能楽師の著書は、かなり読んでいるが、殆どシテやワキや狂言方の著者のもので、小鼓の大倉源次郎師のような囃子方の本は初めてであり、非常に興味を感じた。
何となく、能楽の世界の切り取り方が、違っていて面白いと思った。
私など、国立能楽堂には結構通っており、能は、頼む方からの判断で、指名制だと言うことだが、今や、若き人間国宝であり、絶頂期の大蔵流十五世宗家の大倉源次郎師の舞台をよく見るので、楽しみながら読ませて貰った。
まず、冒頭、「能の来た道」で、「謎の翁」と言う形で、「翁」の話から始められているのだが、
能の始まりに演じられる「翁」は、一秒先の未来を笑うための知恵であり、そののち「能」が始まる。
「翁」が上演される後に、神・男・女・狂・鬼と言った「翁付き五番立て」で過去の物語が上演されるが、その能の演目には、実は悲しい作品が多い。なぜ、悲しい作品が多いかと言うと、泣いた記憶を忘れないために、「泣くようなことをしたらダメですよ」と教えている。
それが、能の役目だと言ってよく、そして、笑える未来を作りましょうと言うことを語るのである。
一秒先を笑えるように皆で努力しましょうと、そのために、「翁」を最初に演じると言うことである。と語っている。
「翁」は、「未来から微笑む姿」で、それは、「弥勒信仰」を下敷きにしているからであり、老人が微笑む姿は、生き神様、生き仏様そのものであり、「翁」の面は、微笑んでいる。と言う。
面白いと思ったのは、徳川幕府が政権を握ってすぐに行ったのは、参勤交代と能楽を式楽にしたことだと言って、能楽の普及を、施政に活用したと言う話である。
式楽にして、全国の藩に、能楽団を作らせて能楽師を抱えさせて、藩主たちにそれを習うようにさせて、武士の嗜みにした。
日本は、地方に行っても、民度が高くて、教養のある神主や僧侶や庄屋と言った知識人がいたので、それらを超えて統治する力を、殿様に与えるために、能の文化と教養を藩主に義務付けた。これが、日本全国を治て行くのに、大変な効果を発揮した。と言うのである。
なぜ、笛や太鼓が、必要になったのか。
それは、集団労働となった水田稲作の辛い仕事を、村々から早乙女や若い衆が集まり、囃子に乗って歌を歌い踊るように田植えをすることで、楽しいダンスパーティのようになり、農作業が心躍るイベントと化した。
桜井は、大和における水田稲作の始まりの地だと言われており、東に下居村と言う鼓の故郷、西に葛城山の麓に笛吹神社があるので頷けると言う。
稲作の広がりと、翁芸能と、神社の伝播が時代的に重なって、笛や鼓が、それに乗っかって全国に広がって行った。能楽が全国に広がる下地は、中世の時代に、既に出来上がっていたと言うのである。
「鼓という楽器」と言う章で、鼓の歴史や伝播など興味深い話が開陳されており、非常に面白い。
鼓のことについてはよく分からないのだが、能は間の芸術だと言うところで、
能は、音を聴いてもらうのではなく、「間」を聴いてもらうために音を出す。聴く人の心に、次に聴くであろう一番良い音(間)を響かせるための役割である。と言うのだが、分かったようで分からない。
「旅する能」の章は、まず、能の曲を日本の歴史や地域の伝承などを絡ませながら、その故地や舞台を語る旅物語風の解説で、自説を展開するなど、非常に面白い。
冒頭、大和を京に繋ぐ物語として、「加茂」を語っている。
「加茂」の能は、実際は、大和の伝説物語なのだが、京都に移ったのだから奈良を消したいのだが、作者は、本当の物語を残したいので、カモフラージュしたと言う。
三輪、土蜘蛛、絵馬、と続くのだが、その後の「歴史の謎にせまる能」や「海をわたる能」の蘊蓄を傾けた語りが冴える。
何となく、能楽の世界の切り取り方が、違っていて面白いと思った。
私など、国立能楽堂には結構通っており、能は、頼む方からの判断で、指名制だと言うことだが、今や、若き人間国宝であり、絶頂期の大蔵流十五世宗家の大倉源次郎師の舞台をよく見るので、楽しみながら読ませて貰った。
まず、冒頭、「能の来た道」で、「謎の翁」と言う形で、「翁」の話から始められているのだが、
能の始まりに演じられる「翁」は、一秒先の未来を笑うための知恵であり、そののち「能」が始まる。
「翁」が上演される後に、神・男・女・狂・鬼と言った「翁付き五番立て」で過去の物語が上演されるが、その能の演目には、実は悲しい作品が多い。なぜ、悲しい作品が多いかと言うと、泣いた記憶を忘れないために、「泣くようなことをしたらダメですよ」と教えている。
それが、能の役目だと言ってよく、そして、笑える未来を作りましょうと言うことを語るのである。
一秒先を笑えるように皆で努力しましょうと、そのために、「翁」を最初に演じると言うことである。と語っている。
「翁」は、「未来から微笑む姿」で、それは、「弥勒信仰」を下敷きにしているからであり、老人が微笑む姿は、生き神様、生き仏様そのものであり、「翁」の面は、微笑んでいる。と言う。
面白いと思ったのは、徳川幕府が政権を握ってすぐに行ったのは、参勤交代と能楽を式楽にしたことだと言って、能楽の普及を、施政に活用したと言う話である。
式楽にして、全国の藩に、能楽団を作らせて能楽師を抱えさせて、藩主たちにそれを習うようにさせて、武士の嗜みにした。
日本は、地方に行っても、民度が高くて、教養のある神主や僧侶や庄屋と言った知識人がいたので、それらを超えて統治する力を、殿様に与えるために、能の文化と教養を藩主に義務付けた。これが、日本全国を治て行くのに、大変な効果を発揮した。と言うのである。
なぜ、笛や太鼓が、必要になったのか。
それは、集団労働となった水田稲作の辛い仕事を、村々から早乙女や若い衆が集まり、囃子に乗って歌を歌い踊るように田植えをすることで、楽しいダンスパーティのようになり、農作業が心躍るイベントと化した。
桜井は、大和における水田稲作の始まりの地だと言われており、東に下居村と言う鼓の故郷、西に葛城山の麓に笛吹神社があるので頷けると言う。
稲作の広がりと、翁芸能と、神社の伝播が時代的に重なって、笛や鼓が、それに乗っかって全国に広がって行った。能楽が全国に広がる下地は、中世の時代に、既に出来上がっていたと言うのである。
「鼓という楽器」と言う章で、鼓の歴史や伝播など興味深い話が開陳されており、非常に面白い。
鼓のことについてはよく分からないのだが、能は間の芸術だと言うところで、
能は、音を聴いてもらうのではなく、「間」を聴いてもらうために音を出す。聴く人の心に、次に聴くであろう一番良い音(間)を響かせるための役割である。と言うのだが、分かったようで分からない。
「旅する能」の章は、まず、能の曲を日本の歴史や地域の伝承などを絡ませながら、その故地や舞台を語る旅物語風の解説で、自説を展開するなど、非常に面白い。
冒頭、大和を京に繋ぐ物語として、「加茂」を語っている。
「加茂」の能は、実際は、大和の伝説物語なのだが、京都に移ったのだから奈良を消したいのだが、作者は、本当の物語を残したいので、カモフラージュしたと言う。
三輪、土蜘蛛、絵馬、と続くのだが、その後の「歴史の謎にせまる能」や「海をわたる能」の蘊蓄を傾けた語りが冴える。