ノムラ資産管理フェアで中谷巌教授の「日本経済の近未来」を聴講した。
近未来と言う演題だが、実際には、短期、中期、長期に分けて論述したが、私には、比較的薔薇色の短期、長期の経済展望より、可なり問題含みで見通しの暗い2010年を見越した中期展望に興味を引かれた。
人口減少経済の時代(特に少子高齢化)へ、家計貯蓄ゼロの時代へ、そして、財政破綻リスクが愈々高まるなど、経済のリスク・不安定要因が進行して、日本経済の先行きに予断をゆるさなくなったと言うことである。
特に問題は、政府の財政赤字で、現状のまま推移すれば、2010年には政府の債務超過は1000兆円を超えてしまう。
現在、国債の95%は日本人が保有していて問題ないとしているが、2010年には高齢化などの進行で家計の貯蓄率がゼロとなるので、資金余裕のあるのは企業だけだが、企業が国債を吸収することなど期待できないので、誰が国債を買うのか。
外国の格付け機関は、日本政府の財政赤字管理能力を評価しているので、更に格付けを引き下げるであろうし、外人買いとなれば、為替プレミアムとして2~3%、或いは、それ以上の金利アップを要求され、国債の金利は上昇せざるをえなくなる。
仮に金利が5%にアップすれば、金利払いが50兆円をオーバーして国家財政を極めて圧迫する。現在の税収よりも多い額である。
また、日本人が国債を吸収出来なくなったら外国人に買って貰わなければならないが、アメリカやヨーロッパには期待できないとなれば、当然、アジア、特に中国に頼らざるを得なくなり、中国に日本の経済及び将来の帰趨を握られてしまう。
アメリカも財政赤字ではないかと言うが、アメリカは違う。世界唯一の覇権国であり、ドルは世界で最強のハードカレンシーで、経済力が低下した弱小の円の国日本とは全く違うのである。
従って、借金漬けで自立出来なくなり世界から相手にされなくなると日本など瞬く間に吹っ飛んでしまう。
これが嫌なら、日銀法を無視して、非常事態だとして、国会の特別決議で、日銀に国債を買わせることになり、痛くも痒くも感じないが、これは、戦争時に経験したハイパーインフレーションへのカンフル注射であり,正に超インフレの道への直通切符となる。花見酒の経済も極まれりである。
従って、2010年まで待っていては遅い。早急にプライマリーバランスを如何に均衡させて財政赤字を削減するのか、政府が確乎たる対策と見通しを示して強力に対策を打たない限り収拾がつかなくなる。
悪いことに、小泉圧勝で総選挙が4年後となってしまってマニフェスト等国論を左右する政策が論じられなくなってしまった。
(それに、景気回復の兆候と株価の上昇で、国民は、浮かれ始めて根本的な問題を忘れてしまいそうである。)
このシナリオとなる可能性は五分五分であり、心配していると中谷先生はおっしゃる。
ところで、貯蓄率だが、私が経済学を大学で学んでいた頃には、日本は20%を超える世界に冠たる貯蓄国で、これが旺盛な企業の投資意欲を満たして経済成長を促してJAPAN AS NO.1を作り出した。
しかし、現在は、5~6%に下落していて団塊の世代が一挙に退職する時期にはゼロ間違いなしだと言う。
こうなれば、完全にアメリカ型となり、現状を維持する為にも、外国から借金をせざるを得ない。
もう一つ金利だが、ほんの10数年前、ヨーロッパで、欧米の金利が15%をはるかに超え、経済が異常な状態を呈したのを見ており、BRIC'sの動向如何で世界経済が左右される時代になると何が起こるか分からない。
しかし、金利が1%でも上がれば、長期借り換えなので直ではないが、間違いなく国債の金利が年間10兆円近く増えてしまって財政を圧迫する。
GNPが500兆円、国家予算が80兆円超、今の税収が42兆円、こんな規模で、10兆円をどうして賄うのか。
今でも発展途上国並の日本国債の格付けが、更に投資不適格に格下げされて世界の金融市場が相手にしなくなれば・・・いや、もう考えたくもない。
とにかく、政府は、絶対金利を上げたくないが、高齢化社会の国民は金利の上昇を待望しており、世界的にもインフレ、金利上昇傾向が垣間見えて来ている。
耐震強度偽装事件が世を騒がせているが、もっと危ない日本経済の耐震強度を偽装し、それを知って見ぬ振りをしていた日本人、さて、責任は何処にあるのであろうか。
さてどうするのか。
平和で豊かさに慣れて太平天国を謳歌している日本人には、自分が煮え蛙であり、泥舟に乗っている等と言う意識は全くない。
熊さんとはっつぁんの花見酒は、両方で飲んでしまって何もなくなってしまった。結局、今の政府の財政赤字は、この花見酒と全く同じ経済状態。
とどのつまりは、ハイパーインフレーションか大増税か、或いは、預金封鎖による徳政令か、国民の経済力を疲弊させて終わりそうである。
もう一度、みんななくして無一文になったあの戦後を経験すれば良いだけではないか、と腹を括れるであろうか。それが疑問である。
近未来と言う演題だが、実際には、短期、中期、長期に分けて論述したが、私には、比較的薔薇色の短期、長期の経済展望より、可なり問題含みで見通しの暗い2010年を見越した中期展望に興味を引かれた。
人口減少経済の時代(特に少子高齢化)へ、家計貯蓄ゼロの時代へ、そして、財政破綻リスクが愈々高まるなど、経済のリスク・不安定要因が進行して、日本経済の先行きに予断をゆるさなくなったと言うことである。
特に問題は、政府の財政赤字で、現状のまま推移すれば、2010年には政府の債務超過は1000兆円を超えてしまう。
現在、国債の95%は日本人が保有していて問題ないとしているが、2010年には高齢化などの進行で家計の貯蓄率がゼロとなるので、資金余裕のあるのは企業だけだが、企業が国債を吸収することなど期待できないので、誰が国債を買うのか。
外国の格付け機関は、日本政府の財政赤字管理能力を評価しているので、更に格付けを引き下げるであろうし、外人買いとなれば、為替プレミアムとして2~3%、或いは、それ以上の金利アップを要求され、国債の金利は上昇せざるをえなくなる。
仮に金利が5%にアップすれば、金利払いが50兆円をオーバーして国家財政を極めて圧迫する。現在の税収よりも多い額である。
また、日本人が国債を吸収出来なくなったら外国人に買って貰わなければならないが、アメリカやヨーロッパには期待できないとなれば、当然、アジア、特に中国に頼らざるを得なくなり、中国に日本の経済及び将来の帰趨を握られてしまう。
アメリカも財政赤字ではないかと言うが、アメリカは違う。世界唯一の覇権国であり、ドルは世界で最強のハードカレンシーで、経済力が低下した弱小の円の国日本とは全く違うのである。
従って、借金漬けで自立出来なくなり世界から相手にされなくなると日本など瞬く間に吹っ飛んでしまう。
これが嫌なら、日銀法を無視して、非常事態だとして、国会の特別決議で、日銀に国債を買わせることになり、痛くも痒くも感じないが、これは、戦争時に経験したハイパーインフレーションへのカンフル注射であり,正に超インフレの道への直通切符となる。花見酒の経済も極まれりである。
従って、2010年まで待っていては遅い。早急にプライマリーバランスを如何に均衡させて財政赤字を削減するのか、政府が確乎たる対策と見通しを示して強力に対策を打たない限り収拾がつかなくなる。
悪いことに、小泉圧勝で総選挙が4年後となってしまってマニフェスト等国論を左右する政策が論じられなくなってしまった。
(それに、景気回復の兆候と株価の上昇で、国民は、浮かれ始めて根本的な問題を忘れてしまいそうである。)
このシナリオとなる可能性は五分五分であり、心配していると中谷先生はおっしゃる。
ところで、貯蓄率だが、私が経済学を大学で学んでいた頃には、日本は20%を超える世界に冠たる貯蓄国で、これが旺盛な企業の投資意欲を満たして経済成長を促してJAPAN AS NO.1を作り出した。
しかし、現在は、5~6%に下落していて団塊の世代が一挙に退職する時期にはゼロ間違いなしだと言う。
こうなれば、完全にアメリカ型となり、現状を維持する為にも、外国から借金をせざるを得ない。
もう一つ金利だが、ほんの10数年前、ヨーロッパで、欧米の金利が15%をはるかに超え、経済が異常な状態を呈したのを見ており、BRIC'sの動向如何で世界経済が左右される時代になると何が起こるか分からない。
しかし、金利が1%でも上がれば、長期借り換えなので直ではないが、間違いなく国債の金利が年間10兆円近く増えてしまって財政を圧迫する。
GNPが500兆円、国家予算が80兆円超、今の税収が42兆円、こんな規模で、10兆円をどうして賄うのか。
今でも発展途上国並の日本国債の格付けが、更に投資不適格に格下げされて世界の金融市場が相手にしなくなれば・・・いや、もう考えたくもない。
とにかく、政府は、絶対金利を上げたくないが、高齢化社会の国民は金利の上昇を待望しており、世界的にもインフレ、金利上昇傾向が垣間見えて来ている。
耐震強度偽装事件が世を騒がせているが、もっと危ない日本経済の耐震強度を偽装し、それを知って見ぬ振りをしていた日本人、さて、責任は何処にあるのであろうか。
さてどうするのか。
平和で豊かさに慣れて太平天国を謳歌している日本人には、自分が煮え蛙であり、泥舟に乗っている等と言う意識は全くない。
熊さんとはっつぁんの花見酒は、両方で飲んでしまって何もなくなってしまった。結局、今の政府の財政赤字は、この花見酒と全く同じ経済状態。
とどのつまりは、ハイパーインフレーションか大増税か、或いは、預金封鎖による徳政令か、国民の経済力を疲弊させて終わりそうである。
もう一度、みんななくして無一文になったあの戦後を経験すれば良いだけではないか、と腹を括れるであろうか。それが疑問である。