞できないのは、非常に惜しいと思いながら、2時間の貴重な時間を楽しませて貰っている。

   さて、濱倫子のピアノは、初めて聴くのだが、
   相曽賢一朗と同じ東京芸大で学び、渡独して高度な音楽教育を受け、現在、ドイツを中心にヨーロッパで活躍しており、
   ”その演奏は「見事に浮遊する歌心」「魅了されずにはいられないその深さ、そして信じられないほどの明晰さ」「濱倫子はピアノを弾くことが出来るだけではない。彼女はピアノを歌うことが出来るのである」など、ヨーロッパの各紙でも高い評価を受けている。”
   と言うことで、相曽賢一朗と同様に、ヨーロッパベースで活躍する演奏家である。
   美音で定評のある相曽賢一朗の紡ぎ出すサウンドと共鳴すると、ヴァイオリンやヴィオラのソナタが、多くの物語を連綿と語り続けて、生きる喜びと感動を、かくまで、豊かに美しく歌いあげることができるのか、正に、至福の境地であった。

   来年11月に、東京文化会館で、再び、「相曽賢一朗&濱倫子デュオ・リサイタル」が公演されるとのことで、楽しみにしている。  
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