久しぶりに榊原英資の経済講演会を聞いた。
TVで良く見るので久しぶりと言う気はしないのだが、「混迷が続く日本経済の将来像~グローバルな視点から~」と言う演題を、「日本経済の復活は本物か」に変えて、日本経済と東アジア経済圏の躍進について語った。
結論は、エコノミストでビル・エモットが特集した「日はまた昇る」の結論をなぞった感じで、日本経済の復活、特に、日本の製造業を中心とした復活は本物であると言う。
また、「新・日本の経営」でアベグレンが失われた10年ではなく、日本経済の新しい飛躍への準備と調整への10年であったと指摘していた点についても賛同。
企業の再編による再建と不良債権の処理を終えて利益が拡大してキャッシュフローが潤沢になった製造業が、その資金を設備投資と増配に振り向けはじめた。
好業績の会社は、殆ど終身雇用を維持し従業員を大切にする日本型の経営を行っている会社で、委員会制度や社外取締役を導入してアメリカ型に走った会社の業績は悪い。
年に5万ドル程度を貰って、社長の友人が社外取締役になってイエスイエスと言っている社外重役制度などアメリカでも上手く行っていないので、日本で社外取締役が責任を取れるわけでもないしコーポレートガバナンス等実効性を上げられる訳がない、と一刀両断。
1990年のアメリカの好況は、ITを筆頭に基礎的技術の好況であった。
元々アメリカは、政府と大学が強い国で、軍事部門や政府主導の研究機関には資金が潤沢で、基礎的な技術の開発は抜きん出ている。
ところが日本は逆で、民間企業が強くて、技術の応用と製品化への能力に秀でており、21世紀は再び日本の時代となる。
特に、成長したアセアンに加えて中国、インドの躍進が目覚しく、今や、東アジアが最大の世界経済圏になったと言う。
現実に、今や東アジアが世界最大の生産基地になっている。
また、いち早く平等な中産階級国家になった日本の後を追って、アセアンや中国やインドの中産階級が台頭してきており、欧米並みの生活水準を謳歌する中流階級は既に6~7億人に達していて、アメリカやヨーロッパの人口より遥かに多くなって、世界最大の消費市場ともなっている。
1850年頃までは、中国、インドの経済力が群を抜いていた。欧米諸国の植民化政策により経済力と権力が一時ダウンするが、欧米が世界を制覇していたのはほんの150年足らずで、後は、アジアが世界を押さえていた、と榊原先生の持論であるアジア優位論が展開される。
次に、榊原先生が強調したのは、日本文化と日本人に深く根ざした摺り合わせを得意とするソフトで人間的な「匠の技術」。
二年前にタイム誌が特集したCOOL JAPANを引いて、圧倒的にレベルの高いモノづくり日本とその深い伝統文化や産物が欧米人の評価を高めている現状を、熱っぽく語っていた。
ところで、榊原先生は、製造業の復活ついでに、六本木ヒルズバブルについても論じ、金利が上昇すれば、借金漬けで膨張してきたIT企業は危ないと言う。
余談だが、製造業の時代が終わって、ポスト・インダストリアル社会へ、知識情報化社会へ、知価社会への移行と騒がれて早半世紀になるが、日本の復活は、さらばと言った筈の製造業の復活によって成し遂げられている。
しかし、辛苦に辛苦を重ねて匠の技術を開花させて復活した企業も、その利益は、ITバブル企業と比較して極めて少ないし、また、市場で評価される時価総額表示の企業価値も低い。
日本の「匠の技術」が、日本で評価されていないのが問題なのではなかろうか。
私は、ヨーロッパでは、ベンツやアウディを使っていて故障で困ったことがあるが、帰ってきてから10年間ずっと同じトヨタに乗っているが故障らしい故障は一度もない。
イギリス人の友人達は、日頃は、ウエッジウッドやスポードなど英国磁器を使っていて、日本の陶磁器は大事に仕舞っており、日本に来ればノリタケノリタケと言って目の色を変える、日本人と逆である。
ヨーロッパに居たのでマイセンやアウガルテン、ヘレンド等も買ったが、意匠や作りに惹かれるものもあるが、どう見てもノリタケの方が上等のように思えるし、それに、日本国中に五万とある実に素晴しい芸術品や民芸品の陶磁器の素晴しさは、どう説明したら良いのであろうか。
19世紀に、日本の芸術品がヨーロッパ人を魅了してジャポネスクの世界を開いた、そんな時代が再び訪れて来ているのかも知れない。
しかし、少し景気が良くなって、オンリーワン企業で世界をアッと言わせている中小企業の岡野社長や青木社長の所に、若い技術者が行かなくなって後継者が居なくなったら、折角の素晴しいモノ作りの伝統と「匠の技術」が消えてしまう。
TVで良く見るので久しぶりと言う気はしないのだが、「混迷が続く日本経済の将来像~グローバルな視点から~」と言う演題を、「日本経済の復活は本物か」に変えて、日本経済と東アジア経済圏の躍進について語った。
結論は、エコノミストでビル・エモットが特集した「日はまた昇る」の結論をなぞった感じで、日本経済の復活、特に、日本の製造業を中心とした復活は本物であると言う。
また、「新・日本の経営」でアベグレンが失われた10年ではなく、日本経済の新しい飛躍への準備と調整への10年であったと指摘していた点についても賛同。
企業の再編による再建と不良債権の処理を終えて利益が拡大してキャッシュフローが潤沢になった製造業が、その資金を設備投資と増配に振り向けはじめた。
好業績の会社は、殆ど終身雇用を維持し従業員を大切にする日本型の経営を行っている会社で、委員会制度や社外取締役を導入してアメリカ型に走った会社の業績は悪い。
年に5万ドル程度を貰って、社長の友人が社外取締役になってイエスイエスと言っている社外重役制度などアメリカでも上手く行っていないので、日本で社外取締役が責任を取れるわけでもないしコーポレートガバナンス等実効性を上げられる訳がない、と一刀両断。
1990年のアメリカの好況は、ITを筆頭に基礎的技術の好況であった。
元々アメリカは、政府と大学が強い国で、軍事部門や政府主導の研究機関には資金が潤沢で、基礎的な技術の開発は抜きん出ている。
ところが日本は逆で、民間企業が強くて、技術の応用と製品化への能力に秀でており、21世紀は再び日本の時代となる。
特に、成長したアセアンに加えて中国、インドの躍進が目覚しく、今や、東アジアが最大の世界経済圏になったと言う。
現実に、今や東アジアが世界最大の生産基地になっている。
また、いち早く平等な中産階級国家になった日本の後を追って、アセアンや中国やインドの中産階級が台頭してきており、欧米並みの生活水準を謳歌する中流階級は既に6~7億人に達していて、アメリカやヨーロッパの人口より遥かに多くなって、世界最大の消費市場ともなっている。
1850年頃までは、中国、インドの経済力が群を抜いていた。欧米諸国の植民化政策により経済力と権力が一時ダウンするが、欧米が世界を制覇していたのはほんの150年足らずで、後は、アジアが世界を押さえていた、と榊原先生の持論であるアジア優位論が展開される。
次に、榊原先生が強調したのは、日本文化と日本人に深く根ざした摺り合わせを得意とするソフトで人間的な「匠の技術」。
二年前にタイム誌が特集したCOOL JAPANを引いて、圧倒的にレベルの高いモノづくり日本とその深い伝統文化や産物が欧米人の評価を高めている現状を、熱っぽく語っていた。
ところで、榊原先生は、製造業の復活ついでに、六本木ヒルズバブルについても論じ、金利が上昇すれば、借金漬けで膨張してきたIT企業は危ないと言う。
余談だが、製造業の時代が終わって、ポスト・インダストリアル社会へ、知識情報化社会へ、知価社会への移行と騒がれて早半世紀になるが、日本の復活は、さらばと言った筈の製造業の復活によって成し遂げられている。
しかし、辛苦に辛苦を重ねて匠の技術を開花させて復活した企業も、その利益は、ITバブル企業と比較して極めて少ないし、また、市場で評価される時価総額表示の企業価値も低い。
日本の「匠の技術」が、日本で評価されていないのが問題なのではなかろうか。
私は、ヨーロッパでは、ベンツやアウディを使っていて故障で困ったことがあるが、帰ってきてから10年間ずっと同じトヨタに乗っているが故障らしい故障は一度もない。
イギリス人の友人達は、日頃は、ウエッジウッドやスポードなど英国磁器を使っていて、日本の陶磁器は大事に仕舞っており、日本に来ればノリタケノリタケと言って目の色を変える、日本人と逆である。
ヨーロッパに居たのでマイセンやアウガルテン、ヘレンド等も買ったが、意匠や作りに惹かれるものもあるが、どう見てもノリタケの方が上等のように思えるし、それに、日本国中に五万とある実に素晴しい芸術品や民芸品の陶磁器の素晴しさは、どう説明したら良いのであろうか。
19世紀に、日本の芸術品がヨーロッパ人を魅了してジャポネスクの世界を開いた、そんな時代が再び訪れて来ているのかも知れない。
しかし、少し景気が良くなって、オンリーワン企業で世界をアッと言わせている中小企業の岡野社長や青木社長の所に、若い技術者が行かなくなって後継者が居なくなったら、折角の素晴しいモノ作りの伝統と「匠の技術」が消えてしまう。