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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

.ユビキタス・ユートピアに向けての坂村健教授の自信・・・TRONSHOW 2006

2005年12月15日 | 政治・経済・社会
   12月16日まで、東京国際フォーラムで、坂村健教授が主導するトロンショウ2006が開催されている。
   客足は比較的少ない地味なショウだが、シンポジュームと合わせて、新しい日本の進むべき道を暗示する貴重な催しである。

   坂村教授の基調講演「ユビキタス始動!」を聞いた。
   機会を見ては坂村教授の講演会には参加してトロンの行くへを追っかけているが、少しづつ坂村教授の講演のトーンが変わってきており、今回など、トロン技術の躍進と社会の認知とバックアップに支えられて、自信に漲った講演に変わっていた。
   10年以内に、何処でも何時でもICタグが随所に嵌め込まれてトロンの世界が遍く広がっていると言う。
   特に、今回は、この後の講演でも、日本政府の各省や大学人のトロン技術の応用に対する取り組みについて詳細に説明されたり、会場でもその実証実験プロジェクトについて展示をするなど熱心であったので、日本的なプロジェクトとして育ちつつあるのを強く感じた。
   特に、総務省、農水省、国交省等の「ユビキタス社会の社会インフラに向けて」の取り組みが、その方向を示している。

   坂村教授は、目的は、「最適制御」、社会プロセスの効率化と自動化だと言う。
   日本は、今年で人口減少が始まり、極端な少子高齢化社会に突き進んでおり、世界全体もその動きを加速し始めた。
   人口バランスが崩れて行きつつあり、高齢者を十分助けられなくなる社会になると、高齢者中心の社会インフラの整備は必須となる。
   例えば、自律移動支援プロジェクトなどが、街歩きを安全に誘導する。

   安全・安心の為の技術の基盤を開発する。平和日本が、軍事技術ではなく、国家安全保障として開発する貴重なプロジェクトだと言う。

   それに、坂村教授は、開発したICタグ、トロン技術については、当初よりすべて、無料のオープン・アキテクチュアを貫いていて、オープンな社会インフラであることが一番重要だと言っている。
   何に使っても良い、この技術を活用・応用して事業化し、企業が利益を上げるのは大いに結構と言う。
   社会インフラとして普及すればするほど、低コストとなり、新しい発想を誘発して新サービスが生まれて社会を豊かにする。
   ボランティアから商業利用まで、組織を超えて、会社を超えて、国を超えて、
坂村教授の夢は限りなく広がって行く。

   どんなICタグでも読み取るマルチプルリーダーを開発した。
   これをかざせばどんなタグも読める、携帯電話と融合すれば、これ一つで、何処へでも安心して出かけられる。
   そんな社会がそこまで来ているのであろうか。

   会場で、メロンにタグをつけて、出荷配送から受け取りまでの実験を体験したが、まだ、開発段階ながら、非常に興味深かった。
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生き物の万華鏡写真・・・ニコンサロン・大関通夫写真展

2005年12月13日 | 展覧会・展示会
   今日、歌舞伎座へ行く途中、東銀座のニコンサロンによって、大関通夫氏の「生物百色眼鏡」と言う写真展を見て来た。
   このサロンは、大体、モノクロ主体で社会派の写真家の、ドキュメンタリー・タッチの社会の真相を抉った写真が多くて、何時も暗い印象を持って帰る。
   虚実皮膜、歌舞伎では、乞食でも錦の衣装を付けるが、私は、芸術は嫌悪感を与えてはならない、本来美しくなければならないと思っているので、あんまり、この方向には賛成ではないが、教えられることが多いのも事実であり、良く出かけて来る。
   しかし、今回は、全く違って、花や野菜、或いは、蝶や木の実と言った生活の場に有るおなじみの材料を万華鏡風に写した綺麗な写真展であった。
   これ等の物体が、美しい蹴鞠のような球形の美しい世界を作り出しているのである。

   写真家の大関通夫さんに聞いてみたら、どうして写したのか教えてくれた。
   そして、実際に自分が製作した万華鏡を使って綺麗な画像を見せてくれたのである。

   丁度、顕微鏡写真を撮るように、カメラと被写体の間に鏡を置いて写す。
   鏡は、三面の鏡を貼り付けての手作りで、三角錐の頭を切ったような形で、先の部分の巾は2センチ、開いた方が10センチ、鏡の胴の長さは25センチである。
   普通の万華鏡のように3面の鏡が同じ巾でなく3角錐の形になっているので、像が収斂して美しい球体の像を結ぶのである。
   普通に撮影した花などのポジフィルムに鏡の先を当てて覗き込むと、美しい花の万華鏡が展開される。
   鏡を動かすと、像が生き物のように変化する。
   鏡の上からカメラを向けて撮影する。
   ピントを、ポジフィルムの像に合わせて、F8で30分の1秒程度でデジカメのシャッターを押すと綺麗な写真が写せると仰る。

   ピントは全体にシャープなので、実際に像は横の鏡に映っているように見えるが、それは、虚像なので、ポジフィルムにピントを合わせれば、全域に合うと言うことであろう。

   この写真は、ルピナスの花であるが、兎に角、曲がって売り物にならないキュウリが素晴しい芸術に変身するなど、何時も見慣れているものが、全く違って見える。
   この世の中も、もう少し見方を変えれば、素晴しく見えるのかもしれない。

   この日は、数寄屋橋の富士フィルムのサロンにも寄ったが、ここは、富士営業写真コンテストをしていた。
   街の写真屋さんが写した得意のポートレートなどが展示されていて結構興味深く見せて貰った。
   金賞は、「喜びの日を待つ時」で、若い妊婦が、少し張り出したお腹を見ながら幸せそうに笑いながら覗き込んでいる横からの写真で、実に微笑ましい。
   何時も、同じく東銀座のキヤノンサロンにも行くのだが、歌舞伎の開演時間に間に合わなくなったので別の日に行くことにした。
   
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橋本治の見る日本経済・・・飽和状態・極に達したのだから幸せを求めたら

2005年12月12日 | 政治・経済・社会
   橋本治の新書「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」を読んで見たが、兎に角、普通の経済学の書物と大分趣が違うので、言っていることが良く分からないと言うのが正直な所である。
   話の筋が論理的ではなく、話の展開が途中でふっと切れたと思うと明後日の方向に行き、尻尾が摑めない。
本人も「経済は、「ただ流れていること」だから――経済とは、実態があるんだかないんだかよく分からないものである」と言っているので、正確に摑まなくても良いのかも知れないが、いずれにしても不思議な本である。
   
   私なりに掻い摘んでみると、次のような話であろうか。

   「経済」を辞書で引くと、「物質の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、及びその中で営まれる社会的諸関係の総体」と言うことで、要するに、経済とは、グルグルと回ること、循環することと理解する。
   ECONOMYを訳す時に、経世済民に近いから経済にしようと言うことになったので、経済は政治の一局面である経世済民に密接に関わっている。
   従って、経済が国家に絡み、日本経済は、官が民を主導する社会主義的な資本主義経済となったが、これは、世界にはない日本独自の特殊事情である。

   日本経済は、成長を謳歌したが、バブル経済が弾けてしまった。
   これは、それまでの経済が飽和状態に達したからで、指導者や経営者に「経世済民」をやらせていた時代は終わったことを意味する。
   「後発である」と言うコンプレックスを利用して、日本は既に確定していた筈の世界市場をフロンティアに変えて経済戦争に勝ったが、経済が満杯になり、フロンティアをなくして破綻し、「世界に限界がある」と言うことを証明した。
   21世紀の経済はその前提の上にある。

   バブル以降の「日本経済、そして、世界経済」のフロンティアは、「欲望」となった。
   限界を知った経済は、「自分で作って売る」から、「他人に作らせて売らせて儲けて、そこに参加する」と言う投資に形を変えた。
   経済の中心が、生産・販売から投資に方向転換したが、その象徴は、ヘッジファンドの活躍である。
   
   世界経済は、壁にぶつかって限界の中で動いていて、欲望だけが経済を動かしている。
   しかし、今やその欲望の力も怪しくなってきた。
   「世界経済の指示によって欲望が動かされている。」
   世界経済に、われわれ消費者の欲望=ニーズが先取りされてしまって、我々は、そのシステムに振り回されて、雁字搦めになって何も出来ない構造の中で生きているのである。

   これ以上やったら地球が壊れちゃうぞ。
   発展が必要なのか。
   経済発展以外の選択肢がある筈だ。

   橋本治は、「もう世界の経済は壁にぶつかっているから、経済を考えるいみはない」と言うためだけに、経済に深入りしてこの本を書いたと言う。
   しかし、恐らく、普通の経済人は、経済が壁にぶつかる事もあるが、また、回復して新しい成長の波に乗り、人類の歴史が続く限り、永遠に経済が継続し人類の生活の向上の為に貢献して行くと思っている。(たとえ、公害問題や、人類を危機的な状況に追い込むことがあっても。)

   IT革命によって、今までにない新しい知識情報産業化社会の利便性を享受しながら生活していることは事実だが、
私は、橋本治の言うように、「もう、経済発展はこれで良いのではないのか。人類が営々と築いてきた人類の文化と遺産をもっと大切にして、人間の幸せとは何なのかをじっくり考えた方が良いのではないか」と思っている。
   本当に、地球が壊れちゃうぞ、と思っている。

   経済どっぷりの視点から読んでしまったので、分からなかったのかも知れないが、橋本治は貴重な指摘と提言をしているのだろうと言う気にはなっている。
   
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シュンペーター「ブレーキはより速く走る為にある」・・・プロとしての建築と土木の違い

2005年12月11日 | 政治・経済・社会
   経済発展の理論で、経済成長は、イノベーションによる創造的破壊によって起こるのだと説いて一世を風靡した偉大な経済学者アロイス・ヨーゼフ・シュンペーターが、「自動車のブレーキは、より速く走る為にあるのだ」と言っている。
   何故ブレーキがあるのか質問すると、大概の人は、「分かってるじゃないですか。車を止める為にあるのです。」と答える。
   しかし、良く考えてみれば、ブレーキがあり、何時でも思い通りに車を止める事が出来るので、思い切りアクセルを踏んで車を走らせることが出来る。
   このように速く走る為にブレーキがあるのは至極当然だが、しかし、本来、ブレーキがなければ、車そのものが機能しない。
   逆転の発想でも何でもない、極普通の真理なのだが、人は、その物理的な機能のみに目を取られて、その本来の貴重な働きを忘れてしまう。

   今朝、10チャンネルのサンデープロジェクトの「耐震強度偽装事件」報道を見ていて、このシュンペーターのブレーキ論を思い出した。
   本件は、総研を筆頭とするモラル欠如の一群のビジネス集団に問題があると思っているが、今回は、民間確認検査機関の業務が焦点となっていたので、この点に絞って考えて見たい。

   この確認検査機関が、何故偽装を見抜けなかったかと言うことであるが、東工大の先生が指摘していたように、極めて初歩的なミスで、業務上の怠慢以外の何物でもない。
   要するに、制度上も業務上も、適法かどうかと言った最低条件の偽装チェックさえ機能していなかった、即ち、車を止めるべきブレーキが働いていなかったと言うことである。
   耐震強度偽装問題だけ解決するのなら、法制度を含めたトータルシステムを改正すれば比較的容易である。
   しかし、大手ゼネコンが巻き込まれているとするならば、チェックシステムの問題だけではなく、日本の社会経済構造の問題で深刻である。
   その問題はさておいて、今回の件では、日本人のモノの考え方に問題があるのではないかと思っている。

   端的に言えば、日本人のブレーキ軽視の風潮である。
   平成バブルに苦しんだ日本の遠因の一つは、財務諸表のコントロール軽視、即ち、企業の経理財務部門の業務を軽視していたことで、担当者を帳付けとか会計屋と称して1ランク下においていたが、このブレーキ機能軽視である。
   監査役軽視に至っては、限度を超えており、社外役員制度や委員会制度導入でお茶を濁しているが、コーポレートガバナンス等未だに機能不全で、要するに、カタチだけ整えるがブレーキ機能はお飾りと言う風潮は変わらない。
   しかし、このブレーキ機能が、如何にうまく機能し信頼に足る働きをしているのかが、社会の安寧と秩序を守り人々の平和な生活を保障しているのを忘れてはならない。

   ところで、耐震強度偽装問題に戻る。構造設計に対する日本人の考え方に問題があるようで、欧米と比べると、構造設計に対する機能と資格要件が甘いようであるが、その前に、構造設計の位置づけを考えてみたい。
   日本の場合は、土木と建築は、構築物によって分かれていて、技術者は両方とも工学部で教育されて、夫々、土木科と建築科から巣立つが、欧米の場合は、意匠設計は芸術学部で教育され、それ以外の建設技師・技術士はすべて工学部土木(?シビル・エンジニアリング)学科で教育を受け、当該の構造設計技師は、当然ここで学位を取得する。
   日本では、建築学科でも構造設計は比較的陽の当たらない部門のようで、優秀な専門家は非常に少ないと聞く。

   イギリスの場合であるが、意匠設計を担当するアーキテクトは、非常に尊敬される専門職だが、エンジニアリングの世界もそれと同様で、建設業界では、工事施工以外のエンジニアリング部門を担当するクオンティティ・サーベィヤー(QS)の役割と地位は非常に高い。
   建築申請における意匠と構造設計の位置は同等に重要であり、構造設計者の顔は最初から克明に見えている。
   また、QSのエンジニアーが発注者側に立って、建設工事の最初から最後まで徹底的に図面と工事をチャックして設計会社や工事業者を監視しているので、日本のような鉄筋を抜いて工事費を浮かせて儲ける等考えられない。

   ここで強調したかったのは、欧米の場合は、プロフェッショナルには、必要な教育を施して高い資格と地位を与えてそれなりに遇していることで、プロフェッショナルも誇りを持ってプロなりに振る舞い、それに、プロフェッショナル・ライアビリティ等保険制度も含めて社会全体に整備されていることである。
   日本は、プロに対しては、プロ野球やプロサッカーに対する認識が強いが、プロフェッショナルとは、弁護士や会計士、建築士等々、特別な教育を受けて資格を取った夫々の道の専門家を言うのであって、その機能は、社会が複雑化すればするほど重要になってくる。
   しかし、日本では、形にならない相談やアドバイス、コンサルティングなどは只だと思っている人も多く、また、専門的なプロの行うサービスに対しても十分に対価を支払う商習慣は成熟しているとは思えない。
   
   余談だが、商法は、プロの経営者による会社経営を期待しているが、プロの経営者を育成する制度は日本にはまだない、それが、日本の経営のモラルを低下させているのかも知れない。
   
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最大の経済圏に躍進した東アジア・・・日本製造業の復活は本物

2005年12月10日 | 政治・経済・社会
   久しぶりに榊原英資の経済講演会を聞いた。
   TVで良く見るので久しぶりと言う気はしないのだが、「混迷が続く日本経済の将来像~グローバルな視点から~」と言う演題を、「日本経済の復活は本物か」に変えて、日本経済と東アジア経済圏の躍進について語った。

   結論は、エコノミストでビル・エモットが特集した「日はまた昇る」の結論をなぞった感じで、日本経済の復活、特に、日本の製造業を中心とした復活は本物であると言う。
   また、「新・日本の経営」でアベグレンが失われた10年ではなく、日本経済の新しい飛躍への準備と調整への10年であったと指摘していた点についても賛同。
   企業の再編による再建と不良債権の処理を終えて利益が拡大してキャッシュフローが潤沢になった製造業が、その資金を設備投資と増配に振り向けはじめた。
   好業績の会社は、殆ど終身雇用を維持し従業員を大切にする日本型の経営を行っている会社で、委員会制度や社外取締役を導入してアメリカ型に走った会社の業績は悪い。
   年に5万ドル程度を貰って、社長の友人が社外取締役になってイエスイエスと言っている社外重役制度などアメリカでも上手く行っていないので、日本で社外取締役が責任を取れるわけでもないしコーポレートガバナンス等実効性を上げられる訳がない、と一刀両断。
   
   1990年のアメリカの好況は、ITを筆頭に基礎的技術の好況であった。
   元々アメリカは、政府と大学が強い国で、軍事部門や政府主導の研究機関には資金が潤沢で、基礎的な技術の開発は抜きん出ている。
   ところが日本は逆で、民間企業が強くて、技術の応用と製品化への能力に秀でており、21世紀は再び日本の時代となる。

   特に、成長したアセアンに加えて中国、インドの躍進が目覚しく、今や、東アジアが最大の世界経済圏になったと言う。
   現実に、今や東アジアが世界最大の生産基地になっている。
   また、いち早く平等な中産階級国家になった日本の後を追って、アセアンや中国やインドの中産階級が台頭してきており、欧米並みの生活水準を謳歌する中流階級は既に6~7億人に達していて、アメリカやヨーロッパの人口より遥かに多くなって、世界最大の消費市場ともなっている。
   1850年頃までは、中国、インドの経済力が群を抜いていた。欧米諸国の植民化政策により経済力と権力が一時ダウンするが、欧米が世界を制覇していたのはほんの150年足らずで、後は、アジアが世界を押さえていた、と榊原先生の持論であるアジア優位論が展開される。

   次に、榊原先生が強調したのは、日本文化と日本人に深く根ざした摺り合わせを得意とするソフトで人間的な「匠の技術」。
   二年前にタイム誌が特集したCOOL JAPANを引いて、圧倒的にレベルの高いモノづくり日本とその深い伝統文化や産物が欧米人の評価を高めている現状を、熱っぽく語っていた。

   ところで、榊原先生は、製造業の復活ついでに、六本木ヒルズバブルについても論じ、金利が上昇すれば、借金漬けで膨張してきたIT企業は危ないと言う。
   
   余談だが、製造業の時代が終わって、ポスト・インダストリアル社会へ、知識情報化社会へ、知価社会への移行と騒がれて早半世紀になるが、日本の復活は、さらばと言った筈の製造業の復活によって成し遂げられている。
   しかし、辛苦に辛苦を重ねて匠の技術を開花させて復活した企業も、その利益は、ITバブル企業と比較して極めて少ないし、また、市場で評価される時価総額表示の企業価値も低い。

   日本の「匠の技術」が、日本で評価されていないのが問題なのではなかろうか。
   私は、ヨーロッパでは、ベンツやアウディを使っていて故障で困ったことがあるが、帰ってきてから10年間ずっと同じトヨタに乗っているが故障らしい故障は一度もない。
   イギリス人の友人達は、日頃は、ウエッジウッドやスポードなど英国磁器を使っていて、日本の陶磁器は大事に仕舞っており、日本に来ればノリタケノリタケと言って目の色を変える、日本人と逆である。
   ヨーロッパに居たのでマイセンやアウガルテン、ヘレンド等も買ったが、意匠や作りに惹かれるものもあるが、どう見てもノリタケの方が上等のように思えるし、それに、日本国中に五万とある実に素晴しい芸術品や民芸品の陶磁器の素晴しさは、どう説明したら良いのであろうか。

   19世紀に、日本の芸術品がヨーロッパ人を魅了してジャポネスクの世界を開いた、そんな時代が再び訪れて来ているのかも知れない。
   しかし、少し景気が良くなって、オンリーワン企業で世界をアッと言わせている中小企業の岡野社長や青木社長の所に、若い技術者が行かなくなって後継者が居なくなったら、折角の素晴しいモノ作りの伝統と「匠の技術」が消えてしまう。
   
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世界的な生命学者が吉本興行とJV・・・「お笑い」が遺伝子を変える

2005年12月09日 | 政治・経済・社会
   C&Cユーザーフォーラムで、また、興味深い話を聞いた。
   筑波大の村上和雄名誉教授の講演「良い遺伝子を「ON」にする生き方~強い思いで開花する、人の新たな可能性~」である。
   迂闊にも名前だけでよく知らなかったが、村上先生は、高血圧を引き起こす黒幕である・ヒト・レニンを、パスツール研究所やハーバード大学を出し抜いて世界最初に発見した偉大な生命科学の学者で遺伝子暗号解読の第一人者だと言う。
   最初から最後まで聴衆を笑いに捲込む素晴しい話術の持ち主でもあり、レニン発見の為に、場を回って拝み倒して集めた3万5千個の牛の脳下垂体を、ノーベル賞モノだといって学生を騙し賺して朝7時から皮を剥かせて抽出したり、涙ぐましい逸話を織り込みながら、生命の神秘について熱弁した。

   冒頭、心と遺伝子の関係を研究しており、吉本興業と一緒に、笑いが如何に遺伝子に作用するのか、「心が変われば遺伝子が変わる」「貴方の心が遺伝子を変える」と言う実証実験をしているのだと言う。
   B&Bに来てもらって、筑波で「笑いと遺伝子の公開実験」をしたら、1000人の聴衆が集まり、面白くも楽しくもない普通の大学の先生の講義の後とB&Bの漫才の後とで聴衆の血糖値を計ったら、123mgから77mgまで下がった。
   遺伝子の内、3%だけはたんぱく質を作る為に働いているが、残りの97%は眠っており、これを起こして活躍させれば、どんなことになるのか、感動、笑い、喜び、心地よさ等々人を幸せにする刺激を与えれば、幸せの遺伝子が「ON」になるのではないか。
   この実験が、アメリカの学会で報告されてロイター伝で世界に伝わったと言う。

   「笑い誘発ビデオ」を作っており、顔の笑い筋肉を活性化するのに頬の筋肉を引っ張って「タコヤキクルクルオイシイナ」とやるのだと言って実演、嘘のような話をしながら、「B&Bと言う薬は何処で売っているのですか」と聞くマヌケが居るのだと紹介する。

   世界の先哲ソクラテスもプラトンは勿論神代の時代から笑いに興味を持って研究されており、教えないのに赤ちゃんが笑うあのエンジェルスマイル・・・笑いの研究は人間の研究だが、人間の脳を覗き込めないので、笑いでどの遺伝子が動くのか、ネズミの脳4万個を使って研究中とか(ネズミは、笑うんですかねえ)。

   自分の研究で、例外があるのを発見したのは、めぐみさんの母親横田早紀江さんに会って、「娘は絶対死んでいない。命に代えても取り戻す」と言う強い確信と、「日本を凛とした正義の国にしたい」と言う強い信念に打たれた時で、逆境を乗り越えた凄さや厳しい環境が、人間の遺伝子を「ON」にするのだと感じた、と言う。

   偉大な科学的な発見の中で、この世には、人智を超えて世界を統べているSOMETHING GREAT(サムシング・グレイト)が存在するのだと感じて感動したと言う。
   人は死ぬまで遺伝子と付き合わなければならないが、1グラムの2000億分の1の人の遺伝子ゲノムの中に、30億の文字が書き込まれていて人間の生命を司っている、いったい、誰が書き込んだのか。
   神や仏でないならば自然界にある目に見えない人智を超越した偉大な何かが書き込んだのだろうか。
   人間は母親の胎内で、生命の38億年の遍歴を38週で完結して生まれてくるが、いくら偉大な人間でも、たった一つの細胞さえ自分で創り出す事が出来ない無力な存在である。
   人間が生きていると言うことはただごとではない。
   SOMETHING GREATは、人類継承のテーマであり、この追求は科学者の使命であり、自分はそのメッセンジャーでありたい、と言う。
   偉大な科学者ほど、自然界の神秘と壮大な秩序に感動して、人智を超えた超自然の存在とその摂理を感じられるのであろうと思う。


   日本人には、「おかげさま」「もったいない」「いただきます」と言う素晴しい文化がある。21世紀は日本の世紀だとも言う。

   前述したヒト・レニンの世界的発見やイネの遺伝子解明研究の話など実に興味深かったが、示唆に富んだのは、ナイトサイエンスの話で、アフターファイブに酒を飲んだりして気が緩みリラックスした時の、科学者の直感、霊感、閃き等が偉大な科学的発見に結びつくことがあると言うことである。
   学生の頃に、湯川秀樹教授の学内の講演で、素粒子理論の発見の時の閃きについて聞いたのを思い出した。
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シャープのオンリーワン経営・・・集中と選択の「和」の経営戦略

2005年12月08日 | 経営・ビジネス
   C&Cユーザーフォーラムで、シャープ町田勝彦社長の講演「シャープのオンリーワン経営」を聴講した。
   多少ニュアンスは違うが、キヤノンの御手洗冨士夫社長の経営哲学と同じ日本の経営に対する確乎たる信頼と日本の歴史と伝統が育む文化力に対する確信に満ちた戦略経営について熱っぽく語った。

   シャープは、社名にもなったシャープペンシルやベルトのバックルを創作した早川徳次氏が創業した技術オリエンテッドな会社で、今や液晶テレビAQUOSで市場NO.1の優良企業。町田社長は、付加価値の付いた亀山ブランドの大型液晶テレビの創出等オンリーワン経営戦略について、その経営哲学を交えて講演したのである。

   社長に就任したのは、1998年で日本経済最悪の時期だったが、最大の試練は、「選択と集中」戦略で、コア事業として、液晶を取るかICを取るかの決断であったと言う。
   当時、IC部門に会社の比重がかかっていて優秀な社員も多くそれなりの成績を上げていたが、液晶部門は、設備投資の40%以上を占めながら全社の赤字の48%を出すなどお荷物ではあったが、将来を見越して液晶に集中することに決めたと言う。
   最大の問題は、優秀な社員のモチベーションを落とさないこと。ICについて生産は止めるが、内需に貢献するオンリーワン商品のキーデバイスの開発に注力することにして士気を維持した。

   オンリーワン戦略を支える「和の経営」について、真っ先に語ったのは、「本業重視と選択と集中による効率経営」であった。
   先の決断に基づいて、液晶事業に経営資源をシフトしてIC部門への投資を抑えて安定した収益を確保できる体制作りに注力した。
   この点は、アベグレンが、日本の電機会社が集中と選択の戦略を取らずに何でも手がける総合電機を目指して業績の悪化を招いたとして批判しているが、シャープは、パソコン事業を捨てたキヤノンと同じ様に勝ち目のない事業を捨てて液晶に集中したのである。
   また、ブランド力がなくて販売店で涙を呑んだのでブランドイメージを上げる為に苦労したと言うが、今、吉永小百合のAQUOSで生きている。

   次に意を用いたのは「夢の共有」。
   1人たりとも無駄働きをさせられないので、全社員のベクトルを合わせビジョンを共有することが大切だと感じて、「2005年までに、カラーテレビは、ブラウン管から液晶に置き換える」と宣言した。
   液晶テレビの商品化については、パネルの大型化、視野角、応答速度、等々問題があったが、一丸となった技術のブレイクスルーは凄い物で、瞬く間に解決し、液晶パネルと独自デバイスの融合によって差別化した今日の高度な大型液晶テレビが生まれたと言う。

   更に重要なのは、「垂直統合と技術の融合を支えた緊急プロジェクト制度」。
   社長が新製品を企画すると、社長直属の特別プロジェクトが立ち上がり、各事業部門から優秀な社員が集まり新製品の開発に挑戦すると言う。
   カルロス・ゴーンのプロジェクトにも相通ずる「事業部門の壁を乗り越えた人材」の結集とその総合力の発露によるブレイクスルーである。

   非常に重要なもう一つの戦略は、「日本でのものづくりにこだわる」と言うこと。
   一時期、日本の製造業が海外にシフトして空洞化したことがあったが、日本の生産技術の停滞と流出、中国等の台頭に脅威を感じて、製造業の国内回帰を図り「日本でモノづくりを極めたい」と考えた。

   液晶パネルは、自動車や複写機の様に、中国等で製造可能な組み合わせ(モジュラー)製品ではない摺り合わせ(インテグラル)製品なので、日本人の得意な分野であり差別化してオンリーワンの時期を長引かせられると言う。

   「和の経営」については、ドラッカーの「日本の家族主義的な経営」を引用して、日本の強さである「和」の力を存分に利用・活用した経営の重要さについて語った。
   「人を大切にする経営」であるべきで、技術やノーハウは属人的なものであるので終身雇用制度は重要であり、リストラは、もっての外。この日本的な良さと成果主義と実力主義とのバランスが大切である。
   「多能さ」の育成も重要で、I型人間ではなく、巾のあるT型人間の育成が要請されている。
   人材は石垣のようなもので在るべきで、多種多様な石が積まれている故に石垣は堅固なのである、とも言う。
   
   日本と日本人を信じて日本でモノづくりを極める、それが町田社長の経営哲学であり、世界一の技術で、世界一の液晶パネル工場で、世界一の液晶テレビを製造する、そこで生まれた亀山ブランドが世界を制覇しようとしている。
   
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人工衛星を打ち上げる東大阪の職人青木豊彦社長・・・若者にモノづくりの感動を伝えたい

2005年12月07日 | 経営・ビジネス
   ビックサイトで、NECが主催するC&Cユーザーフォーラム&EXPO2005が今日から3日間開催され、フォーラムに参加した。
   毎年開かれていて、ITやコンピューター、コミュニケーションに対する最新の情報を提供してくれるので欠かさずに参加している。

   今回のテーマは、「今、ユビキタスで、ビジネスに「勝てる力」を!」
   U can change. である。

   最初に、~豊かなユビキタス社会とビジネスの革新を目指して~と言う演目で、NECの金杉明信社長、矢野薫副社長、川村敏郎副社長が、新しいC&Cの潮流とNECの取り組みについて講演した。
   続いて、基調講演は、NHKの橋本元一会長が、「デジタル放送の展開と公共放送NHKの役割」について語った。
   他に、BiddersのDNA南場智子社長の参加した討論会「「勝つ企業を創り出す!」、作家・莫邦富氏の講演「対中ビジネスの真実」があったが、夫々、興味深く、普通は途中でドロンするのだが珍しく最後まで聴講していた。

   もう一つ講演があったが、それは、(株)アオキの代表取締役青木豊彦氏の講演「物づくりの現場と産官学連携~「心意気」で目指す新たなフロンティア~」。
   兎に角、ユニークで、日本の物づくりの原点を教えてくれる素晴しい講演だったので記しておきたい。

   昨年だったか、このフォーラムで、やはり日本全国にお馴染みの金型職人・岡野工業の岡野雅行社長の講演があって同じく感激して聞いたのを思い出す。
   岡野社長は、リチユームイオン電池ケースや痛くない注射針を創った、人間にしか出来ない、しかし、人間力を超えた作品を創りだす金型の達人である。

   平成のデフレ不況で、殆ど壊滅状態で疲弊し暗く沈んでいた東大阪の中小企業の製造業に、元気を取り戻す為に、青木社長が花火を打ち上げた、それが、中小工場を糾合した「人工衛星打ち上げプロジェクト」である。
   来年、冬には、種子島の宇宙センターから空に向かって打ち上げられる予定だと言う。
   大阪府立大学の航空宇宙学科の先生をはじめ多くの大学や官庁が協力していて小泉首相も視察をしている。

   この30人足らずの従業員のアオキは、ボーイングの認定工場で、ミクロン単位の精度を要求される金型を作っている大変な技術力のある会社である。
   ボーイング社は、横浜の大企業を差し置いてアオキを認定工場にしたが、理由は、「アオキの職人の目が光り輝いていたからだ」と言われた、と青木社長は言うが、それ+途轍もない技術力であろう。

   青木社長の「人工衛星打ち上げ」は、あくまで手段で、「若者に物づくりの為に来て貰いたい」一心でやっているのだと言う。
   高校を辞めて職人になれと言われた時に、オヤジの作るナットが鉄の熱がさめた後ピッタリと合うのにビックリして、尊敬したと言う。自分がいくらやっても合わないし、熱で膨張した鉄の収縮度を計算した職人芸に感激したのである。
   今、若者が中小企業のものづくりに来ないのは、3Kのイメージと、職人の奥方が悪い所為だと言う。
   昔は、「はようお父ちゃんのようになりや」と子どもに言ったが、今では「お父ちゃんのようになったらあかんで」と言って子どもを育てるからだという。

   歯ブラシからロケットまでと言うのが東大阪の中小企業のものづくり、8000社のうち200社はオンリーワン企業で世界一、何十年も絶対錆びないナットを作る会社など多岐に渡っている。

   京都に最先端を行く優良企業が多いが、伝統工芸や京都で生まれ育った技術に培われた会社が大半だと言う、アナログで人間の温もりのある、人間の手で築き上げた「匠の技」が日本の工業力を支えていることをユメユメ忘れてはならないと思いながら青木社長の話を聞いていた。
   
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経営環境の大変化(2)・・・価値創造の不動産開発

2005年12月06日 | 経営・ビジネス
   伊藤元重教授の「成熟市場の成功法則」について、今回は不動産開発の新しい動向について、三井不動産岩沙弘道社長とのインタビューについて書いて見たい。

   「21世紀に日本橋を再生させ輝きと活力に溢れた街にする目標を掲げ、地元町内会、地元企業、行政と一体となって「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」を作った。
   日本橋らしい歴史・文化・伝統を大切に、そして、「日本橋から日本の経済が飛躍し、発展した」と言う街の原点、スピリットを大切に、知恵と工夫で新しい時代を切り開く気風やチャレンジ精神を街にもう一度蘇らせようとしている。
   国家間の競争の根源は、主要な都市や地域がグローバルな市場の中で如何に自立し発展するかに懸かっており、「街づくり」の視点にたった日本の都市再生が必須である。かっての日本のように、財である不動産が下がり続ける「不動産デフレ」の国は先進国の何処にもない。
   街を再生して不動産を有効活用して付加価値を付け、キャッシュフローを増して魅力ある投資対象に仕立て上げて、不動産証券化により出資者に提供する。
   コーポレート・ファイナンス事業以外に、不動産所有者に有効活用のコンサルティング、投資機会紹介等のサービス及びソリューションを提供するマネジメント事業も行っている。
   しかし、まずは、不動産に対する懲罰的な税制を改めて欲しい。」

   私が、20年ほど前にイギリスに出かけて、不動産開発に目を開かれたのは、まず、収益還元法による土地の評価である。
   土地を入札する時に、建設する建物がどれだけの収益を生むのかをまず計算して、逆算しながら土地価格を決めることで、勿論、土地評価専門のチャータード・サーベイヤーの助言を仰ぎながら予測する。
   日本は土地価格は上昇するものと誰も信じて疑わなかったので、収益など二の次で土地代が決まっていたが、不動産投資も他の金融や株等と同列の投資だと考える欧米では、リターンの利回りが幾らなのかが重要なのである。

   もう一つビックリしたのは、不動産の時価会計で、チャータード・サーベイヤーの評価によって不動産の価値を評価し直し、財務諸表に反映させた決算を行わねばならないことであった。
   今では、前述の収益還元法も時価会計も日本では当たり前になっているが、ある意味では、革命的な変化である。
  
   不動産証券化もやはり新しい動きだが、元々会社の資産・不動産も株式によって流動資産化しているし、不動産も収益を生むのなら証券化して流動化するのは当然で、資本主義の必然であろう。
   大規模なショッピングセンターの開発なども投資ファンドの対象となって活況を呈している。ダイエーの轍を踏まなくて済むけれど、自前の土地建物であれば質屋のように上限押さえが利くが、箍が外れて株との相乗効果で再びインフレになるとどうなるのであろうか。

   ところで、日本橋開発のように不動産会社が企業の社会的責任を重視して開発を始めていることは重要なことで、特に、日本の場合は、建築基準法等法律の要件を満足させておればどんな建物でも建てられることで、都市の美観維持の意識が希薄なことである。
   これも、イギリスで経験したことだが、世界の大都会と比べて建物に整合性と統一性の希薄なロンドンでさえ、周りの環境を顧慮し外観に十分留意した設計でないと開発許可の取得は難しい。
   兎に角、旧市街に比較して世界の大都会の新開発地域は美観的に劣るが、東京の都市景観は特にひどい。
個々の建物のデザインには注意を払わない日本であればあるほど、秩序と良識のある都市再生プランによる都市開発が必須であろう。
   あの日本橋の上を跨ぐ高速道路など、日本の都市再生と美意識を問われる最大の汚点であると思っている。
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経営環境の大変化(1)・・・伊藤元重教授のトップインタビュー

2005年12月05日 | 経営・ビジネス
   Voice連載の伊藤元重教授と企業トップとのインタビューを纏めた本「成熟市場の成功法則」を読んだが、興味深い経営環境の変化と経営の取り組みについて得るところが多かったので書いてみたい。

   イトーヨーカドー鈴木敏文CEO

   「安いものが売れなくて、良いものであれば高くても売れる。
   今のマーケットは、大量生産を否定、今様経済学が通用するのはアメリカと中国だけ。
   現在PBの比率は、52%、他社の真似はしない。
   「競争」よりは「変化」、いまは「競争の時代」ではなく「変化の時代」である。」

   プレミアム何とかと命名した一寸価格が高くて質の高い限定版が売れ筋となっていて、イトーヨーカドーでも、地方で掘り起こした技術と品質の高い特産品が良く売れると言う。
   消費者は、付加価値の付いた差別化された自分が持っていないものが欲しいのだと言うのである。
   バブル直後のデフレ時代には、価格破壊で、人々はユニクロに殺到したが、もう見向きもしなくなってしまい消費者は質と喜びを求めるようになってきた。
   さて、エブリデイ・ロープライスのウオールマート戦略・戦術が日本で息づくであろうか。
   マスのアメリカとキメの細かさを求める日本とのマーケットの差は大きいと思う。

   キヤノン御手洗冨士夫社長

   「日本経営の復活のキーワードは、「技術」。
   キヤノンは、創立当初から「独自の技術で勝負する」と言う進取の気性があった。
   何よりも技術を開発し、その技術を特許で守り、事業を発展させて行く。会社の伸張と共に、自社の技術をさらに磨き、また新しい技術を加え、複合技術の上に新事業を築いて行く、これがキヤノンの王道。
   情報通信ネットワークの技術に注力、ブロードバンド時代になると動画の時代になるのでディスプレイ技術に取り組む。
   技術力によって日本の労務費を如何に削減するか、生産技術を磨いてロボット工場のようなものを導入して労務費の比率を極度に低減して国際競争力を増す。
   技術は人の中に蓄積され、経営目標に向かってのコミュニケーションの伝達スピードを上げ、団結と信頼関係を醸成する運命共同体的な日本の長期雇用・終身雇用制度は、経営にとって極めて有効な制度であり、文化としてのコーポレート・ガバナンスである。
   経営者の使命は、徹底的に合理主義を追求して企業価値を上げる事だが、何が合理的かは国によって違っており、長期雇用から生まれる運命共同体的な日本人の文化こそが日本の経営のコアコンピタンスであり、経営者としてこれを活用している。」

   御手洗社長は、アメリカでの経営経験が長くて米国経営については知りすぎているほど知っていて、経営・財務指標重視の経営を果敢に推進するが、監査役制度を温存し、社員の登用機会を割くのが忍びないと言って社外重役も登用せず頑なに日本の従来の経営制度を継続している。
   報酬委員会を置く会社は何に客観性を置くのか疑問だと言い、「コーポレート・ガバナンス」の仕組みの比較などナンセンスだとも言う。

   トヨタとキヤノンは日本的な経営を継続しながら、極めて良好な営業成績を揚げている超優良企業だが、このことは、日本の伝統と文化に育まれた企業経営環境を尊重した経営が健在であることを如実に示している。   
   某格付け会社が、トヨタの終身雇用制度の為に格付けを落としたことがあったが、あと2年も寿命が持たないと言われるGMと比較して如何にトヨタが優良かが分かると思う。
   和魂洋才、ハイブリッド経営の勝利だと思っている。

   何十年も前に、「日本の経営」を書いてまだ発展途上中の日本の経営を世界に喧伝したアベグレンが、新著「新・日本の経営」で御手洗社長と同じ様な理論を展開してアメリカ傾斜型のコーポレート・ガバナンスを激しく糾弾しながら日本の経営の特質とその良さを説いている。
   最近、日経など、CSR等で、委員会制度を導入している会社の評価を高くしているが、経営と言うものは生き物、根ざしている土壌・地盤を軽視した経営は成り立たないことを肝に銘ずべきであろう。


   伊藤教授の本だが、こんな興味深いインタビューが12回も続いている。
   

(追記)写真は、新宿御苑プラタナス並木の今。
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花見酒の経済・財政赤字が引き金・・・中谷巌教授の心配

2005年12月04日 | 政治・経済・社会
   ノムラ資産管理フェアで中谷巌教授の「日本経済の近未来」を聴講した。
   近未来と言う演題だが、実際には、短期、中期、長期に分けて論述したが、私には、比較的薔薇色の短期、長期の経済展望より、可なり問題含みで見通しの暗い2010年を見越した中期展望に興味を引かれた。

   人口減少経済の時代(特に少子高齢化)へ、家計貯蓄ゼロの時代へ、そして、財政破綻リスクが愈々高まるなど、経済のリスク・不安定要因が進行して、日本経済の先行きに予断をゆるさなくなったと言うことである。
   特に問題は、政府の財政赤字で、現状のまま推移すれば、2010年には政府の債務超過は1000兆円を超えてしまう。
   現在、国債の95%は日本人が保有していて問題ないとしているが、2010年には高齢化などの進行で家計の貯蓄率がゼロとなるので、資金余裕のあるのは企業だけだが、企業が国債を吸収することなど期待できないので、誰が国債を買うのか。
   外国の格付け機関は、日本政府の財政赤字管理能力を評価しているので、更に格付けを引き下げるであろうし、外人買いとなれば、為替プレミアムとして2~3%、或いは、それ以上の金利アップを要求され、国債の金利は上昇せざるをえなくなる。
   仮に金利が5%にアップすれば、金利払いが50兆円をオーバーして国家財政を極めて圧迫する。現在の税収よりも多い額である。
   また、日本人が国債を吸収出来なくなったら外国人に買って貰わなければならないが、アメリカやヨーロッパには期待できないとなれば、当然、アジア、特に中国に頼らざるを得なくなり、中国に日本の経済及び将来の帰趨を握られてしまう。
   アメリカも財政赤字ではないかと言うが、アメリカは違う。世界唯一の覇権国であり、ドルは世界で最強のハードカレンシーで、経済力が低下した弱小の円の国日本とは全く違うのである。
従って、借金漬けで自立出来なくなり世界から相手にされなくなると日本など瞬く間に吹っ飛んでしまう。

   これが嫌なら、日銀法を無視して、非常事態だとして、国会の特別決議で、日銀に国債を買わせることになり、痛くも痒くも感じないが、これは、戦争時に経験したハイパーインフレーションへのカンフル注射であり,正に超インフレの道への直通切符となる。花見酒の経済も極まれりである。

   従って、2010年まで待っていては遅い。早急にプライマリーバランスを如何に均衡させて財政赤字を削減するのか、政府が確乎たる対策と見通しを示して強力に対策を打たない限り収拾がつかなくなる。

   悪いことに、小泉圧勝で総選挙が4年後となってしまってマニフェスト等国論を左右する政策が論じられなくなってしまった。
   (それに、景気回復の兆候と株価の上昇で、国民は、浮かれ始めて根本的な問題を忘れてしまいそうである。)

   このシナリオとなる可能性は五分五分であり、心配していると中谷先生はおっしゃる。

   ところで、貯蓄率だが、私が経済学を大学で学んでいた頃には、日本は20%を超える世界に冠たる貯蓄国で、これが旺盛な企業の投資意欲を満たして経済成長を促してJAPAN AS NO.1を作り出した。
   しかし、現在は、5~6%に下落していて団塊の世代が一挙に退職する時期にはゼロ間違いなしだと言う。
   こうなれば、完全にアメリカ型となり、現状を維持する為にも、外国から借金をせざるを得ない。

   もう一つ金利だが、ほんの10数年前、ヨーロッパで、欧米の金利が15%をはるかに超え、経済が異常な状態を呈したのを見ており、BRIC'sの動向如何で世界経済が左右される時代になると何が起こるか分からない。
   しかし、金利が1%でも上がれば、長期借り換えなので直ではないが、間違いなく国債の金利が年間10兆円近く増えてしまって財政を圧迫する。
   GNPが500兆円、国家予算が80兆円超、今の税収が42兆円、こんな規模で、10兆円をどうして賄うのか。
   今でも発展途上国並の日本国債の格付けが、更に投資不適格に格下げされて世界の金融市場が相手にしなくなれば・・・いや、もう考えたくもない。
   とにかく、政府は、絶対金利を上げたくないが、高齢化社会の国民は金利の上昇を待望しており、世界的にもインフレ、金利上昇傾向が垣間見えて来ている。

   耐震強度偽装事件が世を騒がせているが、もっと危ない日本経済の耐震強度を偽装し、それを知って見ぬ振りをしていた日本人、さて、責任は何処にあるのであろうか。

   さてどうするのか。
   平和で豊かさに慣れて太平天国を謳歌している日本人には、自分が煮え蛙であり、泥舟に乗っている等と言う意識は全くない。
   熊さんとはっつぁんの花見酒は、両方で飲んでしまって何もなくなってしまった。結局、今の政府の財政赤字は、この花見酒と全く同じ経済状態。
   とどのつまりは、ハイパーインフレーションか大増税か、或いは、預金封鎖による徳政令か、国民の経済力を疲弊させて終わりそうである。
   もう一度、みんななくして無一文になったあの戦後を経験すれば良いだけではないか、と腹を括れるであろうか。それが疑問である。
   
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森永卓郎と北浜流一郎の株談義・・・大上昇相場・2万円は大丈夫

2005年12月03日 | 政治・経済・社会
   先日ジャパンマネー20周年記念講演会「2006年のマネー戦略」で森永達郎の「2006年を勝ち抜くマネープラン」と北浜流一郎の「2006年の株式テーマと有望銘柄」を聞いた。
   夜だったので、若い男女やサラリーマン、シニアの男女、とにかく、色々な階層の人が集まっていて、一般個人投資家の層の厚さを実感した。
   久しぶりに、日経平均株価の終値が1万5000円を突破した日であったので、会場の雰囲気も心なしか明るかった。

   まず、森永卓郎の株予測。
   日経平均株価が2万円に達するのは至極当然。
   小泉首相が来年9月に辞めるので、その時に経済回復をアピール演出したいので、そのシナリオ準備の為にも、来春には、経済始動のスイッチオンで、株価がピークに達する。
   今回のデフレは、政府が資金量をコントロールしてわざとやったので、今後世界が経験したことのないようなデフレは起こりえないので心配ない。

   アメリカ市場の時価総額は1400兆円、日本は500兆円、しかし、人口が半分なので700兆円まで行き、40%アップの余裕ある。
   PERは、アメリカが18、日本が22、3%の金利差を考慮すれば、40%のアップ可能。
   従って、日経平均が2万円まで上がっても不思議ではない。

   いつも言っている竹中批判は、今回も健在。
   竹中大臣は、ハーバード留学時に、ノーベル賞学者ベッカー教授に薫陶を受けるなどエリート達と付き合ってきたが、そのハイソサエティの生活と比べて、エリートであるはずの自分は手取り20万円の生活で汲々している。
   こんな経済社会はおかしい。日本も、エリートが報われる貧富の差の激しいアメリカ型の社会にしようと考えた。
   構造改革をやるためにもデフレは有利な手段であり、これは、金融をコントロールすれば出来るので、徹底的に金融を締め上げて株価を下落させてデフレ政策を実施して、リストラ・失業・首切りを進行させて、社会の格差を拡大した。
   日経平均株価は、資金供給量マネタリーベースの推移と完全に一致しており、株価を下落させてメガバンクを締め上げて、優良物件を吐き出させて、一時国有化寸前まで行った。
   今回、UFJの利益が最大となったのは政府の過度の不良債権処理の反作用で・・・
   まだまだ続く。

   私自身は、竹中大臣の施策は、教科書的なアメリカ型の一寸過激だがオーソドックスな経済政策で、これが日本社会に馴染んでいなかったので、過度なフリクションを起こしているとは思っているが、森永流の考え方も出来るのかと思って面白く聞いていた。

   普通の時代になったので、今後は、3年分の資金を安心な預金にして、残りをリスクを取って資金運用をすること。
   インフレになると金利が上がるので価値が下がる国債等債権はダメで、株式投資が良い。
   そんな指南で話は終わった。

   一方、北浜流一郎の株談義。
   何時もの色付きの紙をボードに貼っての講義で、
   「日はまた」「昇る日本株」「黄金波動」「黄金伝説」を貼り付けて、経済回復によって、株価価は上昇、黄金波動に乗ったと宣言した。
   世界同時好況など、有史以来の出来事だし、BRIC'sが元気で日本は至近距離にあり、経済の拡大は益々期待できる。

   今の証券市場は、82年に6849円でスタートし89年異ピークを迎えたあのときと同じ動きをしており、今後が期待できると言う。

   有望銘柄としてあげたのは、
   三菱商事、ケーヒン、帝人、東邦亜鉛、HOYA,カルチュアコンビニエンス、ソフトバンク
   自動車と航空機関連は伸びる。
   HOYAとキヤノン、トヨタはもっともパーフォーマンスの良い3大長期保有推薦銘柄。
   とにかく、難しいことより簡単な方法から先を見て優良株を探すのが大切、と言う。
   即ち、自動車は欧米、日本等先進国では飽和状態だが発展途上国などまだまだ普及していないので需要は無尽蔵にある。従って、自動車関連株で優良株は買いと言う風にである。
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秋一色に染まる新宿御苑

2005年12月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   いま、新宿御苑の紅葉が美しい。
   よく晴れた日など、逆光を浴びたモミジが、錦に輝いている。
   新宿門を入ってすぐの遊歩道は、赤と黄色に染まったもみじのトンネルであるし、日本庭園のあっちこっちには、イロハモミジやヤマモミジが、真っ赤に色付いて、紅葉がたわわに垂れ下がり地面を這っている。

   朝夕の寒さがそれほど厳しくない所為か、京都の紅葉のように鮮やかではないが、それでも、木の下から空を見上げると、錦のモミジ葉が木漏れ日の間から風に小刻みに揺れて踊る風情は、万華鏡を見ているようで、感動的である。

   私は、この新宿御苑が、イギリスに居た時によく行った王立キューガーデンに似ていて懐かしいので、季節の変わり目毎に来ているが、比較的都心では感じられない季節の変化が、ここでは、存分に味わえて嬉しい。

   キューガーデンは、ロンドン郊外の世界屈指の植物園だが、広大な敷地の大部分は、イギリス本来の「風景庭園」に近く、大陸ヨーロッパにあるような幾何学文様の壮大な庭園とは違って、日本庭園のように不規則な非整形庭園である。
   イギリス本来のと言うのは、今日本で有名なイングリッシュガーデンと言うと野性的な花が咲き乱れたコテッジ・ガーデン(田舎風の庭)を意味しているが、本来は、殆ど花などのない広大な自然らしさに重きを置いた庭を言うからである。
   長い間、ヨーロッパの整形庭園が巾を利かせていたが、グランドツアーで出かけたイタリアで感激して持ち帰った風景写真を参考にして、貴族達が作った庭園が流行り出し、それが英国庭園となった。


   新宿御苑の日本庭園は、手入れよく季節ごとに剪定など行われているが、キューガーデンの場合は、どちらかと言えば、これよりずっとワイルドで、その分、野鳥なども群れていて自然が充満している。
   それに、最大の違いは、皇室の御苑に対して、キューガーデンは、世界に誇る植物研究のメッカで、保存育成されている植物は3万8千種で地球上の開花植物の10分の1で、植物標本は650万点、とにかく、巨大なものも含めて温室は6棟、世界中のビックリするような植物が集まっている巨大な研究機関でもある。

   新宿御苑のフランス式整形庭園(?)には、まだ、少し薔薇の花が咲いている。
   整然とした美しいプラタナス並木は、まだ、黄ばんだ葉が枝にしがみ付いている。
   イギリス風景庭園と御苑案内図に書いてある広い芝生の庭園は、これは前述したイギリスの風景庭園とは似ても似つかない庭園で、誤解を招くので表記を改めた方が良い。それに、芝生が高麗芝(?)なので、真冬に青々としている洋芝と全く雰囲気も違う。
   典型的な様式の庭園なら別だが、フランス、イギリスと名称をつけるならそれ相応の心構えが必要だと思うのだが如何であろうか。
   もっとも、世界のあっちこっちに、全く雰囲気の違った庭が日本庭園として紹介されているケースもあって、異国だからそれで良いのかも知れない。

   イギリスは、いくら人工的で、手を入れても自然らしく見せようとするが、日本の庭は、手入れが行き届いて丁度散髪直後の頭のように清潔で美しい。
   自然に対する国民性の違いであろうか。
   
   御苑には、大きな池があり紅葉が景を映していて美しいが、心なしか、都心の水辺なので人工的な感じで、一方、キューガーデンでは、自然の水鳥が川面に色々な巣作りをして雛を育てていて騒がしいくらいである。   
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世の中がおかしくなったのか・・・耐震強度偽装事件

2005年12月01日 | 政治・経済・社会
   耐震強度偽装事件で騒がれているが、誰が主導したのかは別にして、関わった関係者総て、デベロッパー、設計事務所、建設会社、場合によっては、販売会社や許認可を下ろしている監督官庁等総てが、その事実を知っていた筈で、また知らなかったらおかしいと言うことである。
   何れにしろ、何か問題が発生すると、関係者が知らなかったと言って逃げるが、大概知らない筈がなく、知らなければ怠慢であってその職を奉ずる資格が無いと言う極単純な事実である。

   例えば、今回の場合、問題の規模のマンションやホテル工事については、当然ある程度の経験を積んだ建築技術者が施行を担当しており、鉄筋の数が不足している位分かっているし、また、配筋検査など施工検査は監督官庁の責任であり、担当者が本当に現場に行ってチェックしておれば簡単に分かる話で、当事者の任務懈怠は勿論監督責任回避の極みでもある。
   しかし、深刻だったのは、不況下の激烈な競争の結果の異常な価格破壊で、現実には、建設業者にとっては赤字覚悟でしか受注できなかったほど、あのジャンルのマンションやホテルの受注価格が下落していたことであろうか。

   問題は、信頼関係によって成り立っていた一連の制度が、関係者の企業倫理の退廃と怠慢によって機能停止してしまったことで、これをどう正して行けば良いかと言うことであろう。
   結論から先に言うと、私は、現存する日本の経済社会に対する日本人の意識改革が先だと思うが、これは、一朝一夕には無理なので、アメリカの様に法体系を強化して秩序を回復する以外にないと思っている。

   10年以上前になるが、アメリカの某大ホテル会社の社長と一緒にハンガリーのブダペストでホテル用地の入札に参加して、ハンガリー政府と交渉したことがある。
   その際、共産政権時代の悪弊が残っていたのであろう、相手から賄賂をにおわせる発言があったが、その社長は、法で禁止されていると言って言下に拒絶した。
   結局、その土地は、政府のバックアップがあってフランス業者に落札されたが、アメリカの法制度が如何に厳しく企業倫理を規制しているのかを経験した時であった。

   もう一つ印象に残っているのはオランダの話である。
   これも大分前の話になるが、オランダは、ヨーロッパの中でも談合が巾をきかせていた国であった。
   国土の25%が海面下の土地で、堤防が決壊すれば国土の多くが壊滅して大変なことになり治水対策が生命線であった。
   こんな国情から、土木を中心とした技術集団が国の中枢を占める国情が出来上がったのか、建設業のオーダリーマーケティングが機能するようになって行った。
   この場合も、極めて厳しい法体系を整備するようになって、現在では問題がなくなったと聞いている。

   民主主義のイギリスを見ていると、モラルの退廃と法規制のイタチゴッコだが、それが、徐々に成長して大人の国を作り上げてきた。
   善良な日本国民が安心して暮らせるような経済社会を築く為にも、ある程度の法制度の整備が必須だと思っている。
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