熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ブエノスアイレスのカミニート

2020年07月16日 | 海外生活と旅
   骨董店で、アルゼンチンの飾り皿を見つけた。
   ガラクタの中にあった民芸品だが、ブエノスアイレス港に隣接するラ・ボカにあるカミニートという小径をバックにして、男女がタンゴのステップを踏んでいる素朴な絵皿である。
   もう40年以上も前のことになるが、サンパウロに駐在していた頃に、アルゼンチンに行く機会が何度かあって、よくこの小径を訪れた。
   夕日が港を真っ赤に染める夕刻、この小径の、極彩色に塗り込めれれた民家の壁に灯がともり始める頃に訪れると、無性に旅情を誘われて懐かしさを感じる、そんな思い出がある。
   このラ・ボカには、イタリア移民が多いようで、「カミニート」は、鮮やかな極彩色のペンキで塗られたカラフルな家に囲まれた歩行者用の通りで、タンゴアーティストがパフォーマンスを行なったり、絵画や写真などタンゴに関連した記念品が販売されていて、楽しい。
   とにかく、ブエノスアイレスの最高の観光スポットの一つで、土産物店や食品店も犇めいていて、ウキウキするような雰囲気が漂っている。
   
   

   このボカの港に渡ってきたイタリア移民たちが、苦しい生活に必死に堪えながら、故郷を偲んで歌い踊って生まれたのがアルゼンチンタンゴだと思えば、詩情があって面白いのだが、
   アルゼンチンタンゴ・ダンス協会によると、
   タンゴは、1880年頃、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスと、ウルグアイの首都モンテビデオに挟まれて流れるラプラタ河が、大西洋にそそぐ河口地帯の両岸で生まれた。
当時、ブエノスアイレスの此の地帯は、新天地を求めて来た移民者がひしめき、雑然とした港町(ボカ地区)であった。さまざまの人種が共存しているフラストレーションのはけ口として、男同士が酒場で荒々しく踊ったのが、タンゴの始まりである。次第に、娼婦を相手に踊るようになり、男女で踊るタンゴの原型が出来ていくが、当時の新聞は、酔漢達やならず者が踊る下品な踊り、と非難した。しかし、タンゴはそうした批判にもかかわらず、ブエノスアイレスやモンテビデオの下層階級を中心に、日増しに人気を得て行った。
   もともとタンゴは四分音符と八分音符で構成されるリズム・パターンの一つであった。これにヴァルスやミロンガ、カンドンベ、フォックストロットなどのパターンも取り込み、ピアノ・バンドネオン・ヴァイオリン・コントラバスの編成で楽団が組織されるようになって、タンゴはパターンからジャンルへ進化したと考えられている。

   庶民の民族芸能という位置づけで高く評価されていなかったようだが、先年、世界遺産に登録されて面目を一新した。
   来日したアルゼンチンタンゴ楽団の演奏会には、よく行って、ピアソラなどの名曲を聴いていたのだが、ブエノスアイレスで聴くタンゴは、また、格別で、アルフレッド・ハウゼのコンチネンタルタンゴとは一寸違った味があって、感動も一入であった。

   ところで、当然、本場のブエノスアイレスでは、タンゲリアに行かないわけがない。
   1975年から1979年の頃である。
   真っ先に行ったのは、エル・ビエホ・アルマセン(El Viejo Almacén)
   1778年に建てられた古い倉庫が1840年に増築され、1900年にレストランのエル・ボルガ(El Volga)となったのだが、廃業になったもののを改修して、タンゲリアになったもの。
   印象に残っているのは、薄暗い小部屋に所狭しとカリブの海賊に出てくるような漁具が壁面にデイスプレイされている異様な雰囲気で、バンドネオンの咽び泣くような音色に乗って、男女のダンサーが激しくステップを踏む・・・凄い迫力と噎せ返るようなムード満点の世界であった。
   今、このエル・ビエホ・アルマセンのHPを開くと、パリのリドやムーランルージュのような素晴らしいレストランシアターと言ったタンゲリアになっているのに驚いている。
   暗い舞台に向けて、当時のNikon F2をテーブルに固定して、F1.2のレンズを開放にして、何枚か写真を撮り、増感現像して、何故か、幸いにも1枚だけ残ったショットが、次の写真
   

   ニューオルリンズを訪れた時に、古民家をそのまま使った小さなプリザベーション・ホールで、老嬢スイート・エンマ楽団のジャズ演奏を聴いたのを思い出した。
   貧しい小さな部屋で、客席は、ほんの数人座れるだけの床机があるだけで、土間に座ったり後ろに立ったり犇めき合っていて、
   小編成の楽師達は殆ど黒人の老人達で、エンマのピアノに合わせて懐かしいデキシーランド・ジャズを奏でていて、「聖者の行進」のリクエストは1ドル、
   実に感動的な演奏で、こんな所でジャズが生まれて育っていったのかと、感に堪えなかった。 
   フラメンコ、ファド、、サンバ・ボサノバ、マリアッチ等々、ヨーロッパや中南米で聴いた音楽や、ラパスのナイトクラブで聴いたエル・コンドル・パッサもそうだが、その地方の民族音楽などを、異国で聴くと、旅情も加わって、胸に染みて、感動が増幅されて、強烈に印象に残る。

   もう一つ、ブエノスアイレスで行ったのは、当時は、最高級で立派なレストランシアターであったミケランジェロ、
   ここは、もう少し、舞台も綺麗で土属性はなくて洗練されていたが、ウィキペディアによると、
   アルゼンチンの老舗のタンゲリアの『ミケランジェロ』(Michelangelo)と『カサ・ブランカ』(Casa Blanca)が、2004年以前に閉店している。と言うことらしい。

   勿論、ブエノスアイレスでは、世界屈指のオペラハウス・テアトロコロン、
   ここで観たのはシュトラウスの「アラベラ」
   
   ディズニーがバンビのイメージに使ったという森林の美しい南米のスイス・バリローチェ、広大なパンパ、
   素晴らしい思い出しか残っていないのだが、
   経済的には、いまだに、むちゃくちゃな国だが、味のある印象深いところである。
コメント (1)
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