熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

本の古典ルネサンス時代の到来・・・東大姜尚中教授

2009年07月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   東京国際ブックフェアでの、姜尚中教授の基調講演『「悩む力」で”現在の古典”を発掘する』を聴講したのだが、本に対する見方が私自身と大分違っていたので面白く聞いていた。
   あまり、ベストセラー本には興味がないので知らなかったが、姜教授の「悩む力」は80万部売れているようで、実質コア読者は10万人くらいの筈で、5年前なら、2~3万程度しか売れなかったであろうと、時代が人を作るように、時代が本を作り、本が時代を作るのだと言う。
   他の出版社から、○○の力だとか、××の力だとか、「力」を冠した本を書いてくれと注文が殺到しているが、二番煎じの「力」本を書くつもりはないし、日本の出版社の編集長たちは、こんなに切羽詰るほど、売れる本を出せなくて困っているのだろうと語る。

   80年代初めに、最初の本を出版した時には、初版が500部で3版で絶版、持ち出しだったと語りながら、今現在、姜教授の本が、こんなに売れるのは、TVに出演しているからだと説明しながら、今の出版不況は、湾岸戦争を境にして、メディアの世界が、急速に、文字から映像に移ってしまったことに起因すると説く。
   したがって、これから、文字と映像の両メディアに両股をかけながら、シナジー効果を狙って書くのが、物書きの成功の秘訣だと言う。

   現下の出版不況を、TBS現象だと言う。
   いくら、苦心惨憺して新しい企画を追及して番組を作っても、努力すればするほど視聴率が落ちて行く、丁度、出版界も、これと同じだと言うのである。
   メディアの世界に、湾岸戦争の与えた影響は、冷戦の崩壊よりも大きいと言うのだが、どうであろうか。

   もう一つの姜教授の主要な論点は、近代が終わってしまって、出るものは総て出尽くしてしまった、もう、新しいものは生まれてこない、と言う認識である。
   近代とは、アメリカではエルビス・プレスリーの50年代であり、日本は石原裕次郎の60年代だと言うのだが、姜教授が何を持って近代と言うのか、あるいは、近代とはどう言う意味合いのものなのかが良く分からないので、私には、このあたりの論点は意味不明である。
   いずれにしろ、何も価値ある新しいものが生まれなくなったのであるから、価値ある古典、クラシック・ブックの再生・復興が、姜教授の、今回の講演の主要テーマとなるのである。

   出版界、ひいては、書物・本の復活・復興に対する将来と言うか今後の傾向と見通しとして、姜教授は、4点指摘した。
   ① 古典の復興、クラシック・ルネサンス
   ② ハウツーもの
   ③ アカデミックな水準の高い学術本
   ④ 読み捨てられる本
   
   近代が終わって総てが出尽くしてしまった時代の後には、凡庸の時代が到来し、人々は瞬間的刹那的な対応に明け暮れ、目前の利益ばかりを追求し、コンテンツ不在に陥って、この負の連鎖反応が社会を閉塞状態に追い込む。
   この病んだ時代において、人に希望と勇気を与え、夢と指針を指し示すのが古典であり、その傾向か流れか、今日、書店の店頭に、忘れ去られていた筈の古典が並べられるようになっていると言う。
   私には、他のジャンルの本は分からないが、確かに、マルクスの「資本論」やケインズの「一般理論」が、堂々と経済学書コーナーで主要位置を占めており、新古典とも言うべきピーター・ドラッカーの本など、最も重要な経営学書コーナーを支配していると言っても間違いない。

   マックス・ウエーバーの書物を、漱石との関連で捉え直した新しい試みが受けたと言うことで、古典を、現代的な視点・感覚から、現在人に分かり易く翻訳し直して出版すれば、おお化けする可能性がある。
   不安に悩む現在の人間には、先を照らし生きる知恵を蘇らせる古典の啓示が必須であり、それも、ハードカバーではなく、文庫型の廉価版での出版が望ましいと言うのである。

   私たちの年代の人間には、昔、貧しいながらも、世界や日本の古典文学全集などが結構重要視されていたし、それに、今ほど本が豊かではなく、他の勉強の手段や娯楽がなかったので、古典が、かなり、生活の中で生きていたような気がしている。

   古典と言っても、ジャンルによって、その価値に大きく差が出る。
   哲学や文学、宗教や思想などと言った普遍的な要素の強い分野なら、古典の価値は古くなればなるほど価値が高まるかもしれないが、科学や工学と言った知の集積・蓄積によって進化する学問、あるいは、私の比較的理解の行く経済学や経営学にしても、賞味期限があったり、その期限が短いような分野だと、古典の価値は、著しく毀損されてしまう。
   私自身の経験でも、あまりにも時代の潮流の激変が激しく、一部の本を除いて、時代に耐える本は極めて少なく、どんどん、読み飛ばして読み進む以外にない場合が多い。

   もう一つは、クラシックを現在的な感覚・感性で読み解くことが、本当に正しい受け止め方であろうかと言う疑問である。
   尤も、後の時代において、その時代感覚で古典を読むと言うことには全く疑問の余地はないのだが、読み解き方、ないし、解釈の仕方によっては、害の方が大きくなるのではないかと言う懸念である。
   現に、ドラッカーの経営学などにおける誤解や誤解釈などについては、あまりにも多く経験しているし、時には、一部の引用文章などが一人歩きして、似ても似つかないような展開をしているケースが結構多い。
   要するに、私の言いたいのは、ルターではないけれど、古典は古典として、直接自分自身で真摯に対峙すべきものであること。そして、むやみに古典を現代風に翻訳すれば良いのではなく、それを翻訳しなおす著者には、それ相応の技量と知識教養、そして、品格と覚悟が要求されると言うことなのである。

   姜教授が指摘した他の論点、
   不安一杯で無力感になった現代人が、もっぱら関心が自分自身に行き、セルフケア、自活を目指して、最速で手っ取り早く生きる技を習得するために、ハウツーものに興味が行く。勝間和代現象の出現。
   東大に希望学の出現。知の集積と融合によって生まれ出でるアカデミックな学術書を社会に分かり易く伝播、文化センター的アプローチの普及。
   冠婚葬祭、社会のしきたり、エチケットと言った生活の知恵を与えるような読み捨て本の必要性。
   等々、1時間半で駆け抜けた、質疑応答も含めての短い講演だったが、結構、面白かった。
   

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トマト栽培日記・・・(14)イタリアン・トマト順調、アイコ実が黒ずむ

2009年07月11日 | トマト栽培日記
   口絵写真は、デルモンテの「イタリアン・レッド」。
   苗を買った時には、既に、二本の芽が等分に育っていたので、二本仕立てにして育てているが、元気に枝葉を伸ばして順調に成長し、最初の実は、レモンくらいの大きさになった。
   一本ずつの花房を少なめに抑えれば、一本仕立てと同じことだと思って自然に任せたのだが、別に不都合はなく、結局、苗木の生長と勢いによると言うことのようである。
   このイタリアン・レッドも、3本同時に植えたのだが、日当たりと肥料によって、成長の仕方に大きく差が出ており、固体の個性にもよると思うが、自然環境の与える影響は大きい。
   先日、NHKのTVで、日野原先生が、言っていたが、人も植物も、良くなるか良くならないかは、環境に恵まれるかどうかと言うことのようである。

   先日までの暴風とも言うべき大嵐に翻弄されて、苗に大分被害が出て、実もついていたが、成長の悪いアイコ苗の細い茎が、上からの重圧に耐え切れず根元近くで折れて、2本駄目になった。
   連作の被害が出るとは思うが、空白も嫌なので、丁度、カネコ苗の脇芽を、捨てるのも可哀想なので、プランターの根元に挿し木していたのだが、これが、花芽も出てしっかりした苗に育っていたので、ひょろりと育ったアイコ苗より良かろうと思って、代わりに植えつけた。
   大分遅くなるが、8月終わり頃には、実が赤くなるかも知れない。

   観察日記を書いていて、5番花房の下で折れたスィートミニの苗木の上の方も挿し木していたが、これも、小さな植木鉢だが、地を這うように小さな実をつけている5番花房の上に、第2、第3と、まともな花房をつけて成長している。
   この折れた元の木も、第4花房のすぐ上の葉の根元から、急に元気良く脇芽が伸びてきて、花房の姿も見え始めたので、伸ばしてみようと思っている。
   第4花房の実も収穫期に入っていて、木には実が殆どなくなり、木も頑強で元気なので、結実すれば上出来である。

   順調に育っていた筈のサカタのアイコの実の先端が、程度の差は有るが、5個くらい並んで黒くなり始めている。
   アイコは、先の尖った渋柿のような形をしたミニトマトなのだが、その先が黒ずんでいるので、先端をハサミで切ってみたら芯まで黒くなっていて、徐々に上に上がっている。
   結局、病名も理由も分からないので、その黒ずんだ実のついた花房をバッサリ切り落とした。
   他の花房の実と、隣のアイコの花房の実にも、飛び火したのか、一つずつ少し黒ずみ始めていたので、この方は、薬剤を散布して様子を見ることにした。(追記 翌日、良く見たら、2センチ以下の大きさの総ての実の先端が黒ずんでいたので、それから先の花房を総て切り落とした。)

   他の会社の先の尖ったカネコやイタリアンのミニトマトには、このようなことは起こっていないので、被害が広がるようだと、アイコは諦めることにする。

   草花や花木は、適当に薬剤散布さえしておれば、あまり、病虫害の被害を心配することはないのだが、慣れるまでは、弱い野菜の栽培は大変だと思うようになった。
   園芸店で、ほうれん草の栽培セットを買ってきてやってみたが、失敗したし、三つ葉やパセリ程度は、まずまずだったのだが、とにかく、野菜は難しく思うように行かない。
   団塊の世代で、退職後、田舎に移り住んで自給自足生活に入ったと言う人がいたが、うまくいっているのかどうか、他人事ながら心配している。
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日本の大学教育の抜本的改革が必須・・・小林陽太郎氏

2009年07月10日 | 政治・経済・社会
   平城遷都1300年記念として、「2010年からの経済社会」と言う「日本と東アジアの未来を考える」をテーマにしたフォーラムが開かれて、小林陽太郎氏が、演題「東アジアの未来と日本の役割」で、非常に興味深い話をした。
   先々月、ウォートン・スクールの年次総会の立ち話で、私に「これからの日本は、抜本的な大学教育改革だ」と熱っぽく語っていたのだが、殆ど同じ趣旨のことを形を変えて説いていたので、私なりに咀嚼して考えて見たいと思う。
   余談だが、その時、大学教育のためには、何十年かかるか分からないが、遣り遂げなければ日本は駄目になると語ったので、それまで地球が持ちますかねえと畳み掛けたら、私は大丈夫だと思いますと答えてくれたので、地球温暖化については、比較的楽観視しているのを感じた。

   テーマが、東アジアの未来なので、当然、今後、世界中から益々の発展を期待されている中国などを包含したこの地域で、日本が、どのような役割を果たすのかが問題である。
   小林氏は、サーバント・リーダーシップと言う言葉を引いて、これだけの卓越した技術と経済力を備えた日本であるから、その役割は、如何に、奉仕しながらリーダーシップを発揮して地域経済社会の発展に貢献出来るかに掛かっていると言う。
   そのためには、日本人自身が、謙虚さを備え持ちながら確固たる自信を持ってリーダーシップを発揮することが必須であり、これこそは正に人間の問題であり、日本の教育の問題だと言うのである。
   
   三極委員会などで長年欧米のトップと付き合ってきた小林氏が、先日私との会話で、アメリカ人は、中国がどんな国なのか、中国人がどんな国民なのか分からないので不安に感じていると語っていたが、逆に言うと、日本に対する欧米人の理解は、殆どクリアーで、未知の世界は殆どなくなっており、日本との付合いについては何の不安も感じていない言うことであろう。
   そうであればあるほど、欧米との架け橋としても、アジアでの日本のリーダーシップへの期待と役割が大きくなるのは必然である。

   何故大学教育なのかと言うことだが、初等中等教育も重要だが、その方面では遅れを取るアメリカが、何故、世界のリーダーを輩出し続けているのかは、その大学以降の高等教育の卓越さにあるのだと指摘し、特に、目も当てられないほど劣化している日本の大学教育を根本的に改革して、世界に通用するリーダーを育成出来るシステムに構築し直すことが緊急事である。
   真の価値、理念、真善美等人間として生きてゆくために大切なものを教える本当の人間教育を志向しない限り、将来の日本を託せる人材は育たないと言う危機意識を強調する。

   これは、小林氏の持論だが、これまで何度も、日本のリーダーないしエリート教育の欠陥は、リベラル・アーツ教育の軽視にあると語っている。世界のリーダーと対等に対峙する為には、あまりにも、リベラル・アーツの教養・知識が欠如していると言うのである。
   そのため、アメリカのアスペン・クラブに倣って、自ら日本アスペン・クラブを創設して、毎年、経営者やその道のリーダーを糾合して、先哲を招き古典を読みながら研鑽を積んでいる。

   今は知らないが、何十年か前、京大の2年間の教養部の時、人文科学、自然科学、社会科学を、各3科目ずつ履修すると言う、言わば、簡便なリーベラル・アーツの真似事を学んだ記憶がある。
   幸いにも、学部の看板教授などが講義をするなど恵まれた環境にあったし、それに、人文科学研究所など大学の付属機関が、講演会や学術発表の機会を持ち、この時に、湯川秀樹教授や桑原武夫教授など知を代表するトップクラスの学者たちの講義などを聞く機会も多くあったし、それなりに勉強出来た。
   それに、当時東大や京大の受験科目数が多くて、受験勉強のために、英数国は勿論のこと、理科2科目、社会2科目と多岐に亘ったことが幸いして、幅広く勉強したことが役に立っている。
   古典には、結構、親しむ機会が多かったのだが、もう少し、哲学の勉強をしておくべきだったと、これは後悔している。

   日本の場合には、大学が最終学歴と言う認識が強かった所為か、大学では、教養教育が付け足しのような感じで軽視され、学部での専門教育が重視された。
   ところが、欧米、特に、アメリカでは、大学は、リベラル・アーツ教育が主体で、専門的な教育は、その上の大学院修士コース以上のプロフェッショナル・スクールで教えると言う二階建て構造で、大学では、幅広いリベラル・アーツ教育が、かなり、重要な位置を占めており、更に、その後の実社会においても、日本よりはるかに多く、一般教養教育の機会が用意されている。

   人間の価値の創造力は、集積された知識の新たな組み合わせによって発揮されると言われており、言わば、異文化・異文明の遭遇たるメディチ・インパクトを自家で生み出す源となるのが、リベラル・アーツで習得した知であるから、その意味でも、価値ある社会の創造のためにも、リベラル・アーツ教育の重要さは強調しすぎることはない。
   イギリスのトップ・リーダーたちには、オックスブリッジの出身者が多いが、哲学やギリシャ文学、歴史学、宗教学などと言った実利とは程遠い学問を専攻した人が沢山いてびっくりすることがあるのだが、これが、成熟した文明社会のリーダー教育かもしれないと思うことがあった。

   欧米のトップクラスの高等教育機関(殆どが高度な学術研究機関などを併設した大学院大学だが)の水準は、桁違いに高く、エリート教育を拒否して、大衆化して平準化してしまった日本の大学とは違うのだが、このあたりにも、リーダー教育に差が出てくるのかも知れない。
   いずれにしろ、例えば、世界のトップクラスのビジネス・スクールで、MBAを取得するためには、少なくとも、2~3000万円を必要とすると言われており、このような高額な教育費をどうするのかと言った卑近な問題も多く、大学教育システムの抜本的改革と言っても、気の遠くなるような多くの問題を解決せねばならないと思われる。
   
   
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東京国際ブックフェアが開幕した

2009年07月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   恒例の「東京国際ブックフェア」が、ビッグサイトで開催され、VIPの招待状を頂いているので出かけた。
   東大姜尚中教授の基調講演”「悩む力」で”現代の古典”を発掘する”を聞き、お昼のレセプションに参加して、その後、ブックフェアの会場を回って本を買おうと言うのが当初の予定であった。

   もう、何年も通い続けているのだが、何故か、買う本はどんどん少なくなってきている。
   私にとっては、魅力的な出版社の出展が少ないと言うこともあるが、大抵読みたい本は、直接書店に出かけて買ってしまうし、それに、20%のディスカウントでは食指が動かない。
   また、今年は、各出版社とも特別な工夫や企画がなく、出版している本を並べているだけと言う会社が多く、インパクトに欠ける上に、ひどいところでは、売れ残りと思しき雑誌を山済みしている(最新版がないと言うこと)大手出版社があった。

   尤も、専門的な比較的高度な学術書とか理工学書を出している出版社のブースなどもあるので、このような書物を目的にしている人には、格好のフェアかも知れない。
   結局、この日は、私の本は一冊も買えずに、孫のために学習関係の本を数札買って宅急便で送っただけになってしまった。

   姜教授が、講演で、本離れのすさまじさや出版社の苦境について語っていた。講演の内容については、後日、書くつもりだが、活字メディアが、映像メディアに首座を奪われたのは、湾岸戦争の時期だと言うことである。
   私自身は、これもそうだが、インターネットの影響が非常に大きいと思っている。
   インターネットを操作すれば、本なしでいくらでも情報は手に入るし、読書の時間の大半は、パソコンに奪われてしまっている。

   先日、TVで、クルーグマンが、電子ブックを操作しているのを見たが、彼などは、本を持たずに、殆ど電子ブックで読書を済ましているのではないかと思う。
   これなどは、本が電子ブックに変わっただけだから良しとしても、今回のフェアでも、デジタル・パブリッシング関連のコーナーなどはかなり賑わっていたし、出版関係でも、ICT関連のイノベーションは、すさまじいのではないかと思う。

   ところで、本の売れ行きのダウンが激しいと言うことよりも、もっと気になるのは、月刊雑誌などの廃刊・休刊が多いことで、いくら探しても店頭から消えてしまって見つからない雑誌が結構多くて、店員さんに聞くと、もう出版されていないと言う。
   私自身、雑誌は、定期的に購読しているのは、日経ビジネスと、ナショナル・ジオグラフィック、それに、FOREIGN AFFAIRSくらいだが、あとは、必要に応じてスポット買いしているのだが、とにかく、内容の割には、コストパーフォーマンスが悪すぎると思っている。

   本を読むと言うことは、私にとっては、最高の趣味と言うか、生き甲斐に近い。
   読んでいて、その都度、新しい知見に遭遇する喜びがあると言うことが、一番大きな動機だと思うが、やはり、専門の経済や経営については、もっともっと知りたいと言うのが最大のドライブ要因だったような気がする。

   ウォートン・スクールで、ミクロとマクロの経済学を学んだ時、サミュエルソンの「経済学」(今で言えば、マンキューやスティグリッツの経済学であろうか)などは、最初の授業の3回くらいで終わってしまい、その後は、どんどんピッチを上げて、20数回の授業の終わりには、その時の最新の経済学の論文を読めるところまでレベルを上げると言う凄まじさを経験している。
   したがって、ビジネススクールを出てサラリーマンにかえってからも、それを踏襲していて、片っ端から、新しく出版される経済学や経営学の専門書に挑戦を続けて来ているので、多少、問題はあるとしても、どうにかオーバーホールはしていると思っている。
   尤も、英語の専門書が少なくなって、翻訳本が多くなっているのには、気にしている。

   さて、口絵写真だが、これは、講談社の子供本のブースの紙芝居形式の絵本読み聞かせコーナーの情景である。
   熱心に聞き入るのは、大人ばかり。
   時代は、どんどん移り変わっているのである。
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C.K.プラハラード&M.S.クリシュナン著「イノベーションの新時代」

2009年07月06日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「顧客経験の共創とグローバル資源の利用」と言う企業環境を取り巻く大きな大潮流の変化を前に、企業が、イノベーションと価値創造を目指して、如何に、成長戦略を打つべきか、大胆に、切り込んだのが、この本「イノベーションの新時代 The New Age of Innovation」である。
   前著の「価値共創への未来 The Future of Competition」と「ネクスト・マーケット The future at The Bottom of The Pyramid」を読んでおれば、プラハラード教授の理論展開はほぼ推測はつくが、その核心部分において、デジタル化によるICT技術の途轍もない進化が、経営革新の根幹を占めていることに鑑み、今回は、専門家のベンカト・カマスワミ教授が共著者として参加し、更に、理論の発展および精緻化を図っている。

   まず、真っ先に理解すべきなのは、プラハラード教授の「顧客経験の共創とグローバル資源の利用」と言う時代認識で、その背景の核心部分は、次のとおり。
   ①(ICT革命を背景にした)価値創造における消費者との協力関係、価値共創の比重の高まり
   ②消費者との価値共創に必要な知識、技術、ヒト、モノ、カネをすべて持つ企業は1社としてなく、社外の様々な資源を利用する術を身につけること必須
   ③エマージング・マーケットがイノベーションの中心となり得る。

   この背景には、ICT革命によってフラット化したグローバル・ワールドにおいて、企業が、激烈な競争時代を生き抜くためには、オープン化を志向しグローバルベースでの経営資源の最適化ミックスを実現すべく、消費者のみならず、あらゆる利害関係者とのコラボレーションと共に価値を共創して行く経営戦略の構築と、その遂行が必須であると言う脅迫観念にも近い確信がある。

   プラハラード教授の理論展開で、重要な位置を占めているのは、インド・オリジンであることが幸いしたと言うべきか、
   先の「ネクスト・マーケット」において、本来、見向きもされなかった筈の世界の底辺を占める最貧層50億人を「顧客」に変える「次世代マーケット経営戦略」に焦点を当てて、イノベーションとは一体何なのかを問いかけながら、イノベーションの新しい潮流を説いたところに、面目躍如としている。
   今回の著書で、遅れを取っていたインド経済社会の現状を逆手にとって、ICT技術をフル活用しして、イノベーション・イノベーションの連続で、世界最先端の銀行業務を展開しているインドのICICI銀行の快進撃を活写している。
   たった10年足らずの間のこのインドでの銀行業務の革新は、「顧客価値の共創とグローバル資源の利用」を踏み台にしながら躍進するイノベーションの潮流が、エマージング・マーケットで花開いていることを示していて非常に示唆に富む。

   イノベーションと価値創造は、欧米の豊かな市場であろうと、バングラディッシュやインドの極貧層のマーケットであろうと同じだと言うのがプラハラード教授の見解だが、創造的破壊のためには、既存の価値と権威の集積であるエスタブリッシュメント国家や企業よりも、無から有を打ち立てる方が、この激動の時代には適しているのかも知れない。
   クリステンセンが、イノベーション企業の凋落を説いて久しいが、ソニーがトランジスターを引っさげて、真空管工場に見切りを着けられなかった支配的電機会社を尻目にして快進撃したのも、もう、昔の話。
   しかし、「挑戦と応戦」理論で、辺境から文明が移動・推移して行く歴史発展論を展開した偉大なアーノルド・トインビーを髣髴とさせて面白い。

   プラハラードのもうひとつのイノベーション論の卓越性は、イノベーションを狭い意味での技術革新と捉えずに、シュンペーター本来のイノベーション論に回帰させて、ピーター・ドラッカー経営学の核心に引き戻して論じていることである。
   既に、企業を取り巻く経営環境そのものが、プロダクト・イノベーションとプロセス・イノベーション、モノづくりとサービス、ハードウエアとソフトウエアなどの区別や敷居を無意味にしてしまっており、今や、如何なる手法を取ろうと、如何にして経営革新によって価値創造を実現するかが肝心であると言う認識である。(摺り合わせに強いとする日本のモノづくり論も、古くなったのでは?)

   プラハラード教授のこの本の主要部分は、
   顧客経験の共創とグローバル資源の利用による価値創造を目指して、業務プロセスを梃子にして、消費者と経営資源とをうまく橋渡しして、効率性と柔軟性を同時に実現することが、競争優位の源泉だとして、
   業務プロセスの向上、イノベーションのひらめきへの分析、ITの活用、組織のレガシーへの対応、人材育成、経営者の課題など詳細に渡って、新時代の企業のイノベーション戦略を説いていることである。
   
   中でも、最も重視している業務プロセスについては、事業のあらゆる面にデジタル化の波が押し寄せているため、事業は例外なく「eビジネス」と呼ぶべき状態になっていて、業務プロセスは、すべてICTの力を借りて成り立っていると強調しており、
   核心部分である「顧客経験の共創とグローバル資源の利用」でのICTの果たす役割の重要性を考えれば、企業の有効なICT戦略の構築が、イノベーション戦略の中枢要件であると言うことである。
   日本では、ICTに弱い高齢経営者が、経営のICT化に抵抗してシステム全体として機能していない会社が多いと言うことが指摘されているが、これなどはプラハラード経営学以前の問題で、何をか況やと言うことなのかもしれない。
   
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自由の女神像・9・11後初の王冠展望台オープンで求婚

2009年07月05日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズの電子版を開いたら、真っ先に飛び込んできたのが、この口絵写真。
   よく見たら、写真中央の男性が跪いて、嬉しそうに微笑む女性を見上げている。
   2001年9月11日のアルカイダのニューヨーク・テロ以来閉鎖されていた自由の女神像の天辺の「王冠展望所」が、8年ぶりに7月4日の独立記念日に、リオープンされたのだが、真っ先に上った30人の内の2人の男女のプロポーズの瞬間なのである。

   新聞によると、2人は、カリフォルニアのウォルナット クリークからで、3年間の付き合いだが、アーロン・ワイシンガー氏(26)が、恋の成就を願って「自由の女神像クラブ」に手紙を書いてお願いし、申し込み期限は過ぎていたが、同クラブのブライアン・スナイダー副会長の特別の計らいでチケットが手に入ったらしい。
   問題は、相手のブレダー嬢(25)に気付かれずに、ダイヤモンドの婚約指輪を、徹底的に厳しい検査網を突破して、どのようにして持ち込むかと言うことであったと言う。
   検査機を潜る前に、ポケットから出して友人のカメラバッグの中に滑り込ませて難なきを得たようだが、男と言うものはこう言うものなのである。

   ワイシンガーの祖父母は、ハンガリーとロシアからの移民のようだが、夫々、この自由の女神像を見ながらエリス島に着き、新世界への第1歩を記したのであろう。ブレダー嬢の父君ピーターは、チェコスロバキアからだと言う。
   ブレダー嬢は、「驚いたのなんのって! 私たちにとって完璧な場所でした。」と言ったと言うから、無事、婚約が成立したのであろう。

   ところで、このクラウン、すなわち、王冠の展望台だが、狭い上に暑くてじめじめしていて呼吸困難になるような状態の階段を354段も上らなければならないらしく、閉所恐怖症をピラミッドの地下墳墓で経験済みのエジプト学者のマサッチオ教授が、途轍もなく恐ろしいところだと言うのだから、難行苦行の恋路であったのであろう。
   因みに、台座の展望台の方は、既に、2004年にオープンしていたらしい。

   この自由の女神像は、アメリカ独立100周年記念に、フランスから贈られたもので、このミニチュア像が、セーヌ川畔に立っている。
   このセーヌの方は見ているが、何度もニューヨークに行きながら、自由の女神を見たことがない。

   アメリカは、まだ、独立してから200数十年しか経っていない新しい国だが、世界中から集まって来た移民たちの努力によって、今のような世界一の大国になった。
   未曾有の大経済不況の為に、中国での上海万博のアメリカ館の建設費用の目途が立たない状態らしいし、独立記念日に、隣国のミサイル打ち上げの挑発を受けるなど、多少がたつき始めてはいるようだが、やはり、桁違いの偉大な大国である。

   しかし、私が、初めてフィラデルフィアで、木造の小さなインディペンデンス・ホールを見た時には、その素朴さに驚いた。
   尤も、狭くて貧相な議場を眺めながらも、ここで独立宣言が起草されたのかと思った時には、身が引き締まるような感激を覚えた。
   あの中央の椅子にジョージ・ワシントンが座り、そして、わが母校の創立者ベンジャミン・フランクリンが、あの席に座って、高邁な人間の尊厳と独立を高らかに謳いあげて滔々と論じていたのか思うと、たまらなく感激したのである。

   日本人の私でさえこうであるから、色々な思いを込めて、故国を離れて、ヨーロッパ大陸から渡って来た移民たちには、自由の女神像は、格別の存在なのであろうと思う。
   自由の女神像を見ながらギリシャから来た、あのマリア・カラスの親たちも、カゲロプーロスとか何か長くて難しい名前であったのが、エリス島の入国係官が、カラスにしろと、勝手に名前を変えたと言うのだから、悲喜劇は交々ながら、とにかく、希望に胸を膨らませて、ここから新世界アメリカでの生活が始まったのである。
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トマト栽培日記・・・(13)アイコ苗も実が充実

2009年07月04日 | トマト栽培日記
   トマトの種を買って来て、袋の指定どおりに3月中旬に種蒔きをして植えつけたサカタのミニトマト・アイコが、今やっと、3番花房まで結実して、下の方の実は、しっかり充実してきた。(口絵写真)
   4月中旬に、園芸店で苗を買って来て植えていたカネコのスィート・トマトは、黄色いミニトマト・キャンドルライトを除いて、収穫に入っているから、自然環境に任せれば、1ヶ月以上も遅れると言うことである。
   カネコ苗は、既に、上部を摘心して、収穫期に入っており、毎日、少しずつだが、家内ともども楽しんでいる。
   1番花房の実は、収穫済みであり、これからのトマトの世話は、アイコに移ることになる。

   幼苗で、花房も定かでないような状態で植えつけたカネコ苗や始めに植えつけたアイコ苗は、最初なので、場所も日当たりの良い場所を選び、土壌にも注意を払った所為か、順調に生育し、木も充実して、実成りも比較的良かったのだが、手を抜いた所為でもなかろうが、やはり、日当たりの悪いところに植えたり、苗に多少疑問のあったトマトは、その後の生育などに問題が生じたりして、教科書どおりには行かない。
   輪紋病にかかったカネコ苗は、しっかり太く逞しく伸びていたので、被害を受けたところだけ、薬剤散布や切り落としで助かったが、生育の悪かったアイコ苗は、輪紋病に茎をやられて幹まで腐ってしまい、そのまま、上部が駄目になったので切り倒した。
   
   もうひとつは、やはり、園芸店で苗を買う時には、出始めの最盛期に最も充実したしっかりした苗を買って来て、すぐに植えつけることで、間を置いたり、売れ残りの苗を買って植えると、苗を正常な状態に戻すのは、中々、大変だと言うことである。
   たとえば、花房や花芽のついた苗を買って来て植えつければ、第2花房、第3花房と、順調に花房が連続してつくが、園芸店で間を置いた苗だと、その間の成長が犠牲になり、その後の生育が大きく阻害されてしまって、その上の花房が出なかったり消えてしまい、第4花房くらいでやっと正常に戻り、極めて、間延びした苗となるなど処理に困るようなことになり兼ねない。

   最初なので、どうせバーゲンだし、勉強の為にと思って、売れ残りのデルモンテやサントリーのイタリアン・トマトの苗を買って植えたのだが、結果的には、成功したのは半分くらいで、良い勉強にはなった。
   いずれにしろ、世話を続けて、正常な生育状態になると、枝の上部は、しっかり、花がつき結実しているので、問題はない。
   アイコと平行して、収穫期に入れれば、と思っている。

   今回、良く分かったことは、トマトが、如何に太陽を好むかと言うことで、絶対に日当たりの良いところに植えて、たっぷりと陽を当てて育てなければならないと言うことである。
   暑いのは困るが、早く、梅雨が明けて、太陽の照りつける日が続くことを、トマトの為に願っている。

   私は、ブラジルに駐在していた時に、ボリビアなどアンデス地方を何回か訪れたことがあるが、確かに、トマトのふるさとは、太陽に恵まれていた。
   ボリビアのラパスなど、富士の頂上近くの高度の高地で、真冬など随分寒いのだが、厚着のころころした袴姿の原住民のインディオの乙女たちの顔は日焼けして真っ黒であった。
   先祖のDNAがさわげば真っ青なアンデスの空と光り輝くチチカカ湖の水が恋しいと思うので、トマトの木に、梅雨の雨ばかりで、すみませんと謝っている。
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パンカジ・ゲマワット著「コークの味は国ごとに違うべきか」・・・グローバル戦略の再定義を

2009年07月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   世界はフラット化したとフリードマンが宣言してから既に久しく、ICT革命の恩恵を受けて、時空を超えて、瞬時にグローバル・ベースで、ビジネスが展開されていると言うのが今日の常識となってしまっている。
   ところが、現実の世界は、特に、ビジネスの世界では、決してフラットではない、と説く専門書が、今、書店の店頭に登場して、一寸、話題をまいている。
   そのひとつが、バンカジ・ゲマワットの「コークの味は国ごとに違うべきか REDEFINING GLOBAL STRATEGY」であり、もうひとつが、デビッド・スミックの「世界はカーブしている THE WORLD IS CURVED」である。
   今回は、まず、前者をベースに、世界のフラット化の現状について考えてみたいと思う。

   著者のゲマワットは、ハーバードで学位を得た後、マイケル・ポーターの誘いで、ハーバード・ビジネススクール(HBS)の教員となり、最年少でHBSの教授になった俊英で、10年に及ぶ膨大なグローバル企業の経営戦略を具に調査研究して著したのが、この著書であるから、筋金入りのグローバル経営学のテキストである。
   この間、グローバリゼーションやグローバル戦略について研究を重ねるにつれて、企業のフラット化・画一化と言うよりも、差異に対する感覚の方が鋭敏さを加えてきたと言うのである。

   著者は、海外直接投資のフローが世界の固定資本形成に占める割合を手始めに、色々な視点から国際化のデータを調査して、国際化・グローバル化の進展が10%前後ないしそれ以下に過ぎないことを検証して、グローバリゼーションはまだ道半ばであるとして、「セミ・グローバリゼーション」と捉えて議論を展開している。
   この書物の目的は、グローバル・ビジネスに対する企業戦略論であるから、この視点に立って、市場の規模やボーダーレスな世界の錯覚に惑わされずに、国境をうまく越えたいと思うのなら、経営者は、戦略の策定や評価に当たって、国ごとに根強く残る差異を真剣に受け取るべきだとして、国境を越えるための洞察力やツールを提供すべく、その戦略論を説いている。

   世界を理想化された単一の市場として見るのではなく、国ごとの差異に着目して、企業のグローバル戦略を説いているのだが、そのような観点から、グローバル企業、多国籍企業と言った国境を越えた企業の成功や失敗を見ると、見えなかった戦略の功罪が浮き彫りになってくるから面白い。
   たとえば、ウォルマートやカルフールが日本市場に馴染めず苦労したのも、日本の家電メーカーなどが、新興国や発展途上国への参入で苦心惨憺しているのも、文化文明、発展段階、国民性などの差異を戦略に上手く取り込めなかった結果と言うことであろうか。
   
   世界はフラット化したと言うグローバリゼーション津波論の台頭で、国際的な標準化と規模の拡大を重視しすぎた、国際統合が完成した市場を想定した行き過ぎた企業戦略論が、幅を利かせ始めていることに対して、国ごとの類似性と同時に、差異が如何に企業戦略の可否に大きな影響を与えているかを示しながら、
   セミ・グローバリゼーションの現実においては、少なくとも、短・中期的には、国ごとの類似点と差異の両方を考慮した戦略こそが、より効果的なクロスボーダー戦略だと説くのである。

   日本語版の表題の、コークの味は国ごとに違うべきかと言うのが面白いが、著者は、コカ・コーラのグローバル戦略について、その成否を、かなり丁寧に追っている。
   1886年創業だから、短命な筈のアメリカでは極めて歴史のある名門と言うことになるが、米軍用のソフトドリンク御用達の余波をかって実質的に世界制覇(?)、しかし、コカ・コーラは地球相続を運命づけられていると豪語して「コカコロニー化」と揶揄された20世紀中期の全盛期には、その企業戦略は、「マルチローカル」で、海外業務は現地企業に概ね任されて独立経営であったと言う。

   ところが、1981年に、R.ゴイズエタCEOが、どの国も同じようなものだとして類似性の追及に転進し、海外の成長、規模の経済、高い普及率、中央集権化、標準化を強調したグローバル戦略を確立し、権力と経営の中枢をアトランタに結集した。
   ところが、この戦略が裏目に出て、ローカルの「感応度」を無視した需要の急減、海外政府(特にヨーロッパ)の規制対応の遅れ、現地工場との軋轢・関係悪化などで業績は急降下。
   起死回生を目指したD.ダフトCEOが、グローバルな舞台で成功するには戦略的な意思決定を現地のトップに委ねるのがベストと、「ローカルに考え、ローカルに行動」と、意思決定の権限を現地に委譲する目的で大掛かりな組織変更を行った。
   しかし、この極端な企業戦略の変更も、現地トップやスタッフの能力不足や準備遅れ等で、規模の経済の享受どころか、品質の劣化を招くなど、様々な試みを行うが、売り上げの伸びは鈍化し続けた。

   現在、これらの急激な方向転換の弊害を是正すべく、イエデスCEOは、ゴイズエタなどの極端な中央集権化・標準化と、ダフトの極端な権力分散と現地化の妥協の産物ではなく、先の極端な現地化を修正して本社機能を再構築し、海外で有利に競争できるような、より優れた戦略を構築して邁進中だと言う。

   最も興味深い戦略の一つは、規模の経済と、一握りの売れ筋の販売に注力するのは止めて、イノベーション、特に炭酸飲料以外のドリンクに注力すると言う戦略(脱コカ・コーラ?)である。
   これは、日本コカ・コーラの独自の自社製品を開発する能力が、より多くの小さな独自ブランドを生み出して快進撃を続けている実績が評価されたのであろうが、TVコマーシャルでも自動販売機でも「ジョージア」が首座を占めているようだし、とにかく、どんどん新しい商品が開発されて、何が本命か分らないような「総合飲料会社」になっている。
   貧しいヤンキーが、ウイスキーを水で割って飲んでいた水割りや、米兵が飲んでいたコカ・コーラに憧れていた戦後は、もう、歴史のはるか彼方に行ってしまった。
   
   偉大な世界に冠たるグローバル企業コカ・コーラでさえ、国々の差異、セミ・グローバリゼーションの現実を直視して企業戦略を打たざるを得ないのであるから、況や、他のグローバル企業も当然であると言わんばかりに、ゲマワット教授は、沢山のグローバル企業の海外戦略を俎上に上げて、フラットでない現実を説き続ける。
   しかし、この本は、あくまで、戦略書なので、国々の差異を、文化的、制度的/政治的、地理的、経済的の4分野に分けて分析し、
   販売量の向上、コストの削減、差別化、業界の魅力の向上、リスクの平準化、知識の創造と応用と要った6つの構成要素に分解して、如何に、グローバル市場において、価値創造を行うべきか、克明に、その戦略を説いている。
   「グローバル戦略の再定義」と言うタイトルどおりの高度な経営戦略書なのである。
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ジョージ・ソロス著「ソロスは警告する2009」

2009年07月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   今回の世界的な金融危機を総括する形で、ソロスが、昨年出版した「資本市場の新パラダイム」の追加増補版として出版されたのが、表題の書物。
   日本版のタイトルが、「ソロスは警告する」と言った扇情的な銘が打たれているので、誤解を招くのだが、何も、ソロスが警告をしている訳ではなく、未曾有の経済危機を分析しながら、ソロスの従来の経済哲学と言うべき「再帰性理論」が、最も現実性を帯びて証明出来るとして、改めて世に問うべく、自論を詳細に論じている極めて真面目な経済学書なのである。
   ついでに、経済危機の行くへや経済見通し、それに、自分自身の投資の推移などを論じているので、それが、立派に予測や警告になっていると言うだけである。
   
   しかし、これまでの書物は抽象的で回りくどかったのだが、今回は、現実のサブプライムに源を発した経済恐慌寸前(しかし、深さははるかに深刻)の経済危機を、実務家の経験から詳細に分析して論証を試みているのであるから、以前のソロスのどの自著よりも、再帰性理論は、分り易くなっている。
   ところが、今回の増補版で、先の著作で展開した理論が殆ど無視されて、”認められなかった「再帰性理論」”として、自分の期待するような賞賛と尊敬を集めることが出来なかったと報告している。

   ソロスは、自分は、ナチス占領下のブダペストで、ユダヤ系として死地を彷徨いながら恐怖下で生きると言う「特権」を享受している故に、多くのアメリカ人より、今度の金融危機のような事態を理解するための概念的フレームワークを生み出せたのだと言う。
   このフレームワークと言うのは、ある人間の「思考」と、その人間が参加する「状況」との間で双方向に作用する、所謂再帰的な関係についての理論で、「人間の誤解と誤認が歴史の道筋を決めるうえで重要な役割を果たす」というもので、2008年のクラッシュが、最も如実に、その正しさ正確さを示していると主張するのである。

   現下の経済学は、均衡を前提にしているが、現実の市場は均衡値から時には大きく逸脱する可能性があることを肝に銘じていない。
   また、新パラダイムとして、行動経済学や適応的市場仮説の登場など進歩は見られるが、これらはニュートン力学や生物学の進化論から着想を得るなど自然現象を基準に考えているから、観察する人間が何を考えようとも何ら影響を受けない。
   しかし、人間行動――「思考」する主体が「参加」する現象――は、自然現象と違った社会現象で、この社会現象での因果連鎖は、ある事実群から次の事実群に繋がるのではなくて、ある事実群が構成する状況が、その状況の参加者の思考と、双方向的、再帰的なフィードバック・ループによって接続される。
   金融市場は、均衡点に収斂するものではない。信用創造と信用収縮のメカニズムは再帰的であって、初期には自己強化的であるが、末期には自己破壊的な「ブームと崩壊」のプロセスを辿る。この歴史的な金融システムの破壊的推移を紐解きながら、ソロスは、畳掛けるように「再帰性理論」を、この二冊の「金融市場の新パラダイム」で展開しているのである。

   私は、ソロスの展開している学説の方が正しいと感じているだが、どこかで、ローレンス・サマーズだったと思うが、ゲイツの創造的資本主義論をやや好意的に見て、ソロスを無視した発言をしていたのを読んだ記憶がある。

   これと同時に、ジョージ・A・アカロフとロバート・J・シラーの共著「アニマル・スピリット」を平行読みしていて、ソロスの再帰性理論に非常に近い形で、今回の経済危機を論じているのに興味を持った。
   行動経済学という新分野を活用して、経済の本当の仕組みを述べようとするのだから当然と言えば当然だが、多くの経済活動が、人間のアニマル・スピリット、すなわち、非経済的な動機や不合理な行動によって動かされており、これこそが、現実世界で経済が上下動する大きな原因だとケインズが「一般理論」で説いているとして、
   アニマル・スピリットを、安心・公平さ・腐敗と背信・貨幣錯覚・物語に分解して、これらの視点から、現在の経済学が如何に現実から乖離した理論を展開しているかを論じていて非常に面白い。

   参考文献には、ソロスのこの新パラダイム本が挙げられているが、あの「投機バブル 根拠なき熱狂」の著者シラー先生も、ノーベル賞学者のアカロフ先生も、この本では、同じ未曾有の経済危機を題材に現代経済学を批判しながらも、ソロスの再帰性理論に触れていない。
   気にすることはない、ソロス御大。あの20世紀最高の経営学者ドラッカー先生でさえ、徹底的に学者連中から無視され続けて、スタンフォードのビジネス・スクールで、一度も、文献として引用されたことがないと言うのである。(この件、ドラッカーが亡くなった時に、海外メディアの追悼報道をチェックして、このブログで書いている。)
   ガルブレイスも、晩年、「悪意なき欺瞞」を著して、如何に、現在の経済学者が、現実にマッチしないナンセンスな議論を展開しながら、我々を欺瞞に導いているのかを、克明に活写して逝った。

   所詮、経済現象は、全く合理的ではあり得ない、気が向いたら右にでも左にでも動き回る不確かな人間心理によって起こるもの。再帰性があるから、均衡点など無視して突破し、極端に暴走して奈落の底まで突き進むことさえある。定式化もモデル化も殆ど不可能な経済現象を、あまりにも理路整然として説明し、非の打ち所のないような経済理論ほど危ない。
   そう言うことかも知れない。
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白石加代子「百物語」・・・平家物語壇ノ浦・耳なし芳一・杜子春

2009年07月01日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの白石加代子の一人語りの舞台を鑑賞するため、ル・テアトルに出かけた。
   この前の舞台は、野村萬斎との「国盗人」や一人舞台の「源氏物語」だから、百物語の舞台は、もう、何年かぶりである。
   シンプルな舞台設定と音楽で、白石加代子が、台本を読んだり、演技をしたりしながら、物語を一人語りで、一人舞台を演じるのであるが、やはり、天下の名女優、かつ、現代の最高峰の語り部としての貫禄は十分で、いつの間にか、物語に引き込まれて聞き入ってしまう。

   これだけの名女優であり、語り部である白石加代子を、何故、山田監督は、寅さんのマドンナに登場させて、渥美清と、日本人としての心の会話の奥深い交流をさせなかったのか、残念に思っている。
   蜷川の演出した「真夏の夜の夢」のタイターニアの、なんとも言えないほど実に妖艶でコケティッシュな舞台を見てからのファンだが、とにかく、私にとっては理屈ぬきに、観たい女優なのである。

   そして、今回の出しものである「耳なし芳一」と「杜子春」は、何処から仕入れた知識なのかはっきりとは記憶はないのだが、子供の頃から良く知っている話なのである。
   平家物語の壇ノ浦の段は、当然、耳なし芳一の話の核心部分であり、前座として話される訳だが、これも、私の好きな古典なので、大変楽しみに出かけた。

   平家は、下関の壇ノ浦で滅亡するのだが、ここで、二位の尼(清盛の妻、すなわち、祖母)に抱かれて、8歳の安徳天皇が入水崩御する。
   この壇ノ浦にあるのが赤間神宮なのだが、ここに、安徳天皇を葬った御稜がある。
   この神宮は、元は阿弥陀寺と称したお寺で、平家や源氏物語を得意とする盲目の琵琶法師・芳一が、詩歌管弦を愛する和尚に一室を与えられて住んでいたのだが、
   和尚の留守する真夜中に、平家の怨霊に誘われ誑かされて、平家一門の墓七盛塚前で、琵琶を片手に平家物語の壇ノ浦の段を語らせられる。
   毎夜誘われて嵐の中で必死に語り続ける芳一の身を案じて、和尚は怨霊を取り除くために、芳一の体全体に般若心教を書き綴るのだが、耳だけ書き忘れ、夜中に呼び出しに来た怨霊が、芳一が見えないのに腹を立てて耳だけ引きちぎって去って行く。
   それから、怨霊は来なくなったが、耳なし芳一と呼ばれるようになった。

   この壇ノ浦近辺には、源平の激しい合戦で死んで行った多くの怨霊や亡霊が蠢いていて、多くの物語が残されている。
   盲目の芳一が、琵琶を掻き鳴らしながら語る平家の最後に、すすり泣き嗚咽する平家の怨霊や亡霊の描写など圧巻で、激しく胸を打つ。
   白石加代子の読んだのは、二位の尼が「西方浄土へ」と安徳帝を抱いて入水し、建礼門院が生け捕りとなり、知盛が「今は見るべきことは見はてつ」と海中へ飛び込む核心部分だが、これは、「早鞆」の段で、実際の壇の浦の段は、その前の段であり、芳一の語ったのは、これら総てであろうと思う。
   歌舞伎にも岡本綺堂の名作「平家蟹」などがあって、このブログでも、芝翫の至芸について書いたことがあるが、討ち死にした平家の武将や身を鬻がなければならなかった侍女たちの悲しい運命の数々が胸を打つ。

   下関港のすぐそばの岸辺の高台に建つ赤間神社には、一度だけ行ったことがあるが、中国風の雰囲気のある水天門などのある朱塗りの鮮やかな派手な神宮で、たしか、安徳天皇御陵や平家一門の墓の後方に、琵琶を抱えた芳一の木像を安置した芳一堂があったと記憶している。

   ちなみに、この赤間神宮から少し北東に歩くと、関門橋に達するが、この辺りが壇ノ浦のようで、更に、進むと、非常にしっとりとした情緒豊かな城下町長府がある。
   反対側に歩き、下関港を越えると、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘の巌流島が海上に見えるのだが、やはり、下関は歴史と伝統のある町で、旧市街を歩きながら、ふっとタイムスリップするのも楽しい。
   たった一日の旅だったが、思い出深い旅で、白石加代子の名調子を聞きながら、思い出していた。

   「杜子春」は、中国の杜子春伝を基にした芥川龍之介の子供向け物語である。
   洛陽の西門の下で金持ちの息子ながら身を持ち崩した杜子春が佇んでいると、片目すがめの不思議な老人が現れて、金持ちにしてくれる。
   しかし、前と同じように浪費しつくして3年たち、また、元の貧しい青年に戻って立っていると、再び金持ちにしてくれる。
   金持ちの時は人々は寄り集まってくるが、貧乏になると見向きもしなくなる。人間に愛想をつかした杜子春は、3度目に、老人に会ったときには、弟子にして貰って仙人になりたいと頼み込む。
   蛾眉山で修行中、仙人が留守の間、一切声を出してはならないと厳命される。
   しかし、地獄に落ちた両親が、閻魔大王に引き出されて鬼たちに滅多打ちにされ苦しみながらも、子を思う母の慈愛を感じて耐え切れず「お母さん」と叫んでしまう。
   夢破れて、洛陽の西門に立った杜子春は、人間らしい暮らしをすると誓う。
   仙人は、泰山の麓にある桃の花咲く一軒の家と畑を杜子春に与える。

   そんな話だが、何故か、私には、人の世の薄情さと言うか諸行無常の印象が強くて、後半の母の話の記憶は希薄である。
   中国風の4連の衝立を立てて、前に一脚のいすを置いただけのシンプルな舞台だが、銅鑼がなる中国風の音楽が、シナムードを盛り上げて雰囲気が出ていて面白い。
   白石加代子は、昔、スリットの入ったアオザイを着て出る舞台があったのだが、妹に止めて欲しいと拝み倒されて止めたことがあるので、今回もチャイナドレスを止めて着物にしたと笑わせながら、山水をあしらった黒い和服に、唐獅子を描き、後ろに牡丹の飾りをくっつけた帯を締めて登場した。
   美貌やスタイルの良さ、顔形で魅せる女優ではないから、失礼ながら、何を着ても同じだと思うのだが、何を思ったのか、真っ赤な足袋に、真っ赤な鼻緒の下駄とはどう言うことか。
  
   腰を曲げて杖をつきながら呟きながら衝立に消えていく仙人姿なども、どうに入っていて、とにかく、芝居とは違った白石加代子の魅力が発散していて、楽しい2時間であった。
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