NHK BSPで放映された映画で、グレタ・ガルボの名前が出いていたので、録画して見たのだが、面白かった。
1939年の映画であるから私よりも古いのだが、共産主義に凝り固まったソ連の女性を主人公にして、パリで資本主義に遭遇して恋をして変って行くと言うストーリーが、第二次世界大戦の直前にアメリカで製作されていて、それが、決して色あせていないのにびっくりしたのである。
資本主義の象徴のような退廃貴族然としたグレーダー伯爵(メルヴィン・ダグラス)が、ニノチカ(グレタ・ガルボ)に恋をして、マルクスの資本論を読み始めてその影響か、執事に階級格差に文句がないのかと詰め寄るあたりなどはご愛敬だが、
パリパリの共産党員ニノチカは、マルクスレーニン主義に染まり抜いて、労働者革命による共産主義の理念を無表情で暗誦するように繰り返し、ショーウィンドーの最新ファッションの帽子を見てこんな文明は滅びると資本主義社会を退廃の局地だと言わんばかりに軽蔑の眼差しで見つめ、冗談にもくすりともせず、生の喜びを知らない非人間的な氷のような人物として登場するのだが、
このニノチカが、少しずつグレーダーに惹かれて、誘われるといつの間にかこの帽子を買っていそいそと正装して現れるところなど、主義に関係なく人間の弱さ温かさが滲み出て面白い。
自由と平和と豊かな資本主義との対比で、現実味に乏しい抑圧的で教条主義の共産主義社会をニノチカで代表させたのであろうが、何をしているのか職業不詳で人民のために何の役に立っているのかとニノチカに揶揄されるグルダーもどっちつかずのヨーロッパ資本主義の象徴で、どっちもどっちという感じで面白い。
自分という人間の人格や幸福を押し殺した、硬直したソヴィエト社会の教条主義的な台詞をポンポン連発して、くすりともせずに無表情で押し通すニノチカ、
清楚で端正な美しい、それに、可愛ささえ滲ませる雰囲気のあるグレタ・ガルボであるから、変わり身の鮮やかさも凄いが、非常に見せて魅せてくれる。
綺麗なイブニングドレスに着飾ったグレタ・ガルボは、流石に美しく、実に魅力的である。
ソ連から、三人の役人が、かってのスワナ大公妃 (アイナ・クレア) から押収した宝石を国庫のために売り払うよう命令され、パリにやって来るのだが、埓があかないので、厳格な共産党員ニノチカが、仕事を監視するためにパリへと派遣される。ひょんな拍子から、ニノチカは、スワナの愛人であるグレだー伯爵に会って恋に落ちると言う寸法。
ニノチカが、グレーダーに晩餐会に誘われてシコタマ飲んで酩酊し寝込んだ隙に、宝石を大公妃の腹心(ホテルマン)に、盗まれるという失態を犯す。自分の愛人グレダーがニノチカに執心していることに嫉妬した大公妃は、今すぐパリから姿を消すなら、宝石を諦めて売却して金を渡すと交換条件を出してニノチカを脅迫して、ソ連へ追い返す。
グレーダーが、ニノチカに会いたくて、いくら申請してもソ連へのビザは下りず、ラブレターは、いくら出しても差し戻しか着いても黒塗り。
今度は、三役人が、コンスタンティノープルへと毛皮の売却に赴くのだが、また仕事が遅延してニノチカが同地に派遣される。コンスタンティノープルに来たニノチカは、三役人がロシア料理店を開店したことを知り呆れるが、そこにグレーダーが姿を現し、ニノチカに会うために仕組んだことが分かる。
国外逃亡、ハッピーエンドである。
特に、思想的にどうと言った映画ではないが、チャプリンの映画を見ているような感じがして面白かった。
共産主義と民主主義のさや当てといった感じのギャグとアイロニーの満ちた期せずしてのチグハグぶりが興味深く、まだ、大戦前の平穏な時期でありながら、ソ連の政治経済社会体制が、随所で活写されており、今でも、そのまま、納得しながら楽しめるというか、時代感覚の確かさに感じ入っている。
かって、若かりし頃、映画館に通い詰めたことがあるので、グレタ・ガルボの映画は、何度かは見ていると思うのだが、全く記憶がなく、グレタ・ガルボで強烈に印象に残っているのは、
昔、ニューヨークのMETで上演された歌右衛門の舞台に感動して通い詰めて、「LOVE LOVE LOVE」という熱烈なメッセージを送ったと言う逸話が残っていることで、この電報を、早稲田の坪内博士記念演劇博物館で見たことである。
とにかく、グレタ・ガルボの魅力抜群の映画である。
1939年の映画であるから私よりも古いのだが、共産主義に凝り固まったソ連の女性を主人公にして、パリで資本主義に遭遇して恋をして変って行くと言うストーリーが、第二次世界大戦の直前にアメリカで製作されていて、それが、決して色あせていないのにびっくりしたのである。
資本主義の象徴のような退廃貴族然としたグレーダー伯爵(メルヴィン・ダグラス)が、ニノチカ(グレタ・ガルボ)に恋をして、マルクスの資本論を読み始めてその影響か、執事に階級格差に文句がないのかと詰め寄るあたりなどはご愛敬だが、
パリパリの共産党員ニノチカは、マルクスレーニン主義に染まり抜いて、労働者革命による共産主義の理念を無表情で暗誦するように繰り返し、ショーウィンドーの最新ファッションの帽子を見てこんな文明は滅びると資本主義社会を退廃の局地だと言わんばかりに軽蔑の眼差しで見つめ、冗談にもくすりともせず、生の喜びを知らない非人間的な氷のような人物として登場するのだが、
このニノチカが、少しずつグレーダーに惹かれて、誘われるといつの間にかこの帽子を買っていそいそと正装して現れるところなど、主義に関係なく人間の弱さ温かさが滲み出て面白い。
自由と平和と豊かな資本主義との対比で、現実味に乏しい抑圧的で教条主義の共産主義社会をニノチカで代表させたのであろうが、何をしているのか職業不詳で人民のために何の役に立っているのかとニノチカに揶揄されるグルダーもどっちつかずのヨーロッパ資本主義の象徴で、どっちもどっちという感じで面白い。
自分という人間の人格や幸福を押し殺した、硬直したソヴィエト社会の教条主義的な台詞をポンポン連発して、くすりともせずに無表情で押し通すニノチカ、
清楚で端正な美しい、それに、可愛ささえ滲ませる雰囲気のあるグレタ・ガルボであるから、変わり身の鮮やかさも凄いが、非常に見せて魅せてくれる。
綺麗なイブニングドレスに着飾ったグレタ・ガルボは、流石に美しく、実に魅力的である。
ソ連から、三人の役人が、かってのスワナ大公妃 (アイナ・クレア) から押収した宝石を国庫のために売り払うよう命令され、パリにやって来るのだが、埓があかないので、厳格な共産党員ニノチカが、仕事を監視するためにパリへと派遣される。ひょんな拍子から、ニノチカは、スワナの愛人であるグレだー伯爵に会って恋に落ちると言う寸法。
ニノチカが、グレーダーに晩餐会に誘われてシコタマ飲んで酩酊し寝込んだ隙に、宝石を大公妃の腹心(ホテルマン)に、盗まれるという失態を犯す。自分の愛人グレダーがニノチカに執心していることに嫉妬した大公妃は、今すぐパリから姿を消すなら、宝石を諦めて売却して金を渡すと交換条件を出してニノチカを脅迫して、ソ連へ追い返す。
グレーダーが、ニノチカに会いたくて、いくら申請してもソ連へのビザは下りず、ラブレターは、いくら出しても差し戻しか着いても黒塗り。
今度は、三役人が、コンスタンティノープルへと毛皮の売却に赴くのだが、また仕事が遅延してニノチカが同地に派遣される。コンスタンティノープルに来たニノチカは、三役人がロシア料理店を開店したことを知り呆れるが、そこにグレーダーが姿を現し、ニノチカに会うために仕組んだことが分かる。
国外逃亡、ハッピーエンドである。
特に、思想的にどうと言った映画ではないが、チャプリンの映画を見ているような感じがして面白かった。
共産主義と民主主義のさや当てといった感じのギャグとアイロニーの満ちた期せずしてのチグハグぶりが興味深く、まだ、大戦前の平穏な時期でありながら、ソ連の政治経済社会体制が、随所で活写されており、今でも、そのまま、納得しながら楽しめるというか、時代感覚の確かさに感じ入っている。
かって、若かりし頃、映画館に通い詰めたことがあるので、グレタ・ガルボの映画は、何度かは見ていると思うのだが、全く記憶がなく、グレタ・ガルボで強烈に印象に残っているのは、
昔、ニューヨークのMETで上演された歌右衛門の舞台に感動して通い詰めて、「LOVE LOVE LOVE」という熱烈なメッセージを送ったと言う逸話が残っていることで、この電報を、早稲田の坪内博士記念演劇博物館で見たことである。
とにかく、グレタ・ガルボの魅力抜群の映画である。