熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世界遺産アヤソフィアが「モスク化」

2020年07月15日 | 政治・経済・社会
   テレビでも新聞でも、色々なメディアで報じられており、世界中の話題になっているのだが、ナショナル・ジオグラフィックが、
   ”トルコの世界遺産アヤソフィアが「モスク化」、心配の声 キリスト教の聖堂からモスクとなり、博物館となっていた有名建造物”と報じている。

   写真は、ウィキペディアからの借用だが、
   アヤソフィアは、もとは6世紀に東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルにおけるキリスト教の大聖堂として建設され、1453年にオスマン帝国がこの街を征服したことをきっかけにモスクとなった。20世紀初頭までは、そのままイスラム教徒の礼拝施設として使われていたが、1934年にトルコ政府がこれを「世俗化(宗教組織から切り離すこと)」し、博物館とした。そうして1985年には、イスタンブール歴史地区の一部として、ユネスコの世界遺産に加えられた。
   最高行政裁判所が、メフメト2世の時代に作られた不動産証書において、アヤソフィアはモスクとして登録されており、これ以外の目的で使用されることは違法であるとの結論を下し、この決定を受け、エルドアン大統領は、建物の管轄をすみやかにトルコ文化省から宗務庁へと移管し、「モスク化」した。と言うことのようである。
   1000年間は、キリスト教正教会の大聖堂、500年間は、モスク、そして、最近の80年間は、博物館としてイスタンブール最高の文化遺産であったということで、数奇な運命を辿っている。

   イスタンブールには、同じような凄い「世界で最も美しいモスク」と言われている17世紀建造のブルー・モスク、スルタンアフメト・モスクがあるのだが、観光客は、やはり、アヤソフィアで、私など、ローマ帝国の歴史で学んだ印象が強いので、「アヤソフィア」と言うよりも「ハギアソフィア」と言う印象の方が強い。
   モスクとして使われていた数百年の間に、生物の描写を禁ずるイスラム教の規則に反するキリスト教時代の内部装飾の多く、キリスト像などのすばらしいビザンチン様式の絵画とモザイク画が、漆喰で塗りつぶされたり、覆い隠されたりしていたのだが、建物が世俗的な博物館となり、修復作業が行われてから、今日のように往時の壁画などが現れて、現在、見る人々を魅了している。
   

   これとは逆のケース、モスクがキリスト教会となった文化遺産が、スペインのコルドバにあるメスキータで、
   785年、イスラム教のモスクとしてアブド・アッラフマーン1世時代に建設され、その後、カトリック教徒が権力をにぎった1236年からは、内部に礼拝堂を設けたりカテドラルが新設されて、メスキータはイスラム教とキリスト教、2つの宗教が同居する建築となり、最終的には、16世紀、スペイン王カルロス1世の治世に、モスク中央部にゴシック様式とルネサンス様式折衷の教会堂が建設され、現在に至っている。
   下の写真の柱廊の奥に、忽然とキリスト教会の内陣が現れるという感じで、不思議に、私には違和感がなかったのである。
   
   あの美の極致とも言うべきグラナダのアルハンブラ宮殿にも、多少、カルロス5世の手が入って一部教会化しているのだが、キリスト教徒としても、レコンキスタの過程でイスラム的な文化を払拭しながらも、この圧倒的な宮殿の文化的価値を認めざるを得なかったのであろう。
   その後のスペイン王朝の徹底的なユダヤ教などの異教排除を思えば、信じられないような結果だが、多くのイスラムの文化遺産が残っているのは、まさに、奇蹟というか歴史上の幸運と言うべきであろう。
   私は、東西文化の交渉史に興味があったので、グラナダでもコルドバでも、イスラムと西欧の融合に感激して、長い間、現地を離れられなかったのだが、文明の十字路たる故地での人類の営みには、人為を超えた素晴らしい遺産が生まれたと思っている。
   ヨーロッパでも、このスペインとポルトガルだけが、当時、文化文明で最先端を走っていたイスラムとの鬩ぎ合いの接点であり、それに、新しく征服した未開の新大陸と旧アジアの国々との遭遇によるカルチュアショックに翻弄された経験を持っているので、文化や文明に深さや奥行があっても当然なのであろう。

   私は、1985年から1993年の間に、3回ほど、イスタンブールに行っており、その都度、アヤソフィアを訪れているので、この素晴らしい大聖堂をよく覚えている。
   モスク化によって、正式な宗教の場になれば、最高の観光スポットであった世界遺産としての位置づけはどうなるのか。
   踊り場から綺麗に仰ぎ見られるキリスト像のモザイク画が、再び、漆喰で塗り込められるとは思えないが、1000年の残照を輝かせていた東ローマ帝国の歴史も、人類にとっては、計り知れないほど貴重な文化文明の遺産であることを、トルコ政府にも分かって貰いたいと思う。
   偶像崇拝を排するイスラム教徒は、敦煌の壁画や仏像遺跡もそうだが、多くの宗教文化遺産を棄却しており、最近では、タリバンのバーミヤン石仏の破壊やISISの世界遺産パルミラ破壊だが、教条主義の前に、人類の残した文化遺産の大切さ十分認識して、価値観の基準とすることを願いたい。
コメント
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