熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

文楽・一谷嫩軍記・・・熊谷直実の忠義と無常

2005年12月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   仁左衛門の素晴しい熊谷直実の舞台の後だが、国立劇場の舞台にかかっている文楽・「一谷嫩軍記」を観た。
   薩摩守忠度の部分を省略した「一枝を伐れば一指を剪るべし」の部分、即ち、熊谷直実の忠義と無常に焦点を当てた通し狂言である。

   12月は、吉田玉男師等人間国宝の御大方は大阪から来ないので、夫々の一番弟子達が舞台を務めるのだが、これが、また迫力があって素晴しいのである。
   熊谷直実を吉田玉女、女房相模を吉田和生、敦盛の母・藤の局を桐竹勘十郎、義経を桐竹紋豊、弥陀六を吉田玉也、等々が演じており、玉女、和生、勘十郎が、玉男、文雀、簑助の人形を彷彿とさせてくれる。

   平家物語の一の谷の合戦で、平敦盛が熊谷直実に討たれる部分を題材に換骨奪胎して、敦盛を助ける為に自分の子供小次郎を身代わりに殺さざるを得なかったと言う設定にして、熊谷直実直実の苦衷を前面に出した舞台になっている。
   敦盛が後白河院のご落胤と言うことになっており、平家滅亡によって、安徳天皇にもしものことがあれば皇統が絶えるので、義経の意向で、熊谷直実をして、敦盛を救出させると言う筋書きである。

   陣屋の桜の木の前に立っている弁慶が書いた「一枝を伐れば一指を剪るべし」と言う制札が、義経の意向を熊谷に指示した明確な謎掛けであり、敦盛を助ける為には自分の子供小次郎を身代わりにせざるを得ないと語っている。
   この制札が、義経の面前での首実験で重要な役割を果たす。

   歌舞伎では、この熊谷陣屋でもそうだが、渡辺保氏の説明によると、二つの型、即ち、芝翫型と団十郎型があり、現在は、団十郎型主体で、芝翫型は、文楽に近いと言う。
   それを意識しながら、前回の仁左衛門の熊谷と今回と文楽との型の違いに興味を持ちながら観ていた。

   例えば、敦盛の首実験の場であるが、やはり、大分迫力と雰囲気に差があった。
   直実が、義経に示す為に首桶の蓋を開けようとすると、横で見ていた妻相模が自分の子・小次郎であることを知って動転して駆け寄る。
   直実は、鷲掴みにして右足の下に相模を組み伏せ、駆け寄る藤の局には右手に握った制札で制して面前を塞ぐ。
   正面を見据えて、左手でしっかり構えた首桶に据えた小次郎の首を義経に示す。
   蹴飛ばされた相模は、庭先に転げ落ちる。

   あの「16年もひと昔。ア夢であったなあ」と言う直実の肺腑を抉るような言葉だが、仁左衛門は、そう言って皆を残してひとり花道から去って行ったが、人形は、みんなの中に居て舞台の真ん中で述懐する。
そして、
   「ご縁があらば」と女子同士
   「命があらば」と男同士
   直実と相模は上手へ、藤の局と弥陀六は下手へと、「さらば」「さらば」『おさらば』の声も涙にかき曇り、別れてこそは出でて往く

   能、文楽に続いて、歌舞伎も世界遺産に登録された。
   日本の伝統芸術は、お互いに垣根越しに影響されながら育ってきた。
   歌舞伎と文楽も、お互いを意識しながら同じ狂言を演じてきている。
   今回、歌舞伎座で、玉三郎が素晴しい「船弁慶」で能の舞の様に幽玄な静を演じた。
   
(追記)これも伝統芸術、この夜、落語の林家正蔵師匠が観劇。
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