この本は、「テクノロジーが変える経済の形と未来」というサブタイトルがついているので、AIやIoTなどデジタル革命による職の危機などが話題であろうと考えられるし、冒頭、クルーグマンとの対話も、このテーマから入っているのだが、私にとって興味深かったのは、そんなことよりも、どうでも良い、必要がないと感じる仕事(Bullshit Jobs)が多すぎて、経済社会を毒していると言う見解を、二人の学者が論じていることであった。
まず最初は、”We are the 99 percent."スローガンの生みの親アナーキストでLSE文化人類学のデヴィッド・グレーバー教授のBullshit Jobs論。
ケインズの時代に存在していた仕事の半分が、時代の変遷やロボットに奪われるなどなくなっているが、労働時間を短縮したり、必要な仕事を公平なやり方で分配したりするのではなく、それをしている本人さえ「必要がない」と感じる仕事を作り出した。特に役所や管理職に付随する仕事など、雇用拡大の脅迫観念にドライブされて、大きな組織は余分なもの――定期的に人を雇っている明らかに馬鹿げた仕事――を作り出しており、ケインズの時には全体の25%であったのが、現在ではおよそ75%にまで増えている。と言う。
それに、皮肉なことに、実際には、何もしていない人、Bullshit Jobsをしている人の方が、具体的に役立った仕事をしている人よりも、給料が高い、仕事が社会に貢献している割合と、貰っている報酬が逆相関になっているとして、
大学施設、教育機関、健康管理部門などが非常に大きな規模になり、コンサルタント、会計士、企業弁護士、テレマーケティングやPR,ロビー活動など、皆、ライバルがやっているから自分もやると言うだけの理由で増えている。と言うのである。
自らの仕事が必要ないことを彼らがどれだけ意識しているかに関心があって、「自分の仕事は社会に意味ある貢献をしているかどうか」を質問したら、「まったくしていない」が37%、「どちらか分からない」が13%、「間違いなく貢献している」と答えた人は50%だった。
興味深いのは、グレーバーが、BS職として、次の5例を挙げていること。
「Flunkies(太鼓持ち)」受付係や秘書
「Goons(用心棒)」企業弁護士、電話営業、ロビイスト、広告・広報
「Dact Tapers(落ち穂拾い)」何か不具合が起きたときのためにある職、謝罪するためにだけ存在
「Box Tickers(社内官僚)」銀行など多くの企業にあるコンプライアンス部門
「Task Makers(仕事製造人)」監視する必要がない人を監督する、他の人にBS職を作り出す
グレーバーは、これらに共通する要素はと聞かれて、「これらの仕事をしている人がいなくなっても何の不都合も生じないか、あるいは、世の中が少し良くなるかも知れないと、BS職をしている本人たちが知っていることだ」と答えている。
経営の合理化戦略として、中間管理職の中抜き論などは、以前から論じられており、実施して成功しているケースもあるようである。
また、このBullshit Jobs論は、ドラッカーが説いていた知識情報化産業社会において重要なプレイヤーであった「ナレッジワーカー / Knowledge Worker(知識労働者)」を否定するような見解だが、確かに、ICT革命、デジタル革命の進展によって、弁護士や会計士の仕事をインターネットが蚕食しつつあり、高度な専門知識を持った知識労働者さえ駆逐されていると言われて久しく、時代の急激な移り変わりの成せる技であろうか。
いずれにしろ、グレーバー論は、一寸行き過ぎだとは思うのだが、あながち否定するわけにも行かず、この激動の経済社会環境で生き抜くためには、企業も役所も、色々な組織も、BS職を排除して行かない限り生きて行けなくなるであろう。
特に、今回の新型コロナウイルス騒ぎで引き起こされた経済恐慌級の大不況によって、多くの企業や団体が大構造改革に迫られているので、BS職の淘汰削減は、喫緊のテーマとなろう。
さて、もう一人は、ベーシックインカムの主唱者オランダの歴史家ルトガー・ブレグマン。
働くイギリス人の37%、オランダの人の40%、ベルギー人の30%が、自分のやっている仕事は、全く意味がないと感じていると紹介して、人生で最大の課題は、「生きることの意義」を見つけることであって、働くことこそ生きる意味だという人がいるが、間違っている。と言う。
ブレグマンは、日本人のワーカホリックぶりを揶揄しながら、「過労死」という言葉のある日本ほど、仕事に取り憑かれた文化を見たことがない。日本人にとって、仕事の重要性があまりにも大きいことに驚いた。働かなければならないという脅迫観念が強いからこそ、失業率がこんなに低いのか。意味もない仕事がどんどん生み出されている。日本人は、人生で何を大切にすべきかについて真剣に議論する必要があるというのである。
夜中の11時、東京で工事中の道を横切ろうとしたら、5人もの従業員が立っていて右を歩けと指示してくれたが、そんなに無駄な人間がいるのか、ソ連の末期に、モスクワのパン屋のレジに3人も店員がいて、一人はパンを計測、一人は袋に入れ、一人はお金を受け取ってレシートを渡す、こんな国が崩壊するのは当然だというわけである。
もう一つ面白い指摘は、富を移動するだけの「くだらない仕事」が多すぎるとして、まず、銀行業を、今の金融センターが行っているのは、生産的な投資ではなく投機で、かっては、才能ある若者たちは、研究機関や大学、政府、医療、教育などの分野で働いていたのに、今やその大半が、ウォール街で働くようになってしまったのは、現代最大の悲劇だ。とやり玉に挙げて、
また、最近の優秀な若者は、シリコンバレーではたらいて、人々にできるだけ広告をクリックさせるように仕向けており、これは才能の無駄遣いだ。シリコンバレーで、イノベーションなど起こる筈がない。と言う。
現在のイノベーションが大したことのないのは、多くの優秀な若者がウォール街やシリコンバレーで働き、才能を無駄遣いしているからだ。と言うあたり、中々の論客である。
ブレグマンは、ベーシックインカムを説きながら、GDPがもはや人間の幸せとは無縁の概念になってしまっていることを説いていて、面白い。
最後に、未来の最大の課題は「退屈」だとして、ホイジンガの「ホモ・サピエンスはホモ・ルーデンスであり、遊ぶことこそ我々の本質だ」と言う言葉を引いて、我々は遊ぶことで、物語を作り出し、文化を創る。仕事ばかり集中した文化では、イノベーションや創造性、文化を生み出せない。
とにかく、この本、色々な問題を提起してくれていて、非常に面白い。
まず最初は、”We are the 99 percent."スローガンの生みの親アナーキストでLSE文化人類学のデヴィッド・グレーバー教授のBullshit Jobs論。
ケインズの時代に存在していた仕事の半分が、時代の変遷やロボットに奪われるなどなくなっているが、労働時間を短縮したり、必要な仕事を公平なやり方で分配したりするのではなく、それをしている本人さえ「必要がない」と感じる仕事を作り出した。特に役所や管理職に付随する仕事など、雇用拡大の脅迫観念にドライブされて、大きな組織は余分なもの――定期的に人を雇っている明らかに馬鹿げた仕事――を作り出しており、ケインズの時には全体の25%であったのが、現在ではおよそ75%にまで増えている。と言う。
それに、皮肉なことに、実際には、何もしていない人、Bullshit Jobsをしている人の方が、具体的に役立った仕事をしている人よりも、給料が高い、仕事が社会に貢献している割合と、貰っている報酬が逆相関になっているとして、
大学施設、教育機関、健康管理部門などが非常に大きな規模になり、コンサルタント、会計士、企業弁護士、テレマーケティングやPR,ロビー活動など、皆、ライバルがやっているから自分もやると言うだけの理由で増えている。と言うのである。
自らの仕事が必要ないことを彼らがどれだけ意識しているかに関心があって、「自分の仕事は社会に意味ある貢献をしているかどうか」を質問したら、「まったくしていない」が37%、「どちらか分からない」が13%、「間違いなく貢献している」と答えた人は50%だった。
興味深いのは、グレーバーが、BS職として、次の5例を挙げていること。
「Flunkies(太鼓持ち)」受付係や秘書
「Goons(用心棒)」企業弁護士、電話営業、ロビイスト、広告・広報
「Dact Tapers(落ち穂拾い)」何か不具合が起きたときのためにある職、謝罪するためにだけ存在
「Box Tickers(社内官僚)」銀行など多くの企業にあるコンプライアンス部門
「Task Makers(仕事製造人)」監視する必要がない人を監督する、他の人にBS職を作り出す
グレーバーは、これらに共通する要素はと聞かれて、「これらの仕事をしている人がいなくなっても何の不都合も生じないか、あるいは、世の中が少し良くなるかも知れないと、BS職をしている本人たちが知っていることだ」と答えている。
経営の合理化戦略として、中間管理職の中抜き論などは、以前から論じられており、実施して成功しているケースもあるようである。
また、このBullshit Jobs論は、ドラッカーが説いていた知識情報化産業社会において重要なプレイヤーであった「ナレッジワーカー / Knowledge Worker(知識労働者)」を否定するような見解だが、確かに、ICT革命、デジタル革命の進展によって、弁護士や会計士の仕事をインターネットが蚕食しつつあり、高度な専門知識を持った知識労働者さえ駆逐されていると言われて久しく、時代の急激な移り変わりの成せる技であろうか。
いずれにしろ、グレーバー論は、一寸行き過ぎだとは思うのだが、あながち否定するわけにも行かず、この激動の経済社会環境で生き抜くためには、企業も役所も、色々な組織も、BS職を排除して行かない限り生きて行けなくなるであろう。
特に、今回の新型コロナウイルス騒ぎで引き起こされた経済恐慌級の大不況によって、多くの企業や団体が大構造改革に迫られているので、BS職の淘汰削減は、喫緊のテーマとなろう。
さて、もう一人は、ベーシックインカムの主唱者オランダの歴史家ルトガー・ブレグマン。
働くイギリス人の37%、オランダの人の40%、ベルギー人の30%が、自分のやっている仕事は、全く意味がないと感じていると紹介して、人生で最大の課題は、「生きることの意義」を見つけることであって、働くことこそ生きる意味だという人がいるが、間違っている。と言う。
ブレグマンは、日本人のワーカホリックぶりを揶揄しながら、「過労死」という言葉のある日本ほど、仕事に取り憑かれた文化を見たことがない。日本人にとって、仕事の重要性があまりにも大きいことに驚いた。働かなければならないという脅迫観念が強いからこそ、失業率がこんなに低いのか。意味もない仕事がどんどん生み出されている。日本人は、人生で何を大切にすべきかについて真剣に議論する必要があるというのである。
夜中の11時、東京で工事中の道を横切ろうとしたら、5人もの従業員が立っていて右を歩けと指示してくれたが、そんなに無駄な人間がいるのか、ソ連の末期に、モスクワのパン屋のレジに3人も店員がいて、一人はパンを計測、一人は袋に入れ、一人はお金を受け取ってレシートを渡す、こんな国が崩壊するのは当然だというわけである。
もう一つ面白い指摘は、富を移動するだけの「くだらない仕事」が多すぎるとして、まず、銀行業を、今の金融センターが行っているのは、生産的な投資ではなく投機で、かっては、才能ある若者たちは、研究機関や大学、政府、医療、教育などの分野で働いていたのに、今やその大半が、ウォール街で働くようになってしまったのは、現代最大の悲劇だ。とやり玉に挙げて、
また、最近の優秀な若者は、シリコンバレーではたらいて、人々にできるだけ広告をクリックさせるように仕向けており、これは才能の無駄遣いだ。シリコンバレーで、イノベーションなど起こる筈がない。と言う。
現在のイノベーションが大したことのないのは、多くの優秀な若者がウォール街やシリコンバレーで働き、才能を無駄遣いしているからだ。と言うあたり、中々の論客である。
ブレグマンは、ベーシックインカムを説きながら、GDPがもはや人間の幸せとは無縁の概念になってしまっていることを説いていて、面白い。
最後に、未来の最大の課題は「退屈」だとして、ホイジンガの「ホモ・サピエンスはホモ・ルーデンスであり、遊ぶことこそ我々の本質だ」と言う言葉を引いて、我々は遊ぶことで、物語を作り出し、文化を創る。仕事ばかり集中した文化では、イノベーションや創造性、文化を生み出せない。
とにかく、この本、色々な問題を提起してくれていて、非常に面白い。