熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

新派公演:「遊女夕霧」「寺田屋お登勢」

2016年03月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに、新派公演を見た。
   国立劇場の歌舞伎公演の流れと言うか、あぜくら会の予約ルーティンに乗った感じで出かけることになったのだが、慣れていない所為もあって、多少違和感を感じながら見ていた。
   現代的な新作歌舞伎を見ていると思えば、近いかも知れないが、歌舞伎とは違って、女優が登場する芝居そのものでもあるし、とにかく、私にとっては、生々しくて実にリアルであった。
   能や狂言、それに、人形が演じる文楽、そして、一寸時代がかった歌舞伎など、あの世の世界や古い時代の物語や、いずれにしろ現実離れした舞台芸術の世界に、どっぷりりと浸かりすぎていた、と言うことかもしれないと思って不思議な感覚であった。

   まず、『遊女夕霧』。
   川口松太郎の小説『人情馬鹿物語』の第3話を劇化したものだと言うことで、舞台は、大正10年頃の吉原である。
   花魁夕霧の馴染みの呉服屋の番頭である与之助が、酉の市の日に、夕霧に積夜具(馴染みのしるしに贈った新調の夜具を店の前や部屋に積み上げて飾る)をして華やぐ舞台が、与之助が、その資金繰りに店の金に手を付けたことを明かして、一挙に暗転する。
   夕霧が、獄中の与之助に検事が起訴猶予にするために、「借用書」に切り替えるべく、人情家の講談速記者円玉に署名捺印を願い出て、どうにか、同じ苦界で苦労した女房の助けを得て成功すると言うハッピーエンド。
   夕霧を波野久里子、与之助を市川月之助が演じて、しっとりとした大正時代の色町風景と庶民の情緒を醸し出していて興味深かった。
   積夜具と言うのを初めて知ったのだが、幇間や芸者たちが部屋になだれ込んできて吉原じめや幇間の踊りなどを演じてお祝いするとか、講談師桃山如燕が講談を語るのを、速記者円玉が書き取って、それが出版されて庶民の楽しみになると言った話など、時代考証を経て上手くセットされた舞台で、しっとりと演じられる芝居を観ていて、無性に懐かしさを感じた。
   波野久里子は、2度目くらいだが、情感豊かにしんみりと心に響く舞台であった。

   さて、「寺田屋お登勢」は、天下分け目の大混乱期の幕末、坂本龍馬の面倒を見た伏見の船宿の女主人お登勢の龍馬との物語である。
   薩摩藩士同士の凄惨な殺戮事件である寺田屋騒動や、薩長同盟成功後、幕府の捕吏が寺田屋を襲って、龍馬が負傷する事件や、お龍の看病によって回復した龍馬がお龍を妻として薩摩への新婚旅行へ向う話など、史実を軸にして、寺田屋の龍馬が描かれているのだが、この芝居の主題は、お登勢の龍馬への激しい恋心であろう。
   勿論、龍馬は、母と慕ったお登勢と言うのが定説であるから、龍馬がお登勢に思いを寄せたとは思えないが、それを知ってか知らずか、龍馬の獅童は、さらりと演じていて興味深い。
   お龍を演じた瀬戸摩純が、中々美人で魅力的であるから、わき目を振る必要もなかったのであろう。
   
   お登勢は、寺田屋を殆ど一人で切り盛りした敏腕経営者であるばかりではなく、寺田屋騒動を苦も無く乗り切り、龍馬たち幕末の日本を背負った志士たちを支援サポートしたと言うのであるから、大変な英傑である。
   その点では、やはり、水谷八重子のキャラクターなのであろうか、肩ひじ張らずに淡々と、どちらかと言えば、さらりとお登勢を演じていて、女として、龍馬に接していると言った姿勢を濃厚に見せていて、情感豊かな温かい演技が、私には心地よく興味深かった。

   男女の物語を主題にした芝居なので、龍馬が、ところどころで開陳する、欧米列強に蹂躙された中国やインドの悲劇を避けるべき日本国の命運や、日本の夜明けへの共和国論や民主主義などの高邁な思想や哲学が、何となく、この舞台では違和感があって空回りしている感じなのだが、それはそれで、龍馬の属性として示されれば良いと言うことであろうか。
   お龍と張り合うお登勢と言う人物像の描き方は、面白く興味深いし、ラストシーンの天を仰ぎ望郷に似た思いで龍馬を想うお登勢の姿で幕引きをする演出も、印象的であった。
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茅ヶ崎:氷室椿庭園~華麗な椿の競演

2016年03月08日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先日、えぼしさんにご紹介頂いた茅ヶ崎の氷室椿庭園を、早速、訪れた。
   この椿庭園は、茅ヶ崎市のHPによると、
   ”三井不動産の元副社長である氷室 捷爾さん・花子さんご夫妻の庭園が、茅ヶ崎市へ寄贈され、平成3年10月に開園しました。
 広さ約2,800平方メートルの庭園には、椿や松、バラなど1,300本におよぶ庭木類が植えられています。 椿の種類は200種以上におよび、なかでも「氷室雪月花」は、白や淡桃色の地に紅色の絞りが入った美しい品種です。”

   広大な邸宅の敷地の半分くらいが、専用の椿庭園となっていて、殆ど種類の違った椿が整然と植えられていて、正に、壮観で、素晴らしい椿園である。
   私が、真っ先に、驚嘆したのは、庭園入り口正面脇に、フルグラントピンクのブッシュ状の大木とも言うべき大きく成長して、鮮やかに咲き乱れている素晴らしい姿を見たことである。
   美しいピンクの小輪八重の椿なので、残した千葉の庭にも、今の鎌倉の庭にも植えているのだが、まだ、小さいので、こんなに素晴らしい木に育つのだと思うと、楽しみでもある。
   
   
   
   

   この椿庭園で作出された名物椿が、氷室雪月花。
   清楚な上品な椿で、淡いピンクに、縦筋の斑入りが映えて美しい。
   
   
   

   さて、園内には、一部二階建ての住居が片隅にあって、その前に、広い日本庭園が広がっていて、その外に、花壇や小さな池が設えられていて、その周りを椿園が取り巻いている。
   
   
   
   
   
   

   さて、この椿庭園には、250種の椿が植えられていると言う。
   私自身も、小なりとは言え、千葉の庭では、鉢植えも含めれば、5~60種類の椿を栽培していたのだが、この庭には、私の知らなかった椿が、随分ある一方で、逆に、私の植えていた椿の半分くらいは、この庭にはない。
   それだけ、椿の園芸種は、種類が多くて、千差万別だと言うことであろう。
   黒椿は、何の種類か分からなかったが、まだ、蕾がかたかった。
   気になったのは、崑崙黒に、宝珠咲きの蕾や花弁を見かけなかったことである。

   とにかく、椿の乱舞は壮観で、花弁もそれ程痛まずに、奇麗に咲いていて、椿庭園での午後の散策は、大変な楽しみであった。
   美しい花々の写真を、ご紹介しておくと、次の通り。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
       
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マイケル・ピルズベリー著「China 2049」

2016年03月07日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「China 2049」は、「秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」」とサブタイトルのついた原著「The Hundred-Year Marathon: China's Secret Strategy to Replace America as the Global Superpower」の日本版。
   「100年マラソン:グローバル・スパーパワー覇権国家としてアメリカにとって代わる中国の秘密戦略」と言うことであろうか。

   中国は、アヘン戦争以来、欧米列強に蹂躙されてきた「過去100年に及ぶ屈辱に復讐すべく、中国共産党革命100周年に当たる2049年までに、世界の経済・軍事・政治のリーダーの地位をアメリカから奪取する」とする「100年マラソン」計画を、秘密裏に推進してきたと言うことだが、現実的には、最早、このことは、秘密ではなく、習近平が、「強中国夢」として公然と、2049年を、その夢が実現する年と公言しているのである。

   この考え方は、昨年、H・キッシンジャー他「中国は21世紀の覇者となるか?」のブックレビューで触れた精華大学のデビッド・リー教授の中国台頭論
   「アヘン戦争を皮切りにして西側の列強によって国家を蹂躙された長い屈辱の歴史を晴らすべく、富国強大政策を推進して、大唐大帝国の栄光を再び!1500年前の偉大な帝国唐の時代の復興」を別な表現にしただけであって、この壮大な戦略が、世界経済大国として君臨した今日、最早、隠す必要もなく、中国の国是として宣言したと言うことであろう。

   私自身、これに関して、ブログで、
   ”私には、清国の建国から、欧米日列強による蹂躙に泣いた屈辱の近代の歴史を経て、やっと経済大国への道を驀進して、近い将来に世界最強のアメリカを凌駕出来るかもしれない可能性が見え始めた今こそ、漢民族が、中華思想を実現出来る千載一遇のチャンスだと考えて、覇権国家への夢(?)に向かって邁進しようと考えるとしても、あながち、間違っているようには思えないのである。”と書いている。
   勿論、そのことが、人類の将来にとって、あるいは、人類の歴史にとって良いのか悪いのかは、別の話ではある。

   ところが、森本敏拓大教授・元防衛大臣が、本書の解説で述べているごとく、
   ニクソン政権からオバマ政権にいたるまで、「米国における中国専門家として著名であるばかりでなく、米国政府の対中政策に最も深く関わってきたマイケル・ピルズベリー博士の中国論である。その本人が本書の冒頭で、米国は中国の国家戦略の根底にある意図を見抜くことができず、騙されつづけてきたと告白する。この告白は衝撃的である。
 我々はこれほど中国に精通し、中国要人と交流のあった同博士でさえ中国に欺かれ続け、それを知らずに歴代米国政権が対中政策をピルズベリー博士の助言や勧告に基づいて進めてきた事実を知って今更の如く愕然とする。」
   と言う戦慄すべき事実が明かされており、並みの告白本ではない。

   さすれば、CIAやFBIなどのインテリジェンス機能の信頼性は勿論のこと、アメリカ外交とは、一体何であったのか、覇権国家として20世紀をリードしてきたアメリカの構築してきた世界秩序は、人類にとって幸せなものであったのかどうかさえ、疑わしく、心配になってくる。
   中国が、毛沢東や小平以降、弱者を装って、アメリカの政策決定者を操作して、如何に、膨大な情報や軍事的、技術的、経済的支援を得てきたか、そして、その実態を、アメリカは、いまだに、つかんでいないと言う。
   このあたりのアメリカの能天気ぶりは、昔読んだアーノルド・トインビーの本を思い出した。

   戦略的目的のために、敵の理念や技術を盗むのを良しとするのは、戦国時代の兵法に触発された大規模な兵法の一部であり、中国の情報局は、当たり前のように外国の技術や競合情報を盗み、中国企業の幹部に届けており、中国の略奪的行動、企業スパイや知的所有権の侵害などは、当然の日常茶飯事の業務であり、マラソン戦略の9つのうちの重要な1つだと言う。
   この9つの戦略には、①敵の自己満足を引き出して、警戒態勢を取らせない ②敵の助言者をうまく利用する ③勝利を手にするまで、数十年、あるいはそれ以上、忍耐する 等々「戦国策」など中国の古典の神髄が要約されていて、興味深いのだが、これらの戦略は、全く欧米とは違った異質なものにも拘らず、極最近まで、同僚は勿論ピルズベリー自身さえも、中国人は、アメリカ人と同じような考え方をすると思い込んでいた、と言う。
   このことを敷衍すれば、国連にしろ、世銀にしろ、IMFにしろ、あるいは、WTOにしろ、国際機関や国際協定など、国際的な機関なり秩序は、すべて、支配的な欧米流の価値基準で設定されているのであるから、極端に言えば、中国やイスラムなど異文化異文明の思想や価値基準とは違うので、遵法意識の違いが頻発して、国際紛争となるのは、当然かもしれない。

   それに、多くのアメリカ人は、中国の指導者たちが、中国は、個人の財産や自由市場を伴う経済の自由化へ向かっていると信じさせてきた所為もあって、タイムやニューズウィークさえも、中国は、資本主義の道を進んでいて、そうなれば、自ずと欧米流の民主主義が実現すると報じるなど、欧米流の政治経済社会へ発展して行くものと考えていたが、中国自身は、似ても似つかない国家資本主義への道を驀進して大をなしている。
   ピルズベリーは、中国に騙され続けて、アメリカの対中国政策を誤ってきたと懺悔しているのだが、これは、ピルズベリー自身と言うよりも、欧米の為政者なり識者が陥る、あまりにも強烈な欧米優越の思想なり哲学なり価値観なりの先入主に凝り固まりすぎたためではないかと思う。
 
   と言うのは、興味深いことに、中国のこの100年マラソンの思想、中国がアメリカを出し抜いて覇権を確立しようと言う戦略を、ソ連やリー・クァンユーなどは、ずっと、以前から関知していたと述べているのである。

   もう、半世紀近く前に、ソ連の指導者は、中国人は、ソ連を凌駕するのみならず、いずれアメリカを越えるつもりであると言う極秘の野望を持っていると考えており、独自のシナリオを持って、世界舞台の主役を射止めるためには何でもする、と考えていた。中国人は世界の頂点に地位を回復すると言う歴史的野望によって動いているのだが、チャンスが訪れるまでその野望を隠す。アメリカが中国の誘いに乗ると、予想もしない結果を招くであろう。と言う重要な情報を、ソ連の高官と同僚が与えてくれたと言う。
   キッシンジャーとニクソンが、中国にアプローチをしたのは、対ソ戦略のために中国の誘いがあったからで、アメリカは、騙されて散々中国にプレゼントを与え続けたと言うのであるから、興味深い。
   中国が、共産世界のリーダーの地位を奪おうとしていることをソ連に察知されて、ソ連から更なる投資、貿易の機会、軍事技術、政治的支援を引き出せなくなったので、同じ過ちを繰り返さないことを心に誓って、アメリカには、徹底的に弱者を装って下手に出て援助支援を取り続けたと言う。

   リー・クァンユーは、「中国の目的は世界一の大国になること。西洋の名誉会員としてではなく、中国として受け入れられることで、思考の中心にあるのは、植民地化と搾取や屈辱より前の、彼らの世界である。中国に民主主義革命が起きると信じるなら間違いだ。」と言っており、更に、アメリカとの対決は、軍事的には自滅するので、頭を垂れて微笑みながら、40年50年待って、経済的技術的にトップの座を争えば負ける筈がない。と思っているとのべている。

  長くなったので、これ以上論評を避けるが、アメリカ屈指の中国通のパンダハガー(親中派)が、間違っていた騙されていたと、一気に、反中派に転向したのであるから、中国に対する熾烈を極めた強烈なレポートは、非常に示唆に富んでいて面白く、善悪は別にして、一聴に値するし、極めて貴重な情報であり、現在の外交史としても特筆ものである。
   アメリカにおんぶにだっこで中国外交を進めてきたような日本だが、ぼつぼつ、日本として、真剣に中国に対峙する時期が来たことを教えてくれていると思う。
 

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わが庭・・・椿咲き、ばら芽吹く

2016年03月06日 | わが庭の歳時記
   急に温かくなったので、庭の木々も動き出した。
   椿は、シーズン到来なので、今が、盛りである。
   今年は、初期に暖冬気味であったので、わが庭の椿は、殆ど咲き終わってしまったのだが、今咲いているのは、タマグリッターズ、卜伴、式部、トムタム、咲き始めたのは、エレガント・シュプリームである。
  移植して、間もないので、まだ、木が小さいのだが、花の美しさは、双葉よりかんばしである。
   
   
   
   
   

   レンギョウが、やっと、咲き始めた。
   枝が、すっくと伸びて、ゆるやかに放物線を描いて数珠つなぎに黄色い花をつける優雅さは、清楚な雪柳とは違って、派手さが良いのかも知れない。
   下草のクリスマスローズが、頭を持ち上げ始めたが、何時まで経っても、下を向いたままで、上から鑑賞できないところが、何故か、何時ももったいないような気がしている。
   
   
   

   この2、3日、急に、ばらの芽吹きが激しくなって、一気に、芽吹き始めた感じである。
   白や黄色のばらの芽は、淡い緑に、深紅など濃い色のばらの芽は、やや来い褐色気味に、大きさや芽の勢いも、夫々の花の個性を主張しているようで面白い。
   成長すればしっかりとした枝となり幹となるのだが、芽吹き始めた新芽は柔らかくて弱いので、気を付けなければ、かいたり落としてしまう。
   桜の頃に向かって、一気に芽が動き始めて蕾が見えてくると嬉しくなり、その蕾にほんのりと花の色が浮かび上がると期待に胸が膨らむ。
   
   
   
   

   芽を吹き始めたのは、ぼたん、芍薬、それに、アジサイである。
   ユリの芽も動き始めたのだが、椿や桜が終わって月が変わる頃になると、これらの花々が咲き始めて、わが庭は、一気に、華やかになる。
   人と人との出会いも、嬉しいが、新しい花々との出会いも、本当に、嬉しくて、何時も、心待ちにしている。
   
   
   
   
   
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春めいてきた鎌倉・・・明月院

2016年03月05日 | 鎌倉・湘南日記
   東慶寺から、横須賀線の踏切を渡ればすぐなので、明月院に出かけた。
   踏切のそばに、3本の河津桜であろうか、奇麗に咲いていて、メジロが忙しげに、蜜を求めて飛び回っている。
   メジロの良さは、必ず、つがいで行動していることだが、人間とは違って、必ずベータ―ハーフが見つかるのか、つまらないことを考えて心配している。
   
   
   
   

   明月院は、アジサイの季節になると、休日の銀座のように込み合うのだが、まだ、
寒くて、めぼしい花も咲いていないので、訪れる人は、殆どいなくて、閑散としている。
   惣門の前に、一本きれいに紅梅が咲いていた。
   惣門を入ると、なだらかな参道が続いていて、奥に山門が見えるのだが、この両側に、明月院ブルーのアジサイが咲き乱れると、壮観である。
   今は、やっと、芽吹き始めた小さな芽が、動き始めて、春の予感を告げている。
   
   
   
   
   
   

   この明月院は、やはり、谷戸の奥にあって、境内は、一直線に長く伸びていて、本堂後庭園も、相当深くまで伸びている。
   参道の右手山側に、奇麗な竹藪がある。
   左手の庭は、やや、広くなっていて、色々な雑木が生えており、季節の移り変わりによって雰囲気が変わってくる。
   
    
   
    

   山門の右柱に竹で作った三段の花生けがあって、夫々の季節に合った花が活けられているのを、いつも楽しみにしている。
   そして、山門から本堂に向かう途中の右手の沙羅双樹の木の横に、説明書きを添えて、奇麗な生け花が飾られていて、これも、素晴らしい。
     
   
   
   
   
   

   山門をくぐると、左手に枯山水庭園があり、その正面に本堂があって、この右脇の部屋に設けられた丸窓から、その奥の庭園が見えるのだが、何時も、それなりのセッティングがしてあって、中々、絵になって素晴らしい。
   私は、華道には全く知識はないのだが、欧米などの多くの博物館や美術館を行脚してきたお陰か、何となく、フラワーアレンジメントや生け花の鑑賞眼と言うか、美しさを、多少は理解できるようになったのか、最近、古社寺散歩をしていて、生け花や室内装飾などに関心を持って見ている。
   
   
    
   
   

   花で興味深いのは、このお寺には、開山堂の手前に、花地蔵があって、何時も、花を抱えたり帽子をかぶったりして、人間のように飾られていて、この日は、黄色い花を持ち黄色い襟巻をして、前にはオレンジが置かれて、イエローでおしゃれをしていた。
   その横の地蔵蔵の地蔵たちの飾りつけも面白い。
   そのそばに、申し訳程度に絵馬が掛かっていて、読んでみたが、どこでも願いは同じであった。
   
   
   
   
   さて、このお寺で咲いてる花だが、梅はかなり少なく、クリスマスローズ、ロウバイ、椿、
   やはり、この寺は、アジサイの明月院である。
   
   
   
   
   
   

   
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大船フラワーセンター・・・梅、玉縄桜、椿が満開

2016年03月04日 | 鎌倉・湘南日記
   大船フラワーセンターの梅林だが、やっと、しだれ梅が咲きだしたので、奇麗に木々が弧を描いて美しい。
   夫々の梅の木の種類が違っていて、枝垂れ梅もあれば木立ちもあり、白もあれば赤やピンクもあり、それに、八重や一重、大きな花や小さな花、色々あって面白い。
   梅の花を、どのような場所で、どのようなシチュエーションで観るのかによって印象が大きく違ってくるのだが、昔、若いころに、京都や奈良の古社寺を歩いていて、鄙びた山寺の庭にひっそりと咲いていた梅の美しかったことを思い出すことがある。
   梅林なども、いろいろ見に行ったが、月ヶ瀬の梅が、一番印象に残っている。

   さて、この日、出かけたは良いが、カメラの電池切れに気付いたので、代わりにミラーレスを持って出たのだが、これも、長く使っていなかったので、途中で、電池切れしてしまって、残念ながら、殆ど写真を撮れなかった。
   撮った写真で、梅の風景を示すと、次の通り。
   午後になると陽が西に傾くので、順光の朝に、鑑賞するのが良いかもしれない。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   今回、驚いたのは、ソメイヨシノの改良種だと言う玉縄桜が満開で、センターのあっちこっちで咲き乱れていたことである。
   この桜は、このフラワーセンターで、染井吉野の早咲き種から選定した園芸品種だと言うので、地元の地名を使用して名付けており、今、「玉縄桜を楽しもう会」を催している。
   他に咲いていたのは、河津桜、それに、やや花が小ぶりのおかめ桜である。
   3枚目の写真は、河津桜越しに、玉縄桜を遠望したもの、そして、その下が、おかめ桜の接写である。
   
   
   
   
   
   もう一つ、咲いていたのは、ぼつぼつ、シーズンに入った椿である。
   このフラワーセンターの開園時期に植えられたのかどうか分からないが、椿の木は、夫々、それ程大きな木ではなく、密集して植えられているので、手っ取り早く鑑賞できる。
   しかし、椿は、花弁が華奢でか弱くて、それに、命が短いので、野外で、美しく鑑賞に絶える花を見つけることは、非常に難しく、痛んだ花弁を見るのは悲しい。
   
   
   
   
   

   当日、展示場で、「春蘭展」をやっていた。
   
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春めいてきた鎌倉・・・浄智寺

2016年03月03日 | 鎌倉・湘南日記
   東慶寺を出て、右に道を取り、鎌倉街道を、鎌倉方向に歩けば、5分足らずで浄智寺に着く。
   境内入り口に、鎌倉十井のひとつである「甘露の井」から奇麗な湧き水が出ていて、その上の石橋の横を通って、石段を上ると簡素な惣門があり、門をくぐると、中国風の山門に向かって、なだらかな長い石段が続いている。
   静かに上って行くと、林間の静寂が心地よく身体を包んで厳粛な思いにさせてくれるのが、実に清々しくてよい。
   山門は、鐘楼門で、 二層になっていて、下層が門、上層は梵鐘をさげた鐘楼になっていて、非常に優雅な建物である。
   この浄智寺は、禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する鎌倉五山第4位と言う極めて格式の高い寺院であったが、今は、木像三世仏坐像などを安置した仏殿だけしか残っていない。
   
   
   
   
    

   小さな寺ではあるが、境内は、かなり広くて、墓地の横には、竹林や岩の壁を掘った窪みである「やぐら」に石像が並んでいたり、洞穴の中に布袋の像が祀られている。
   もう一つ古い門があり、葵の紋が描かれた棟門があり、庫裏の前庭と裏庭にミツマタが奇麗に咲いている。
   
   
   
   
      
   
   
   

   さて、この庭にも、何本か梅の木が植わっているが、ひっそりと目立たない。
   早咲きの桜や椿、それに、下草のクリスマスローズやサクラソウ、スイセン、フクジュソウが咲いていて、彩を添えている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   浄智寺を訪れる人は、東慶寺より少ない。
   訪れて来る人は、観光ルートに沿った団体客、老年夫婦や若いカップルなどの二人連れ、婦人たち数人のグループ、それに、私のようなカメラを持ったシニア。
   そして、京都や奈良もそうだが、この鎌倉の古社寺を、ひっそりと訪れている独りだけの女性を結構見かける。
   若い時には、和辻哲郎や亀井勝一郎、入江泰吉、土門拳、それに、色々な日本の歴史や文化芸術などの本に触発されて、とにかく、精力的に、歴史散歩に明け暮れたのだが、この頃は、カメラを持って、何となく、古社寺を歩いている。
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春めいてきた鎌倉・・・東慶寺

2016年03月02日 | 鎌倉・湘南日記
   梅の花は如何ばかりかと思って、東慶寺を訪れた。
   横須賀線からも鎌倉街道からも、至近距離なのだが、山門から見え隠れする梅の香りを微かに感じると、もう、東慶寺は別世界で、清々しい空間が始まる。
   
   
   

   山門をくぐると、正面に鎮座ましまして出迎えてくれる金仏までの参道の両脇に、梅の並木が続いている。
   白梅が主体のようで、色彩的な華やかさはないのだが、ところどころに咲く紅梅が彩を添えていて、旧尼寺には似つかわしい清楚さがあって良い。
   
   
   

   先日書いたように、東慶寺は、ミシュラン・ガイドの鎌倉における2つしかない3つ星観光地の1つで、開基は、鎌倉幕府の第8代執権・北条時宗の夫人である覚山尼であり、寺に駆け込めば、離縁できる女人救済のための縁切り寺で、歌舞伎にもなっていて、封建時代の日本には、非常に特異な存在であった。
   ガイドでは、その経緯が書いてあり、水月観音菩薩半跏像などとともに、三下り半の書が展示されている宝蔵と、四季折々に彩を添える花の庭園が見どころと紹介している。
   境内は、谷戸に沿って、山手の墓地に向かって一直線で、非公開の左右に立つ小さな塔中の周りに、庭園が広がっている。
   参道から、逆に、山門の方を見下ろすと、前方の山に、円覚寺の建物が見え隠れする。
   
   
   
   
   

   さて、東慶寺の梅だが、参道の両側の梅の木は、それ程、古木ではないのだが、中々、風情があって面白い。
   梅の木は、桜のように全体像を愛でるよりも、個々の枝ぶりや、花弁そのものを鑑賞する方が面白いような気がして眺めている。
   完全な花は殆どないのだが、見つかった時には嬉しくなる。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
      

   東慶寺の庭には、色々な花木や草花が植えられていて、季節の移り変わりにサイクルしながら、彩を添えて楽しませてくれる。
   山門をくぐって、真っ先に目に付くのが、赤いボケ、それに、墓地の前庭のミツマタも面白いし、ひっそりと咲く桜、華やかなマンサクや椿も、雰囲気を醸し出していて良い。
   下草には、クロッカス、スイセン、フクジュソウ。
   もうすぐ、桜の季節である。
   
   
   
   
   
      
    
   
   

(追記)掲載写真に、人影が写っていないのは、その瞬間を待ってシャッターを切っているので、結構、観光客が訪れている。
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都響・・・プロムナード・コンサート

2016年03月01日 | クラシック音楽・オペラ
   シーズン最後のプロムナード・コンサートは、   
   指揮/大野和士
   曲目
   ベルリオーズ:序曲《ローマの謝肉祭》 op.9
   ドヴォルザーク:弦楽セレナーデ ホ長調 op.22
   チャイコフスキー:イタリア奇想曲 op.45
   ラヴェル:ボレロ

   聴きどころ は、
   まばゆいばかりのサウンドがほとばしる《ローマの謝肉祭》《イタリア奇想曲》《ボレロ》。
   しっとりとしたドヴォルザークのセレナーデ。まさに名曲コンサートと呼ぶにふさわしい華やかなプログラムです。
   でも、派手さだけではありません。不滅の名旋律がまとう陰影までも丁寧に描き出そうとするのが大野と都響なのです。
    と言うのだが、いわば、あまりにもポピュラーな名曲揃いであるから、休日の午後のプロムナード・コンサートとしては、格好のプログラムであった。
   それに、今や人気絶頂の音楽監督の大野和士がタクトを振るのであるから、当初よりチケットは完売で満員御礼。
   お馴染みの名曲を、都響の最高のサウンドを引き出して奏でるのを、リラックスして、楽しめると言う至福のひと時。
   まさに、そんなコンサートであって、久しぶりに満足してホールを後にした。
   

   ボレロについては、大晦日のテレビ番組のカウントダウンで、シルビィ・ギエムが華麗なバレエを演じていたのを見て、感激したが、実際には、ブラッセルで、モーリス・ベジャールの21世紀バレエの舞台を観たのと、コンセルトヘボーかロンドン響か忘れたが1度聴いたくらいで、ポピュラーな割には、それ程、演奏を聴く機会がなかった。

   今回、私の席は、1階中央の後方右寄りだったので、一つずつ楽器が加わって行く様子が分かって、非常に興味深かった。
   このボレロと楽器の増減が違っていて面白いのは、ハイドンの交響曲第45番嬰ヘ短調 Hob.I:45「告別」で、
   終楽章後半の「アダージョ」で、演奏者が、1人ずつ演奏をやめて、ロウソクの火を消して消えて行き、最後に2人の弱音器をつけたヴァイオリン奏者だけが残る。
   休暇を与えてくれないエステルハージ候への意思表示と言うハイドンの機転の冴えた演出が面白い。

   このサントリーホールで面白いのは、正面のカラヤン広場に、露店が立つことで、この日は、骨董と言うかガラクタと言うかノミの市が立っていた。
   興味を引くようなものがなかったので、一回りして場を離れた。
   ヨーロッパの街を歩いていると、旧市内のマルクト広場や、シティホールや教会前の広場に、蚤の市が繰り広げられて、結構、楽しいのである。
   ここで冷やかしに買った、マイセンやリモージュなどの陶器や花瓶、人形などが、今でも、私の書棚にある。

(追記)都響と大野和士の写真は、サントリーホールの壁面にディスプレィされている看板写真を借用。
   
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