橋本治の新書「乱世を生きる 市場原理は嘘かもしれない」を読んで見たが、兎に角、普通の経済学の書物と大分趣が違うので、言っていることが良く分からないと言うのが正直な所である。
話の筋が論理的ではなく、話の展開が途中でふっと切れたと思うと明後日の方向に行き、尻尾が摑めない。
本人も「経済は、「ただ流れていること」だから――経済とは、実態があるんだかないんだかよく分からないものである」と言っているので、正確に摑まなくても良いのかも知れないが、いずれにしても不思議な本である。
私なりに掻い摘んでみると、次のような話であろうか。
「経済」を辞書で引くと、「物質の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、及びその中で営まれる社会的諸関係の総体」と言うことで、要するに、経済とは、グルグルと回ること、循環することと理解する。
ECONOMYを訳す時に、経世済民に近いから経済にしようと言うことになったので、経済は政治の一局面である経世済民に密接に関わっている。
従って、経済が国家に絡み、日本経済は、官が民を主導する社会主義的な資本主義経済となったが、これは、世界にはない日本独自の特殊事情である。
日本経済は、成長を謳歌したが、バブル経済が弾けてしまった。
これは、それまでの経済が飽和状態に達したからで、指導者や経営者に「経世済民」をやらせていた時代は終わったことを意味する。
「後発である」と言うコンプレックスを利用して、日本は既に確定していた筈の世界市場をフロンティアに変えて経済戦争に勝ったが、経済が満杯になり、フロンティアをなくして破綻し、「世界に限界がある」と言うことを証明した。
21世紀の経済はその前提の上にある。
バブル以降の「日本経済、そして、世界経済」のフロンティアは、「欲望」となった。
限界を知った経済は、「自分で作って売る」から、「他人に作らせて売らせて儲けて、そこに参加する」と言う投資に形を変えた。
経済の中心が、生産・販売から投資に方向転換したが、その象徴は、ヘッジファンドの活躍である。
世界経済は、壁にぶつかって限界の中で動いていて、欲望だけが経済を動かしている。
しかし、今やその欲望の力も怪しくなってきた。
「世界経済の指示によって欲望が動かされている。」
世界経済に、われわれ消費者の欲望=ニーズが先取りされてしまって、我々は、そのシステムに振り回されて、雁字搦めになって何も出来ない構造の中で生きているのである。
これ以上やったら地球が壊れちゃうぞ。
発展が必要なのか。
経済発展以外の選択肢がある筈だ。
橋本治は、「もう世界の経済は壁にぶつかっているから、経済を考えるいみはない」と言うためだけに、経済に深入りしてこの本を書いたと言う。
しかし、恐らく、普通の経済人は、経済が壁にぶつかる事もあるが、また、回復して新しい成長の波に乗り、人類の歴史が続く限り、永遠に経済が継続し人類の生活の向上の為に貢献して行くと思っている。(たとえ、公害問題や、人類を危機的な状況に追い込むことがあっても。)
IT革命によって、今までにない新しい知識情報産業化社会の利便性を享受しながら生活していることは事実だが、
私は、橋本治の言うように、「もう、経済発展はこれで良いのではないのか。人類が営々と築いてきた人類の文化と遺産をもっと大切にして、人間の幸せとは何なのかをじっくり考えた方が良いのではないか」と思っている。
本当に、地球が壊れちゃうぞ、と思っている。
経済どっぷりの視点から読んでしまったので、分からなかったのかも知れないが、橋本治は貴重な指摘と提言をしているのだろうと言う気にはなっている。
話の筋が論理的ではなく、話の展開が途中でふっと切れたと思うと明後日の方向に行き、尻尾が摑めない。
本人も「経済は、「ただ流れていること」だから――経済とは、実態があるんだかないんだかよく分からないものである」と言っているので、正確に摑まなくても良いのかも知れないが、いずれにしても不思議な本である。
私なりに掻い摘んでみると、次のような話であろうか。
「経済」を辞書で引くと、「物質の生産・流通・交換・分配とその消費・蓄積の全過程、及びその中で営まれる社会的諸関係の総体」と言うことで、要するに、経済とは、グルグルと回ること、循環することと理解する。
ECONOMYを訳す時に、経世済民に近いから経済にしようと言うことになったので、経済は政治の一局面である経世済民に密接に関わっている。
従って、経済が国家に絡み、日本経済は、官が民を主導する社会主義的な資本主義経済となったが、これは、世界にはない日本独自の特殊事情である。
日本経済は、成長を謳歌したが、バブル経済が弾けてしまった。
これは、それまでの経済が飽和状態に達したからで、指導者や経営者に「経世済民」をやらせていた時代は終わったことを意味する。
「後発である」と言うコンプレックスを利用して、日本は既に確定していた筈の世界市場をフロンティアに変えて経済戦争に勝ったが、経済が満杯になり、フロンティアをなくして破綻し、「世界に限界がある」と言うことを証明した。
21世紀の経済はその前提の上にある。
バブル以降の「日本経済、そして、世界経済」のフロンティアは、「欲望」となった。
限界を知った経済は、「自分で作って売る」から、「他人に作らせて売らせて儲けて、そこに参加する」と言う投資に形を変えた。
経済の中心が、生産・販売から投資に方向転換したが、その象徴は、ヘッジファンドの活躍である。
世界経済は、壁にぶつかって限界の中で動いていて、欲望だけが経済を動かしている。
しかし、今やその欲望の力も怪しくなってきた。
「世界経済の指示によって欲望が動かされている。」
世界経済に、われわれ消費者の欲望=ニーズが先取りされてしまって、我々は、そのシステムに振り回されて、雁字搦めになって何も出来ない構造の中で生きているのである。
これ以上やったら地球が壊れちゃうぞ。
発展が必要なのか。
経済発展以外の選択肢がある筈だ。
橋本治は、「もう世界の経済は壁にぶつかっているから、経済を考えるいみはない」と言うためだけに、経済に深入りしてこの本を書いたと言う。
しかし、恐らく、普通の経済人は、経済が壁にぶつかる事もあるが、また、回復して新しい成長の波に乗り、人類の歴史が続く限り、永遠に経済が継続し人類の生活の向上の為に貢献して行くと思っている。(たとえ、公害問題や、人類を危機的な状況に追い込むことがあっても。)
IT革命によって、今までにない新しい知識情報産業化社会の利便性を享受しながら生活していることは事実だが、
私は、橋本治の言うように、「もう、経済発展はこれで良いのではないのか。人類が営々と築いてきた人類の文化と遺産をもっと大切にして、人間の幸せとは何なのかをじっくり考えた方が良いのではないか」と思っている。
本当に、地球が壊れちゃうぞ、と思っている。
経済どっぷりの視点から読んでしまったので、分からなかったのかも知れないが、橋本治は貴重な指摘と提言をしているのだろうと言う気にはなっている。